本丸は4号堀・堀切からの立ち上がった切岸が高土塁で北側を守り、北西に北門・搦手門の食違い、西端に付櫓台付き天守台が構えて東は崖に成り、東側に石垣塁が構えて居り、南に一段下がって二の丸が控えて居ます、二の丸との間に中仕切門が控えて居ます。
本丸は今探訪時草刈、灌木伐採がされて居て遺構の観察見学が安易に出来ました、特に本丸北尾根下の腰曲輪の観察が初体験で感動ものでした、今までの見学探訪では草が茂り、灌木が密集しあまり近くまで踏み込めていなかったからかもしれません。
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2025/09/06 14:24
本丸内部、北西角の腰曲輪がよく観察できました (2025/02/25 訪問)
本丸は4号堀・堀切からの立ち上がった切岸が高土塁で北側を守り、北西に北門・搦手門の食違い、西端に付櫓台付き天守台が構えて東は崖に成り、東側に石垣塁が構えて居り、南に一段下がって二の丸が控えて居ます、二の丸との間に中仕切門が控えて居ます。
本丸は今探訪時草刈、灌木伐採がされて居て遺構の観察見学が安易に出来ました、特に本丸北尾根下の腰曲輪の観察が初体験で感動ものでした、今までの見学探訪では草が茂り、灌木が密集しあまり近くまで踏み込めていなかったからかもしれません。
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2025/09/06 13:44
2025/09/06 13:19
本丸東石垣塁が良く観えました (2025/02/25 訪問)
今年の2月25日、冬枯れ、草刈、灌木竹林伐採整備がされた頃、遺構が良く観える事を期待して二俣城へ出かけました、先に西の丸Ⅰ、Ⅱ、Ⅲと南の丸Ⅰ、Ⅱを投稿しましたが、本投稿は本丸東側にある土塁の様ですが石垣塁である遺構を、東側崖に茂っている竹林が一部伐採されて、草も刈られて石垣・土塁上から、北から南から斜めですが良く石垣が確認出来ました、又東崖下の登城路からも石垣を見上げて観察確認も出来ました。
東石垣・土塁は北の北門・搦手門跡から中仕切門跡の東側崖の上に存在しています、東石垣・土塁の西側に当たる本丸内側も良く観ると石垣が残って居ります。
二俣城の石垣は家康が関東移封後、掘尾吉晴の弟宗光が鳥羽山城と共に改修石垣化したとの事です。
久しぶりに本丸東石垣を観察見学を堪能しました。
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2025/09/06 13:10
比丘尼城 (2014/03/28 訪問)
比丘尼城は愛知県新城市にある山城です。宇利城の南1.8kmほどに位置しさまざまな品種の桜が植えられ「世界の桜の園」と銘うって春にはさくらまつりが行われています。まつりといっても、特に催しが有るわけでは無く、ただ山を登って桜を眺めるだけですが、城好きには二度おいしいというやつです。
南北朝の時代には、宇利庄の領主は北朝方の足利直冬でした。比丘尼城も直冬の城だったと思われ、直冬の養父・直義が兄に尊氏と仲たがいして南朝方につくと直冬も南朝に味方するようになりました。
戦国時代には宇利城の支城になっていたのではと考えられています。城自体は登城道に沿って尾根上に郭が連なっているように見えますが、土塁などの遺構は無かったように思います。
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2025/09/06 12:51
金太郎の郷 (2024/12/29 訪問)
足柄城・足柄峠の付近には坂田金時こと金太郎にまつわる場所が幾つか有ります。足柄山聖天堂には熊にまたがる金太郎の象がありました。足柄明神は倭建命(日本武尊)にゆかりがあり、白鹿の姿で現れた足柄明神を命が蒜で打ち殺したことで東国が平定されたと「古事記」に記載があるようです。
他にも金太郎の生家跡や、金太郎が遊んだと伝わる「金太郎の遊び石」などもありました。立派な若者に育った金太郎は、足柄峠を通った源頼光と出会い、名を坂田金時と改め、四天王の一人として大江山の酒呑童子退治などで活躍したそうな。
酒呑童子にもモデルがいるのかもしれませんね。
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2025/09/06 12:44
塩崎陣屋・長野県長野市 (2025/08/08 訪問)
領主は上田藩藤井松平氏の分家筋で五千石の旗本陣屋です。
1730年頃陣屋が築かれ現在跡地は塩崎小学校となっています。
学校の敷地内に破風が残されていますが清掃作業されていた年配の方に尋ねたところ、これは小学校の初代校舎の一部とのこと。
当時は大きく立派な建物が建てられていたと伝わっているそうです。
学校近くには武家屋敷風の門や歴代領主の位牌が安置されている天用寺があります。
川中島小学校には陣屋表門が移築されています。
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2025/09/06 11:49
御殿が完成 (2025/05/06 訪問)
完成後に初めて訪れました。次は内部を見たい。
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2025/09/06 11:40
2025/09/06 11:36
2025/09/06 11:31
2025/09/06 11:27
2025/09/06 11:23
古墳 (2025/05/03 訪問)
中には入れません。
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2025/09/06 11:10
2025/09/06 10:52
2025/09/06 10:35
2025/09/06 07:26
北海道&東日本パスで下北半島の観光 (2025/08/18 訪問)
中市館攻略を終えて、8月17日の15時前に無事レンタカーを返却して、快速しもきたで下北駅を目指します。この日の午後、下北半島の付け根の部分に線状降水帯がかかり、大湊線内で運転見合わせが発生。70分を超える遅延が生じましたが、無事、ホテルにチェックインすることができました。そして18日はレンタカーにて仏ヶ浦を目指します。ツアーに申し込むなど、仏ヶ浦にこだわっていたのは、阿部龍太郎の「十三の海鳴り」に仏ヶ浦が登場していたからなのです。昨年11月に蠣崎城を攻略した際に出来たら足を伸ばしたいと思っていましたが、全くもって無謀な心づもりでありました。今回は、佐井港から仏ヶ浦遊覧船を利用しました。年季の入った遊覧船で料金は3000円。佐井港の最寄りの城は田名部城だと思いますが、仏ヶ浦に最も近い城びと登録城は蠣崎城になりそうです。仏ヶ浦では浸食されやすい凝灰岩の造形の綾を思う存分堪能することができました。むつ市を起点にしてのレンタカーですので、下北半島内をまだまだ巡ることができます。本州最北端の大間崎(まぐろ丼は行列を前にあえなく断念)、新島襄寄港の地碑、尻屋崎灯台と存分に、前日の大雨が嘘のように快晴に恵まれた下北半島を味わい尽くすことができました。レンタカーを返却した後、大湊駅まで歩いて向かう途中では、斗南藩士上陸の地碑もチェックすることができました。
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2025/09/06 06:02
2025/09/06 05:42
2025/09/06 05:21
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