長篠450年記念 医王寺山①
(2025/12/07 訪問)
「めぐらー」の皆さん、特集だけじゃなくて「みんなの投稿」も見ておくれやす。
今年は長篠の合戦450年ということで「お城EXPO」の二の丸会場でもいろいろ特集が組まれているようです。城めぐりを長くやっていると地形図を見ればどこに何がありそうかだいたい分かるようになってくる。築城者の気持ちになって考えてみると良いですな。
私の地元は愛知なので長篠・設楽ヶ原の古戦場周辺はけっこう周っています。武田勝頼本陣があったとされる医王寺ですが地形図を見ると周囲を丘陵に囲まれているのがわかる。西側から北側にかけて尾根と沢を天然の土塁・掘とし、北側を周回して標高172mのピークに至る。武田勝頼本陣跡とされる丘陵より比高が51m高いこの場所に物見やぐらを築けばより遠くの敵を早く発見することが出来る。
西側には豊川が流れ敵の信仰を妨げてくれている。
北側の尾根を利用すれば退路を確保できる。
地形から見ると武田勝頼はここを三河侵攻の拠点にしようと考えていたのではないかと思います。長篠城と医王寺陣を有効に活用出来たら、史実より有利に織田・徳川の軍勢と戦えたのではないだろうか。
退路を確保したうえで撤退戦に持ち込めたら、あれほど多くの将兵をいたずらに失うことは無かったと思う・・すねえもんの活躍で長篠城を落とせなかったばかりか、まんまと織田信長に不利な戦場に釣りだされてしまったのではないか・・と思う。
地形図から読んで想像が出来るのはこの程度・・あとは実際に周って見るだけです。
実際に周って見ると、天神山陣所の北側に続く尾根は敵を防ぐ格好の防塁だ。伝勝頼本陣との間は深い谷になっていて、下から見上げると圧巻だ。尾根の上は内側を削って扁平地にしてある、つまり郭だ。
各所にある堀らしきものは林業の人が作った道かも知れないのでカウントはしない。扁平地も植樹の為にならしたと考えることも出来るが、遺構の可能性も考えたい。林業による扁平に見えても昔から存在していたり、城郭大系に郭として記載があることも有るからだ。
実をいうと尾根全体に渡ってこのような扁平地が多く見られた。守備にあたる兵士たちの駐屯する場所も兼ねているのかもしれない。
尾根上を周遊して戻って来るのに2~3時間くらいかかった。全体でみると山城に近い構造をしていると思う。
医王寺は克補契嶷(こくほかいぎょく)という僧によって永正11年(1514)に開かれたとされているが、事実上の開基は二代目の琴室契音(きつしつかいおん)とされている。この人物、長篠城の菅沼氏と何かしらの関わりがあるのだろうか?
位置的に長篠城の詰城の位地にあるが、最初からここを城として築かなかった理由も不明だ。だが実際に歩いてみて周囲の地形を城塞として活用したならば、医王寺の守りは非常に固いと思えた。
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