和歌山県は和歌山市しか行ったことがなく、初めてぐるりと回りました。
熊野三社をめぐった後、赤木城に登城、宿泊予定の新宮についた際に
登城しました。
続日本100名城スタンプは歴史民俗資料館にて、
御城印は観光協会にてゲット。
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2025/08/17 07:06
2025/08/16 11:12
【赤色立体地図かるた】
水軍の 城から始まる 新宮城
(すいぐんの しろからはじまる しんぐうじょう)
徳川御三家紀州藩の支城ですが元は熊野水軍の城でした。
ここも未訪です。
那智の滝や速玉大社までは行ったことあるのですが・・・
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2025/08/14 16:49
【赤色立体地図かるた】 (2010/04/25 訪問)
「熊野川 望む石垣 新宮城」(くまのがわ のぞむいしがき しんぐうじょう)
15年前の4月下旬思い切って、浜松からは時間的に遠く高速は伊勢まで後は地道国道42号線(ゴロが悪い)を熊野を越えて三重県と和歌山県県境を流れる熊野川沿いに有る新宮城を初登城。前後には獅子巖、熊野速玉大社を見学参拝しました。
車は本丸と鐘の丸下の狭い駐車エリアを利用。
熊野川に隣接した独立小山山頂に石垣郭が構えている、本丸、少し石垣が崩落してる天守台、出丸、鐘の丸、松の丸の石垣城塁が良く残って居り、熊野川沿いには水の手曲輪石垣が構えて船着き場と成って居た。
本丸から熊野川方向へ突出た出丸からの熊野川を望む景観は絶景でした。
関ケ原後浅野氏が紀州全域領有と成り、新宮に支城を築く、紀州が徳川紀州藩の領有に成ると新宮城は付家老の水野氏が入り明治まで継承した。
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2025/08/13 21:02
【赤色立体地図かるた】 (2025/03/28 訪問)
「熊野川と 海運の抑え 新宮城(くまのがわと かいうんのおさえ しんぐうじょう)」
「炭売って もうかりまっか? 新宮城」
ぼちぼちでんな・・って、実はウハウハだったようです。紀州の木材は江戸城をはじめ、良材として多くの建築物に使われ、備長炭は江戸や諸藩の生活に欠かせませんでした。陪臣とはいえ3万5千石の扶持を与えられ、炭や鯨油での売り上げを加えると中堅大名クラスのお金持ちだったのではなかろうか? 紀州藩の取分がどのくらいだったのか、気になる所です。
水の手には大量の備長炭を貯蓄できたようで、海から見ると「備長炭出荷城」のように見えたかも・・ゼニや 世の中ゼニや!
「陪臣の 意地を見せたる 新宮城(ばいしんの いじをみせたる しんぐうじょう)」
新宮藩9代藩主 水野忠央は紀州徳川家の陪臣と言う立場でありながら、同じ御三家の附家老と連帯して幕府に対して待遇改善を要求したり、将軍の側室として妹を大奥に送り込んだりと、かなり精力的に活動しています。また後の大老・井伊直弼と協力して紀州徳川家の徳川慶福(後の家茂)を第14代将軍に就かせています。井伊直弼が殺害された後は、勢いを失い新宮城に幽閉されました。
※一部画像は日本Q地図さんのデータを使用させていただいています。
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城地種類 | 平山城 |
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築城年代 | 元和4年(1618) |
築城者 | 浅野忠吉 |
主要城主 | 浅野氏、水野氏 |
文化財史跡区分 | 国史跡(新宮城跡附水野家墓所) |
近年の主な復元・整備 | 水野重仲、水野重上 |
天守の現況・形態 | 型式不明[3重5階/1633年築?/破却(廃城令)] |
主な関連施設 | 説明板 |
主な遺構 | 曲輪、天守台、石垣 |
住所 | 和歌山県新宮市新宮 |
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問い合わせ先 | 新宮市教育委員会文化振興課 |
問い合わせ先電話番号 | 0735-23-3368 |