石垣山城には5年置きくらいに行っています。久々に訪れたら本丸北の石垣が少し崩れていたみたいですね。もちろんすぐにはわかりません。昔の写真と比較してみて気づいたんですね(ヒマ人か)。石垣山城の築かれている尾根は箱根山が噴火した際に冷えて固まった溶岩によって構成されているようで、皮肉なことに小田原城のすぐ近くで石垣に使う石材を調達することが出来たようですね。
だからといって土の城の到達点といえる小田原城のすぐ近くに総石垣の城を築くなど常人に思いつくことではなく、まさに天下人秀吉の真骨頂と言えると思います。パンフレットには一夜にして建造物に白壁をほどこし、伊達政宗が紙を張ったものと見貫き、秀吉を始め諸将に賞賛されたと記されています。急造とはいえスケールの大きい石垣を持つ城ですが、こんな小技も駆使していたのですね。
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