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駿府城

静岡に残る貴重な大名陣屋―国指定史跡「小島陣屋跡」

「お城EXPO2025」では、お城のスペシャリストたちが登壇する特別ステージが開催されます。なかでも注目は、お城好きで知られる落語家・春風亭昇太さんによる「様々な城の魅力を語る~陣屋の魅力~」です。皆さんは“陣屋”と聞いて、どのような建物を思い浮かべるでしょうか?
陣屋とは、城を持つことが許されなかった大名が住んだ場所を指します。実は静岡市にも、その貴重な陣屋が残されています。それが、国指定史跡「小島陣屋跡」です。
そして最大のみどころは、堂々とそびえる“高石垣”。城を構えることが許されなかった大名の陣屋でありながら、城郭のような迫力のある構造を持つ極めて珍しい史跡です。
江戸時代中期の大名陣屋の姿を知るうえで極めて貴重であるとして、平成18年に国の史跡に指定されました。
さらに、NHK大河ドラマ「べらぼう」に登場する黄表紙作家・恋川春町(こいかわはるまち)は、実は小島藩士。今まさに注目が集まる小島藩ゆかりの地として、歴史ファンの方にぜひ訪れていただきたいスポットです。ぜひ現地に足を運んで、その雰囲気をご体感ください。
◆国指定史跡「小島陣屋跡」
住所:静岡県清水区小島本町・小島町地内
書院開館日:土日祝日(平日・年末年始は休館)
    11月から2月:9時30分から15時
    3月から10月:9時30分から15時30分
利用料:無料
アクセス:【バス】JR興津駅「三保山の手」線「小島南」で下車し、徒歩約7分

詳細は静岡市公式HP(https://www.city.shizuoka.lg.jp/s6725/s005186.html)をご覧ください。

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じゅんじん

マンション建設へ (2025/12/01 訪問)

石碑や土塁がなくなりました。マンションが建ちます。

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トク

南関城【牛方馬方騒動-②】加藤正次 (2025/11/21 訪問)

内牧城からの続きです。今度は(牛方馬方騒動)で敗れた清正の重臣「加藤正次」の居城「南関城(鷹ノ原城)」を訪れました。

清正の肥後入国後、肥後の北の守りを任された正次は大津山城に入りますが、1600年清正に進言して新たにここに城を築き1604年に完成します。縄張りは、清正が実際ここに来て自ら考えたとされています。しかし正次は1618年に騒動に敗れ、幕府の命で家臣ともども流罪となり、一国一城令で南関城は破却されました。正次の謀反は本当だったのでしょうか? それとも正方のでっち上げだったのでしょうか? 尾張の時代から清正に仕えた正次にとっては、さぞかし無念だったであろうと思いました。

大牟田駅から南関行のバスに乗り50分、終点の南関町役場で下車すると、南関城が見えてきます(写真①)。ここから麓の「御茶屋跡」まで徒歩10分、そこから山頂本丸まで10分の軽い登りで行く事ができました。山は扁平に削られ、そこに本丸・二ノ丸・三ノ丸があり、4つの堀切でこれらは分断されていた、難攻不落の城だったようです。しかも築城当時は、肥前名護屋城に匹敵するほどの巨大な城だったとされています。御茶屋は江戸時代に入り建てられた、参勤交代のための宿だそうです(写真②)。

この茶屋の横から登城開始します(写真③)。官軍墓地(写真④)に着いたらその背後が本丸です(写真⑤)。墓地には西南戦争で亡くなった官軍兵士77名が眠っているそうです。南関城の最大の見どころは、その先にある「本丸西虎口」です(写真⑥)。高石垣跡とその下には、二重三重にも折れをともなった堀跡が残っていて、これは必見です!(写真⑦)

南関城は築城からわずか14年後の1618年に一国一城令で破却が行われ、さらに島原の乱の翌年1638年には二回目の破却が大規模に行われています。ここでの破却はとても特異な形で行われています。その様子をこの西虎口で見る事ができます。この写真⑧⑨を見て下さい。真ん中に7m21段の石垣が残っていますが、ここは一番上の本丸までかつて石垣があったようです。つまり推定約15mの石垣が、本丸までを覆っていたと言う事になり、その石垣の石を下まで破却して、それを何と登城路を兼ねた堀の中に落とし、その上から土をかぶせて埋めてしまったのです。

