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しんちゃん

総石垣の三木氏(姉小路氏)の主城 (2024/10/14 訪問)

松倉城は三木氏(姉小路氏)の主城です。これだけの総石垣の城は周辺には無く、まさに別格の貫禄が漂っています。飛騨の里から南に続く林道の途中に駐車場があり、そこから歩いてすぐに城域に入ります。
藪に覆われた堀切の先に三の丸の石垣が出現します。なんとなくジャングルの中にある遺跡のような雰囲気が出ています。さらに進むと主郭の石垣が見えてきます。主郭からの眺望はなかなかのものです。高山の街が良く見えますが、木々に阻まれて高山城の方が良く見えません。この日最後の散策なので、二の丸周辺を散策して引き上げました。

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しんちゃん

クリの実がいっぱい。 (2024/10/14 訪問)

え~と案内板によると‥古くは平清盛に仕えて屋島で討死にした飛騨三郎左衛門景綱が在城し、左衛門尉藤原朝高、畑六郎左衛門安高を経て三木氏の支城となったが永禄7年(1564)武田勢が侵略すると聞き、城主三木新左衛門は城に火を放ち、逃走したとのこと。
城は出丸から北東に向かって尾根上に郭が連なって、腰郭もあるようなのですが、戦国時代に使われていたにしては堀切や土塁などの遺構に乏しかったような‥。正直、この城を訪れて思ったのが、クリの実がすごい落ちているということです。これだけ熊のエサになるものが落ちているのに入り口にはゲートなども設けられていない。
飛騨だったら考えられないですね。けっこう人里に近いのも有るけど、高山はやはり飛騨より街として開けているんですね。

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しんちゃん

個人的には西の城の方が好き。 (2024/09/29 訪問)

一之瀬城の西の城です。北と南に一之瀬川の支流が流れる東西に長い丘陵の上に築かれています。最高所を主郭として東西に郭が配され、堀切が配されていますが、西側の尾根上に特に入念に堀切が切られています。
コンパクトですが、真面目に造りこまれていて、個人的には東の城より好感を持っています。南北朝の時代にここまで堀切を切ることは無いと思うので、戦国時代に街道を見張る砦として使用されていたのではないでしょうか。

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しんちゃん

電気柵またぎ (2024/10/20 訪問)

篠脇城もいずれ国の史跡になると思います。入口に電気柵がありフックを外して欲しいと記載が有りましたが、それはそれでなんとなく不安があるので、またいで通りました。
電気柵はメーカのものだと3000~10000ボルトという、高い電圧がかかっていますが、電流はわずかなのでで大事に至ることはないです。電線は2本か4本が主流で、2本ならたいがい跨いで通れます。電圧が非常に高いので獣の蹄やゴムの靴底でも電流が流れるとメーカの方に説明を受けています。電流が流れる時間は0.1秒ほどでブレーカを設置するなど法で規則が定められているようです。
電線に流れているのはプラス側の電流で、地面にアースが埋まっており、それがマイナス側になるようです。実はメーカから電気柵用のテスタが2000~6000円程度で販売されており、結構真面目に購入を考えてます。
そこまでして城跡に行きたいのか? と聞かれると答えはイエスです。行けるんだったら行きたい。
電気柵用のテスタは家庭用電流の100Vには互換性がありません。いまは法律で規制があるので、ブレーカなしで家庭用電流を柵に流し続けている人はいないとは思いますが‥。山奥だとわからないですね。

篠脇城の投稿でした。主郭の周囲に数段の郭がある単純な縄張ですが、大型の竪堀が複数あり、周囲を畝状竪堀群が囲んでいて、なかなか壮観です。東氏はこういう城が好みなのでしょうか。 

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ぴーかる

猿岡山城 (2023/09/28 訪問)

【猿岡山城】
<駐車場他>秋葉山公園の駐車場はなし。粉河寺に参詣して駐車がいいかも。
<交通手段>JR粉河駅から徒歩

<感想>電車で和歌山ちょこ城巡り、写真消えた旅1城目。いつものようにカメラで撮影し帰宅してカメラのSDカードからパソコンを使ってコピーをとるのに調子が悪く、パソコン上でごちょごちょやってるうちに今回の旅の写真が全部消えてしまいました(大泣)ので今回の旅は写真無しです。イメージが湧かないので城跡の履歴情報も無しでいきます、すみません。
 南海高野線で橋本駅からJRに乗り換えて粉河駅で下車し、徒歩15分くらいで城跡の山の南端地蔵堂に着きます。地蔵堂の横からコンクリートの下段が山頂まであるので簡単に行けます。山頂には城跡碑、展望台が2か所設けられていて、公園化されており改変されている感じがあります。主郭の西側斜面に通路のような帯曲輪があり、主郭の切岸、斜面に小さな腰曲輪が2つ程見受けられました。あとは目立った遺構は特になかった。秋葉山の西側に山に沿うように流れている川を天然の堀としていたようです。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

