しちじょう

志知城

兵庫県南あわじ市


旧国名 : 淡路

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本丸北下の手造り志知城跡看板と保存会軽四
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カズサン

志知城-3/3 搦手より駐車場編 (2025/05/15 訪問)

 志知城-2/3 石碑・案内板・展示物編の続です。

 志知城守る会代表の関口さん会員の方2名で竹林伐採整備された城跡を案内頂き、スルーと通ってしまう所を奥深く探訪見学観察させて頂きました。また保存会の尽力で搦手登城路、専用駐車所の確保も頂いており、ルート、要所要所の写真投稿で保存会の方々の尽力努力に報いたく投稿致します。

 駐車場:県道477号線南側の白い二階建事務所の駐車場が保存会確保の無料駐車場、スーパーマルナカの南通南側、和食淡路島肉丼店の西隣。(私は情報入手前でスーパーマルナカに駐車させて頂きました)
 参考資料:城郭放浪記さん城びと投稿者各位グーグルマップ城内案内板、保存会に頂いた資料に依る。

 本丸北側のスロープを降り、保存会手造りの志知城跡看板を確認、城びと投稿者の写真で確認して居たものです、北側の内水堀は蒲の水草が茂って堀が良く分からない、搦手登城路は木製チップが敷き詰められて畦道ですが歩きやすい、倉庫の様な事務所駐車場脇を通って県道477号線へ、角の電柱に手造りの志知城案内看板、そこより東20~30m程で志知城専用駐車場白い二階建事務所前庭へ。
 私はスーパーマルナカの西側に駐めましたので分かりませんでしたが、中程から東側に駐められましたら南側竹林の微高地に幟旗が沢山翻っていますので良く分かると思います。

 スーパーマルナカさんありがとうございました淡路島の新玉ねぎを土産にし今も酒の肴で頂いています。
 志知城守る会代表関口さん始め会員の皆様、志知城整備ありがとうございます、楽しく見学探訪が出来、且つ新しい発見と新知識を頂きました。益々のご活躍とご健勝を祈っております。重ねてお礼申し上げます。

 志知城3編長々とご覧頂きありがとうございました。

 この後は県道477号線を東に4~5km程の養宜館(ヤギヤカタ)を目指します。
 

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カズサン

志知城-2/3 石碑・案内板・展示物編 (2025/05/15 訪問)

 志知城-1/3 保存会の竹林伐採整備で見易い編の続です。

 先に本丸西側竹林伐採整備の本丸土塁切岸?広い犬走?残存石垣の栗石?残存石の写真を投稿しましたが、史蹟志知城趾石碑二基、志知城跡案内板、太閤石と同説明板、TV番組堀、池の水抜きで志知城跡水堀の水を抜いて発見されて石垣の石展示とも有り写真投稿致します。

 志知城は賤ヶ岳七本槍の一人、加藤嘉明が城主(1585~1595年)あったとの事も有り是非見学したいとの思いが有りました、秀吉が信長の命で淡路島を攻略、本能寺の変を経て黒田官兵衛孝高が預かり天正13年(1585)加藤嘉明が15,000石の城主で入城、約10年在城して文禄4年(1895)伊予松崎へ6万石で転封、以降秀吉の直轄領で代官石川紀伊守が入城して川口の叶堂に新城(志知城から北に約3km程)を築き志知城は廃城と成った。
 加藤嘉明はこの間、秀吉の九州攻略、小田原征伐、朝鮮出兵には淡路水軍を編成して出陣しており志知城は瀬戸内海に出る、淡路水軍の重要基地であった。
 (案内板による)
 グーグルマップを見ると、大日川へ近く、大日川も以前は褶曲し、スーパーマルナカの北側には水路水堀跡?の様なものも在り、北側、南側に舟入りが大日川に接して設けられていた様子が窺える。

 登城中、家内はスーパーマルナカ南あわじ店駐車場に車を駐めて留守番、買い物土産として旬の玉ねぎを購入、帰ってからの酒の肴(玉ねぎスライスおかか掛け)と成りました。
  
 志知城-3/3 搦手側より駐車場編に続く。
 

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カズサン

志知城-1/3 保存会の竹林伐採整備で見易い編 (2025/05/15 訪問)

