秦野駅前4番のりばから,神奈川病院ループのバスに乗りました。東農協前バス停から約20m戻った交差点からアクセスします。この交差点から案内が充実していて迷うことはありませんでした。受け入れ側からすると,案内を充実させることで,無関係な場所への不用意な立ち入りを防止する観点もあるのでは…とも考えました。
復路もこの神奈川病院ループのバスを利用。同じバス停です。違う系統のバスも存在しており,逆方向へ戻るためのバス停も向かい側にありましたが,本数は少なかったです…。
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2024/03/09 19:04
東農協前バス停からの案内が充実💡))) (2024/02/11 訪問)
秦野駅前4番のりばから,神奈川病院ループのバスに乗りました。東農協前バス停から約20m戻った交差点からアクセスします。この交差点から案内が充実していて迷うことはありませんでした。受け入れ側からすると,案内を充実させることで,無関係な場所への不用意な立ち入りを防止する観点もあるのでは…とも考えました。
復路もこの神奈川病院ループのバスを利用。同じバス停です。違う系統のバスも存在しており,逆方向へ戻るためのバス停も向かい側にありましたが,本数は少なかったです…。
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2024/01/18 21:54
2023/08/06 09:50
あたふたの城攻め。 (2023/07/04 訪問)
小田原観光(?)の後、通り道という事もあり「波多野城」へ転戦。
平安時代から鎌倉時代にあったとされる「波多野城」です。
波多野氏は、源 頼朝さんの挙兵を拒み討伐されました。その後、波多野家は許され 鎌倉幕府の御家人にまでなります。
中学校脇の田んぼに下りる道。「波多野城」の道標がありました。
ゆるゆる下ると、畑仕事を終えた軽トラを何台か見送りました。
ん?ポツリ ポツリと大きめ雨粒が!
その後、ザーーーーッと夕立。最近はゲリラ豪雨って表現するのかな?
多分、軽トラは豪雨予測ができていたのでしょう。
退陣の法螺貝が脳内で響きます。
後で調べたら、近くに『源 実朝公首塚』があるようです。
波多野家は、頼朝さんには逆らってしまいましたが、時をかけて御首を護る位の御家になったのでしょう。
と、行ってもないのに勝手な想像です。
発掘しても城跡だったかは分からないそうです。
手前の田んぼを見て、堀だったのかな?なんて想像しました。
勝手に遺構へ脳内変換しなくなる「波多野城」攻めでした。
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分類・構造 | 平山城 |
---|---|
築城主 | 波多野次郎 |
築城年 | 鎌倉時代 |
主な城主 | 波多野氏 |
遺構 | 消滅 |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 神奈川県秦野市寺山 |