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まさお

関東100名城達成! 水戸城ドライブ (2025/02/16 訪問)

新車2回目のドライブで関越道・外環道・常磐道経由で水戸城と偕楽園に行ってきました。
弘道館・水戸黄門神社・大堀切・二中見晴し台・二の丸角櫓・大手門と回りました。
偕楽園は時期が早すぎたせいか、まだ梅はほとんど開花していませんでした。

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天守閣を観る (2025/02/20 訪問)

 この日は朝は晴れていました。白亜の天守閣が青空に映えて綺麗に見えました。こんな青空に恵まれた姫路城は久しぶりのような気がします。昼頃には雲が多くなってきましたが、いい風景を見ることができました。冬の特別公開を観に来て早めに帰るつもりが、天守閣周囲をし一周してしまいました。北側にある堀の外側より観る天守閣が好きです。

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けむん

登りやすい山城でした (2025/02/20 訪問)

登城道が良く整備されていて、楽に登れました。塚脇バス停から30分位でした。頂上からは、大阪全体が望めて確かにここに築城するだろうなと感じました。

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カズサン

天守曲輪・天守閣ー4/4 (2025/02/17 訪問)

 冬枯れの浜松城散策探訪、搦手の埋門が樹木の景観整備、伐採、剪定作業で通行止めと成って居ましたので、天守御門から入り天守閣には登らず外回りをグルーと見て何時もながらの写真ですが投稿致します。
 一点今まで気付か無かったのですが天守御門東側下の側溝南にパイプが敷設されて水はけが南広場方向の側溝へ流されるようになっていました。浜松城を守るためなのでしょう。
 最強の寒波第二波でしょうか、北西の風が強く吹き抜けていましたが天守閣は観光客で賑わっていました。
 

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カズサン

本丸囲い石垣・土塁ー3/4 (2025/02/17 訪問)

 浜松城の本丸南側に天守曲輪南東隅から石垣・土塁が南東角まで伸びて多門櫓、鉄門、菱櫓が構えていました、現在は天守曲輪南東隅に石垣・土塁の一部が残存し、多門櫓下の石垣は発掘調査で発見されて底辺部整備されて残存現地展示されています。
 又本丸北側には天守曲輪北東から東に富士見櫓台が東端に在りその下段から東に石垣・土塁伸びて北東隅底石垣が一昨年のどうする家康大河ドラマ館の北側に石垣露出展示館が併設されて、本丸北東隅石垣として露出展示されていました、その地点まで本丸囲い石垣・土塁でした。
 冬枯れ草刈整備されて本丸囲い石垣・土塁南側と北側の残存部分が良く見える様に成って居ました、この時期のプレゼントです。
 東側の本丸は半分ほど消滅して石垣崖法面と南北の通路と成って居ます、しかしその地下には浜松市役所駐車場となって東側の石垣底辺部が残って居ります、本丸を復元されると東側の石垣と裏御門が見えて来る様に成るのですが、どうなる事でしょう?
 草刈されて良く見える様に成って居た本丸囲い石垣・土塁の写真を投稿します。
 

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トク

⑧【護佐丸と沖縄6城】(4)勝連城(2/2) (2025/02/06 訪問)

勝蓮城の続き(2/2)です。二の曲輪から階段を登り(写真①)、いちばん最上部の一の曲輪へ着きました。一の曲輪には玉ノミウヂ御嶽がありました(写真②③)。ここは祈祷をする場所でもあり見張りの場所でもあったようです。東は知念半島と宮城島(写真⑤)、北には金武湾(写真⑥)、南は太平洋、西は中城湾(写真⑦)と四方を海と半島に囲まれた、とてもすばらしい景色でした。

護佐丸がまだ座喜味を居城としていた頃、先の勝連按司「茂知附」は尚国王に従おうとはせず、勝連で独裁政治を行っていました。そしてだんだんと勢力を拡大し、国王を脅かすようになります。阿麻和利は嘉手納の農民の捨て子で、茂知附に拾われ育てられたと伝わっています。1440年悪政により困窮している勝連の領民たちを見かねた阿麻和利は、何と養父の茂知附を討ち自らが勝連按司となります。そして漁業や貿易を盛んにし、勝連を豊かな地にしたため、領民からは慕われていったようです。

しかし同じ年、三代目の琉球国王となった尚中の命により、護佐丸が座喜味より自ら築いた中城城に移り按司となります。阿麻和利は勝連按司となったものの、勝連城を睨むように巨大な城を建てた護佐丸を常に脅威に感じ、やはり琉球国王には従おうとしませんでした。

しかしその13年後(1453年)、阿麻和利に転機が訪れます。王位継承をめぐり四代目「尚金福」死後、王の子「志魯」と王の弟「布里」の間で家督争いが起き、首里城は戦乱で焼かれ両者ともに命を落とします(志魯布里の乱)。その3年後に首里城は再建され、二番目の弟「尚泰久」が王位に着くと、弱体化した王朝を立て直すため、国王は自分の娘「百十踏揚」(ももとふみあがり)を阿麻和利の妃にして和睦を計ろうとします。しかし阿麻和利はこの関係を逆に利用し、護佐丸と国王をこの際一気に滅ぼして、琉球王国を乗っ取ってやろうと企んだのでした。

私は勝連城の一の曲輪から中城湾を眺めて見ました。確かに喉元に刃(やいば)を突きつけるような場所に、護佐丸の建てた中城城が見えました(写真⑦)。

勝連按司となった阿麻和利は、「どうやったらあの邪魔な護佐丸を滅ぼす事ができるのだろうか?」。毎日ここから中城城を眺め、その事ばかりを考えていたのではないでしょうか?

