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ボン

正院川尻城:2019年8月14日:その他城-9 (2019/08/14 訪問)

別名:正院城、黒滝城、稲荷山要害
説明版撮影のみ。

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ボン

伊奈城:2019年7月14日:その他城-8 (2019/07/14 訪問)

別名:上嶋城
徳川家の葵御門の発祥地?

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ボン

苗木城:2019年4月20日:続100名城-4 (2019/04/20 訪問)

別名:霞ケ城、赤壁城、高森城
凄い!

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ボン

明知城:2019年4月20日:その他城-7 (2019/04/20 訪問)

別名:白鷹城、明智城
駐車場から登ってすぐ。
こことは別に明知陣屋(その他城-6)にも行った。陣屋は観光地の「大正村」の中。

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ボン

市場城:2019年4月20日:その他城-5 (2019/04/20 訪問)

別名:小原市場城、大草城、小原谷大草城
石垣とかなかなか立派。

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ボン

西尾城:2019年2月23日:その他城-3 (2019/02/23 訪問)

別名:鶴城、鶴ケ城、錦丘城、西条城
再現天守あり。資料館あり。庭園あり。
西尾はお茶が有名。

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ボン

東条城:2019年2月23日:その他城-4 (2019/02/23 訪問)

別名:東祥城、東條城
櫓とかが再現され、整備されている。櫓は登れなかった。

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ボン

墨俣城:2018年10月13日:その他城-2 (2018/10/13 訪問)

別名:墨俣一夜城、一夜城
模擬天守があり、中が資料館になっている。

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ボン

大野城:2018年10月6日:その他城-1 (2018/10/06 訪問)

別名:宮山城
浅野長政と市の次女である江の最初の夫である佐治一成の居城。
模擬天守があり、常滑の海や空港がよく見える。

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ボン

鎌刃城:2018年8月25日:続100名城-7

別名:釜川城
スタンプのみ。

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ボン

彦根城:2018年8月25日:100名城-10 (2018/08/25 訪問)

国宝。めっちゃ暑い日だったが、観光客が多い。ひこにゃんに会えた。

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昌官忠

日帰り三浦半島城巡り⑨:一升桝遺跡 (2026/05/02 訪問)

2026年5月11日~6月11日まで中国地方と兵庫県のお城を攻城する予定です。
1年ぶりの遠征に向け、事前の足ならし攻城(中央線&京王線沿線城巡り)に続く第2弾は日帰り三浦半島城巡りです。
日帰り三浦半島城巡り9城目は一升桝遺跡です。
江ノ島電鉄の極楽寺駅より徒歩2~3分くらいで、極楽寺(35.309775、139.529300)に着きました。

築城年代については、15世紀代にあたる1438年(永享10年)の永享の乱の頃、あるいは1455年(享徳3年)~1483年(文明14年)にかけて起きた享徳の乱の初期の頃らしいです。

一升桝遺跡は江ノ島電鉄・極楽寺駅北方の山上に位置し、遺跡周囲は急傾斜地に囲まれているようです。
その為、現地へは最寄の極楽寺駅からでは到達出来ず、長谷駅から徒歩40分かけて向かう必要があるようです。
しかし、極楽寺駅のパネルには非公開となっていたので、極楽寺駅周辺を散策して攻城としました。
江の島電鉄は観光客で満員おしずめ状態で、駅によっては乗車できずに、電車は遅延状態。
攻城時間は15分くらいでした。日帰り三浦半島城巡りはここがラストです。千葉の自宅に帰ります。
GWの為、葉山、逗子、鎌倉付近は観光客が多く、混雑やバス遅延に予定が狂いぱなし。GWの観光地はさけるべきでした。
歩行歩数=31178歩、歩行距離=21.8Kmです。

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橋吉

於大公園に駐車 (2026/04/29 訪問)

尾張国知多郡小河(現愛知県知多郡東浦町緒川)にあった緒川城(おがわじょう)跡にいってきました。

緒川城跡には駐車スペースがありませんので、近くの於大公園にとめました。
なお、徳川家康の生母である於大の方は緒川城で生まれました。。
ここから城跡までは、歩いて10分ほどですが、道が入りくんでいてわかりにくいです。
高低差があり、路地裏のように狭く、間違えて行き止まりになったりもします。
公園に駐車したのは正解だったようです。

