吉田城は、豊川・朝倉川を背に本丸を中心とし二の丸、三の丸を配置した半輪郭式の後堅固の城で最も外側にある総堀(今は残っていない)が取り囲む範囲は東西約1400m、南北約700mにも及んでいたとされています。
1590年に池田輝政公が15万石あまりで吉田城に入城すると大規模な整備拡張を実施し、南から西にかけて拡張、また本丸に石垣を積み上げ強固にし、三基の三重櫓と一基の二重櫓を備え、さらに堀を二重・三重に巡らせました。
現在の鉄櫓は、1954年に模擬隅櫓として鉄櫓台の石垣の上に鉄筋コンクリートで建てられ、内部は資料館となっています。また、本丸周辺の石垣には刻印石がありますが、これは名古屋城築城の際に使用されるはずであった石が使用されず、採石場に取り残された石を使用しているためとされています。
しんちゃんさんの投稿にある本丸南多門跡の石垣の前にある「山田」と記された刻印石は、徳島藩主・蜂須賀至鎮公家臣に関連する石で、名古屋城築城の採石地として用いられた蒲郡市西浦町でとれ、名古屋城を築城する際には用いられず採石地に残されていたものを、吉田城改修の際に石垣に使用されたとされています。
自分にとって吉田城鉄櫓は、西に遠征し帰ってきた際に豊川橋の上から見る鉄櫓を見て、豊橋に帰ってきたと実感でき、模擬櫓ではありますが、どこから見てもcuteで愛着がある櫓でとっても気に入っています。
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