日本100名城

つつじがさきやかた

躑躅ヶ崎館

山梨県甲府市

別名 : 武田氏館
旧国名 : 甲斐

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躑躅ヶ崎館
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しんちゃん

こちらこそ (2025/03/15 訪問)

あさん、こちらこそ宜しくお願いします。ペコリ。
武田神社のある郭が躑躅ヶ崎館の主郭にあたりますが、東側が大手となり、武田氏の時代には三日月堀と馬出があったようです。現在は豊臣氏の家臣によって築かれた大手石塁が復元整備されています(案内板による)。石塁も良いのですが、個人的には武田氏時代の三日月堀も見たかったかも。とはいえ、この石垣を築いたのは徳川氏の家臣かもしれません。
天正18年(1590)に徳川家臣・平岩親吉によって甲府城が築かれ主要部としての機能が移されました。

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しんちゃん

武田氏三代の栄枯盛衰 謎のハローキティ (2025/03/15 訪問)

武田氏館(躑躅ヶ崎館)は武田信玄の父・信虎が永正16年(1519)に石和から館を移したのが始まりとされています。その後、信玄。勝頼と三代に渡って使用されて来ました。主郭は一辺約200mで、現在は武田神社になっており、周囲に堀と土塁が残っています。今でこそ水堀だけど、昔はどうだったんだろう・・? 個人的には武田氏の城は空堀で有ってほしい(なんで?)。
いや、武田って土臭い、泥臭いのが良く似合うし(ポカッ)。そもそも水堀なんて女々しい堀は武田には似合わない(怒られるぞ~)。
今の時代、いろいろ怒られそうなことを書きましたが、私は武田の漢らしい空堀は好きです。石垣はやっぱり野面積・・。

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天守無しがアツい

信玄ミュージアム (2025/01/12 訪問)

(HP)https://www.city.kofu.yamanashi.jp/rekishi_bunkazai/kofu-takedashirekishikan.html#hotta

武田神社の向かいに信玄ミュージアムという施設があります。入館は無料…入口には信玄が着用したと伝わる兜と鎧(1枚目)が置いてあり、兜を被って鎧の後ろに回り記念撮影ができました。この白い毛が生えた兜…オリジナリティを感じたのでそれを被ってみました🪖

すると館員がそれに気づいて「お写真撮りましょうか?」と言ってくれたので、お言葉に甘えて2枚撮ってもらいました(1枚目はマスクをつけたまま…2枚目は表情が分かるようにそれを外して歯を食いしばり口を横に開きながら😬)

武田神社では躑躅ヶ崎館の御城印が扱われていましたが、ここでは武田氏館跡(2枚目右)と信玄ミュージアム(2枚目左)のが販売されてました

躑躅ヶ崎館=武田氏館と言えるので、信玄ミュージアムは一応別の建物だから…(躑躅ヶ崎館のは昨年(2024年1月に)購入済なので)片方だけの購入でもいい気はしましたが…「これが5種類ならともかく、2種類しかないから1枚も2枚も大して出費は変わらん」…というのもあり、結局両方買いました

この施設には常設展示室と特別展示室(有料)…そして旧堀田古城園という古民家と庭がありました。常設展示室では武田氏三代(信虎・信玄・勝頼)にまつわる展示が…

奥の方に関連書籍がたくさん並べられてるコーナーあり…マンガを1冊読みました。それによると…信虎の政策は戰のために民に重税を課すのは当然…領主は民から搾り取り威圧的になる事で示しがつくというもの

けれど息子の信玄は…「人は城 人は石垣 人は堀 なのであり、圧政で支配するなんて間違っている」「人の和こそ最大の武器であり、民の生活の安定こそ第一に考えるべきである」というポリシーで父と対立

そして親父信虎を家臣と共謀して「駿河国に隠居していただきます」と告げて追放。この時信虎の命に従うものはおらず、周囲の者にあっさり取り押さえられる形で籠に乗せられたようなので…どうやらゼロと言っていいくらい…周りからの支持を得てなかったものと思われます

