続100名城に選ばれています。織田信長の次男、織田信雄ゆかりのお城です。
石垣がいいなと思いました。敷地内に中学校が、ありました。
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2024/05/03 21:09
2024/01/27 16:17
城への交通手段実践レポート (2023/03/03 訪問)
※津城、松阪城と共に登城
7:49品川(新幹線)、9:22,9:41名古屋(近鉄)、10:49津新町
(徒歩11分)津城跡(続百名城スタンプ 高山神社社務所9:00-16:00)
12:27津新町(近鉄)、12:47松阪
(徒歩15分)松阪城(百名城スタンプ 松阪市歴史民俗史料館9:00-16:00月休)
※本居宣長記念館でもスタンプ押印可(9:00-16:30月休)
14:20松阪、14:43田丸
(徒歩6分)田丸城跡(邑山龍平記念館:玉城町教育委員会窓口(8:30-17:00,土日16:30)
17:25田丸(JR)、17:48,18:08松阪(近鉄)、19:20近鉄名古屋
泊:名古屋駅付近のホテル
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2024/01/14 08:43
伊勢支配の拠点 (2024/01/05 訪問)
田丸城は伊勢平野の南端に位置し、標高約50mの独立丘陵に築かれた城で、山頂部に本丸、本丸の南に二の丸、北側に北の丸を配し、横並びにした縄張りとなっています。また、丘陵の山裾に水堀が巡らされ、防備の薄い東側には中堀が設けられ二重の防備となっています。
また、要所に石垣を多用し、本丸、三の丸はほぼ総石垣で構成。二の丸・北の丸の東面にも石垣が配されています。本丸の西側にも高石垣が設けられており見所の一つです。また、土塁や大規模な堀切も随所に見ることが出来、土の城も楽しむことが出来ます。
田丸城は、1336年後醍醐天皇の吉野遷幸の時期に、北畠親房公が伊勢支配の拠点として築きましたが、1567年からの2年間、織田信長公の伊勢侵攻を受け伊勢北畠氏の一族が相次いで降伏、本家伊勢北畠氏にも信長公の次男、織田信雄公が伊勢北畠氏の養子として送り込まれ、織田信雄公が田丸城に在城することになり、在城した1575年から1583年の8年間で大規模な改修を行われています。
2024年1月5日、今年初めて訪問する城を田丸城としました。三度目の訪問でしたが、本丸西側の高石垣・外堀を見学していなかったので、見学するのが理由の一つです。
7時30分頃田丸城に到着し、玉城町役場に駐車。道路を挟み隣接され、100名城のスタンプが設置されている村山龍平記念館はスルーし、早速外堀を北に向け出発。蒸気機関車・三の丸御殿奥書院を画像に収めながら外周沿いを散策。田丸保育所の搦手口から入城。
高石垣も画像に収めながら遊歩道を北へ。そろそろ本丸に登ろうとしたときに、何やら本丸付近が騒がしい( ,,`・ω・´)ンンン?どうやら、玉城中学校の生徒さんと先生達が本丸の外周をランニングしている、約50人位居るでしょうか。生徒さん方がカメラのフレームに入り、撮影ができない😞「おいおい勘弁してくれ」と思いながら、暫し休憩"(-""-)" 生徒さんがすれ違う度に「おはようございます」とご挨拶😊
この寒いのに真っ赤な顔して一生懸命頑張ってる(#^.^#)。撮影が出来ないぐらいで、へそを曲げた自分が恥ずかしい。撮影抜きで散策。
正月早々、自分を律する良いものを見せて頂いたと感謝です。何事も一生懸命頑張る(#^.^#)
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城地種類 | 平山城 |
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築城年代 | 延元元年〔南朝〕/建武3年〔北朝〕(1336) |
築城者 | 北畠親房、北畠顕信 |
主要城主 | 北畠氏、織田氏、田丸直昌、久野氏 |
文化財史跡区分 | 県史跡(田丸城跡) |
天守の現況・形態 | 型式不明[3重/1575年築/焼失(火災)] |
主な関連施設 | 石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、天守台、石垣、横堀(空堀)、門、奥書院 |
住所 | 三重県度会郡玉城町田丸字城郭114-1他 |
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問い合わせ先 | 玉城町教育事務局 |
問い合わせ先電話番号 | 0596-58-8212 |