この日は午前中から雨でして‥高速を併用して急いで関ヶ原に到着、菩提山城を攻略して古戦場記念館についたころには雨が降って来てました。せっかく関ヶ原祭りをやっているのに雨で武将たちの演武は中止(のはず)。なんとも間が悪い話です。
小島城に着いたころには、だいぶ雨も収まって来ていたので、一気に攻略にかかります。
駐車場から城址まではそれほど距離はなく、道らしきものを見つけて主郭を目指します。とにかく郭が多く、なかなか主郭にたどり着かない。主郭はそれほど広くは無く、背後に大堀切があり土橋がかかっています。どうも最高所は主郭というよりは防御施設で、下の方の建物が有った場所が主要な部分だという気がします。
案内板、確かにけっこう難解ですね。南朝方の城だった小島城を北朝方の土岐頼康が落とし、要害の城として改築したとあります。丈和2年(1353)後の二代将軍・足利義詮が京を追われた際には後光厳天皇を奉じて小島城に入り、二か月の間、付近に小島頓宮を設営したたとのこと。頼康は美濃伊勢三河・三国の守護となり、隆盛を極めましたが、嫡子無いまま滅し弟・頼雄の子康行が土岐氏を継承します。しかし土岐氏の勢力の拡大を危惧した三代将軍・足利義満の遣わした軍勢により二度にわたる攻撃を受け、城内の婦女子を自ら手にかけた後、落城したとされます。康行以下、十九の首級は京に送られ義満の御前で首実検に供せられたそうです。
足利家の恩人らの首を前に悦に入る,義満のドス黒い笑顔が目に浮かんでくるようですね(オイオイ)。
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