躑躅ヶ崎館(武田氏館)を訪問しました。甲府城から自動車で向かいましたが、途中の武田通り(県道31号)沿いの桜が満開で、本当に綺麗でした。この季節のお城訪問の大きな楽しみの一つですね。
本丸内は武田神社が鎮座しており、この日は参拝客で賑わっていました。この館跡は平城で散策するには最適です。遺構である水堀、土塁の遺構を見ることができます。
ところで、この館を築城した武田信虎公の像が、甲府駅北側の広場にありますので立ち寄ってみると良いですよ。
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2025/04/22 13:45
躑躅ヶ崎館(武田氏館)探訪 (2025/04/08 訪問)
躑躅ヶ崎館(武田氏館)を訪問しました。甲府城から自動車で向かいましたが、途中の武田通り(県道31号)沿いの桜が満開で、本当に綺麗でした。この季節のお城訪問の大きな楽しみの一つですね。
本丸内は武田神社が鎮座しており、この日は参拝客で賑わっていました。この館跡は平城で散策するには最適です。遺構である水堀、土塁の遺構を見ることができます。
ところで、この館を築城した武田信虎公の像が、甲府駅北側の広場にありますので立ち寄ってみると良いですよ。
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2025/04/10 20:20
2025/03/24 19:42
こちらこそ (2025/03/15 訪問)
あさん、こちらこそ宜しくお願いします。ペコリ。
武田神社のある郭が躑躅ヶ崎館の主郭にあたりますが、東側が大手となり、武田氏の時代には三日月堀と馬出があったようです。現在は豊臣氏の家臣によって築かれた大手石塁が復元整備されています(案内板による)。石塁も良いのですが、個人的には武田氏時代の三日月堀も見たかったかも。とはいえ、この石垣を築いたのは徳川氏の家臣かもしれません。
天正18年(1590)に徳川家臣・平岩親吉によって甲府城が築かれ主要部としての機能が移されました。
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2025/03/23 10:56
武田氏三代の栄枯盛衰 謎のハローキティ (2025/03/15 訪問)
武田氏館(躑躅ヶ崎館)は武田信玄の父・信虎が永正16年(1519)に石和から館を移したのが始まりとされています。その後、信玄。勝頼と三代に渡って使用されて来ました。主郭は一辺約200mで、現在は武田神社になっており、周囲に堀と土塁が残っています。今でこそ水堀だけど、昔はどうだったんだろう・・? 個人的には武田氏の城は空堀で有ってほしい(なんで?)。
いや、武田って土臭い、泥臭いのが良く似合うし(ポカッ)。そもそも水堀なんて女々しい堀は武田には似合わない(怒られるぞ~)。
今の時代、いろいろ怒られそうなことを書きましたが、私は武田の漢らしい空堀は好きです。石垣はやっぱり野面積・・。
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主郭・西曲輪を囲む広い水堀が圧巻。武田氏三代の居館ならではの見どころとして、西曲輪の南北に今も残る武田氏特有の桝形虎口は必見。大手東側には総堀と土塁で囲まれた曲輪が造られ、土塁と堀が復元されている。近隣の甲府城と見比べると、中世と近世の城郭の違いがよく分かる。
城地種類 | 連郭式平城 |
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築城年代 | 永正16年(1519) |
築城者 | 武田信虎 |
主要城主 | 武田氏、川尻氏、徳川氏、豊臣氏、加藤氏、浅野氏 |
文化財史跡区分 | 国史跡(武田氏館跡) |
近年の主な復元・整備 | 徳川氏、羽柴秀勝、加藤光泰 |
天守の現況・形態 | 不明 |
主な関連施設 | 石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、横堀(水堀)、虎口 |
住所 | 山梨県甲府市古府中町2611 |
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問い合わせ先 | 甲府市観光開発課 |
問い合わせ先電話番号 | 055-237-5702 |