遅ればせながら、令和八年を迎えました。
例年同様、今年も不定期で投稿を続けていく予定ですので、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、新年一発目は、お城というよりも、史跡めぐりの投稿となります。
いきなりズコーと思われるかもしれませんが、ご安心を。お城も登場します。
今回は、ひたちなか市の史跡めぐりの様子を投稿したいと思います。最初は那珂湊編。那珂湊へは、JR常磐線 勝田駅からひたちなか海浜鉄道で向かうか、水戸駅から路線バスで向かう二つのルートがあります。私はひたちなか海浜鉄道で向かいました。
① 夤賓閣(いひんかく)
ひたちなか海浜鉄道 那珂湊駅から南に徒歩10分ほど。
元禄十一年(1698)に水戸黄門こと徳川光圀がつくった水戸藩の別邸です。現在は湊公園となっています。日和山と呼ばれる高台につくられ、那珂川の対岸の大洗や太平洋を望むことができ、幕末には海防見張番も置かれたようです。しかし幕末の元治甲子の乱(天狗党の乱)で建物は焼失してしまいました。戦火を逃れたクロマツと井戸跡の石碑が往時を偲びます。
② 那珂湊反射炉・水戸藩小石川邸の移築門
夤賓閣を出て北東側に16分ほど歩くと、あづまが丘公園があります。公園内には那珂湊反射炉と煉瓦窯が復元されています。那珂湊の反射炉は、幕末に水戸藩が建設し、鋳造された大砲は、幕府へも献上され、江戸の台場にも設置されたようです。説明板によると、反射炉も元治甲子の乱(天狗党の乱)で破壊されたようですが、昭和に復元されました。そして公園の北側には、山上門という薬医門があります。この門は、水戸藩江戸小石川邸にあった門を移築したもので、水戸藩邸で唯一現存する建築物のようです。
③ 館山城跡エリア
お待たせしました。城びと未登録の城ですが、那珂湊の館山城です。那珂湊駅から北に徒歩10分ほどです。
現在は、お寺の密集地帯になっていて、お墓が所狭しと並んでいるような感じでした。館山城は、小泉左京亮重幹が平安末期に築いたとされ、戦国時代は江戸氏(水戸城主)の城として機能していたようです。遺構は、一番北側にある浄光寺の本堂奥に土塁が残存していました。
土塁の残る浄光寺は、かつて水戸城内に置かれていた寺院で、江戸幕府三代将軍 徳川家光から那珂湊を朱印地として与えられ、水戸城内から那珂湊へ移転しました。そして浄光寺の山門は、水戸城から移築した佐竹時代の城門という伝承があるらしいです。立派な薬医門でしたので、水戸城の門だった可能性も十分ありえそうでした。
次に浄光寺の南西側にある正徳寺です。正徳寺の山門は、元々は水戸城の弘道館そばにあった水戸藩の典医久保田宗仙の屋敷門を移築したものです。この山門は幕末の元治甲子の乱(天狗党の乱)の戦火に遭い、右袖側は火災の被害を受け、左主柱には、当時の弾痕が残っています。
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