続日本100名城

すわはらじょう

諏訪原城

静岡県島田市

別名 : 牧野原城、牧野城、扇城

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諏訪原城
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チェブ

スタンプの置き場。 (2020/01/03 訪問)

ちょっと笑った「諏訪原城」のスタンプ置き場を投稿します。
もちろん、素晴らしい遺構は後日、発表しますね。

昨年12月、お城EXPOの「諏訪原城」のブースで続100名城のスタンプの置き場について質問しました。
私「年末、お城がお休みでスタンプを押せない旅行を繰り返してますが諏訪原城はいかがですか?」
ブースの方「大丈夫です!年中無休です!ただ雨の日の後、お叱りを受けまして、、、。」
私「雨??でも、必ず行きます!」
という調子で「諏訪原城」に着くと、スタンプ置き場のビジターセンターはお休み。
年中無休って言ってたのに!と思って「諏訪原城」攻めを開始しようと入城したら、ありました。
続100名城スタンプ。
職員室の先生が使ってた古い書類棚みたいな棚に入っていました。
もしかしたら市役所で使われなくなって再利用かもしれません。
確かに雨が降ったら引出しの中は水浸しです。
この日は「諏訪原城」のスタンプ、きちんと押せました。
お城のスタンプの取り扱いに差がありますよね。
スタンプの管理は大切にお願いします。
でも「諏訪原城」スタッフのアイデアには笑ってしまいました。
そもそも、私も年末ではなく旅行を年始にしたので心配無用ですけどね。
「諏訪原城」、スタンプの置き場も遺構にも驚かされました。

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しんちゃん

武田氏時代の山城、徳川時代の平城 (2020/02/09 訪問)



諏訪原城が楽しくては5週連続で通ってしまった。やはり、武田時代と徳川時代の両方がその特徴を生かして現在しているところが本当に魅力的だ。いくつか自分の中で課題があった。まず武田時代だが、今は一騎掛けになっている土橋がどうやって本曲輪に行ったかについて。竪土塁を経由して水の手曲輪に出ただろうと実際に歩いてみて感じた。諏訪原城には非常に堅固な出曲輪があり、当時の出丸は出曲輪の後方支援の役割もあったのではないかと想像する。城山延命地蔵尊参道入口から出曲輪にも行ってみたが、非常に堅固で要塞だ。東から来た敵は出曲輪で撃退出来るくらいだ。諏訪原城は西から見れば平城だが、東から見ればまさに武田の山城そのもの。東斜面ゾーンが整備されて、見事な内堀や縦堀を見る事ができる。諏訪原城を東斜面から見上げると、作手町で見た古宮城そっくりだった。ニの曲輪東馬出やニの曲輪南馬出し付近から鉄砲弾が発見されているのも魅力的だ。次に徳川時代だが、ニの曲輪北馬出の復元した門の位置関係がどうしても納得いかなかったが、先月末に島田工業高校から素晴らしいジオラマがビジターセンターに寄贈され、一目瞭然で理解した。1573年に信玄公が亡くなった年に築造された城なので、いわば全盛期の武田方の築城技術が結集された山城で整備も常に行われており、本当に素晴らしい史跡だ。

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しんちゃん

後ろ堅固の城 (2020/01/10 訪問)

二回目の攻城。今回は、西向き扇城の最南端にある二の曲輪東内馬出付近の勉強をテーマにのぞんだ。二の曲輪東内馬出は土塁もあり非常に堅固な馬出しだが、そこから外側に張り出すように作られた、ニの曲輪南馬出及びニの曲輪東馬出については土塁もなく、まさに「戦の最前線、特攻隊の曲輪」だ!特に、東側は断崖絶壁であるニの曲輪東馬出については、ニの曲輪東内馬出からの土橋は一人がやっと通れる幅の崖の尾根で、今日では立ち入り禁止となっているが、ニの曲輪東内馬出から意を決っして東馬出しに突撃していったであろう勇ましい武士達の姿が浮かび上がり武者震いが起きる。土塁がない狭い曲輪である南馬出しや東馬出しからは、多くの鉄砲弾が出土されており、激しい戦の跡が伺える。後ろ堅固城、扇城に対して、敵は正面からは来ない。扇の端部から攻めてくるのが自然な考えであり、防御・攻撃の施設が端部にある理由も、ただ諏訪原城は、後ろ堅固城の陣営であるが、他の有名な山城に比べると、後ろが断崖絶壁とまでは言えず、攻め上がろうとすれば攻めれたであろう地形だ。したがって扇の要、本曲輪の後ろにも内堀があるのが面白い。この城は、旧東海道沿いにあり、「来るなら来い」的な城だったのではないかと感じた。

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しんちゃん

凄い山城!!静岡県民の誇りだ! (2019/12/29 訪問)

普段何気なく通っていた金谷峠の頂上にこんな凄い山城があったとは…。まず驚かされたのは、諏訪原城の管理の良さ!山城に興味を持ったのが最近の為、近所のメジャーなところしか行ってないが、ここは管理が良く行き届いていして山城の機能がはっきりわかる。にも関わらず戦国の息吹きが生々しく伝わってくるところが凄い!次に、諏訪原城の強固な構造。私は、20年以上にわたって土木建設業に携わってきているが、土木技術的に素晴らしいクオリティーだ!そして、高天神城との関係だ。徳川と武田の取った取られたが良くわかる。今回初めて行き、順路にそって時計周りで散策したため、二の曲輪付近で疲れてしまい、集中力が切れたが、二の曲輪付近こそ、武田が築城した頃の臭いがプンプンして面白いはず。次回は、右回りで行きたいと感じた。最後に諏訪原城に来て感じた事は、高天神城の素晴らしさと重要さだ。この二城だけを研究してもいいくらいのレベルの高い山城だと感じた。

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城郭情報

城地種類 山城
築城年代 天正元年(1573)天正3年(1575)以降
築城者 武田勝頼、徳川家康
主要城主 室賀氏(城番)、牧野氏(城番)、松平氏(城番)、今川氏(城番)
文化財史跡区分 国指定史跡
近年の主な復元・整備 堀、門
主な遺構 本曲輪、二の曲輪、堀、土塁、馬出
住所 静岡県島田市金谷
問い合わせ先 島田市教育委員会文化課文化財係
問い合わせ先電話番号 0547-36-7967