史跡・吉田家の土塁・濠跡と標柱が立っていて、堀は畑になっているが、残る土塁の大きさには驚く。甘楽町のHPに、この土塁・濠跡は、「上野城」と呼ばれた館址の周囲を囲んでいた土塁と濠跡で、鎌倉時代に築かれた館址(土居館)と考えられる。徳川時代には幕府の直轄地として代官がここに居り、その後、旗本の知行所となって明治に至った。四囲の土塁は東西南北に構築され、土塁の外側に濠が巡らされていた痕跡が伺える。一辺70m程の正方形の館址で、西土塁はほぼ良好に残存し、北土塁は約半分、東土塁は一部が顕著に残り、南土塁は全て削平されている・・・と載っているが、東は確認していない。
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