コロナ禍で外出自粛の際にひっそり2泊3日の四国旅行
あちこち、城巡りしてきました。
3日目の最終日、最初に行った引田城は、台風による土砂降りのため、山登りできず、
消化不良のため、予定外だったけど、徳島城へ。ここは3度目の登城。
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2025/08/16 17:31
2025/08/14 21:07
2025/08/14 11:08
【赤色立体地図かるた】
①「青石で 護る黒門 徳島城」(あおいしで まもるくろもん とくしまじょう)
平成29年(2017年)9月26日登城、岡豊城の特別期間限定天守風二層櫓「櫓」を見学探訪の帰りに徳島にも1泊して徳島城、徳島の未踏の城探訪をしました。
徳島城には阿波緑色片岩を利用した石垣で有名です、大手門に当たる黒門枡形、下乗橋、左手の太鼓櫓台、右手の月見櫓台と濠辺りの三木郭外枡形よりの景観に緑色片岩の青石が特徴です、更に雨に濡れた青石は見事な事でしょう。
写真は1番から4番まで。
②「弓櫓 元天守成り 徳島城」(ゆみやぐら もとてんしゅなり とくしまじょう)
令和7年(2025年)5月14日登城、家内の希望で大塚国際美術館、祖谷かずら橋観光で徳島に2泊、前日の夕方、翌日の早朝に登城、本丸まで登り、石塁石垣櫓台を観察見学しました。幕末頃明治の初めまでは東二の丸に天守閣が残って居たそうです、蜂須賀氏が徳島城を築いた初期には本丸西側の現在の弓櫓跡に天守閣が建っていたそうです、櫓台の大きさからすると5階建ての大天守が想像されそうです?、現搦手側の櫓台石垣には鏡石の様な大きな石が据えられて、さもそうであろうと思われます。
写真は5番から8番まで。
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蜂須賀家政が吉野川河口の渭山に築いた平山城。山頂の本丸には天守があったが元和期に取り壊され、後に東二の丸に建てられた。本丸周囲に築かれた高石垣や、屈折を繰り返す西三の丸の石垣など、現存する造りから堅固な防御だったことがうかがえる。大手門外側の三木曲輪に構えられていた鷲之門を平成元年に再建。
城地種類 | 梯郭式平山城 |
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築城年代 | 天正13年(1585) |
築城者 | 蜂須賀家政 |
主要城主 | 蜂須賀氏 |
文化財史跡区分 | 国史跡(徳島城跡)、国の名勝(表御殿庭園) |
天守の現況・形態 | 型式不明[階層不明/1588年築/破却]、東二の丸御三階櫓[3重3階/1615年頃築/破却(廃城令)] |
主な関連施設 | 鷲の門、石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、横堀(水堀)、庭園 |
住所 | 徳島県徳島市徳島町城内 |
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問い合わせ先 | 徳島城博物館 |
問い合わせ先電話番号 | 088-656-2525 |