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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2025/03/28 訪問)

「熊野川と 海運の抑え 新宮城(くまのがわと かいうんのおさえ しんぐうじょう)」
「炭売って もうかりまっか? 新宮城」

ぼちぼちでんな・・って、実はウハウハだったようです。紀州の木材は江戸城をはじめ、良材として多くの建築物に使われ、備長炭は江戸や諸藩の生活に欠かせませんでした。陪臣とはいえ3万5千石の扶持を与えられ、炭や鯨油での売り上げを加えると中堅大名クラスのお金持ちだったのではなかろうか? 紀州藩の取分がどのくらいだったのか、気になる所です。

水の手には大量の備長炭を貯蓄できたようで、海から見ると「備長炭出荷城」のように見えたかも・・ゼニや 世の中ゼニや!

「陪臣の 意地を見せたる 新宮城(ばいしんの いじをみせたる しんぐうじょう)」

新宮藩9代藩主 水野忠央は紀州徳川家の陪臣と言う立場でありながら、同じ御三家の附家老と連帯して幕府に対して待遇改善を要求したり、将軍の側室として妹を大奥に送り込んだりと、かなり精力的に活動しています。また後の大老・井伊直弼と協力して紀州徳川家の徳川慶福(後の家茂)を第14代将軍に就かせています。井伊直弼が殺害された後は、勢いを失い新宮城に幽閉されました。

※一部画像は日本Q地図さんのデータを使用させていただいています。


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小城小次郎

大石氏とその被官たちが集住していたのだろうか (2025/01/05 訪問)

古くは横山党由木氏、戦国時代は大石氏が居館を構えたところとされる。周囲には松木屋敷等の屋敷伝承地が点在しており大石氏の被官たちが緩く集住していたのだろう。居館跡の永林寺も大石氏所縁の寺で想像以上に立派なお寺だ。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2019/01/25 訪問)

「街道と 多摩川おさえる 滝山城(かいどうと たまがわおさえる たきやまじょう)」

滝山街道と多摩川をおさえた立地に着目しました。陸運と水運の両方をおさえ,武蔵野への侵入を阻む位置づけにあった城だと思います。

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

織豊期 そのまま残る 赤木城
(しょくほうき そのままのこる あかぎじょう)

未訪です。
コンパクトながらも江戸時代の改修は無く織豊期の姿が残る城だそうです。
なかなか貴重、行きたい城の一つです。

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

高天神城 武田と徳川 奪い合う
(たかてんじんじょう たけだととくがわ うばいあう)

元は今川氏の城でしたが桶狭間後徳川の支配下に。
信玄の死後、勝頼がこの城を落とすも家康が奪い返す。
7年に渡り戦いが繰り返されました。
激戦の城ですが見どころ満載の城でもあります。

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カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2019/06/10 訪問)

 「絶景の 隆景築く 新高山城」(ぜっけいの たかかげきずく にいたかやまじょう)

 令和と改元されて1ヶ月目広島県東部地区の未踏の城探訪と出掛けました、鏡山城、隆景に謂れの有る、木村城、新高山城、高山城、竹原、三原城で三原泊の前後4泊5日で広島岡山京都大坂を廻る。
 新高山城へは先ず本郷生活学習センターに寄って資料と学習してからの登城、沼田川の両岸に起立する新高山城、高山城に圧倒される、登城口に駐車場と簡易トイレある。
 登城路を先ず匡真寺跡へ登り、中の丸と本丸の間の虎口から本丸へ詰の丸よりの眺めが絶景圧巻、対岸の高山城の山塊が良く見える、毛利元就の三男隆景は小早川家の養子へ、木村城から高山城へ移り、新高山城を天文21年(1552年)築いたと云われてる。
 

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

那須の城 堀底巡る 烏山城
(なすのしろ ほりそこめぐる からすやまじょう)

那須氏が築いた城で関東では珍しい石垣が残る城として知られていますがやはり見どころは郭の間をめぐる堀底道かと。
この辺りは佐竹氏や宇都宮氏との争いも多かったので見応えある遺構が残る城も多いです。

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

山上の丸 砂場見渡す 鳥取城
(さんじょうのまる すなばみわたす とっとりじょう)

未訪ですが山上の丸から日本海や鳥取砂丘が見渡せるとのこと。
天気の良い日に登城したいです。
ニッポン城めぐりのエリア限定めぐり開催中なのでこの期間内に行きたい😌

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

障子より 富士を仰ぎ見 山中城
(しょうじより ふじをあおぎみ やまなかじょう)

