日本100名城

つつじがさきやかた

躑躅ヶ崎館

山梨県甲府市

別名 : 武田氏館
旧国名 : 甲斐

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躑躅ヶ崎館
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トベシュン

甲府城・武田氏館・諏訪高島城三城巡り (2024/05/08 訪問)

甲府城・武田氏館・諏訪高島城三城巡りしました。

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トク

信玄公の面影が今も色濃く残る (2024/03/18 訪問)

甲府駅では、南口にはまず信玄公の銅像があります(写真①)。なかなかの迫力です。北口には父の信虎公の銅像もありました(写真②)。この信虎公の銅像前のバス乗り場から武田神社行のバスに乗り10分、終点で降りると武田神社(躑躅ヶ崎館)です(写真③⑨)。

神社内にある宝物殿では、信玄公の肖像画・武田二十四将図・甲州金・信玄公軍扇・孫子の旗(風林火山)などの実物が展示されていました。撮影禁止のためお伝え出来ないのが残念です。しかし、それらをじっと見ていると、だんだんと身震いがしてきます。そして思わずつぶやいてしまいました。「御旗盾無御照覧あれ!」

【余談】甲府名物「ほうとう」
駅前には甲府名物「ほうとう」と書いた店が多くあったので、どんなものか気になって食べてみました。ここの特徴は、よく煮込んだかぼちゃが多く入っていて、それがとてもおいしかったです(写真⑩)。なるほど・・・信玄公は、かぼちゃが好きだったのかな?🤔
 

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稲荷曲輪についてのそこそこ長い案内 (2024/02/11 訪問)

躑躅ヶ崎歴史案内隊のEです。
当隊は躑躅ヶ崎館跡こと史跡・武田氏館跡でボランティアガイドを行う有志甲冑集団です。

2月11日は初午いなりの日。
隊のツイッター(現:✗)でいなりの日だからと
沖縄のソウルフード・いなりずしを紹介しかけて思いとどまり
そういえば躑躅ヶ崎館にも稲荷曲輪ってあったよね、と紹介したのを再編して
躑躅ヶ崎館の鎮守の森・稲荷曲輪を案内します。

躑躅ヶ崎館は複数の曲輪によって構成され、
稲荷曲輪は主郭や西曲輪から空堀を隔てた北側にある
東西20m、南北15mほどの小さな曲輪です。

現在は(主郭や西曲輪のような)土塁ではなく、堀とおぼしきくぼみに囲まれ、
一部には石垣が積まれています。
長らく雑木林のように木々に囲まれてましたが、
昨年周辺を伐採して、曲輪としての姿をはっきり見せています。

甲府市教育委員会の発掘調査報告書をみると、
稲荷曲輪は躑躅ヶ崎館の鎮守として御崎社(=稲荷社)を祀ったと伝えられます。
現在もキツネの像が並ぶ小さな石祠があり、時折お供え物も見かけます。

報告書での表現が「御崎社(=稲荷社)」となっているのはどういうことかというと、
山梨県神社庁サイトなどネットの情報をひもとくと、
もともと武田氏では信虎公の時代、甲府に住まう前の石和の川田館に
館の守護として御崎神を祀っていたのを甲府に移したとのことです。

この御崎神はミサキ、すなわち神の先触れとなる精霊的な存在全般を言い表します。
稲荷神の使いである狐もミサキの一類であり、
民間信仰では稲荷神と狐とがしばしば同一視されることから、
いつしか御崎社と稲荷社が混同され、俗称として稲荷曲輪の名前で現代に残ったようです。

ただ、躑躅ヶ崎館に設けられた御崎社は、
甲府城築城に伴い甲府市美咲の御崎神社として遷座され現存しています。
ここからは推測になるのですが、遷座後も祠が残っているというのは、
地元の信仰の対象として、ちょっとした鎮守様のような役どころとして
祀られていたのではないかと考えます。

また、曲輪を囲む石垣は大手石塁などと同じ野面積みですが、
いつごろ積まれたか示す資料が見られず、はっきりしてません。
(実は、稲荷曲輪自体発掘調査された記録は見受けられません)
武田氏時代は土塁を築くのが主流なので、
少なくとも武田滅亡後に入った支配者によって改修されたか、
あるいは廃城後に地元住民が神域として補修したのかと
これも勝手に推測しています。

躑躅ヶ崎館跡の北側には、古図面によると稲荷曲輪のほかにも
御隠居曲輪、味噌曲輪、無名曲輪が設けられ、ひっくるめて北曲輪と称されますが、
これらの曲輪は現在はほとんど農地などに開発され、
稲荷曲輪が唯一曲輪としての面影をとどめています。
先述のとおり、昨年周辺の伐採によって曲輪の姿がみやすくなってますし、
隣接する味噌曲輪では現在発掘調査が進められてますし、
また、甲府盆地の北の山々、信玄公生誕の地として知られる要害山城を望むこともできます。
躑躅ヶ崎館を訪ねた際には、城郭の北側も散策してみてはいかがでしょうか。

長々と続いた案内文におつきあいくださりありがとうございます。
とアフィブログみたいな〆をしますが当方には1円も入ってこないシステムになっております。
と、ガイドのときの鉄板ギャグをして案内を終わります。

どうでもいいことを付け足したくなる性分なので付け足しますが、
「無名曲輪」の名前を思うたびに、「無名祭祀書」の語が脳裏をよぎってなりません。

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HARU

躑躅ヶ崎館 (2017/04/08 訪問)

「躑躅ヶ崎館」は「武田氏館」の別名、武田信玄の父信虎が築城し、信玄・勝頼の三代にわたる居館。信玄はここ本拠地に大きな城を持たず、現在は武田神社などが建っています。ちょうど「信玄公祭り」が開催され、サクラも見頃でした。

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概要

主郭・西曲輪を囲む広い水堀が圧巻。武田氏三代の居館ならではの見どころとして、西曲輪の南北に今も残る武田氏特有の桝形虎口は必見。大手東側には総堀と土塁で囲まれた曲輪が造られ、土塁と堀が復元されている。近隣の甲府城と見比べると、中世と近世の城郭の違いがよく分かる。

城郭情報

城地種類 連郭式平城
築城年代 永正16年(1519)
築城者 武田信虎
主要城主 武田氏、川尻氏、徳川氏、豊臣氏、加藤氏、浅野氏
文化財史跡区分 国史跡(武田氏館跡)
近年の主な復元・整備 徳川氏、羽柴秀勝、加藤光泰
天守の現況・形態 不明
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、横堀(水堀)、虎口
住所 山梨県甲府市古府中町2611
問い合わせ先 甲府市観光開発課
問い合わせ先電話番号 055-237-5702