続日本100名城

よしだじょう

吉田城

愛知県豊橋市

別名 : 今橋城(いまはしじょう)、豊橋城

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吉田城
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キンヤ

池田輝政時代の鉄櫓下の野面積み石垣が見応えある城 (2020/09/13 訪問)

約8年ぶりに行きましたが、前回行った時はあまり気付かなかった刻印石が本丸の南側と北側の虎口で場所を明示してくれてあり、その他の場所でも何ヶ所かで見つかり、刻印石を探すのが楽しかったです。

実は刻印石があるのは名古屋城築城用の残石を転用しているからだそうです。

鉄櫓下の石垣は、姫路城を築く前の吉田城主の池田輝政時代のものといわれますが、鉄櫓下にはその刻印の残石は使われていないことも根拠の一つであるようで興味深いですし、荒々しい野面積みで高く見応えありました。

豊川に面した本丸北側は、鉄櫓・枡形虎口・川手多聞などで防備されていて、この城で最も厳重に造られている所だと思いました。

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宗春

吉田城 (2018/11/23 訪問)

写真を整理していたら、まだ投稿していないお城があったので、少し前の登城ですが、写真を投稿します。

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エグ1394

吉田城 (2020/08/15 訪問)

吉田城の鉄櫓と豊橋市美術博物館を訪問しました。
豊橋美術博物館では「吉田城と三河吉田藩」の展示が開催されていました。
吉田城のニューバージョンの御城印をGETしました。
吉田城は戦国時代初期において三河支配の重要拠点のひとつとして、松平氏と今川氏の間で争奪戦が繰り広げられた城です。江戸時代には吉田藩の政庁としての役割を果たしました。かつては酒井忠次や池田輝政が城主を務めたこともあります。また、歌川広重による浮世絵木版画『東海道五十三次』にも描かれています。現在は豊橋公園として整備されており、本丸には隅櫓(鉄櫓)が模擬再建されています。吉田城の石垣にはさまざまな大名家の家紋などが刻まれているものがあり、土佐藩の印などはっきり確認することができますが、これは天下普請で築かれた名古屋城築城の際に余った石垣を転用したことによると考えられます。また、城全体の敷地は名古屋城よりも広いです。

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織田晃司

三河の要所 (2020/07/24 訪問)

徳川家康の関東移封後、吉田城に入った池田輝政により現在のかたちに改築。
輝政時代の石垣も残ってます。

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城郭情報

城地種類 平城
築城年代 永正2年(1505)、一説には明応5年(1496)とも
築城者 牧野古白
主要城主 酒井氏、池田氏、松平(大河内)氏
近年の主な復元・整備 昭和29年(1954)鉄櫓を再建
主な関連施設 吉田城鉄櫓
主な遺構 本丸、二の丸、三の丸、石垣、堀、土塁
住所 愛知県豊橋市今橋町、八町通1~5、関屋町、伝馬町他
問い合わせ先 豊橋市産業部観光振興課
問い合わせ先電話番号 0532-51-2430