和歌は武士(もののふ)のたしなみ‥だそうな  東氏館&庭園 (2024/10/20 訪問)

東氏館は東氏館跡庭園として国の名称に指定されています。今年6月24日に「東氏館跡および篠脇城跡」を国の史跡に指定するように国の文化審議会は文部科学大臣に答申したそうです。篠脇城もいずれ国の史跡になるということですね。
東氏館は篠脇城の麓に位置し、庭園が整備され池もあります。近くにいくと足元が濡れている感じがするので、あまり粘土などで固めているわけではなさそうです。昔のままということですね。
「こきんはし」を渡って県道318号線を越えた先に「古今伝授の里文化財展示館フィールドミュージアム」があり和歌に関する様々な展示施設があり勉強になります。東氏二代目・東胤行は和歌に優れ、藤原定家の孫娘を妻として、和歌の世界で名を知られた人物であったようです。九代・東常縁も古今和歌集の研究者でしたが応仁2年(1468)篠脇城を留守にしている時に、美濃国守護代斎藤妙椿に城を奪われてしまいます。二人は実は文化人として交流があり、常縁に自分に和歌を送れば奪った所領を変換すると伝え、常縁は十首の和歌を妙椿に送ったところ所領の返還が決まったそうです。

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カズサン

南美濃未踏の城探訪7/7 駒野城 (2024/10/14 訪問)

 津屋城跡・本慶寺、国天然記念物ハリヨ生息清水池を見学してハリヨとの初対面に感激、を終えて南東に約4km程の駒野城を目指し探訪しました。

 駐車場:無し、今回は祝日で城山小学校の門扉が閉まり、門扉前に一時路駐。
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 訪問時はスポーツの日で城山小学校は休み、南の門扉は閉鎖されていました、門扉の前からグラウンド手前の庭あたりを眺めて、門扉前に職員室に連絡する手立てでもないかと探すが電話番号は記されていない、「無断入校禁止、職員室に立ち寄り下さい」とあるので脇の狭い所を通て職員室に行こうかとも考えたが今回秋の三連休最終日、門扉前での見学と周囲の独立小丘に駒野城が築かれていたであろうと想像して門扉より東の裾の道を歩いて丘の法面、東のグラウンド辺りをフェンス越しに覗く。小丘を良く活用した城郭だったのでしょう。 
 城郭放浪記さんの情報では校舎の北側に土塁と虎口、主郭が残ってる様に在り、校門を入った庭の西側に案内板が有る様に記されていました。
 駒野城は清和源氏の高木氏の城で美濃守護土岐氏、織田信長、信雄・家康軍、関ケ原戦では西軍の東海道軍の大軍に依って西軍に荷担したが、一族が東軍に属していたために無血開城と成り、戦後は多羅(高木陣屋?)へ転封と成った。 城郭放浪記さんより。

 駒野城跡は城山小学校内に立地していますが、休日でもルート限定して見学出来る様にして頂ければありがたいのですが?

 駒野城で南美濃未踏の城探訪は終了し、南の木曾川三川公園を通て尾張に入り小木江城を目指す。
  
 

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イオ

出張! お城EXPO in 滋賀・びわ湖 2024 (2024/10/20 訪問)

前週の丸岡に続いて、米原で開催された出張! お城EXPO in 滋賀・びわ湖 2024に行ってきました。朝イチで長比城と須川山砦に登城してから行ったので、会場に着いたのは10時過ぎでしたが、近くに広い駐車場があるのはありがたいですね。会場の県立文化産業交流会館に入城すると、定番の日本100名城・続日本100名城パネル展のほか、「米原市域の城郭と京極氏」と題して説明パネルや鎌刃城、上平寺城、登城したばかりの長比城などの模型が展示されていました。また、米原市は江戸期より伝わる花火の一種(ロケット花火)「流星」の伝承地なんだそうで、実物と製造道具、説明パネルが展示されていました。ニッポン城めぐりではお馴染みの龍勢ですが、実物を見るのは初めてだったので、合戦イベントではこれがドカンドカンと打ち上げられているのか…と感慨深いものがありました。

