続日本100名城

すわはらじょう

諏訪原城

静岡県島田市

別名 : 牧野城、牧野原城、扇城
旧国名 : 遠江

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諏訪原城
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カズサン

令和6年の桜は? (2024/04/07 訪問)

 勝間田城の登城前に情報収集とトイレ休憩で諏訪原城のビジターセンターに寄り、登城後諏訪原城の桜は如何にと桜探訪しました、諏訪原城は桜のポイントが少なく、本曲輪廻りと二の曲輪と本曲輪の内堀に山桜だけでしょうか?
 昨年は3月29日に桜探訪、8月21日に築城450年記念イベント仮設展望スタンドからの眺望投稿しており令和6年は初めての登城と成ります。

 登城ルートは、ビジターセンター、中馬出、北馬出、二の曲輪、本曲輪、カンカン井戸、二の曲輪南側、大手馬出でビジターセンターに戻る。
 ビジターセンター前の駐車場は2度駐車しましたが混んでおり1台がやっとの状態、第二駐車場は半分くらいの混みよう、結構な人が見学探訪されていました。

 今回の桜探訪としては少し遅かった感が有ります、タイミングを合わせる事の難しさでしょうか?
 桜以外は見所ポイントの写真を投稿致します。
 
 

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トベシュン

静岡県7城巡り (2024/03/24 訪問)

静岡県7城巡りしてきました。
山中城跡、興国寺城跡、駿府城跡、諏訪原城跡、高天神城跡、掛川城、浜松城

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T-Shionoya

丸馬出だけでない諏訪原城 (2023/12/30 訪問)

昨年12月末に訪れた静岡県島田市の諏訪原城。

牧之原台地北端部、駿遠の国境とされた大井川を見下ろす比高約150mの台地の縁に築かれた城。
東海道沿いに位置し、7つの馬出を備えた正に軍事要塞。

信玄が没した1573年に武田家臣の馬場信春が築城。
1575年の長篠の戦の後、徳川が攻略し牧野城として改修。
武田時代も徳川時代も高天神城攻めの拠点の1つとなった模様。

残された資料と発掘調査から大半が徳川時代の大改修跡と考えられ、現在も6つの馬出や堀が良好に残る整備された城跡。

訪問時、まずは二の曲輪大手馬出の思い掛けなく深い三日月堀と二の曲輪外堀に驚嘆。
本曲輪虎口は期待した桝形ではないものの、堀と土橋は立派もの。
そして複雑な二の曲輪南馬出周辺はワクワクさせられるつくり。

ビジターセンターは休館日でしたが、滞在時間は約3時間。
丸馬出以上に堀のハンパない土木量に目を奪われた、私の城郭巡りの169城目でした。

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とばつびしゃもん

6つの馬出が残る城 (2023/10/07 訪問)

諏訪原城ビジターセンター前駐車場も東側の第二駐車場も満車。やむなく「ふじのくに茶の都ミュージアム」で早めの昼食。再チャレンジするとビジターセンター前駐車場に空きあり。ビジターセンターでは年輩のガイドの方がジオラマを使って城址解説してくれました。大井川鉄道SLの元運転手さんだとか。ビジターセンターで続日本100名城スタンプポン
大手南外堀から城内へ。城内の見所には二次元コードが用意され、これを読み取ると城好き落語家さんが音声案内してくれる。外堀沿いに進むと大きな二の曲輪中馬出が出現。北馬出と復元された門を見てから中馬出を通って二の曲輪、そして本曲輪へ。本曲輪の東側は断崖で大井川を望む。
空堀のカンカン井戸から左手にそれると水の手曲輪でその名のとおり道悪。戻って二の曲輪を経由して大手馬出へ進むとそこには諏訪神社がある。南馬出、東内馬出、最後に東馬出を見て6つ丸馬出を制覇。90分の攻城。

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城郭情報

城地種類 山城
築城年代 天正元年(1573)
築城者 馬場信春?
主要城主 今福氏、今川氏、松平氏
文化財史跡区分 国史跡(諏訪原城跡)
近年の主な復元・整備 松平家忠など
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀・三日月堀)、馬出し、井戸
住所 静岡県島田市金谷
問い合わせ先 島田市教育委員会文化課文化財係
問い合わせ先電話番号 0547-36-7967