みかんと梅(本城)
(2022/02/26 訪問)
南北朝期に湯川光春が築いた城で、室町幕府奉公衆を務めた湯川氏の本城として200年にわたりこの地を治めました。羽柴秀吉の紀州攻めでは、湯川直春は亀山城を焼き払い退去して熊野山間部で抵抗を続け、和睦により本領安堵されるも、翌年に急死(謀殺?)しています。
日高平野の中央に位置する亀山の山頂を中心に曲輪群を配した本城と東尾根の出城で構成される山城で、南麓の小松原館の詰城として機能したと考えられます。
西麓の丸山中央集会所に車を駐めて登城開始。集会所には「亀山城址護持顕彰会」の看板が掲げられ、亀山城の説明板や石碑が建てられています。亀山は津波の避難場所に指定されているため山頂まで舗装道が整備されており、あちこちに設けられた案内表示に従ってみかん山を登ること15分で「本城」と呼ばれる山頂の主郭部に到着。
南北二段からなる主郭は周囲を分厚い土塁で囲み、土塁の南東隅、南西隅は櫓台状になっていて、南西隅からは日高平野を一望することができます。主郭下段の南部と西部には平入りの虎口が開口し、大手口にあたる南部の虎口には鏡石状に巨石が置かれています。坂虎口状のスロープから主郭上段へ。主郭上段には城址碑と亀山城主湯川氏供養塔が建てられています。北辺の土塁に上ってみると北下に腰曲輪が広がっており、切岸は急峻でなかなかの高さがあります。北下だけでなく主郭の南西下や南東下にも整備された腰曲輪があり、さらに主郭部の周囲を帯曲輪が幾重にも囲んでいたようですが、現在では段々のみかん畑になっていて往時の面影は窺えません。
続いて、南東隅の櫓台から南東に派生する小曲輪群へ。主郭部と違ってこちらはほぼ未整備で、雑木林の中に階段状の曲輪群が見られるくらいです。さて、小曲輪群を抜けると東尾根の出城に向かいます(続く)。
+ 続きを読む