レンタサイクル 丸仁商店(日高観光案内所 JR御坊駅前)で自転車を借りました。
電動はなく、しかもミニサイクルです。これが悲運の始まりです。
自転車で5分くらい走って、丸山中央集会所(33.909278、135.151014)に着き、石碑と説明板を確認しました。
そこから、経由点(33.909879、135.151727)を経て、三明寺付近(33.909554、135.152231)に着き、避難路を登り南側虎口に着きました。
亀山城は、湯河氏3代当主・弥太郎光春により築かれたとされ、築城時期は1348年(正平3年/貞和4年)頃とも1439年(永享11年)頃とも云われ定かではないようです。
その後代々湯川氏の居城でしたが、11代湯川直光は1549年(天文18年)頃に小松原館を築きました。
これは単なる居館ではなく平城であったと云われ、移した理由については「亀山城は寒風の季節は住みにくい」というものだったそうです。
1585年(天正13年)羽柴秀吉による紀州攻めへの抵抗を決めた湯河氏当主の直春は、羽柴軍が亀山城に迫ると自ら城を焼き払って退去し後に和睦しました。
しかし、1586年(天正14年)湯川直春は羽柴秀長の居城である大和郡山城で没しました。一説に謀殺されたとも伝えられています。
丸山集会所に案内板や復元図が設置されていて、そこから主郭まで整備されています。
水平線まで見える眺望も良く、大規模な土塁も残っています。
攻城時間は50分くらいでした。次の攻城先=小坊子城へ自転車で向かいました。
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