おばまじょう

小浜城

福井県小浜市

別名 : 雲浜城
旧国名 : 若狭

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三重三階天守の天守台
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ヒロケン

三橋架け替え工事 (2024/07/26 訪問)

小浜城は、北川・多田川・南川の河口に挟まれた三角州に築かれた水城です。現在、城域の殆どは河川の拡張工事や埋め立てられて宅地化しており、天守台と本丸を囲む石垣が残っている程度です。当時は、北川と南川に挟まれ両河川を外堀とし、東側は湿地、西側は若狭湾、内堀に囲まれた本丸を中心に二の丸、三の丸、西の丸、北の丸が四方に配置された城でした。

関ヶ原の合戦の後、小浜藩初代藩主である京極高次公によって後瀬山城から拠点が移され築城が開始されましたが、二代藩主忠高公は小浜城の完成を待たずして、出雲松江へ転封。代わりに11万3500石で川越から小浜に転封となった、酒井忠勝公が小浜城の築城を引き継ぎ1641年に完成させました。(酒井忠勝公は3代将軍徳川家光公を補佐する幕府大老)
現在の小浜城は本丸跡のみが残り、この酒井忠勝公を祀る小浜神社が鎮座しています。

この日、兵庫県→京都府→福井県の日本海側の城を訪問しており、10年振り二度目の訪問でしたが小浜城をナビで検索し、走行していたところ、ナビに回避できない通行止めが発生しているとの案内(; ・`д・´)調べると、小浜城に通じる大手橋・城内橋・西津橋の三橋架け替え工事で令和4年7月16日~5年の期間で行われているとの事"(-""-)"ただし、自転車と徒歩では通行可能との事で、小浜城手前にある若狭小浜お魚センターに駐車。小浜城まで1.2kmで15分程です。この日の気温36度、3分も歩けば汗が噴き出る暑さ"(-""-)"途中にある、日本百名水の”雲城水”で喉を潤しながらの歩きでした。迂回路南川上流の橋を渡り中州の堤防沿いを行けば車でも小浜城まで行くことが出来ます。

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イオ

住宅地の中の石垣 (2023/04/09 訪問)

関ケ原の戦いの功により若狭国を与えられた京極高次が後瀬山城に替わる居城として築いた城で、江戸前期に入封した酒井忠勝が三重三階の天守を擁する現在見られる姿に改修し、酒井氏14代の居城として明治を迎えました。廃城令の後、本丸跡には酒井忠勝を祀った小浜神社が創建され、現在に至っています。

北川、南川、江古川を堀代わりとし、西側は小浜湾に面した水城で、本丸の周囲に二の丸、三の丸、北の丸、西の丸を配した輪郭式城郭でしたが、河川拡張により城域は大幅に削られ、内堀も埋め立てられて住宅地になっています。それでも、登城時は南川に架かる大手橋が通行止めになっていたため東側に大回りせざるを得ず、今なお攻めるに難い城であることを実感させられました。

さて、小浜神社の駐車場(2台分)に車を駐めて登城開始。小浜神社の境内にはいくつかの説明板や案内板が設けられていますが、「ごあんない」と題した説明板の雲浜古城図は縄張図に現状が併記されていて参考になりました。その他、築城時に人柱となった娘を供養するために祀られた組屋地蔵尊、嘉門の井戸の前には城下から移設された八百比丘尼ゆかりの橋の石(古呂美石)、酒井忠勝に仕えた白狐伝説がある八助稲荷大明神、酒井氏邸宅を移築した酒井会館など、本丸跡に酒井忠勝を祀る神社だけあって、境内にはゆかりの史跡が数多く見られます。また、拝殿では小浜神社発行のパンフレット「小浜城と小浜城下町」が頒布されており(賽銭箱に100円を入れる)、小浜城や城下町、ゆかりの人物、小浜神社についてよくまとまっていて、おすすめです。

境内をひとめぐりすると、いよいよ天守台へ。住宅地に囲まれた城ということで、さほど期待はしていなかったんですが、天守台は思っていたより高さがあり、眺望も開けていました。天守台からは東と北に石垣が続き、麓には北側の小天守に登る石段もありますが、崩落または転落の恐れがあるからか、立入禁止になっていました(残念…)。

