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しんちゃん

大三ヶ岳城西の郭・三角城E (2025/05/04 訪問)

大三ヶ岳城は二重堀切の東側一帯が主郭とされ、西側と北側の丘陵も城域と思われます。大三ヶ岳城の西側の丘陵は頂部に広い郭を持っていますが土塁などの防御設備は見当たらず、東側に腰郭らしきものが付いていました。
西の郭と谷道を挟んで真向かいに三角城Eとされる丘陵が迫っています。三角城Eというのは大三ヶ岳城・小三岳城を包囲した毛利方の三角城を構成する陣城の一つですが、ひとつひとつが砦と呼んでも良い規模を持っていて、腰郭もついています。この三角城Eをはじめ三角城を構成する砦郡には土塁などが見当たらず、当時としてはどのような状況だったのか興味の涌くところです。三角城Eの東側の切岸は急峻で下から登るのは大変そうです。大三ヶ岳城の西の郭を降って行った先に三角城の裏手に回り込める踏み城が続いているので、そこから三角城Eを訪問しました。
三角城Eに向かう途中、谷が南側に続いていて、その先に三角城F・G・Hと続き、小三岳城に至るのですが、この急な谷を下って行って、また登って来るのはしんどいと考え、まずは三角城攻略を優先しました。吉川城を含め敵味方すべての城域を散策するとなると一日モノだと思います。まだGW城攻めの初日なので、ペース配分も考えています。

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朝田 辰兵衛

にのまるさんクイズ…

1枚目の画像,天守でわかりました。
2枚目の画像,かすかに天球丸が確認できるのと,画像左の久松山山頂が決め手でした。
3枚目の画像,文字をボカシていたら難しかったと思います。
4枚目の画像,サービス問題。
5枚目の画像,すぐにわかりませんでした。しばらく考えたら「江戸城じゃねぇか?」と思い,にのまるさんの「36見附」投稿をカンニングしました。
6枚目の画像,橋の形状でわかりました。
7枚目の画像,投稿していないですが,昨年行きました(再訪)。
8枚目の画像,庭園風景でわかりました。
9枚目の画像,つい先日投稿されたので,サービス問題だと思いました。
10枚目の画像,「これぞ神奈川県!」ですよね。懐かしさがこみ上げてきました…。

山城の土橋系が出たら,ほとんどどこも似たような画像になるのでお手上げでした…<笑>。
赤い城さんなら大得意分野かもしれませんが…。

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明禅寺合戦 (2025/05/15 訪問)

 宇喜多直家と三村元親の明禅寺合戦の舞台となった城址です。操山山頂から北に延びた尾根に築かれた連郭式縄張りの山城です。操山公園里山センターから登城しました。少し遠回りになりますが、登城路は整備されていて概ね傾斜も緩やかで歩きやすかった。主郭には説明板があります。主郭周囲に石積みがありました。主郭より北に主に曲輪が展開しています。多少藪になっていますが、踏み跡もあり許容範囲です。余湖くんのホームページの縄張り図では竪堀が記されていたので探ししてみると先端の曲輪の西側に竪堀様の地形がいくつかありました。帰りは恩徳寺付近の果樹園の方へ下山しました。果樹園経由のこの道は主郭までの直線距離は短いと思いますが、操山公園里山センターからの道と比べると傾斜がきついです。途中石積みが見られますが、後世に作られた土止めの石積みのような気がします。
 宇喜多直家といえば謀殺のイメージのある武将ですが、この明禅寺合戦(明禅寺崩れ)は華々しい戦いをしています。

 車で行く方は操山里山センターに駐車場があります。公共交通は岡山駅よりバスに乗り原尾島住宅前バス停から徒歩20分くらいで操山公園里山センターへ行くことができます。

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rock

お城訪問記 (2025/04/19 訪問)

もてぎサーキット帰りに訪問
城趾の駐車場は山の上にあり訪問しやすい
駐車場は広め
道は狭く、結構急なので注意
空堀、土塁が見応えあり

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にのまる

神奈川県コンプリートおめでとうクイズ🎉です。

改めまして、朝田さんおめでとうございます。
私は射程圏内ZEROなので、みなさま方が着々と城取りを進めておられるご様子をわくわくしながら(ちょ…😱、ドキドキも)読ませていただいています。

では、恒例のおめでとうクイズです。
前回山形県コンプリートの際が【赤い橋】だったので今回は【赤くない橋】10選です。
よろしくお願いします。

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イオ

椿尾上城(1/2) (2025/01/05 訪問)