よって堀(登城路)も相当深かった事になります。さらにこの両側には塀があり櫓門や隅櫓があったので、元々はかなりの鉄壁な防御が施された城だったと推測されます。それをここまで壊したのは、島原の乱では先陣を切って戦った細川忠利です。

忠利は従兄弟の三宅藤兵衛や多くの家臣を島原の乱で失いました。ゆえに一揆軍をかなり憎んでいたと思います。私は西虎口から破却跡を眺めていると、原城のようにキリシタンに利用されてなるものか! という忠利の強い意志が伝わってくるような気がしました。
 

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todo94

三連休・山口県の攻城② (2025/11/22 訪問)

石城山神籠石からの転戦です。石城山神籠石と同様、駐車場まで延々と細い道を運転していかなくてはなりません。駐車場にある説明板の表記は山の名前と同じ琴石山城でした。山頂では高齢者の集団が集っていました。駐車場にはほかに車が停まっていなかったので麓から登って来たのでしょうね。大したものです。眺望も素晴らしく、絶好のハイキングスポットと云えそうです。駐車場からの登城路側の鞍部、堀切で隔てられた側が二の丸だそうです。山頂を越えて急峻な販路を下った西側にも堀切があります。登城にさほどの困難がないこの城がこれまで未投稿だったのは、アクセスのしにくさによるものなのでしょうか。とりあえず、未投稿物件を一つクリアです。

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赤い城

竹藪に堀 (2025/11/16 訪問)

津山市内から国道53号線を北上、奈義町にある城です。
有元集会所に説明板が立っています。
集会所に車を置かせてもらい、裏手の道を墓地方面に進みます。
墓地の裏手に竹藪へ向かう道があり、進むと横堀がありました。
さらに進むともう一つ横堀が走っていました。
が、周辺は竹藪でしかも他に遺構らしきものを見つけることはできませんでした。
説明板によると東側は江戸時代以降の開墾により失われたとのことです。

【見どころ】
 ・竹藪の中の横堀

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しんちゃん

岸勘解由信周 (2025/11/16 訪問)

堂洞城は織田信長の美濃攻めの際に蜂屋の領主・岸勘解由信周がこもった砦とされています。某アプリのリア攻めがしたくて寄ったのですが入口付近でリア攻めが出来てしまいました。でもせっかく来たので訪問することに。
信周は斎藤氏への忠義を重んじ降伏勧告を退け討死した忠義の士です。でも人質の佐藤氏の姫を殺しちゃいかんなあ・・
もったいな・・いや、気の毒に(汗)。
戦国時代は残酷な時代なので大概のことはまかり通るのですが、その影でどれだけ多くの人質が命を落としてきたことやら・・
堂洞城は本格的な山城とも思えず、堀切も埋まっていて分かりづらい。道沿いについている扁平地は郭の跡でしょうか。それなりの人員を収納できたように見えます。

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朝田 辰兵衛

おつりの出るバス初体験…🚌 (2025/10/12 訪問)

袋井駅南口⇒七軒町まで,秋葉バスサービスの秋葉中遠線・秋葉線を利用。最初は「IC不可か…」と整理券を取り乗車。先に降りる人を確認すると,まず整理券を入れて料金表示後に大きいお金を入れて,自動でおつりを受領している気配が…。
私の料金は【470円】だったので,新500円玉を用意し,ドライバーに確認したところ「おつり出ます」とのこと。おつりの出るバス初体験がかなり衝撃でした。

横須賀城ですが,玉石垣はみなさん良くレポートされておりますのであまり感動はなかったです。どちらかというと三日月池に「おぉっ」となりました。丸子城からの転戦で訪れていたせいもあったのかもしれません。高天神城の三日月池とは比較になりません。

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しんちゃん

城址とミカンと紅葉と。 (2025/12/01 訪問)

