「熊野川と 海運の抑え 新宮城(くまのがわと かいうんのおさえ しんぐうじょう)」
「炭売って もうかりまっか? 新宮城」
ぼちぼちでんな・・って、実はウハウハだったようです。紀州の木材は江戸城をはじめ、良材として多くの建築物に使われ、備長炭は江戸や諸藩の生活に欠かせませんでした。陪臣とはいえ3万5千石の扶持を与えられ、炭や鯨油での売り上げを加えると中堅大名クラスのお金持ちだったのではなかろうか? 紀州藩の取分がどのくらいだったのか、気になる所です。
水の手には大量の備長炭を貯蓄できたようで、海から見ると「備長炭出荷城」のように見えたかも・・ゼニや 世の中ゼニや!
「陪臣の 意地を見せたる 新宮城(ばいしんの いじをみせたる しんぐうじょう)」
新宮藩9代藩主 水野忠央は紀州徳川家の陪臣と言う立場でありながら、同じ御三家の附家老と連帯して幕府に対して待遇改善を要求したり、将軍の側室として妹を大奥に送り込んだりと、かなり精力的に活動しています。また後の大老・井伊直弼と協力して紀州徳川家の徳川慶福(後の家茂)を第14代将軍に就かせています。井伊直弼が殺害された後は、勢いを失い新宮城に幽閉されました。
※一部画像は日本Q地図さんのデータを使用させていただいています。
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