戦国中期に筒井順昭が筒井城の詰城として築いたとされ、松永久秀に攻められて筒井城が落城すると、筒井順慶は椿尾上城を反攻の拠点としました。松永氏が滅亡した後は、織田信長の大和一国破城令により廃城となったようです。

県道183号(福住上三橋線)突き当り手前の道路脇に路駐して登城開始。突き当りにある柵の脇の登城口から林道が続いていて、何か所か分岐はあるものの特に迷うことなく城域に到達。ただ、縄張図を見ても自分の現在位置に確証が持てなかったため、とにかく最高所に行けばそこが主郭のはず、とまっすぐ主郭に向かいました(登城口から20分弱)。

主郭には五社大明神が祀られていて後背に土塁を設けています。南側には横堀をめぐらせ、南西部の土橋で主郭部の曲輪群と接続し、土橋脇には石垣が見られました。横堀は東端で竪堀となって落ち、主郭の北西部からも長大な竪堀が水の手まで続いている…はずですが、水の手は見落としてしまいました。主郭はあまり広さはありませんが、主郭の南西には数段の広大な曲輪群が展開しており、東南辺に断続的に土塁を設け、曲輪裾部のあちこちに石垣が施されていました。主郭部南下の登城道を見下ろす位置にもいくつかの腰曲輪が設けられていて、土塁や竪堀で防御されています。

主郭部から西にのびる尾根にも多くの曲輪群が配されています。主郭部と西尾根曲輪群の間は岩盤を削り込んだ堀切によって隔てられていました。西尾根は比較的平坦な尾根沿いに広い曲輪群を連ね、中心となる曲輪は東辺を除く三方を折れを交えた直線的な土塁で囲み、北西外周には横堀もめぐらされています。さらに土塁には石垣が大規模に施されていて、一番の見どころといえるでしょうか。

主郭部と西尾根曲輪群に続いては、周辺の遺構を見て回ります(続く)。
 

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todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり⑲ (2025/04/28 訪問)

月曜日に休みをとっておいたので、連休3日目となります。古川駅前のホテルで朝食をとってから、朝駆けいたしました。ぎりょうさんのお薦めのように下から登城することをせず、横着こいて腰曲輪と思われる上の駐車場に乗り付けてしまいました。かなり後悔しています。城郭風建造物の青少年交流館・民俗資料館の裏手には立派な城址碑が建ち、眺望も開けていました。

次の城に向かう途中、大衡村の隣の大郷町にある支倉常長メモリアルパークにも立ち寄っていきました。仙台藩は幕府には支倉常長は死亡したと届け、この地に支倉常長をかくまい、彼はここで天寿を全うしたとのことです。ということでこのメモリアルパークには支倉常長の銅像と墓があります。仙台城の支倉常長像はすでにチェック済みでしたし、二日前には月浦の銅像もチェックできたので、これにて、日本国内にある支倉常長像はコンプリートです。

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赤い城

別の場所に石碑が (2025/04/28 訪問)

まずは石碑が建つ野々市工大前駅へ。
立派な石碑と説明板があります。
この周辺は山川館の跡らしく、少し離れたところに説明板がありました。
実際の館跡はここから500mほど南の住宅地の中にあります。
整地され、芝生が植えられていました。
説明板によると発掘調査で堀跡があったそうです。
平地の少し窪んだところがそうなのか?

館主は加賀国守護の富樫氏。富樫晴貞は一向一揆衆に攻められ自害、館も荒廃したそうです。

ここから近くにある。押野館は富樫家善が館主と言われています。
公園になっていて遺構はみられません。
ここも発掘調査で堀や掘立柱建物跡などが見つかったそうです。

野々市市には金沢カレーの元祖の一つ、チャンピオンカレーの本店があります。
前日の夜はこちらで頂きました。
美味しかったです✨
【見どころ】
 ・整地された館跡

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シャンシャン

瀬戸大橋を望む城跡 (2025/05/13 訪問)

倉敷市の一番南、瀬戸内海に面しており、石垣と瀬戸大橋を同時に見ることができる稀有な城跡。
城跡全体が瀬戸大橋架橋記念公園となっており、よく整備されているため道も歩きやすく石垣や曲輪もしっかり残っている。
大手跡付近には登り石垣のような石垣があったり、所々矢穴のある石も転がっており散策していて飽きない。
20㎞程北にある正福寺には下津井城から移築されたという貴重な山門が残っている。
また、少し足を延ばして鷲羽山展望台まで行くと、瀬戸内海のさらなる絶景が見られるのでこちらもおすすめ。