城めぐり観光情報ゾーンは滋賀県の城を中心に出展があり、米原市のブースでは鎌刃城や京極氏城館跡のリーフレット配布のほか、市内の城をコンパクトにまとめた「米原の城」(500円)が増刷されていたので即購入。縄張図付きなので、今後の米原の城めぐりに活用できそうです。城びとブースはアウトレット販売で、そういや昨年は賞味期限が翌日の激辛唐辛子を買ったな…などと思い返しつつ今年は「お城みくじ」を購入。おみくじをくわえた金のしゃちほこの土鈴で、黒猫かんべーから告げられた運勢は「中吉」(悪くはない運気にゃり)、戦国武将の名言は武田信玄の「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」でした。公式ショップで城びとの「登城しました」エコバッグも買いました。390円と格安ながらしっかりした作りで、かさばらず携帯も容易なので、お城イベントでもらうパンフレット類を入れるのに最適です。この日も買って早速に活躍してくれました。それと、日本100名城かるたのサンプル展示はなかったので進捗についてお尋ねすると、今日には間に合わなかったけれど、11月中旬~12月上旬には発送できる予定とのことで、帰宅して城びとストアを覗いてみると、なんと! もう予約受付開始してるじゃないですか。もちろん直ちに注文しました。

そのほか、ニッポン城めぐりの限定異名ガラポンは8分の4を外して「国崩し」をもらい(これはこれでヨシ!)、近江の名城ミニ講座「安土城発掘調査の最前線!!」を聴講し(発掘調査の成果を目にできる日が楽しみです)、午後からの水口岡山城や永原御殿のミニ講座にも心惹かれつつも、太尾山城に登城するため会場を後にしました。ようやく山城シーズン到来! ということもあり、ついつい近隣の山城めぐりを優先してしまいますが、せっかくお城EXPOに来ているんだから、厳選プログラムをはじめミニ講座やお城シアターを一日満喫するのも良いかも、とも思っています。来年はどうやって過ごそうかなぁ…。
 

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)6日目:柏原城 (2024/09/27 訪問)

赤目口駅から徒歩10分ちょっとで、決戦之地柏原城石碑前(34.593659、136.081296)に着き、その後、城址直線道路(34.593908、136.082509)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、永禄年間(1558年〜1570年)頃に滝野氏によって築かれたと云われています。
1581年(天正9年)織田信長の軍勢が伊賀に侵攻し第二次天正伊賀の乱が起こります。
この戦いで伊賀の土豪たちが最後の立て籠もったのが、滝野吉政の城であった柏原城でしたが降伏開城しました。

こじんまりとしていますが、高土塁や深い堀、堀切など見ごたえはあります。
土塁で囲まれた主郭を二重の空堀が巡らせています。虎口は南側にあり、虎口脇や土塁などには一部石積が見られます。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=名張城を目指す為、赤目口駅から電車で名張駅に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)6日目:鳥羽城(唐人門跡) (2024/09/27 訪問)

坂手村砲台(とまり湯付近)から徒歩7~8分で、唐人門跡(とうじんもん)(34.483888、136.843248)に着きました。

鳥羽城は、2020年3月6日に攻城しているので、今回は「唐人門跡」のみの見学になります。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=柏原城を目指す為、鳥羽駅から電車で赤目口駅に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)6日目:坂手村砲台 (2024/09/27 訪問)

鳥羽駅を出てすぐの所のドルフィン公園入口(34.486845、136.844320)に着きました。

幕末の鳥羽藩は、日本への異国船来航が相次いだことを受け、藩主・稲垣長明の命で領内に多数の砲台を構築しました。
伊勢湾口・鳥羽港という要衝に位置した坂手島には、文久年間(1861年 - 1864年)に丸山崎と田ノ崎の2か所に砲台が建設されたそうです。
このうち島の北西端にある田ノ崎の砲台跡は「坂手村砲台跡」の名で1941年(昭和16年)10月21日に三重県指定史跡に指定されました。(丸山崎の方は海風で侵食されて崩壊したそうです。)
指定当時は岬の突出地を利用して周囲を掘り下げて築いた砲台跡の地形がはっきりと残っており、その後方には焔硝蔵(火薬庫)跡も確認できたようです。
戦後間もない頃にはまだ砲台跡が維持されていましたが、その後ホテルが建設されてその敷地の一部に取り込まれ、滅失したそうです。

先人の皆さんと同様に、島に渡らず、とまり湯付近から坂手島方面を見て攻城としました。
時間がありましたので、妻へ感謝を込めて、鳥羽一番街でお土産(鳥羽といえばのお土産です)を購入しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=鳥羽城(唐人門跡)へは、ここから徒歩で向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)6日目:田城城 (2024/09/27 訪問)

