日本100名城

つつじがさきやかた

躑躅ヶ崎館

山梨県甲府市

別名 : 武田氏館
旧国名 : 甲斐

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躑躅ヶ崎館
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歴史案内活動のご案内【11月2日(土)10:00~12:30】 (2025/11/02 訪問)

こんにちは。躑躅ヶ崎歴史案内隊のEこと上田絵馬之助です。

月の半ばまで猛暑だったのが
月末には朝の冷え込みさえ感じる2025年10月ですが、
来月11月の躑躅ヶ崎館での歴史案内活動を告知します。
※活動は武田神社様に許可をいただき行っていますが、
 当隊は神社とは無関係の有志ボランティアです。

日時:11月2日(日)10:00頃~12:30頃
   ※雨天等で中止の場合あり。その時は11月3日(祝)に順延します。
場所:武田神社(史跡武田氏館跡・山梨県甲府市)
ガイド:局長・大塚與左衛門/弥三郎景政

❖境内に眠る戦国の史跡を、個性豊かな甲冑ガイドがご案内。
❖時間、コースはご都合・興味にあわせて自由に設定可能。
❖宝物殿、ミュージアムの展示施設も案内可能。
❖ガイドは原則無料(展示施設の入館料等は別途負担ください)。
❖雨天延期の場合あり(Twitter(現✗:@KoufuSamurais)で告知します)。

ハロウィン過ぎたら七五三、
境内も親子連れでにぎわう11月です。
山梨でも日々寒さのつのるこの頃ですが
皆さんのご来訪も楽しみにしています。
(E)

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T-Shionoya

躑躅ヶ崎館訪問 (2006/10/09 訪問)

過去の城郭巡りの振り返り第28弾は、甲府城に続いて訪れた山梨県甲府市の躑躅ヶ崎館。

甲府盆地北側の三方を山に囲まれた相川扇状地、地形図を見ると個人的には甲府盆地の玉座ポジションと呼びたくなる地に築かれた城館。
扇状地の最奥には要害山城、右手には湯村山城、左手には一条小山の砦を配置し城砦網を形成。

1519年に武田信玄の父・信虎が石和から移転して以来、武田氏3代62年間の居館。
武田氏滅亡後も、徳川家臣の平岩親吉、豊臣家臣の加藤光泰により甲斐国の統治拠点として整備され、甲府城が完成するまで使用されたと考えられている。

1919年に主郭と西曲輪が武田神社となり、現在はその周辺エリアを含めて発掘調査や復元が進行中。
最初に訪れたのは2006年で、主郭の深い空堀や西曲輪北側の枡形虎口を見て、意外と"城"であることを感じたと記憶。
その後、大手門前が史跡公園化されたこともあり2021年に再訪問。大手門前だけでなく西曲輪南と北の枡形虎口もキレイに整備されており、主郭では改めて土塁の高さを実感。

元々が武田氏の城でありながら丸馬出が見られないのは残念だが、調査中の北側エリアが復元されれば、ますます城郭らしくなりそうな躑躅ヶ崎館です。

※写真は21年11月の撮影

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あさやん

4度目の訪問?だと思います (2020/06/26 訪問)

この日も早朝出発、山梨に朝一で到着。
新府→要害山→武田神社→山中→興国寺と回り、3つ目として訪問。
ここはおそらく4度目の登城かと。。。記憶が怪しい。
御城印をいただきました。
ついでに、新しく目の前にできた(以前来た時にはなかった)、歴史館にもいってきました。

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じゅんじん

753 (2024/11/09 訪問)

賑わっていました

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概要

主郭・西曲輪を囲む広い水堀が圧巻。武田氏三代の居館ならではの見どころとして、西曲輪の南北に今も残る武田氏特有の桝形虎口は必見。大手東側には総堀と土塁で囲まれた曲輪が造られ、土塁と堀が復元されている。近隣の甲府城と見比べると、中世と近世の城郭の違いがよく分かる。

城郭情報

城地種類 連郭式平城
築城年代 永正16年(1519)
築城者 武田信虎
主要城主 武田氏、川尻氏、徳川氏、豊臣氏、加藤氏、浅野氏
文化財史跡区分 国史跡(武田氏館跡)
近年の主な復元・整備 徳川氏、羽柴秀勝、加藤光泰
天守の現況・形態 不明
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、横堀(水堀)、虎口
住所 山梨県甲府市古府中町2611
問い合わせ先 甲府市観光開発課
問い合わせ先電話番号 055-237-5702