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Tokyobay

駅周辺の総構遺構や史跡にも見所あり (2025/03/10 訪問)

井細田口は総構の出入り口で、喰違構造が国道255としてそのまま遺っている。周辺は「竹花(たけのはな)」と呼ばれているが、元々は「岳鼻」だったようで、谷津丘陵の先端を意味していたらしい。駅前の飲み屋街には北条氏政・氏照の墓所がある。元々は寺があったようだが、移転して墓所だけ残ったらしい。結構異様な光景だが、こういうのは簡単には動かせないものなのだなあと痛感する。駅前には有名な北条早雲銅像があるが、写真撮ってる間に瞬殺で駐禁切られるので注意。

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翡翠

山口城

近くに県庁の駐車場があるので、そこからは、すぐです。

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朝田 辰兵衛

赤い城さんクイズ,正解で安堵しました… (2025/03/21 訪問)

にのまるさん,あさん,祝辞ありがとうございます。
赤い城さんクイズも,無事に正解できて安堵しました。
にのまるさんクイズも,お待ち申し上げます。最近の投稿傾向からだと,九州地方の出題かな…❓

さて,鳴海城ですが,天神社,鳴海城跡公園,鳴海コミュニティセンターと廻って終了しました。鳴海城跡公園の奥はもともと堀跡ではないだろうか…と思いました。

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スティクラ

見応え十分の山中城へ (2025/05/11 訪問)

三島駅から元箱根港行きのバスで向かう。
三島駅の南側からのバス停から出るので、間違って駅の北側に出てしまうと、連絡通路がないため、駅員に言うか入場券の購入が必要なので、注意。

ほとんどの人がスカイウォークのバス停で降りる中、さらに先の山中城へ。

西の丸から順に散策。
少し登りがあるが、道は整備されているため歩きやすい。ツツジ(?)がきれいに咲いていて、障子堀をより際立たせていた。
障子堀は見応え十分。障子堀からの富士山は圧巻でした。
西の丸から二の丸、本丸と周り、道路の逆側にすり鉢曲輪へ。全体的に歩きやすい。
すり鉢曲輪からの景色は、三島駅から富士山まで一望できるので、時間がある人はぜひすり鉢曲輪まで見てほしい。

散策時間は、1時間半から2時間。西の丸や本丸側だけだと、1時間くらいで見れる。

バスの路線の途中にスカイウォークや伊豆フルーツパークなどがあるので、セットで回れば三島を1日楽しめるはず。

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ぴーかる

織豊期石垣の最高峰 (2025/03/21 訪問)

【百名城77城目】
<駐車場他>名護屋城駐車場無料あり。
<交通手段>車

<見所>織豊期の高石垣群
<感想>2泊3日西九州旅2日目2城目。大手口跡から東出丸跡⇒三の丸⇒馬場跡⇒二の丸跡⇒遊撃丸跡⇒水手曲輪跡⇒本丸跡・天守台⇒本丸大手門跡⇒弾正丸跡⇒ため池の脇を通り戻って、博物館にてスタンプ押印と御城印購入、木下延俊陣跡の順で巡りました。城跡あるあるで、櫓台や危険箇所等は立入り禁止になっている場所がある城跡が多い中で名護屋城は立入り禁止ゾーンがほぼ無く、また柵が無いのがすごい。大手門櫓台や三の丸櫓台、遊撃丸の石垣の上に登り、曲輪の縁から下の石垣を見たりして堪能しました。北側にある山里丸周辺を痛恨の見落としてしまい、時間の関係で大名の陣城跡が行けなかった(陣城跡を巡ると1日では足りない)のが残念だったが、随一の織豊期石垣の壮大さに圧倒されました。

<満足度>★★★★★
<グルメ>海中魚処 萬坊にて、いか三昧コースを食べました。後日別途投稿します。予約を11時に予約していたので、名護屋城に8時に行ったのですが、城跡の巨大さに駆け足ぎみの散策となってしまいました。

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しんちゃん

大三ヶ岳城 敵の毛利方の陣城を含めて広大な領域が城域となっている。 (2025/05/04 訪問)