境内を出て、今度は外周を一周します。雲浜古城図によれば、境内南東隅の石垣は大手枡形、北東隅は搦手枡形の石垣のようです。搦手を守るのは翳櫓、北西隅には乾櫓、西辺には西櫓の石垣が続き、小天守から天守台へと繋がっています。本丸を囲む内堀は埋め立てられ、間近まで住宅が建ち並んでいますが、石垣直下に敷かれた防草シートの上を歩いて一周することができます。ただ、住宅のすぐ裏手なので、通行にも写真撮影にも非常に気を遣いますが…。周囲の石垣の高さもなかなかのものながら、直下から見上げる天守台の高さは一際で、ファインダーに収まりきらないほどでした。

住宅地の中に天守台と石垣が少しあるくらいかと思いきや、東辺を除いては本丸の石垣はしっかり遺っており、直下から見上げることもできて、大いに見応えがありました。若狭高校の移築門を見落としたこと、城下にも見どころがありそうなので、いつかまた訪れたいものです。
 

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カズサン

天守台、本丸石垣が素晴らしい (2006/05/06 訪問)

 天橋立、田辺城を終えて昼前でしたので舞鶴軍港跡に赤レンガ倉庫群が観光名所に成って居ましたので見学と昼食で寄り、昼食後国道27号線を通って16年前の平成18年5月上旬小浜城へ登城、小浜城・小浜神社東門前にある駐車場を利用。

 小浜城は本丸跡が周囲を石垣に囲まれて残って居り、初代藩主酒井忠勝も祀ってる小浜神社が鎮座して居ます。南西角に大天守台が残って居ますが、民家が直近まで迫って居り天守台撮影には困難を来たします、本丸周囲は濠で囲まれて居ましたが現在は埋めててられて居ます、西側は湿田の様で堀跡を窺う事も出来ます。
 天守台、小天守台、西側多聞櫓台、北東櫓台を撮影して終了としました。
 また以前より小浜城の天守閣復元計画が有りましたが今はどう成ってるのでしょうか、南西角の大天守、北と東に小天守の有る二重複合式天守構造の様子、貞享2年(1685年)の俯瞰した小浜城絵図が残っていて、二重複合天守閣、本丸の各櫓、濠、本丸を取り巻く西の丸、北の丸、二の丸、三の丸が描かれ櫓が多数も描かれて居り、往時の壮大な小浜城が垣間見られます。
 早く復元二重複合式三層天守閣が見て観たいものです。

 小浜城を終えて国道27号線を敦賀へ、当時まだ舞鶴若狭道は開通して無く、地道走行、途中美浜の道の駅休憩、五木ひろしの故郷なのか、五木ひろし記念館の様に成って居ました。暫し五木ひろしの名曲を聴いて居りました、敦賀ICからは高速で浜松まで一直線、天橋立、舞鶴赤レンガ倉庫、田辺城、小浜城の旅行、城廻りは終了。
 

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キンヤ

天守台の石垣が見事な城 (2022/04/30 訪問)

関ヶ原の戦いの戦功により京極高次が若狭国を所領し後瀬山城に入りましたが、1601年に小浜城の築城を始めたとされます。
その後、1634年に酒井忠勝が入って工事を引き継ぎ天守など完成したとされます。

現在は本丸の石垣のみが残されています。
すぐ近くまで民家が建っていて、外側からは写真を撮り辛いですが、天守台が立派です。
天守台の直ぐ下で撮影するしかありませんが、見上げると高い石垣が見事でした。

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城郭情報

分類・構造 海城
天守構造 層塔型複合連結式[3重3階/1635年築/破却]
築城主 京極高次
築城年 慶長6年(1601)
主な改修者 酒井忠勝
主な城主 京極氏、酒井氏
廃城年 明治3年(1870)
遺構 曲輪、石垣、天守台
指定文化財 県史跡(小浜城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 福井県小浜市城内1-7-55
問い合わせ先 小浜市教育委員会文化遺産活用課
問い合わせ先電話番号 0770-53-1111