古城公園という児童公園の奥に少し高くなった城跡があります。
土塁の跡が残っています。

緒川城跡から徒歩15分ほど於大公園南西にある水野氏菩提寺の乾坤院
ここの総門は緒川城廃城の後に移築されたもので、現存する唯一の建物であるとといわれています。

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昌官忠

日帰り三浦半島城巡り⑧:住吉城 (2026/05/02 訪問)

2026年5月11日~6月11日まで中国地方と兵庫県のお城を攻城する予定です。
1年ぶりの遠征に向け、事前の足ならし攻城(中央線&京王線沿線城巡り)に続く第2弾は日帰り三浦半島城巡りです。
日帰り三浦半島城巡り8城目は住吉城です。
飯島バス停より徒歩5分くらいで、説明板(35.299601、139.552242)のある白鬚社付近に着きました。
そこから、正覚寺登り口(35.299679、139.552619)に向かい、正覚寺の説明板を確認。
正覚寺の本堂(庫裏)の右手から階段を上がり、住吉神社へ。住吉神社に手書きの案内板・祠・洞窟があります。

相模住吉城は三浦道寸(三浦義同)の弟、三浦道香が居城としていました。
かつては北条早雲が関東進出のためにこの城を取り立てましたが、道寸に攻め落とされました。
1512年(永正9年)早雲は相模平定に乗り出し道寸の居城、岡崎城を攻略します。道寸は弟を頼りこの城に逃れましたが持ちこたえられず、新井城に敗走しました。

現在城址は宅地開発によって当時の遺構はほとんど確認できませんが、住吉神社が祀られています。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=升桝遺跡に向かう為、京急の飯島バス停からバス➡電車を乗り継ぎ、江ノ島電鉄の極楽寺駅に向かいます。

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昌官忠

日帰り三浦半島城巡り⑦:鐙摺城 (2026/05/02 訪問)

2026年5月11日~6月11日まで中国地方と兵庫県のお城を攻城する予定です。
1年ぶりの遠征に向け、事前の足ならし攻城(中央線&京王線沿線城巡り)に続く第2弾は日帰り三浦半島城巡りです。
日帰り三浦半島城巡り7城目は鐙摺城です。
鐙摺バス停の近くに、登城口(35.284040、139.569646)があります。

鎧摺城は三浦義明の三男、大多和義久(三浦義久)が居城していました。
三浦半島の入口を抑える要害で、平安時代末期から三浦氏にとって重要な城でした。
北条早雲に城を追われた三浦義同がこの城に登り物見をしたことから「軍見山」とも呼ばれています。
城址に遺構はありませんが、「平治の乱」の敗戦によって伊豆に流刑となった源頼朝の監視役をつとめた伊東祐親の供養塔が残されています。

鐙摺のバス停から少し先に鉄骨の赤い階段が見えます、そこを登って行くと曲輪があり1分で着きました。
登城口に旗立山、山上には伊藤祐親入道供養塚の説明板があります。遺構はわかりません。
草木の為、遠望はイマイチでした。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=住吉城に向かう為、京急の鐙摺バス停から途中バスを乗り継ぎ、京急の飯島バス停に向かいます。
葉山、逗子付近に向かうバスは観光客が多く、混雑やバス遅延に予定が狂いぱなしです。

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昌官忠

日帰り三浦半島城巡り⑥:芦名城 (2026/05/02 訪問)

2026年5月11日~6月11日まで中国地方と兵庫県のお城を攻城する予定です。
1年ぶりの遠征に向け、事前の足ならし攻城(中央線&京王線沿線城巡り)に続く第2弾は日帰り三浦半島城巡りです。
日帰り三浦半島城巡り6城目は芦名城です。
芦名バス停より徒歩5分弱で、芦名城址庚申塔へ降りる階段付近(35.2335312、139.608849)に着きました。
階段を下り、芦名城址庚申塔を確認した後、城址と伝わる大楠小学校(35.233208、139.607839)へ向かいました。