上ノ郷城の築城時期についてははっきりとはしていませんが、この城の歴史において最も有名な出来事は桶狭間の戦いの後に今川方から離反した松平元康が鵜殿長照を攻めた「上ノ郷城の戦い(永禄5年(1562))」だと思います。
皆さん大河ドラマでご存じだと思うので内容は省略。
城址の周辺は「みかん畑」になっていてちょうど今、実をつけだしています。この周辺には蒲郡オレンジロードもあるんですね。
赤日子神社の紅葉はちょうど見ごろを迎えています。主郭周辺のイチョウも良い感じです。豊橋は温暖な気候なので紅葉が少し遅いのですが蒲郡は今がちょうどよい頃合いでしょうか。

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いんげん丸虫

白石山城 福井県高浜町 (2025/11/22 訪問)

標高186mの山城です。
舗装された林道があります。馬居寺の
あたりに駐車して15分くらい歩きます。
現状、まばらになってますが、石積み
による虎口があります。西斜面には
畝状竪堀群がありますね。写真では
分かりにくいですが。。

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たか

公園… (2025/08/22 訪問)

ナビで向かうと住宅地の真ん中で目的地…
仕方なく公園のところまで降りて駐車してみるとなんとここ?
細い柱に「小鶴城跡」と説明書きがありました。
住宅地のある方が高くなっていてそれが土塁なのかな?
まあこれはこれでネタとして良いと思いました。

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たか

遺構がしっかりと残っている (2025/08/22 訪問)

長命館公園としてしっかりと綺麗に整備されている。
看板を立てて遺構の説明をしているため初心者でもわかりやすい。

今回の仙台行軍で思ったのはどこの城址も公園などにして整備をしている。
これはお城や歴史が好きなものにとってはとてもありがたいことです。
これからも未来へしっかりと残してもらって新たな歴史的発見などが出ることを楽しみにしています。

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たか

鶴ヶ城 (2025/08/22 訪問)

松森城に登城してきました。
鶴翼の形をしているから鶴ヶ城と呼ばれているんですね。
今は鶴ヶ城公園となっていました。
駐車場もあり一応整備はされていますが春だけなのかこの時期は草が多くて嫌でした。

春の桜が満開になる頃がいいと思います。

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たか

くまに注意 (2025/08/22 訪問)

車で岩切城の登山口まで行きそこから登城。
入り口に説明看板があり整備された登山道を登ります。

ゆるかで非常に快適でしたが昨今のクマ出没のせいかあちらこちらに「クマに注意」と幟がありました。
さすがに怖くなり速足で登城してきました。
帰りは退却のような速さで下っていきました(苦笑)

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たか

留守政景 (2025/08/22 訪問)

次は利府城へ。
ここは留守政景(伊達政景)のお城です。
(小説読んでてよかった)

村岡城から利府城となったと説明板に書かれていました。
現在は館山公園として綺麗に整備してあり遺構もしっかりと確認できました。

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美夢

(2025/11/25 訪問)

綺麗な虹が出ていましたので
皆様にも写真をシェアしたくて
投稿致しました

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たか

なにもない… (2025/08/22 訪問)

多賀城から移動してきてナビ通りにくると

皆さんのコメント通り何もない。
それでも何かあるだろうと倉庫群のなかをぐるぐるまわるも何もない
あきらめて帰ることにしました。

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たか

大宰府のよう (2025/08/22 訪問)

昨日の仙台城に続きもっと古い歴史の多賀城へ。
多賀城にも仕事できたことはありますが全然時間が無くて心残りでした。
今回は朝早くから出かけて時間はあります。

タイトルにも書きましたが大宰府のよう(そりゃそうか…)
広い敷地内をぐるりと回って北側から一気に南門へ。
暑いし結構な距離でした。

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たか

ちょうど小説を読んでたので (2025/08/21 訪問)

お目当てのアーティストのライブにかこつけて攻城してまいりました。
タイトルの通り火坂雅志さんの「臥竜の天」を読んでいたのでワクワクです。

仙台城は遠目に見ることはあっても仕事の時にしか行かないので今回はゆっくりと見学できました。
まずは仙台駅で腹ごしらえは半田屋さん。
ご飯をしっかりと頂いていざ出陣。

歩くと意外と距離があります。
そうすると見えてきました、立派な石垣が!
広瀬川から見るととても良いですね。
テンションが上がります。

登っていくと遠くから見えていた石垣が圧倒的な迫力で現れました。
天守台に行ってあの有名な像の前で写真を撮りました。
天守台からの眺めは最高で心地良かったです。

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つば九郎

神奈川県の城巡り 土井谷砦 (2025/12/01 訪問)

