のうけんじょう

能見城

山梨県韮崎市


旧国名 : 甲斐

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穴山駅頭から能見城を見上げる
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カズサン

穴山駅頭より能見城壁字が眼前に! (2023/05/04 訪問)

 日帰り甲州路城探訪の3城目新府城を終えて七里岩ラインを約1km程北上すると4城目の能見城に着きます。
 車は城びと会員の皆さんの情報で穴山駅の上り線側に穴山さくら公園が在り専用無料駐車場(35°45'01"N 138°24'54"E H=530m)を利用しました。

 穴山駅東駅頭には「中世の豪族穴山氏紹介」案内板、「穴山氏史蹟略図」「穴山町周辺の観光マップ」などの案内板が設置されています。
 穴山駅から徒歩で少し七里岩ラインを南側に戻り山側に舗装路を登ると逆方向に登る砂利道が有り登って行くと道なりに頂上に着きます、砂利道は轍が付き中央は草がぼうぼう、登る途中に曲輪が樹林間、竹林間に覗き見れます、本丸頂上には給水関連施設と「能見城址」看板、守屋一族の碑と祠、少し下がった南側に草に覆われた長靖寺が見えます、入口は草が茂り最近人の出入りは無い模様。
 頂上本丸跡北側下には樹林に覆われていますが曲輪の様な平地確認、後は下城しましたが遺構は良く分かりません、帰って投稿するときにグーグルマップを再見し、北側に能見城防塁跡、西側山麓に能見長塁西枡形虎口跡の史跡マークが有り、新府城の七里岩防衛ライン上に在る能見城の出城の位置付けが裏付けられるようです?

 穴山と言うと穴山梅雪を思い出しますが?近くに穴山氏居館跡が在りますが寄っていません。

 次は5城目先達城、甲州ではありませんが信州との国境の城、近いので寄ってみます。
 

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ぴーかる

能見城 (2023/01/08 訪問)

【能見城】
<駐車場他>穴山さくら公園駐車場に駐車しました。
<交通手段>車

<感想>新春1泊2日甲府盆地の旅ラスト6城目。能見城は1581年に新府城の支城として築城されました。城というよりは新府城の一部として七里岩台地の北端の防塁といった目的で築造されたようです。武田氏滅亡後、本能寺の変を経て天正壬午の乱の時に新府城に徳川軍が陣を置いているのでこの能見城も手を加えていると考えられえます。
 西側の登城口からはスロープ状の道路を登って行くと簡単に頂上に着きます。北側の斜面は段状の曲輪になっており東側最奥にいくと木々の隙間から秩父山地の絶景が望めます。北の段の下の方は曲輪壁がコンクリート壁になっているので現代の手が加えられています。山頂の長靖寺の南下段は少し切岸や堀になっていますが、その下の段からもコンクリート壁になっています。城跡の東側はスロープ状になってはいますが改変時の重機の通り道であったかもしれません。ちょっと遺構は不明瞭でしたが段状曲輪の遺構をそのままの状態で曲輪壁だけコンクリートにしたならば構造はなんとなく分かりました。北麓が穴山氏の本拠地になっていました。
 これにて終了。32年ぶりの山梨県、城と食を楽しみ思い出残る旅になりました。また今回は雨にも遭遇せず良かった。915㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇

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じゅんじん

新府城の出城? (2022/04/06 訪問)

新府城とセットでどうぞ。主郭にお寺があります。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:能見城 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の4城目は能見城です。
新府城から転戦。穴山さくら公園駐車場(35.750262、138.414743)に駐車しようと思いましたが、登城口付近(35.750080、138.416795)まで車を進めて路駐、ここから山に入りました。

能見城の築城には諸説あるようです。
①1581年(天正9年)に武田勝頼が新府城を築いた際に支城(または惣構の防塁)として整備された
②武田一門の穴山氏が穴山氏館の詰城として築いたと
③1582年(天正10年)武田氏滅亡後に勃発した「天正壬午の乱」で新府に陣を張った徳川家康が、若神子城に対峙する北条氏直に備えて構築した

現在城址には土塁跡や空堀跡と思われる遺構を確認できます。
山頂には配水場があり、その脇に能見城址の看板と「守屋一族発祥の地」と書かれた石碑が建てられています。

かなり頑張って車で主郭まで行きましたが、個人的にはやめた方がいいと思います。麓から登っても10分以内に主郭に着きますし、傾斜も大したことはないです。
頂上の建物を囲むものが土塁跡かと推測しますが、草ぼうぼうで見学できません。
攻城時間は10分くらいでした。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 武田氏?、徳川氏?
築城年 天正9年(1581)
主な改修者 徳川家康
主な城主 武田氏、徳川氏
遺構 土塁
再建造物
住所 山梨県韮崎市穴山町夏目