障子堀から見上げる富士山は定番、絶景なのですが訪問した際には富士山雲隠れ。
皆さんのレポート写真で知る限りなのですが・・・。

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todo94

北海道の離島② 礼文島【城びと未登録】沼の沢チャシ(北海道礼文町) (2025/08/10 訪問)

前日の利尻島では全く山頂を拝むことができなかった利尻富士、行きのフェリーから山頂部のシルエットを拝むことができました。41年前、夜行急行利尻の車窓から感動的な利尻富士を拝んで以来、生涯2度目の利尻富士でした。礼文島内は定期観光バスで回ります。2台のバスで総勢100人ほど。その定期観光バスの車窓から、「北の遺跡案内」に載っている久種湖畔の沼の沢チャシ(湖に突き出た部分)を遠望することができました。チャシはアイヌの遺構だと思いますが、この近くにある船泊遺跡は縄文人の遺跡で重文指定されている出土品の一部(といってもかなり数多く)が礼文町郷土資料館に展示されています。礼文島は、オホーツク人、縄文人、アイヌがクロスする考古学の要地であることを郷土資料館にて学ぶことができました。礼文は1日、晴天に恵まれ、美しい自然景観も堪能することができました。

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小城小次郎

関戸の由来 (2025/01/05 訪問)

関戸の地名が鎌倉街道に設けられた霞ノ関に由来する説や関跡の木列が検出されていることも関戸城を文章化する過程で初めて知った。分倍河原の戦いに続く関戸の戦いが成立したのもここが関戸だからだと思う。歴史は深い。うん。

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2016/08/27 訪問)

「小田原を 丸ごと包む 総構(おだわらを まるごとつつむ そうがまえ)」

フリーの赤色立体地図で小田原周辺を眺めていたら、総構の有った位置にポツンと土盛りらしき場所があった。これは「蓮上院土塁」といって、かつての総構の一部らしい。街中に残っている遺構としては唯一なのではないだろうか。

「枡形が 整然と繋がる 小田原城(ますがたが せいぜんとつながる おだわらじょう)」
こちらは近世城郭の方です。近世の城郭としては比較的地味な城ですが、二の丸まで枡形が綺麗に繋がる様は見事だと思います。

※日本Q地図さんのデータを一部使用させていただいています

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2016/08/27 訪問)

「時分けし 土塁と石垣 小田原城(ときわけし どるいといしがき おだわらじょう)」

土塁と言いながら、写真は小田原北条氏時代の堀切のものです。戦国と近世の二時代にわたる名城だと思います。小田原北条氏の時代は最強の土の城でした・・相手が悪すぎましたね。

「本丸跡 線路が分かつ 小田原城」
立体図を見ると小田原時代の本丸跡と現小田原城の間を東海道本線が分断しています。かつてはここに空堀か水堀があったのか?

「北条の 最期を看取った 小田原城」
大名の北条氏の滅亡後、小田原城は近世城郭に生まれ変わりました。総石垣の中堅の城となった小田原城は、以前と別の城と言って良いのではないでしょうか? ある意味、北条氏と命運を共にしたと言っても良いのかも。

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2013/07/21 訪問)

「削られた 曲輪があったか 安土城(けずられた くるわがあったか あづちじょう)」
朝田さんの投稿にあるように安土城は観音寺城の有る山と尾根で繋がっていたようです。フリーの赤色立体地図で確認すると「北腰越」で分断された尾根筋の東側にも曲輪が二つほど有ったようです。このあたりまでが安土城の東の城域になるのではないでしょうか。
元亀年間ごろにも観音寺城で石垣の改修が行われた可能性が有るようなので、安土城の防衛ラインの一部として機能していたのかもしれません。

※画像の一部は「全国Q地図」さんのデータを使用させていただいています。(明示が必要)

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ノボル

ニューイヤー駅伝で紹介される城趾 (2025/08/12 訪問)

いつも元日のテレビで見ていたので一度行きたいと思っていた山城の名城

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2020/07/12 訪問)

「完ハキャで 朝鮮配慮 名護屋城(かんはきゃで ちょうせんはいりょ なごやじょう)」

【完ハキャ=完全破却】という造語を作ってしまいました…。
ここの城の脅威は,完全ともいえる徹底破却に裏付けされています。ここを破却しなければ,今日の日韓友好はありえなかったでしょう。平和な現代からは,破却の実情からそのすごさを逆読みする想像力が求められると思います。

※ここまでのつぶやき…「な」ではじまる城,多いじゃネエかっ!