芦名城は三浦嘉明の弟である芦名為清によって築かれた城と伝わっており、会津葦名氏発祥の地とされています。
三浦氏の本城、衣笠城を守る支城として機能していたようです。
現在城址は居館跡が横須賀市立大楠小学校となっており、東に隣接する岩山に詰めの城があったようです。
遺構は残っていませんが、城址にあったとされる庚申塔が芦名川沿いの一角に移されて祀られています。

庚申塚は大楠小前のマンションの裏側の崖下に位置していますが、行くには芦名バス停から大楠小への道の途中にある左手の階段を降りてください。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=鐙摺城に向かう為、京急の芦名バス停から途中バスを乗り継ぎ、京急の鐙摺バス停に向かいます。
バス混雑による遅れで、バス乗り継ぎに間に合わず、時間ロスしましたが、葉山バス停に向かう途中にバスの中から富士山が見えました。

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昌官忠

日帰り三浦半島城巡り⑤:衣笠城 (2026/05/02 訪問)

2026年5月11日~6月11日まで中国地方と兵庫県のお城を攻城する予定です。
1年ぶりの遠征に向け、事前の足ならし攻城(中央線&京王線沿線城巡り)に続く第2弾は日帰り三浦半島城巡りです。
日帰り三浦半島城巡り5城目は衣笠城です。
京急の井戸店バス停より徒歩20分ちょっとで、大善寺駐車場(35.244822、139.655276)に着きました。

1051年(永承6年)から1062年(康平5年)にかけての前九年の役での戦功により源頼義から相模国三浦に領地を与えられ、当地の三浦氏の祖となったとされる三浦平大夫為通が、1062年(康平5年)衣笠山山麓に作った居館が衣笠城の始まりとされます。
のちにこの城は三浦氏の本拠地となり、三浦氏が勢力拡大するにあたって増築されていきます。
1180年(治承4年)源頼朝が伊豆で打倒平家を掲げて挙兵すると、三浦氏4代目三浦義明は頼朝を支援したが、頼朝は石橋山の戦いで敗れ房総半島へ逃げ延びます。
頼朝軍と合流できずに引き返した三浦一族は平家方の畠山重忠軍と衣笠城合戦に及び、衣笠城は落城。城主義明が自刃し、三浦一族は房総半島に逃れます。
その後鎌倉幕府が成立するとこの城はまた三浦氏の本拠となるが、鎌倉時代の1247年(宝治元年)宝治合戦で三浦党が没落すると廃城となりました。

45年以上前のF社勤務時代に、横須賀中央駅からNTT横須賀研究開発センタにバスで向かう際、衣笠付近を通りました。
若い時はお城に興味がなかったので、この付近に城跡があるなんて知りませんでした。
大善寺駐車場より石段を登ると城跡の看板があり、本堂の裏手に城跡があります。
大善寺駐車場までの登り坂は結構きついかったです。
攻城時間は20分くらいで撤収しましたが、予定のバスに乗り遅れました。バス待ちの時間に妻が握ってくれたおにぎりで昼食です。
次の攻城先=芦名城に向かう為、京急の衣笠城址バス停から途中バスを乗り継ぎ、京急の芦名バス停に向かいます。

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昌官忠

日帰り三浦半島城巡り④:佐原城 (2026/05/02 訪問)

2026年5月11日~6月11日まで中国地方と兵庫県のお城を攻城する予定です。
1年ぶりの遠征に向け、事前の足ならし攻城(中央線&京王線沿線城巡り)に続く第2弾は日帰り三浦半島城巡りです。
日帰り三浦半島城巡り4城目は佐原城です。
京急の久里浜電話局バス停より徒歩10分弱で、城址入口付近(35.237148、139.683952)に着きました。

佐原城の築城年代は定かではないが平安時代末期に佐原義連によって築かれたと云わります。 三浦氏の本拠、衣笠城の大手を守る支城でした。
佐原義連は三浦義明の子で佐原に住んで佐原氏を称しました。三浦一族は源頼朝の挙兵に応じ、一時は平氏に攻められ安房へ敗走することになりますが、再起を果たし、佐原義連は源義経らとともに平家討伐に加わり貢献しています。
義連は1189年(文治5年)の奥州合戦にも参陣して武功を上げ、会津の地を与えられています。この義連の孫、光盛が葦名氏を名乗り、盛氏の代には奥州を代表する戦国大名となりました。
三浦氏は1247年(宝治元年)の宝治合戦において、執権北条氏により一族の大半が滅亡したが、義連の孫盛時が北条方について相模三浦氏を再興しています。
現在城址は宅地化のため遺構はありませんが、丘の上に碑と説明板が建てられています。
近くにある満願寺には義連の廟所が市指定史跡として保護されています。