次は「首里城」に続きます。
 

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todo94

えびのスカイライン沿い (2025/02/10 訪問)

野尻城からの転戦です。入口の標柱は国道268号の路傍、運転していても見えやすい位置に建っていますのでわかりやすいかと思います。ただ、整備の手はあまり入っておらず、案内表示も何もないので、城内の散策には多少難渋するかと思います。グーグルマップのポイントの地点にはとりあえずたどり着くことができました。

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赤い城

城跡には感應寺 (2025/02/08 訪問)

三原川河口近くに位置し、豊臣水軍の拠点となった城です。
城跡には感應寺が建ち、駐車場もあります。
感應寺の石垣は城の石垣を一部残し、積み直して改修されています。
また石碑の石垣部分は穴太衆による積み直しとのこと。
お寺からの見晴らしも良く、水軍の拠点であったことが良く分かりました。
お寺から西の御原橋北詰近くにも石碑が立っていました。
橋の上から感應寺を望むとなんとなく往時の姿を感じることができるかな?

加藤嘉明が伊予に転封された後、秀吉の直轄となり石川紀伊守が入り築城しました。
石川氏は関ヶ原の戦いで西軍につき、敗走後は蜂須賀氏の所領となり廃城となりました。

【見どころ】
 ・穴太衆により積み直された石垣
 ・橋からの遠景

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特別公開に来て周囲の堀も散策。 (2025/02/20 訪問)

 姫路城は天守閣などの建物のみならず、石垣、堀も魅力的な城址です。堀は中濠、外濠も全部ではありませんが、残っています。今回、すべては回り切れませんでした。機会があれば堀だけを見に来てもいいかなと考えていますが、ここまで来て天守閣などをスルーすることは困難かもしれません。

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特別公開に来たので主要なエリアも散策 (2025/02/20 訪問)

 冬の特別公開を観に来たのですが、もちろんそれだけで帰って来たわけではありません。いつものように本丸(備前丸)、二の丸、西の丸を見学した後、中の濠など周囲を散策しました。

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冬の特別公開 (2025/02/20 訪問)

 姫路城冬の特別公開へ行って来ました。本丸の東側、トの櫓、との一門および搦手周辺が公開されています。「ちの門」から「トの櫓」「との一門」「との二門」と歩いて長壁神社遺趾を左手に見て「との三門」趾を経由して「との四門」へ出てくるコースです。途中硝煙蔵があったとされる穴蔵を見ることができます。枡形虎口もあり思った以上に楽しめました。「ちの門」「トの櫓」「との一門」「との二門」「との四門」は重要文化財に指定されています。「との三門」は現存していません。明治時代に払い下げられたようです。

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朝田 辰兵衛

二子玉川駅からは登りです… (2025/01/13 訪問)

運悪く,二子玉川駅のコインロッカーは全て埋まっていました…。キャリーバッグを引きずりながら,キツイ坂を登りました。標柱を探すのに苦労するかな…という先入観を持っていたのですが,そんなに苦労はしませんでした。

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しんちゃん

積雪でも訪問者が多い。 (2025/02/16 訪問)

せっかく長岡まで来たのに「望月千代女」ゲットならず、気分がへこんだまま村上城にやって来ました。入口に「熊出没注意」の看板が。またオマエか・・なんか犯罪者みたいですね。雪が積もっているにも関わらず、多くの人が登りにやって来てます。地元のおばあさんもいますね。けっこう慣れた足取りで登っています。
登りきると石垣が見えてきます。この環境は石垣に厳しいようで、各所で修復が行われています。

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しんちゃん

玄宮園 (2025/02/09 訪問)

玄宮園に寄って来ました。せっかくここまで来たので、もうひと踏ん張りです。雪もやんで、少し晴れ間も見えてきました。凍結した池の表面がうっすらと光って水墨画の世界に居るようです。すりガラスのようにも見えますね。

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しんちゃん

ひこにゃん雪だるま (2025/02/09 訪問)

雪のおかげか人が少ない。ゆっくり彦根城を見ることが出来ます。帰りにだれかが作った「ひこにゃん雪だるま」がありました。けっこううまいな・・これだけ降ったら雪だるまも作れるよね。
雪のつもった鉢巻石垣と腰巻石垣もいいかんじ。せっかくここまで来たので帰りに玄宮園に寄って行きます。

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ぴーかる

今城 (2024/12/28 訪問)

