おばまじょう

小浜城

福井県小浜市

別名 : 雲浜城
旧国名 : 若狭

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城と生活が密接な関係にある
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しんちゃん

民家との距離が近い。 (2025/10/11 訪問)

小浜城の本丸の石垣は小浜神社として残されているのですが、周辺まで民家が迫っています。民家の中に城があるといった感じでしょうか、距離感が近いですね。
慶長6年(1601)に京極高次が城の建造に着手して以来、40年の歳月をかけ寛永19年(1641)酒井氏の時代に小浜城は完成しました。その後237年の間、酒井氏十四代の治世が続き明治時代を迎えました。明治4年(1871)12月に大阪鎮台分営設置の改修中に本丸櫓より出火し、建造物の大半を焼失して現在は石垣を残すのみになっています。

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しんちゃん

京極親子が築いて酒井忠勝が仕上げる。 (2025/10/11 訪問)

todo94さんお疲れ様です。城攻めは危険を伴うレジャーなので不慮の事故は起きてしまいますね。お大事になさってください。
富山はけっこう未登頂の城があるので、フルコンプには時間がかかるかもしれません。私は今休止中なので今未踏の城を攻めてるのはtodo94さんと朝田さんだけじゃないかなあ・・
小浜城は慶長6年(1601)に京極高次が着工し、子の忠高に至る33年の間に城の大半を造りますが寛永11年(1634)に酒井忠勝が城主となり三層の天守閣を築きました。忠高は親子で長年かけて築いた城を後にしたわけですが、この後に出雲・隠岐二か国に加増転封となり松江藩26万石を拝領しました。
小浜城の本丸は小浜神社の境内になっていて南西隅に天守台が残っています。かつては本丸の周囲は堀になっていましたが今は埋められて道路になっています。周囲の地形は改変されていますが、かつては海と河川を取り合わせた要害の地で、川を外堀として活用していたようです。本丸の周囲に郭を配した輪郭式の海岸城(案内板による)ですがそれほど城域は広くは無かったように見えますね。

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ヒロケン

三橋架け替え工事 (2024/07/26 訪問)

小浜城は、北川・多田川・南川の河口に挟まれた三角州に築かれた水城です。現在、城域の殆どは河川の拡張工事や埋め立てられて宅地化しており、天守台と本丸を囲む石垣が残っている程度です。当時は、北川と南川に挟まれ両河川を外堀とし、東側は湿地、西側は若狭湾、内堀に囲まれた本丸を中心に二の丸、三の丸、西の丸、北の丸が四方に配置された城でした。

関ヶ原の合戦の後、小浜藩初代藩主である京極高次公によって後瀬山城から拠点が移され築城が開始されましたが、二代藩主忠高公は小浜城の完成を待たずして、出雲松江へ転封。代わりに11万3500石で川越から小浜に転封となった、酒井忠勝公が小浜城の築城を引き継ぎ1641年に完成させました。(酒井忠勝公は3代将軍徳川家光公を補佐する幕府大老)
現在の小浜城は本丸跡のみが残り、この酒井忠勝公を祀る小浜神社が鎮座しています。

この日、兵庫県→京都府→福井県の日本海側の城を訪問しており、10年振り二度目の訪問でしたが小浜城をナビで検索し、走行していたところ、ナビに回避できない通行止めが発生しているとの案内(; ・`д・´)調べると、小浜城に通じる大手橋・城内橋・西津橋の三橋架け替え工事で令和4年7月16日~5年の期間で行われているとの事"(-""-)"ただし、自転車と徒歩では通行可能との事で、小浜城手前にある若狭小浜お魚センターに駐車。小浜城まで1.2kmで15分程です。この日の気温36度、3分も歩けば汗が噴き出る暑さ"(-""-)"途中にある、日本百名水の”雲城水”で喉を潤しながらの歩きでした。迂回路南川上流の橋を渡り中州の堤防沿いを行けば車でも小浜城まで行くことが出来ます。

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イオ

住宅地の中の石垣 (2023/04/09 訪問)

関ケ原の戦いの功により若狭国を与えられた京極高次が後瀬山城に替わる居城として築いた城で、江戸前期に入封した酒井忠勝が三重三階の天守を擁する現在見られる姿に改修し、酒井氏14代の居城として明治を迎えました。廃城令の後、本丸跡には酒井忠勝を祀った小浜神社が創建され、現在に至っています。

北川、南川、江古川を堀代わりとし、西側は小浜湾に面した水城で、本丸の周囲に二の丸、三の丸、北の丸、西の丸を配した輪郭式城郭でしたが、河川拡張により城域は大幅に削られ、内堀も埋め立てられて住宅地になっています。それでも、登城時は南川に架かる大手橋が通行止めになっていたため東側に大回りせざるを得ず、今なお攻めるに難い城であることを実感させられました。

さて、小浜神社の駐車場(2台分)に車を駐めて登城開始。小浜神社の境内にはいくつかの説明板や案内板が設けられていますが、「ごあんない」と題した説明板の雲浜古城図は縄張図に現状が併記されていて参考になりました。その他、築城時に人柱となった娘を供養するために祀られた組屋地蔵尊、嘉門の井戸の前には城下から移設された八百比丘尼ゆかりの橋の石(古呂美石)、酒井忠勝に仕えた白狐伝説がある八助稲荷大明神、酒井氏邸宅を移築した酒井会館など、本丸跡に酒井忠勝を祀る神社だけあって、境内にはゆかりの史跡が数多く見られます。また、拝殿では小浜神社発行のパンフレット「小浜城と小浜城下町」が頒布されており(賽銭箱に100円を入れる)、小浜城や城下町、ゆかりの人物、小浜神社についてよくまとまっていて、おすすめです。

境内をひとめぐりすると、いよいよ天守台へ。住宅地に囲まれた城ということで、さほど期待はしていなかったんですが、天守台は思っていたより高さがあり、眺望も開けていました。天守台からは東と北に石垣が続き、麓には北側の小天守に登る石段もありますが、崩落または転落の恐れがあるからか、立入禁止になっていました(残念…)。

境内を出て、今度は外周を一周します。雲浜古城図によれば、境内南東隅の石垣は大手枡形、北東隅は搦手枡形の石垣のようです。搦手を守るのは翳櫓、北西隅には乾櫓、西辺には西櫓の石垣が続き、小天守から天守台へと繋がっています。本丸を囲む内堀は埋め立てられ、間近まで住宅が建ち並んでいますが、石垣直下に敷かれた防草シートの上を歩いて一周することができます。ただ、住宅のすぐ裏手なので、通行にも写真撮影にも非常に気を遣いますが…。周囲の石垣の高さもなかなかのものながら、直下から見上げる天守台の高さは一際で、ファインダーに収まりきらないほどでした。

住宅地の中に天守台と石垣が少しあるくらいかと思いきや、東辺を除いては本丸の石垣はしっかり遺っており、直下から見上げることもできて、大いに見応えがありました。若狭高校の移築門を見落としたこと、城下にも見どころがありそうなので、いつかまた訪れたいものです。
 

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城郭情報

分類・構造 海城
天守構造 層塔型複合連結式[3重3階/1635年築/破却]
築城主 京極高次
築城年 慶長6年(1601)
主な改修者 酒井忠勝
主な城主 京極氏、酒井氏
廃城年 明治3年(1870)
遺構 曲輪、石垣、天守台
指定文化財 県史跡(小浜城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 福井県小浜市城内1-7-55
問い合わせ先 小浜市教育委員会文化遺産活用課
問い合わせ先電話番号 0770-53-1111