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カズサン

夏の駿府城ブラ散歩 (2025/08/12 訪問)

 静岡に用事が有り、チョット寄りました、秋雨前線あがりの蒸し暑い日で曇り、九州熊本では甚大な水害被害が発生しており暫く秋雨前線の行方が心配です。
 駐車場は何時もの3の丸跡市民文化会館、中央体育館地下駐車場を利用で目的に指定して訪ねたのですが、同建物の改修改築で今年3月31日より閉鎖して居ました、変わって市民文化会館のすぐ南にタイムズ静岡市民文化会館修景広場が「タイムズ24駐車場」に成っており利用可、小型車52台、20分100円と成って居ます。

 駿府城ブラ散歩ルートは、東御門から入城、発掘された本丸堀跡、静岡おでんの店前にこれからの駿府公園として近き将来の駿府公園イメージ図と同解説、駿府城跡天守台野外展示施設イメージと解説のパネルが展示されていました、ガイダンス施設も出来る様です、坤櫓を二の丸内より眺めて、発掘情報館きゃっしるに立入涼み休憩と情報を得る、天守台跡発掘現場を眺めて、清水御門から出て二の丸堀を南へ外から坤櫓を眺めて、二の丸堀外沿いを巽櫓へ、やじきたの像を眺め、歴史博物館での企画展示弥次喜多と蔦重には寄らず。
 ブラ散歩中桜や欅の葉の茂りには蝉が多く鳴き、蝉の合唱せみ時雨暑い中真夏を感じつつの真夏日の登城と成りました、暑くて城廻は暫く無理ですね。ゆっくり歩いて写真と観察、情報収集を1月に訪ねて以来の8ヶ月振りの駿府城は約1時間でした。
 

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chiroru

夏の烏城灯源郷 (2025/08/09 訪問)

他のイベントも開催中でお子様連れも多く見られました
徐々にライトアップされてゆく烏城周辺で過ごす時間は至福のひとときでした

1泊して、次の日は舞台鑑賞、帰りは新幹線の運休や大幅遅延に遭遇でしたが、旅の思い出( ´∀` )

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城好き

毛利高政の城 (2025/08/10 訪問)

雨が降っていたため、登城は諦め続100名城スタンプのゲットのみにしようと豊後森藩資料館を訪れました。
遠方からの来県であることを告げると、窓口の方が次のこと等について、模型を指差しながら、
丁寧に説明をしてくださいまいました。
・千田先生がたまたま立ち寄られることで、注目を浴びるようになったこと
・千田先生も感心された石垣は、穴太積みであったこと
・雨だが、三の丸までは車でなんとか行けそうであること
・三の丸から本丸往復のおすすめコースについて など
説明があまりにも魅力的だったので、スタンプ&御城印をゲットしたあと、
とりあえず、車で三の丸まで行くことにしました。

行ってみると、想像以上に壮大な穴太積み石垣を見ることができました。
雨が激しくなってきたので、本丸まで攻めることは断念しましたが、
三の丸から伐株山(めちゃくちゃかわいい形の山)を眺めることもでき、最高の気分を得ることができました。
登城してよかったです。窓口の方に感謝です。

【角牟礼城概要】
・三方を急峻な斜面に囲まれた角埋山山頂に築かれた山城
 →標高577m、聞知との比高差240m
・切り立った険しい岩盤が露出した天然要害
・難攻不落の城
 →天正15年(1587)大友・島津の戦いで6,000人の島津兵をわずか1,000人で守り切ったらしい
・毛利高政が穴太積みで防備する近世城郭に改修したらしい

【情報】
・観覧無料
・三の丸まで車で登城可能(駐車場スペース有)

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天守無しがアツい

天守一階にCG再現コーナー (2025/08/11 訪問)

人生4回目の訪問

まず上諏訪駅から天守方向へ歩く→三の丸跡(井戸と閉店した店)を見る→天守入場→続日本100名城スタンプをスタンプ帳に押す(前回の訪問でもスタンプは押したが、当時はまだスタンプ帳持っておらず集印帖にとりあえず押した)→CG再現コーナーを眺める「これが当時の高島城…リアルだなあ🫢→3階から諏訪市一帯の景色(諏訪湖も)を眺める

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