【今城】
<駐車場他>今公民館に駐車できます。
<交通手段>車

<見所>曲輪・横堀・切岸
<感想>日帰り小里城攻め旅6城目。現地案内板によると今城の築城は天文年間(1532~1555年)にこの地の豪族である小池家継が築城したとされます。1562年に中濃を平定した織田信長は森可成を金山城主として東濃支配の旗頭としました。小池氏もこれに従い織田傘下
に入ります。本能寺の変で信長が討たれると東濃の武将たちと小池氏も反旗を翻しますが、森長可によって鎮圧されます。小池氏は今城の立ち退きを要求され帰農したといわれています。
 城跡は南北に伸びた丘陵地の先端に築造されて比高はあまりなく丘城といった感じです。主郭はあまり広くなく、西面以外は土塁で囲んでいます。南北に虎口を設けて空堀で仕切っています。主郭西側は下段の3郭との切岸が高く見応えがあります。こぢんまりとした城跡ですが大変よく整備されていて遺構の輪郭がはっきり分かるいい城跡でした。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

天秤櫓 (2025/02/09 訪問)

天守と太鼓門櫓を堪能した後は、先ほどスルーした天秤櫓へ。ここも是非訪問してほしいです。雪で足がぬれて靴の脱ぎ履きがシンドイ。またこの靴に足を通すと考えると気が滅入りますが、スリッパに履き替えて進みます。
鐘の丸から廊下橋がかかっている城門に天秤櫓は築かれています。慶長8年(1603)~11年(1606)にかけて築かれたとされ長浜城の大手門を移築されたとも考えられています。何度か修理が行われていて、嘉永7年(1784)の修復が最も大規模なもので、中央より西側は石垣の積み方も含めて大きく造り変えられています。この天秤櫓からは廊下橋を渡ってくる敵を狙い放題です。

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半布里コミッティ

にっぽん城まつり2025 に加治田城ブース出展します!

にっぽん城まつり2025 に加治田城ブース出展します!(1日・2日両日共)

今回の出展にあたり、新たな御城印を2種類ご用意いたしました!
全貌は会場にて。

また、富加町の文化財をデザインしたイラスト入りのポケットティッシュケースと
ティッシュボックスケースをコミッティメンバーで制作しました。
ひとつひとつ心を込めて作りましたので、お楽しみに!

当日はお城のスペシャリストによるお城話や武将隊による演武など
盛り沢山のイベントが予定されています。

開催日時 : 令和7年3月1日(土)・2日(日) 10:00~17:00

会場   : 名古屋市中小企業振興会館 吹上ホール

多くの方のご来場をお待ちしております。

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トク

⑦【護佐丸と沖縄6城】(4)勝連城(1/2) (2025/02/06 訪問)

4城目は、護佐丸の最大のライバル阿麻和利が居城とした「勝連城」です。

県庁北口から沖縄バス[52]慶名BT行に乗り130分(含遅着30分)、勝連城前で下車し、まず城を見上げました(写真①)。そして道路を渡らず左後ろにある「あまわりパーク」で入城券を購入し、城の歴史や発掘品や阿麻和利を解説するシアターをまず見ました。とても迫力があり、よくできているな~と感心。続100名城スタンプをその外のインフォメーションセンターで押し(写真②)、いざ道路を渡ると四の曲輪までカートに乗せてもらい、ここから登城開始です(写真④)。

勝連城は標高98mの台地に石灰岩の曲線的な石垣に囲まれ、階段状の5つの曲輪を構えた曲線がとても美しい城でした。また南北の海、東西の半島に囲まれた景色は抜群で、とても気持ちよかったです。

まず四の曲輪から階段を登ります(写真⑤)。四の曲輪にはわずかに外郭の石垣が残っていました(写真⑥)。階段を登った先には城門跡があり、ここからが内郭であったようです。城門跡から三の曲輪に入ります。三の曲輪はおそらく普段は儀式などに使われ、戦の時は兵士が集まり按司を守った場所ではないでしょうか? 

そこから二の曲輪に上がると居館跡の礎石がありました(写真⑧)。ここに阿麻和利の居館があったものと思われます。そしてここから三の曲輪を見下ろし、三の曲輪に整列した兵士に向かって訓示をしたり儀式を行ったりしていたのではないかと想像しました(写真⑦)。

ここで突然頭上からものすごい爆音が! 普天間基地へ向かう米軍のオスプレイでした。地元の人々にとっては、本当にいい迷惑ですね(写真⑩)。

次は(2/2)、一の曲輪へ続きます。
 

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todo94

初投稿、戴きました (2025/02/10 訪問)

高原城からの転戦です。「九州の名城を歩く」に載っていないし、どなたの投稿もなかったので、さほど、期待せずに登城しましたが、想定外に素晴らしい城でした。グーグルマップにも載っている井戸跡に縄張り図付きの説明板が建っています。そこから道に沿って進むと城郭入口の標柱があります。土橋辺りまでは普通に進めますが、その後の登城路はよくわかりません。三郭の標柱を発見しましたが、縄張り図の3は県道の向こう側の本城に位置しています。今回、本城には足を伸ばしませんでしたが、新城だけでもなかなか見どころが多い城でした。とりあえず、虎口の標柱を見つけ、その上の郭には足を踏み入れることができたので十分に満足しています。

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