大三ヶ岳城はかつて地域一帯に勢力を誇った長野氏の城です。保元2年(1157)左大臣・平時盛の六男・平康盛が豊前国司として下向し、長野氏を称したのが始まりとされています。長野種盛の時代には大三ヶ岳城、小三岳城、下長野城、丸ヶ口福相寺城、稗畑城、上長野城らの緒城を一門で固め勢力を伸ばしますが応永6年(1399)中国の大内盛見の軍門に下ります。
大三ヶ岳城の周囲には永禄11年(1568)に長野氏を攻めた毛利氏の陣城である吉川城と三角城があり、いずれも多くの砦を有していて、その規模は周辺の山々一帯に及びます。吉川城・三角城には毛利方の吉川氏・小早川氏・益田氏が陣取り壮大な包囲戦を仕掛けていたようです。特筆すべきは大三ヶ岳城の郭を構成する西側の丘の目の前の丘に三角城の砦が築かれていることです。敵の城塞を包囲するために周囲に陣城を構築することは良くあるのですが、ここまで間近に肉薄しているのは見たことがないです。
今回は三角城本城と三角城E・D・Bも合わせて訪問していますが、これらの記号は城郭放浪記さんの呼称を参照にさせていただいています。三角城Eの南方にも支城が伸びていて南端の支城の東に長野方の小三岳城があります。
今回は吉川城と三角城の砦のいくつか、小三岳城は時間・体力の都合で未訪になりますが、実際の訪問時間だけでも3時間半のボリュームがあります。おそらく全て訪問しようとしたら8時間近くはかかるのではないかと思います。近場で有れば再度訪問して残りの部分も見てみたいとは思うのですが。
長丁場になりそうなので、周辺で長時間駐車出来そうな場所を探し、登城道に向かうと、入り口はゲートで閉じられていて施錠がされています。「不発弾」は回避したいので、南の民家を訪問して話を聞くと、脇から入っていいよと即答を頂きました。城址に理解のある方で長野城も訪問するといいよとアドバイスを受けました。
ゲートの脇が空いているので、そこから入って林道をしばらく登って行くと城域の入り口に突き当たります。右手(北)が吉川城に向かう尾根ですが、ここは南に向かって大三ヶ岳城を目指します。まっすぐ進んでいくと、右手(西)に敵方の陣城である三角城Eが迫って来ます。左手(東)はすでに大三ヶ岳城の城域になるので、そこへ取りつき主郭を目指します。堀切を二つ越えると主郭になりますが、この堀切の一つはなかなかの大きさです。大三ヶ岳城の構造そのものはシンプルで主郭の北西と西側に郭を配した構造になっているようです。

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しんちゃん

宇佐神宮とゆかりの深い城址だが (2025/05/04 訪問)

引地山城は宇佐神宮とゆかりの深い城とされています。古くから宇佐神宮の神領であり、平安時代に宇佐大宮司到津中務がここに城を築いたとされています。鎌倉時代に宇佐神宮の代官として清末氏が派遣され城主を務めました。永禄4年(1561)大友宗麟との合戦で宇佐神宮が戦火に焼かれると宇佐大宮司らは引地山城に籠ったとされています。
九州上陸後、最初に訪れたのですが、いきなり「私有地につき立入禁止」の看板が立っています。仕方がないので列津八幡神社に詣で、チャリティーを募集していたので、少し奮発して寄付をしました。
城址は丘陵部の鼻先に築かれ、二段の郭の背後に堀切を切ったシンプルなものだそうです。チェブさんの投稿にもありましたが、ここにゴミなどを捨てていく不埒者もいるようですね。こうやって、はっきり意志表示してもらえるとこちらも解りやすくて助かります。
昔は土地所有者さんの厚意で城址を開放してくれている所が多く、城址訪問者との間にも信頼関係があったと思うのですが、最近はインターネットの普及で情報が拡散しやすいのもあって神経を尖らせている方もいるようです。

朝田さん、太平城の不発弾改修、お疲れさまでした。よく見つけましたね、あの文章から。
私個人も双六館に興味が湧いてきました。「御前おとし」の崖も見てみたいですね。城主の奥方と敵将の奥方の二人が異なる時期に身を投げた数奇な場所とされています。いずれゆっくり訪問したいですね。

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道はありません (2025/05/11 訪問)

 朝田さん、神奈川県コンプリートをおめでとうございます。浦賀城、良いですね。
 HYOGOナビで、本庄丸山城は、三田(さんだ)市最大級の山城と微妙な紹介がされています。城びと先達のタイさんが2018年3月に登城されて、2番目の投稿です。タイさんが「登城道はありません」と書かれたとおり、道はありません。写真6の家の前の道を北に進むと溜池の脇に、広い林道が現れますが、獣害柵扉を開けて進んでも山上には向かいません。写真の家の裏にも獣害柵扉がある(写真7)ので、ここからまっすぐ尾根に取り付いて登るのがわかりやすいです。道はないですが、藪にはなってないので、それほど難渋はしません。獣害柵すぐの山麓にも平削地や土塁状の高まりがあり、居館群跡かもしれません。
 主郭~Ⅲ郭が堀切と切岸を介して並んでいます。それぞの郭が二段~三段に平削されているのが特徴的です。尾根の両脇は急斜面で、郭はあまり大きくないですが、連郭式の長い城域になっています。Ⅲ郭の下は尾根が二つに分かれており、どちらにも郭が配置されていますが、北側の郭は、ほぼ自然地形かと。