 淡路で2城目、西淡三原ICを降りて北の叶堂城を探訪し、南に約3km程の志知城を訪ねる、以前城郭放浪記さん昨日のTop10紹介で認知しまた最近城びとの投稿で是非訪ねたいと思っておりました、家内の要望で鳴門大塚国際美術館、阿波祖谷のかずら橋訪問のし、淡路島に寄り念願が叶いました。
 城郭放浪記さんの情報で、南の声明寺さん側大手から鉄板橋を渡り登城開始、草刈されたルートを歩き、本丸南西側の竹林伐採で堀跡?傍の「史蹟志知城趾」石碑観察、本丸へ竹林伐採されて通路が出来ている、北に当たり石積?(後に保存会の方の後世の畑土の目石かと?)本丸北側に桜が多数植わって青葉が茂って居る辺りに、石碑、案内板、古地図、太閤石、同説明板、幟旗が翻っているエリアに着くと、伐採した竹を柵状に造作されてる方が居り、お声掛けしたら「志知城守る会」の代表と会員2名様、暫く話をして、残存石も有り案内頂ける事と成りました。
 本丸やや高の北下に手作りの志知城看板は保存会製、水堀の水を抜いて発見されてた石垣石、水堀も草を整備してよく見渡せる、本丸西に進み、やや広の犬走?帯曲輪?の竹藪を伐採されて見やすく歩きやすく成って居る、本丸の西土塁も大変見易き、暫く案内頂き、残存石垣の栗石が散見される、石垣が有った事を物語る、感激の観察、暫くして残存石1ヶ石が木の根元に残って居た、このまま進んでいくと南の大手へ、先に観た竹林伐採堀跡?かの処へ繋がるらしいが、ちょっと狭く急道なので取り止めて搦手に戻る。
 帰り際に志知城資料があるからお渡ししますとありがたい言葉、今年3月30日に志知城跡桜まつりが有り、現地説明会で配布されて小冊子「天正10年(1582)~天正13年(1585)頃の志知城の主は誰?著作「前田卓也氏」(南あわじ市文化財審議委員)によるものでした。大変ありがたく感謝申し上げます。
 投稿写真は竹林伐採されて奇麗に観える本丸西土塁、残存石垣?整備された水堀、南大手鉄板橋を掲載いたします。

 私は今回大手の南側から登城しましたが、志知城守る会ご尽力で北側の県道477号線側スーパーマルナカ南あわじ店からの登城路が整備されていました、二階建て事務所の駐車場が志知城守る会の専用駐車場として利用できる、県道沿いに志知城の手造り看板がある、一部畦道も有りますが木製チップを敷き詰めた搦手登城路、南竹林に沢山幟旗は翻って良く分かります。

 志知城守る会 代表 関口様、本当にありがとうございました、皆様のおかげで楽しく見やすく観察でき感謝申し上げます。
 今後も体に気を付けながら志知城の整備を宜しくお願い致します、発掘調査をされて市の文化財、県の文化財、国史へと「織豊期城郭、水軍拠点」として保存されることを願って居ます。
 
 志知城-2/3 石碑・案内板・展示物編に続く。
 

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赤い城

堀の水を抜いたら (2025/02/08 訪問)

炬口城の後白巣城を考えていましたが雪がちらついていたので山は自重、志知城に向かいました。
西淡三原インターから近く、スーパーマルナカの向かいに手作りの案内板があります。

主郭と副郭から成る城で周囲に水堀があります。
池の水全部抜く大作戦で取り上げられたことがあるようで、その際に発見された石垣の石が展示されていました。

主郭は竹藪ですが散策路が設けられ、中央には石積を伴う窪みがありました。
主郭の入口には石碑と説明板、また秀吉が腰掛けたと云われる太閤石も置いてありました。
一段低くなっている曲輪が二郭です。

野口氏の居城でしたが秀吉の淡路攻略で開城、黒田孝高が一時預かった後加藤嘉明が入城しました。
瀬戸内海へ出る淡路水軍の重要拠点でもありました。

【見どころ】
・水堀
・竹藪となっている主郭

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 菅道忠
築城年 鎌倉時代前期
主な城主 菅氏、黒田官兵衛、加藤嘉明
遺構 曲輪、切岸
再建造物 石碑、説明板
住所 兵庫県南あわじ市三原町志知松本