続日本100名城

よしだじょう

吉田城

愛知県豊橋市

別名 : 吉祥郭、峯野城、歯雑城、今橋城
旧国名 : 三河

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吉田城
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しんしんちゃん

桜と吉田城 (2024/04/07 訪問)

時間が余ったのでふらっと吉田城に行ってきました。比較的近くに散歩できる城があるのは有りがたいです。吉田城の本丸は松が多いのですが、北の石段を下がったあたりには桜の木が二本あります。ただ川手桜は切られてしまっています。名前の付いている桜を切るくらいなのですから、それなりの理由があったのだと思います。本丸周辺の桜は少ないですが、三の丸跡の豊橋公園の周辺には桜の木が約500本植えられていて豊橋の桜の名所の一つとされています。なかには仙台シダレザクラもあり、珍しいのか人がけっこう集まって来ています。
本丸南多聞の右手(東側)には「山田」の刻印のある石があります。案内板などは有りませんが、わかりやすい位置にあるので訪れた際にはご覧いただければと思います。南多聞周辺の石垣は2024年2月に修復が完了し、非常にきれいに積み直されているので不自然さを感じられる方もいると思いますが、9割の石を元のまま積み直し、一割程度が交換石として外されたようです。山田の刻印のある石も交換石として外されたもので、吉田城の見どころの一つになれば良いなと思っています。

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ヒロケン

東三河の重要拠点 (2024/03/17 訪問)

吉田城は、豊川と朝倉川の合流点にある丘陵上にあり、東三河平野部の中心に位置する地域支配の重要拠点で、豊川に隣接して腰曲輪を挟みながら本丸を置き、本丸を取り囲むように二の丸、三の丸を配し、東西及び南側に藩士屋敷を展開しています。また、最も外側の堀が取り囲む範囲は東西約1400m、南北約700mもあり、この地方を代表する城郭です。

吉田城は、徳川譜代大名の出世城で江戸時代には9家22代が歴代藩主を務めています。1590年池田輝政公が15万石で入城すると、15万石に相応しい城にする為、大規模な拡張整備を行っており、本丸に石垣を積み上げ、堀を二重・三重に巡らせています。また、三重櫓5基、二重櫓3基、櫓門5基配していました。(現在、現存している櫓・櫓門は無く、本丸の隅櫓の一つ鉄櫓が鉄筋コンクリートで再建されています。)

カズサンさんが、より詳しく吉田城をご紹介していただいた後で、大変恐縮ではございますが、カズサンさんのご投稿に触発され、30年以上慣れ親しんだ吉田城に、3か月ぶりくらいで行ってきましたので、投稿させていただきます。
吉田城がある豊橋公園といえば、豊橋まつり、炎の祭典、祇園花火大会、桜花見祭り等が開催される公園で豊橋市民だけでなく、この地方の方々が多く利用する公園です。自分も子供が小さい頃から、この公園を利用させていただいています。
続100名城に選定され、再建鉄櫓・石垣・空堀・土塁等見どころも沢山あり、ゆっくりと過ごすには最適かと思います。

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カズサン

鉄櫓情景それぞれ (2024/02/10 訪問)

 「総堀土塁」のつづきです。 

 戦後復興のシンボルとして昭和29年に城戸博士の設計で復元されてた模擬鉄櫓も今年で70歳を迎えます、吉田城のシンボルとしての鉄櫓はいろいろの角度で撮影されて写真投稿されていますが、4年振りの登城で写真を撮り鉄櫓に限って各角度からの写真を投稿致します。
 豊川の北対岸からの写真はグラウンドゴルフ場から若干位置を変えて撮りました、駐車場はグラウンドゴルフ場側に駐めて撮影、当日プレーしてた人より14時に閉めるから言われ、10分程眺めて撮影しました。プレー日以外ゲートは鎖で閉められて利用できません。
 
 浜松への帰路へ山道国道362号線利用で約45km程です。

 今回9編に分けて長々と投稿させて頂きましたが、千貫櫓台の石垣修復復元、南御多門東脇多聞櫓台の修復復元の確認、三の丸口門の鏡石確認、惣堀北東の残存総堀土塁の確認が今回の見所で新たな感動も有りました、名残は吉田宿東惣門、西惣門の跡の確認と1/2縮小門の確認、後日機会をみて訪ねたいと思います。
 
 長々の投稿ご覧いただきありがとうございました。
  

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カズサン

総堀土塁 (2024/02/10 訪問)

 「大手門跡から各門跡を探訪」のつづきです。

 吉田城惣堀を豊橋市文化財センターのHPを拝見して居ましたら吉田城址保存活用計画が見れるようになっており、総堀土塁の保存計画に入ってる事が記されて居り今回訪ねる事にしました。
 場所は豊橋刑務支所の東側の通り沿いに当たります。約100m程、北の朝倉川まででしたら約170m程在ります、堀は道に成り土塁が残されていました。
 高さと言い幅広さと言い存在感のある総堀土塁でした。
 惣堀の範囲は北を豊川、朝倉川が抑えて、東西約1,400m、南北約700m、総面積837,000㎡に及ぶと解説板にありました。

 続きます。
 

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城郭情報

城地種類 半円郭式平城
築城年代 永正2年(1505)?
築城者 牧野成時
主要城主 牧野氏、戸田氏、小原氏、酒井氏、池田氏、竹谷松平氏、深溝松平氏、水野氏、小笠原氏、久世氏、本庄松平氏、大河内松平氏
近年の主な復元・整備 池田輝政
主な関連施設 模擬鉄櫓、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀
住所 愛知県豊橋市今橋町他
問い合わせ先 豊橋市産業部観光振興課
問い合わせ先電話番号 0532-51-2430