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にのまる

町なか歩きでいろいろ発見 (2025/03/01 訪問)

諫早から佐賀まで〔かもめ🚄〜リレーかもめ🚈〕に初乗車。お城めぐりのうれしい副産物でした\( ˆoˆ )/

15:30過ぎに佐賀駅に到着。
歴史館の閉館時間(18:00)まで余裕があるので水堀を一周してみようとバスではなく歩きにしました。
結構な距離があり、朝からいろいろ歩きまわった疲れもあってヘロヘロになってしまいましたが、随所にかつての面影が残されておりキョロキョロしっぱなしでした。

佐賀城は2度目の訪問になります。
本丸歴史館入口の案内の方が丁寧かつフレンドリーでとても和やかな雰囲気です。
入館料は無料で募金形式ですが、この素晴らしい御殿の維持のためであれば協力しない理由などありません。

館内をゆっくり見学し、最後に天守台にのぼったところで雨が降ってきました。ギリギリまでお天気がもってくれてありがたかったです。宿泊は(いつもの)東横インだったので佐賀駅までバスで戻りました。

朝田さん、神奈川県コンプリートおめでとうございます🎊
“計画的かつ柔軟に”という城めぐりスタイルに、我が身を振り返りハッとさせられることがよくあります。
『おめでとうクイズ』只今鋭意作成中でございますので暫しお待ちください!

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イオ

椿尾下城(2/2) (2025/01/05 訪問)

(続き)

北西尾根には幾段かの段曲輪の先に浅い堀切があり、西側に竪堀を落としていました。

南西尾根には尾根に沿って細長い曲輪が続き、その両裾に帯曲輪が配されています。虎口状の切れ込みも見られましたが、城郭遺構かどうかは不明です。南西端には土塁が設けられ、両端では竪堀状に落ちていますが…後世の山道かもしれません。土塁南端から南に下りたところに南西尾根を断ち切る堀切があり、東側に竪堀となって落ちていました。

手持ちの縄張図によれば、南西尾根の突端には両端がU字状に竪堀となって落ちる巨大な堀切があるようで、これは見逃せないと思っていましたが、ここから先は主郭にも勝る超絶激ヤブ状態で、背丈を超える高さの笹藪が広がっています。それでもシダの藪と違って足元は見えるんだから、とゴーグルを装着して笹藪に突入するも進んでも進んでも笹藪が続き、方向感覚を失いそうになりつつ何とか突破! 苦労してたどり着いた南西端の堀切と竪堀は写真で見る以上の見応えを感じました。

さて、これで椿尾下城をひとめぐり、と考えたところで南東尾根の堀切を見付けられなかったことを思い出しました。ここから南側の竪堀を下りて行けばしんちゃんさんご案内の登城口に至るはずですし、正直、あの激ヤブをもう一度突破するのは気が進みませんが、画竜点睛を欠いたのでは悔いが残ってしまう、と考えて来た道(激ヤブ)を引き返し、主郭の東側から回り込んで南東尾根の堀切を目指しましたが……やっぱり見付けられませんでした。浅い堀切のようですし、堀切周辺も主郭に劣らぬ笹藪に覆われているので見えなくなっているのかもしれません。まさに骨折り損のくたびれ儲け、こんなことならあのまま竪堀を下りていれば良かったよ……やれやれ。

…ということで、噂に違わぬ激ヤブ城でしたが、主郭内と南東尾根の堀切、南西端の堀切を見ようとしなければそこまで恐れることはありません(ただし夏場は無理)。堀切や竪堀は大いに見応えがありますので、興味のある方は山城装備を整えてぜひ挑戦してみて下さい。…私? 私は一度挑戦したのでもう結構です(笑)
 

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todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり⑱ (2025/04/27 訪問)

千石城からの転戦です。4月27日締めの攻城です。駆け込み気味にラストスパートをかけ、16時過ぎは駆け足で城めぐりを重ねてしまいました。この城は泊を予約してあるホテルに近いので、薄暗くはなっていましたが、城門が移築されている瑞川寺にまで足を伸ばすことができました。

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