かわぐちじょう

河口城

鳥取県東伯郡

別名 : 泊城、泊の要害
旧国名 : 伯耆

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征9日目:河口城 (2026/05/19 訪問)

岩倉城から車で40分弱で、案内板前(35.509831、133.940222)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、 伯耆山名氏の一族、山名刑部大輔久氏累代の居城でした。
1524年(大永4年)尼子氏による東進「五月崩れ」によって落城し、羽衣石城に入った尼子国久の次男誠久が当城に入城しました。
1540年(天文9年)尼子晴久が毛利元就を攻めるため大軍を安芸国吉田郡山城に派遣した隙に乗じて、但馬山名氏の援軍を得た南条氏が伯耆に乱入し当城も落城、山名刑部が取り戻しました。
1546年(天文15年)には武田国信・南条宗勝らの攻撃で落城、元城主の河口久氏が入城しますが尼子氏の攻勢で再び退去を余儀なくされました。
1562年(永禄5年)に毛利氏によって解放された後には再び河口久氏が入ります。
1579年(天正7年)に南条氏が毛利氏より離反すると河口(山名)久氏は毛利方に属し、城は毛利方の拠点となりました。
そのため、織田氏の攻撃目標となり、1581年(天正9年)には松井康之率いる水軍によって城下もろとも焼き払われ、泊浦の警固船65艘も焼かれています。
1584年(天正12年)に南条領と確定した後は南条方となり、1600年(慶長5年)の南条氏没落によって廃城となりました。

藪化しているとの事前情報で、登城路を少し歩いた後、案内板を撮って撤退しました。
しかし、事前情報が古いのか先人の皆さんの情報では藪下していないようだし、どうやら失敗だったのかな?
どこからの情報か、いまとなってはわかりません。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=橋津台場に向かいました。

+ 続きを読む

todo94

ゴールデンウイーク後半・伯耆の城めぐり⑩ (2025/05/04 訪問)

田内城からの転戦です。農道脇に説明板があり、城までの案内図もあるのですが、この案内図がかなりわかりにくかったです。休憩小屋から先、標柱を見つけることができず、しばらく竹林の中をさまよってしまいました。竹林の中では、猪が筍を食い漁ったであろう痕跡がそこかしこに見られました。標柱と階段を見つけ城跡に立つことはできたのですが、先達の皆さんの投稿を拝見しておかなかったばかりに、石垣、櫓台は見逃してしまいました。鳥取県の城びと登録物件コンプリートを期して数年のうちには鳥取県に来ることになるでしょうから、その際にはぜひ、再訪したいと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

良好な遺構が残る櫓台と建物跡 (2024/02/17 訪問)

【河口城】
<駐車場他>城跡説明板<35.509953,133.940156>の横、土手に車を縦に入れると2台程停めれる。
<交通手段>車

<見所>大堀切・主郭櫓台・石垣・扇状曲輪
<感想>日帰り羽衣伝説の旅ラスト5城目。現地説明板によると、室町時代に伯耆国守護の山名氏が伯耆・因幡国の国境の守りの城として河口城を築城し一族を城主に置いたとあります。1524年山名久氏の時に尼子氏の侵攻を受けて城は落城し城主は逃亡します。毛利氏が尼子氏を滅ぼした後は山名(河口)久氏が再び毛利氏の麾下で入城します。近隣の南条氏が毛利氏から織田氏の傘下になると1581年に羽柴秀吉の攻撃目標となり水軍によって港もろとも落城します。以降は南条氏領となり関ヶ原で南条氏が西軍に付いたため没落し城は廃城となったようです。
 上記の城跡説明板の横に、多目的保安林「河口城ふれあいの森」の地図板があり、一帯が整備区域となっています。軽トラ幅スロープを下って行くと地図板の果実の森に着きます。ここは城跡ではないようです。右手に進みます。地図板の針葉樹の森が谷の扇状曲輪になっており綺麗なアーチ状の2段構造の段曲輪になっています。ここから城跡のようです。進んで休憩小屋辺りが腰曲輪群、小屋背後も削平地になっていますが竹林がひどく散策は難しい。休憩小屋の北東側の窪地が主郭南側の大堀切から続く大空堀となっています。南側の大堀切には石垣が少し残されています。主郭虎口にも礫石が沢山あり石積みであったことが分かります。主郭虎口から登ると主郭腰曲輪があり、その奥から主郭の北側曲輪壁が見る事が出来ます。曲輪壁は石垣が全て崩れ落ちたような感じになっていました。主郭に入ると丸い穴のあいた柱立ての礎石が落ちています。主郭は南北に方形に長く、南端に見事な石積みの櫓台が残っています。添付写真の通り櫓台の残存状態は良好で階段も明瞭に残っています。櫓台手前に建物跡の石列があり、主郭建物とその背後に櫓があった事のイメージが出来ます。「おお、すごい!」と感嘆の声が出てしまった見応えある主郭櫓台でした。

 これにて日帰り羽衣伝説の旅終了、羽衣石の城や打吹山の散策登山が楽しかった。また知らなかった山名氏の伯耆国守護所があった事や山名氏没落後南条氏が勃興していた歴史変遷が勉強になった。走行距離482㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサンさんからの宿題を果たしに (2023/08/28 訪問)

鳥取西部の城をものいろしていると、2020年12月のカズサンさん投稿「公園広場が有る、ここが城跡かと思い打ち切りましたが、案内板と今回ガイドの古城盛衰記さんをよく理解すると更に200m程下に城跡、石垣、曲輪、櫓台が有るそうです。雨の中注意散漫で重要遺跡を見落としました。次投稿の方に宜しくお願いいたします」を発見。二番槍をつけるべく、行って参りました。
進入経路はカズサンさんと同じく城域南の山の中腹を走る農免道路から。河口城の説明板脇から、散策道を下って行きます。散策道は、いのししが掘り返した痕がたくさん😥鬱蒼とした中を進むと、河口城の標柱がありました。階段を登ると、本丸に。南端に、整った石垣の櫓台がありました。本丸の周りを囲むように小さめの曲輪を配置し、その外側は、南以外は切り立っています。特に北側は断崖。南側は、背後の山に続いていくので、広い堀切で遮断しています。
上述の農免道路は、分かりにくいのと、あまり使われて無さそうで、木が道路に覆い被さってきてます。泊駅に駐車して、国道9号線から攻めるのが良いかも。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 山城
天守構造 なし
築城主 山名氏
築城年 室町時代
主な改修者 不明
主な城主 山名(川口)氏、尼子氏、南条氏
廃城年 慶長5年(1600)以降
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財 町史跡(河口城跡)
再建造物 説明板
住所 鳥取県東伯郡湯梨浜町泊
問い合わせ先 湯梨浜町役場
問い合わせ先電話番号 0858-35-3111