【河口城】
<駐車場他>城跡説明板<35.509953,133.940156>の横、土手に車を縦に入れると2台程停めれる。
<交通手段>車
<見所>大堀切・主郭櫓台・石垣・扇状曲輪
<感想>日帰り羽衣伝説の旅ラスト5城目。現地説明板によると、室町時代に伯耆国守護の山名氏が伯耆・因幡国の国境の守りの城として河口城を築城し一族を城主に置いたとあります。1524年山名久氏の時に尼子氏の侵攻を受けて城は落城し城主は逃亡します。毛利氏が尼子氏を滅ぼした後は山名(河口)久氏が再び毛利氏の麾下で入城します。近隣の南条氏が毛利氏から織田氏の傘下になると1581年に羽柴秀吉の攻撃目標となり水軍によって港もろとも落城します。以降は南条氏領となり関ヶ原で南条氏が西軍に付いたため没落し城は廃城となったようです。
上記の城跡説明板の横に、多目的保安林「河口城ふれあいの森」の地図板があり、一帯が整備区域となっています。軽トラ幅スロープを下って行くと地図板の果実の森に着きます。ここは城跡ではないようです。右手に進みます。地図板の針葉樹の森が谷の扇状曲輪になっており綺麗なアーチ状の2段構造の段曲輪になっています。ここから城跡のようです。進んで休憩小屋辺りが腰曲輪群、小屋背後も削平地になっていますが竹林がひどく散策は難しい。休憩小屋の北東側の窪地が主郭南側の大堀切から続く大空堀となっています。南側の大堀切には石垣が少し残されています。主郭虎口にも礫石が沢山あり石積みであったことが分かります。主郭虎口から登ると主郭腰曲輪があり、その奥から主郭の北側曲輪壁が見る事が出来ます。曲輪壁は石垣が全て崩れ落ちたような感じになっていました。主郭に入ると丸い穴のあいた柱立ての礎石が落ちています。主郭は南北に方形に長く、南端に見事な石積みの櫓台が残っています。添付写真の通り櫓台の残存状態は良好で階段も明瞭に残っています。櫓台手前に建物跡の石列があり、主郭建物とその背後に櫓があった事のイメージが出来ます。「おお、すごい!」と感嘆の声が出てしまった見応えある主郭櫓台でした。
これにて日帰り羽衣伝説の旅終了、羽衣石の城や打吹山の散策登山が楽しかった。また知らなかった山名氏の伯耆国守護所があった事や山名氏没落後南条氏が勃興していた歴史変遷が勉強になった。走行距離482㎞無事走破。
<満足度>◆◆◇
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