加茂駅から徒歩7~8分くらいで、九鬼岩倉神社前(34.447153、136.843725)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、田城左馬之助による築城とも、天文年間(1532年〜1555年)に九鬼泰隆(九鬼嘉隆の祖父)による築城とも云われています。
泰隆が死去したのち、北畠具教の援助を受けた豪族によって城は奪われましたが、伊勢に侵攻してきた織田信長の助けを得た九鬼嘉隆が奪還しています。
その後、九鬼氏の本拠地は鳥羽城に移ったため、田城城は廃城になりました。
現在城址には嘉隆によって暗殺された九鬼澄隆の怨霊を鎮めるため、嘉隆の子の守隆が建立した九鬼岩倉神社(九鬼惣領権現)が祀られています。

九鬼岩倉神社の参道入口前に、城跡標柱と説明板があります。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=坂手村砲台を目指す為、加茂駅から電車で鳥羽駅に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)6日目:斎宮城 (2024/09/27 訪問)

ホテルでの朝食前に斎宮城を攻城しました。
本日から3日間は9/25に購入した近鉄週末フリーパスを使用して交通費を節約します。
斎宮駅から徒歩5分くらいで、斎宮城標識前(34.536676、136.618607)に着きました。

詳細は不明のようです。1555年(弘治元年)に野呂三郎らが徳政を求めて城塞を築き斎宮城に籠りますが、北畠氏によって鎮圧されたそうです。

斎宮城は竹神社の辺りに築かれていたそうですが、遺構はありません。
神社の南側に標柱が設置されています。
斎宮駅の北側のこの場所(34.538840、136.615320)に「斎宮跡10分の1史跡全体模型」があります。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=田城城へ行く前に、一旦ホテルに戻り朝食を食べる為、電車で斎宮駅から松阪駅に向かいました。

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じゅんじん

19年ぶり (2024/04/20 訪問)

相変わらず天守に行けない

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じゅんじん

15年ぶり (2024/04/15 訪問)

桜が散り際でした

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じゅんじん

15年ぶり (2024/04/15 訪問)

山の木が無くなってる!崩れそう。

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じゅんじん

(2024/04/15 訪問)

城址碑があります。模擬天守も行きました。

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じゅんじん

はるまつり (2024/04/14 訪問)

イベント開催中でした。

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しんちゃん

寺前城ルート。 私の忍者道具。

昌官忠さんへ‥記憶をまさぐってみると、寺前城は池の北側のゲートの脇から入っていますね。少し行儀が悪いですが北側に橋があるようなので、そこからゲートの中に入ることもできそうです。推奨は村雨城からのルートのようですが、それだと藪を突っ切っていく必要があるかも。
この辺はよくヒルが出るので、二の足を踏む気持ちはわかります。
畑から直接取り付くのも有りですね。スマホに地形図を読めるアプリさえ入っていれば、いくらでも戦いようはあります。道が無い場合は自分で作っちゃえば良いですよ。
オマケで「私の忍者道具」を載っけさせていただきます。
①夜襲用のヘッドライト もっと明るいハンディタイプを追加する予定です。
②ゴム手袋 虎ロープ対策や、藪をかきわけるのに使います。
③クマスズ 熊の出そうな山城で使います。普段はテープで音を封印しています。
④サラテクト 虫よけ。甲賀でヒルにやられたので、ヒルにも効果のあるものをチョイスしています。
⑤テスター 電気柵対策。ふだんは持ち歩いていません。
他にも林道の木を切るための手ノコや水に溶けるティッシュも持参しています(万一のためです)
怪しいですね‥ これでバールとか入っていたら完全に「ルフィ一味」です。

私は二段程度の電気柵なら跨いで通ります。四段だとストックなどで開いてくぐります。たとえゴム手袋をしていても電線をつかむのはNGです。感電したとたんに体が硬直するので電線をにぎったまま手を離せなくなります。

※⑤のテスターですが電気柵用のものではないので駄目ですね。メーカの正規品の電気柵は電流は低く一瞬しか流れませんが電圧が非常に高いです。
獣の蹄もゴムの靴底も流れるようなので注意が必要です。とはいえ通電していないケースも多いので自己判断によりますね。なんにせよ非正規品による事故もあるので、握らない方が良いと思います。


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小城小次郎

ハイブリッドな城 (2024/02/20 訪問)

堀を埋めてまで居住空間を確保した「住む城」と、畝状竪堀と連続堀切でびっしり固められた「守る城」の両面を見られるハイブリッドな城だが畝状竪堀のあたりがちょっと荒れているので今一度光を当てたいところ。

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