浦賀城から佐原城にくる途中、京急久里浜駅と北久里浜駅を経由しました。
F社勤務時代に、NTT横須賀研究開発センタに通っていましたが、その時に北久里浜駅を利用した記憶があります。
会社の宿泊施設があったような記憶がありますが、野比駅だったかな、駅周辺は45年以上前とは驚くばかり変化でした。
そんな事を考えながら、城址入口付近(フットサル&テニスクラブ入口脇登り口)に向かい城址碑へ。
登り口からの道の途中、切通しのような所を通ります。石碑と案内板がありました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=衣笠城に向かう為、京急の風早バス停から京急の井戸店バス停に向かいます。

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昌官忠

日帰り三浦半島城巡り③:浦賀城 (2026/05/02 訪問)

2026年5月11日~6月11日まで中国地方と兵庫県のお城を攻城する予定です。
1年ぶりの遠征に向け、事前の足ならし攻城(中央線&京王線沿線城巡り)に続く第2弾は日帰り三浦半島城巡りです。
日帰り三浦半島城巡り3城目は浦賀城です。
浦賀駅より徒歩20分弱で、東叶神社入口(35.240778、139.723050)に着きました。

浦賀城は里見氏からの攻撃に備えて、北条水軍の拠点として使われた城です。
もともと三浦氏が築いていた城を北条氏康が改修して三崎城の支城として利用したと考えられています。
そのため里見義弘との房総一和後に廃城となりました(豊臣秀吉の小田原征伐後に三崎城とともに廃城になった説もあります)。

東叶神社境内の奥左手から急な石段を登ること約10分で主郭部分に到達します。
勝海舟の断食の地の案内板もありました。奥の昇魂之碑の裏側に行くと、城址の案内板が有りました。
曲輪跡などが残るのみですが、城址からは浦賀水道から房総半島が一望できます。
堀切を捜す為、ウロウロしていたら、熊よけの鐘を落として失くしてしまいました。遠征に行く前に購入します。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=佐原城に向かう為、京急の紺屋町バス停からバス➡電車➡バスを乗り継ぎ、京急の久里浜電話局バス停に向かいます。
ちなみに、浦賀城から京急の紺屋町バス停に向かうには、「浦賀の渡しから」渡し船に乗って向かいました。料金は400円でした。

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昌官忠

日帰り三浦半島城巡り②:六浦陣屋 (2026/05/02 訪問)

2026年5月11日~6月11日まで中国地方と兵庫県のお城を攻城する予定です。
1年ぶりの遠征に向け、事前の足ならし攻城(中央線&京王線沿線城巡り)に続く第2弾は日帰り三浦半島城巡りです。
日帰り三浦半島城巡り2城目は六浦陣屋です。
青ケ台城より徒歩35分弱で、家に入る石段前(35.330200、139.619681)に着きました。

江戸幕府5代将軍徳川綱吉の時に才覚を表し、1699年(元禄12年)武蔵国、相模国などで1万石を領した米倉昌尹が5千石加増で下野国の皆川藩に陣屋を構え、2代藩主昌明の時に3千石分知し、1万2千石となりました。
六浦陣屋は4代藩主忠仰の代、1722年(享保7年)武蔵国金沢の地に移封し、翌年に陣屋が完成し陣屋を移しました。このとき皆川藩は廃藩となっています。
当初は「金沢藩」と呼ばれていましたが、のちに「六浦藩」に改められました。
現在跡地は宅地化されており目立った遺構はありませんが、陣屋跡には米倉氏の子孫が在住されているそうです。なお、入口にある石段が当時の遺構だそうです。

個人宅ですのでちらりと石段を見て撤収。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=浦賀城に向かう為、金沢八景駅から電車で浦賀駅に向かいます。

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