関ケ原の戦いの功により若狭国を与えられた京極高次が後瀬山城に替わる居城として築いた城で、江戸前期に入封した酒井忠勝が三重三階の天守を擁する現在見られる姿に改修し、酒井氏14代の居城として明治を迎えました。廃城令の後、本丸跡には酒井忠勝を祀った小浜神社が創建され、現在に至っています。
北川、南川、江古川を堀代わりとし、西側は小浜湾に面した水城で、本丸の周囲に二の丸、三の丸、北の丸、西の丸を配した輪郭式城郭でしたが、河川拡張により城域は大幅に削られ、内堀も埋め立てられて住宅地になっています。それでも、登城時は南川に架かる大手橋が通行止めになっていたため東側に大回りせざるを得ず、今なお攻めるに難い城であることを実感させられました。
さて、小浜神社の駐車場(2台分)に車を駐めて登城開始。小浜神社の境内にはいくつかの説明板や案内板が設けられていますが、「ごあんない」と題した説明板の雲浜古城図は縄張図に現状が併記されていて参考になりました。その他、築城時に人柱となった娘を供養するために祀られた組屋地蔵尊、嘉門の井戸の前には城下から移設された八百比丘尼ゆかりの橋の石(古呂美石)、酒井忠勝に仕えた白狐伝説がある八助稲荷大明神、酒井氏邸宅を移築した酒井会館など、本丸跡に酒井忠勝を祀る神社だけあって、境内にはゆかりの史跡が数多く見られます。また、拝殿では小浜神社発行のパンフレット「小浜城と小浜城下町」が頒布されており(賽銭箱に100円を入れる)、小浜城や城下町、ゆかりの人物、小浜神社についてよくまとまっていて、おすすめです。
境内をひとめぐりすると、いよいよ天守台へ。住宅地に囲まれた城ということで、さほど期待はしていなかったんですが、天守台は思っていたより高さがあり、眺望も開けていました。天守台からは東と北に石垣が続き、麓には北側の小天守に登る石段もありますが、崩落または転落の恐れがあるからか、立入禁止になっていました(残念…)。
境内を出て、今度は外周を一周します。雲浜古城図によれば、境内南東隅の石垣は大手枡形、北東隅は搦手枡形の石垣のようです。搦手を守るのは翳櫓、北西隅には乾櫓、西辺には西櫓の石垣が続き、小天守から天守台へと繋がっています。本丸を囲む内堀は埋め立てられ、間近まで住宅が建ち並んでいますが、石垣直下に敷かれた防草シートの上を歩いて一周することができます。ただ、住宅のすぐ裏手なので、通行にも写真撮影にも非常に気を遣いますが…。周囲の石垣の高さもなかなかのものながら、直下から見上げる天守台の高さは一際で、ファインダーに収まりきらないほどでした。
住宅地の中に天守台と石垣が少しあるくらいかと思いきや、東辺を除いては本丸の石垣はしっかり遺っており、直下から見上げることもできて、大いに見応えがありました。若狭高校の移築門を見落としたこと、城下にも見どころがありそうなので、いつかまた訪れたいものです。
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