車で攻城しました。近くのコインパーキングを利用しました。現在、城址となっている臥龍山雲松院には駐車場があり、参拝であれば停めることができます。寺院の裏手の急勾配の先が城址のようです。今回は、ここのみ攻城しましたが、小机城と併せての攻城が、当然ですが良さそうです。攻城時間は15分でした。

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トク

内牧城(2/2)【牛方馬方騒動-①】加藤正方 (2025/11/26 訪問)

内牧城へやって来ました。八代城を訪れた後に、加藤忠広はなぜ突然改易されたのか? という疑問が(もやもや~)と何故か私の心に残り、調べていくとその発端は、1616年に起きた加藤家の内乱【牛方馬方騒動】にある事がわかりました。そこでその騒動の首謀者である、重臣の「加藤正方」と「加藤正次」の二人の居城を訪れてみたくなりやって来ました。まずは正方の居城(内牧城)から始めます。

阿蘇駅からは内牧温泉行のバスに乗り換え15分、内牧(阿蘇体育館)で下車すると、この体育館の場所が内牧城の本丸だったそうです(写真①②)。内牧城は、戦国時代は阿蘇氏の居城でしたが、1586年に島津氏の侵攻で落城します。秀吉の九州征伐を経て加藤清正が肥後に入国すると、内牧城は重臣の加藤可重に与えられ、可重死後は子の「加藤正方」が後を継ぎます(写真⑨)。この頃に本丸・二ノ丸・三ノ丸を備えた平城に改修されたようです。二ノ丸の現在は、阿蘇中央公園(あそビバ!)になっていて、市民の憩いの場として整備されていました(写真③④⑤⑧)。南側にはわずかですが石垣が残り、矢穴のある石も見つけました(写真⑥)。

本丸の西側にある「明行寺」の門は、内牧城から移築されたものと伝わっています(写真⑦)。勝海舟や坂本龍馬、夏目漱石もここを訪れた事があるようです。

内牧城は阿蘇の地下から沸き出る内牧温泉街にありました。と言う事は🤔・・・ここの殿様は毎日温泉に入っていたのでしょうか? 何ともうらやましい限りです。そこで私も城跡を散策した後は、二ノ丸にあった立ち寄り湯で温泉入浴してきました(写真⑩)。少し硫黄の匂いがするものの、つるつるの肌触りなったので美肌効果があるかも?

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【牛方馬方騒動とは】
1611年に加藤清正が突然死去すると、まだ11才の忠広が家督を継ぎますが、まだ若く何もできないため、ここで重臣同士の権力争い(後見争い)が勃発します。その主役が、「加藤正方(馬方)」と「加藤正次(牛方)」です。二人はお互い相手を蹴落とすように家老筆頭の座を狙って争い、その争いはだんだんとエスカレートしていきました。そしてついに大坂の陣の後の1618年、正方は正次の家臣が大坂の陣の最中に、大坂城に兵糧を運び込み大坂方を支援していた、つまり謀反があった旨を幕府へ密告します。これを聞いた幕府は両者を江戸へ呼び問い正します。そして最後は徳川秀忠が直々に裁決しました。秀忠は正方の訴えを聞き入れ、正次の南関城を召し上げ家臣とともに流罪としました。しかしこれにより、藩主の加藤忠広には騒動を抑える統率力も無いことを露呈してしまい、幕府や家臣からの信頼も失ってしまいます。本来なら喧嘩両成敗でかつ藩主にも沙汰があるのが当然ですが、忠広の正室は家康の養女であったという事情もあり、お咎めが無かったようです。そして同じ時期の1619年、地震により麦島城が倒壊してしまいます。徳川秀忠は、名誉挽回の機会を与えるとばかりに、正方を内牧城主から麦島城主(家老筆頭)にし、忠広には正方とともに麦島城に代わる「八代城」の築城を命じます。両者は加藤家の財力を全て注ぎ込み、必死になって築城しました。そしてやっと八代城が完成した1632年、この後どうなったかは、私の八代城での投稿の中でお伝えした通りです。

次はもう一人の重臣で騒動に敗れた、加藤正次の居城(南関城)に向かいます。
 

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