くるりじょう

久留里城

千葉県君津市

別名 : 雨城、霧降城、浦田城
旧国名 : 上総

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模擬天守と天守台
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模擬天守の脇に天守台 (2024/12/21 訪問)

 JR久留里線の一部(末端区間の久留里~上総亀山間)が近いうちに廃止になることが決定したというニュースを聞き、廃止される上総亀山駅までの乗車がてら、訪問してきました。(木更津~久留里間の鉄路は維持されるようです。)
 久留里駅から本丸(模擬天守)までは、徒歩35分ほどです。道中は一部、道幅が狭いので通行には注意してください。
 トンネルをくぐり、旧登城路に沿って火薬庫跡→堀切Ⅰ→堀切Ⅱ→久留里曲輪→二の丸(資料館)→天神曲輪→男井戸・女井戸→波多野曲輪→本丸跡(模擬天守)→新登城路→堀切Ⅰの順で見学。
 旧登城路側は標柱が各所に設置されているので、登る際は、こちらの方がおすすめです。(私は遭遇しませんでしたが、旧登城路側はヒルが出ることもあるみたいですので、対策を忘れずに!!)
 二の丸の資料館では、久留里城の歴史の展示が行われています。また縄張り図が配布されていましたので、ここで入手しました。
 天守の建物付近は令和5年の地震で、瓦の崩落があり、危険ということで立ち入り禁止になっていました。(天守外観と天守台、丹生廟遺迹の石碑は見学可能。本丸の先の怒田尾根・弥陀曲輪方面は立ち入りができないようになっていました。)また天神曲輪から続く林道側(東尾根)も崩落の危険性があるということで、こちらも立ち入り禁止になっていました。
 模擬天守には入れず残念でしたが、本丸は12月終盤でしたが紅葉しており、とても楽しめました。そして模擬天守の脇に江戸時代の天守台があるという、他ではあまり見られぬ状況になっているのが、現在の久留里城の本丸の面白い特徴だと感じました。
 帰路は二の丸から、新しい登城路の方を利用して下山しました。新登城路は、堀切Ⅰの見学におすすめです。舗装されていますが、V字の構造が色濃く残っている様子を見ることができました。

 結びに一日も早い久留里城の復旧を切に願っております。

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じゅんじん

新井白石 (2025/03/22 訪問)

小ぶりな模擬がよきです。

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しんちゃん

壁の中に堀切が・・。 (2025/02/08 訪問)

久留里城の模擬天守は浜松城を模しているとされています。確かに似ているかも、ちなみに江戸期の天守では無く、今の鉄筋コンクリート造りの天守閣の方です。実際の天守は二層二階だったようですが、やはり三階ぐらいは欲しかったようですね。
小振りですが外観は良いです(外観はね)。山頂まで車道が通じていますが、基本は身体が不自由な人用で、健常者は麓の駐車場から比高90mを登って来ます。尾根をくりぬいて無理やり車道を通しているので、コンクリの壁の中に堀切が覗いていたりします。かなりシュールですね。

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しんちゃん

里見北条古戦場 (2025/02/08 訪問)

久留里城は室町時代に上総武田氏の武田信長によって築かれたとされます。戦国時代は信長の子孫である真里谷氏の城でしたが、やがて里見氏の支配する城となり天文23年(1554)に北条綱成の攻撃を受けています。
薬師曲輪からの眺望は良く、三の丸跡や里見・北条古戦場跡を眺めることができます。この先の、二の丸跡は資料館になっていて新井白石の像が有りました。山肌はとにかく急峻で、竪堀なども複数存在します。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
天守構造 型式不明[2重2階?/1724年築/破却(廃城令)]、独立式望楼型[2重3階/1979年築/RC造模擬]
築城主 武田信長
築城年 康正2年(1456)
主な改修者 里見義堯、黒田直純
主な城主 真里谷武田氏、里見氏、後北条氏、大須賀氏、土屋氏、黒田氏
廃城年 明治5年(1872)
遺構 曲輪、土塁、堀切、土橋、井戸
再建造物 模擬天守、碑、説明板
住所 千葉県君津市久留里448
問い合わせ先 久留里城資料館
問い合わせ先電話番号 0439-27-3478