穴太駅から徒歩35分ちょっとで、分岐点付近(35.056781、135.8502343)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、織田信長に敵対した朝倉・浅井連合軍が立て籠もった城です。
1570年(元亀元年)朝倉義景と浅井長政の連合軍は本願寺と結んで志賀郡へ侵攻し、織田信長の家臣森可成が籠もる宇佐山城を攻め、坂本へ出陣してきた森可成を討ち取りました。
摂津にいた織田信長はこの知らせを聞いて京へ急ぎ戻ると、宇佐山城を落とせなかった連合軍は「はちが峯」、「あほ山」、「つぼ笠山」に布陣しました。
この「つぼ笠山」が壺笠山城のようです。織田信長と朝倉・浅井連合軍との対峙は膠着状態となり、4か月後に和議となりました。
その後、坂本を領した明智光秀により修復された可能性も指摘されていますが詳細は不明のようです。
墓地の中にある穴太野添古墳群の道をひたすら進み、分岐点付近(35.056781、135.8502343)では進入禁止の看板のある方向へ進みます。
少し歩くと右手に黄色いテープが見えたら、そこが登り口なのですが、 この黄色いテープ捜しました。(分岐点到着から15分後に発見。また時間のロスです)
黄色いテープのが登り口から道なりに進むと主郭に着くとのことで、反時計回りに登り始めました。
10分ちょっと登った所で、選択した道があっているか方向音痴の自分には自信がなく、迷子の恐れと日没で暗くなった為、途中で断念しました。
攻城時間は45分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
本日の宿泊先に戻る為、穴太駅から電車で、びわ湖浜大津駅に向かいました。
今日は散々な攻城日でした。
坂本城の石垣は見れず、JR湖西線の遅延、レンタサイクルは普通自転車で移動時間が計画オーバ、田中城での忘れ物、清水山城へのGPS設定ミス、壷笠山城で迷子になりかけた等。
明日はいい攻城ができますように!!
歩行歩数=35781歩、歩行距離=25.0Kmです。
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