鳥羽山城-4/7 搦手門と西の丸Ⅰ編の続です。
鳥羽山城の大手道は規模は違えど小牧山城の大手道階段、安土城の大手道石段と同じ直線大手道です、掘尾氏が改修した鳥羽山城は掘尾氏が体験した、小牧山城、安土城の影響は受けていたのでしょう。
発掘調査で従来からあった大手道石畳道の幅より広く6mを超えるほどの大手道が発見、同左右の根石部が出土しています、大手道の左右は北側に東の丸Ⅰ、南側に東の丸Ⅱが構えて横矢掛り、大手道奥は本丸東土塁石垣が正面に構えて一つの枡形虎口を構成しています、優雅な中にも厳しい防御構造です。大手道奥に一本の桜が有りましたが老木と成り朽ちて数年前に伐採されてしまいました、そのお陰で大手道を進み本丸東土塁石垣が正面に防御する本来の姿がよく体現できます。
大手道の手前には北側尾根筋東に向かって二本の堀切が残って居ます、更に東には登城道路に成って居る大堀切道?が有り見事なものです、往時に堀切が有り登城道路に利用活用したものなのか?は判りませんが大堀切です。
鳥羽山城-6/7 本丸大手枡形一の門虎口編に続く。
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