それから由布姫というカフェで…謙信ラーメンというメニューを摂りました。謙信の名が付いてはいても中身は…メンマとナルトとチャーシューとノリの入った醤油ラーメンです🍥🍜🐖

腹ごしらえを済ませた後はフォトブース陣屋にて甲冑の撮影をまたしちゃいました(3枚目)。ここのはお触り禁止であくまで撮影のみ…けれど甲冑の後ろに並ぶ武田軍の旗が格好良さを引き立たせており…(1枚目の甲冑とは)また違った魅力を感じた気がします

旧堀田古城園の建物は基本…外からの見学のみで、どうしても中に入りたいという場合には受付で許可を得てからと説明に書かれてました。けどそこまでしなくていいかなと思えたので、ここは外からの見学だけにしておきました

レコードに黒電話、レトロテレビなど昭和チックな部屋(4枚目)と屋敷全体(5枚目)を撮影してから特別展示室に向かいました。そこの館内は全て撮影禁止だったため、代わりに旧堀田古城園の画像を載せてる…とも言えますね

館内には武田氏の歴史を記録した甲陽軍鑑…武田氏館から出土した品々(銅銭、瓦、天目茶碗など)が展示。奥にある映像展示では…肖像画とアニメーションの融合とでも呼ぶべき映像が流れました

信玄の肖像画は幾つかありますが、そのどれもがかなり顔の印象が異なるもの…なのでどれが実際の信玄に近いのかははっきりとは分かっておらず、謎に包まれているそう

なので「これ最も近いかも」と伝わる肖像画を元に信玄の顔がアニメ化され…彼の生涯が紹介されていました(赤ん坊として生まれた→幼少期→初陣で勇ましく活躍→父を追放→三方ヶ原で家康に大勝する…)

そもそも…その肖像画も…信玄の死後、後世に描かれたものだって結構あるんじゃないかと思うんですよね。例えば信玄と家臣24人を描いたものがあるのですが…それは江戸期に信玄ブームというか人気に火がついたあたりに描かれたもの…本人の死後100-200年経ってからなので、本人および家臣の顔は作者の想像で描かれたのは言うまでもない😅

当時は肖像画しか人の顔を記録するものは無く、しかもそれだって本人の死後に描かれることは珍しくなかった…墓はあるようですが、そこに遺骨は果たしてあるのか?そう考えると…もはや本人は本当はどんな顔してたかなんて分かりようがない🤔

「信玄の死因」についての紹介文もあり…結核説…肺がん説…暗殺説…がありました。有力視されてるのは結核説。ちなみに修羅の刻(日本の歴史上人物が出てくる川原正敏先生のマンガ)では暗殺説…不破虎彦という若者に首の骨をへし折られてあの世逝き…👼

まぁ…当時は今より医学なんてかなり遅れていたと思われるし、そもそも結核(当時の呼び名は労咳)だったとしてもそれを診断できたのか?ガンならなおさら怪しい…診断できたとしても、特効薬も無いため気休めの漢方薬くらいしか出せるものがない…様子が目に浮かぶ

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まさお

甲府市 武田神社 (2025/01/04 訪問)

初詣客で大渋滞。大混雑でした。

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概要

主郭・西曲輪を囲む広い水堀が圧巻。武田氏三代の居館ならではの見どころとして、西曲輪の南北に今も残る武田氏特有の桝形虎口は必見。大手東側には総堀と土塁で囲まれた曲輪が造られ、土塁と堀が復元されている。近隣の甲府城と見比べると、中世と近世の城郭の違いがよく分かる。

城郭情報

城地種類 連郭式平城
築城年代 永正16年(1519)
築城者 武田信虎
主要城主 武田氏、川尻氏、徳川氏、豊臣氏、加藤氏、浅野氏
文化財史跡区分 国史跡(武田氏館跡)
近年の主な復元・整備 徳川氏、羽柴秀勝、加藤光泰
天守の現況・形態 不明
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、横堀(水堀)、虎口
住所 山梨県甲府市古府中町2611
問い合わせ先 甲府市観光開発課
問い合わせ先電話番号 055-237-5702