かめやまじょう

亀山城

和歌山県御坊市

別名 : 丸山城、湯川城、湯河城
旧国名 : 紀伊

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

しんちゃん

羽柴軍に抵抗するものの (2025/03/30 訪問)

亀山城は戦国時代、有田・日高・牟婁郡主要部を支配した湯川一族の本城であったと現地の石碑に記載があります。頂部に土塁を備えた主郭が有り1mほどの高低差をもって二段になっていました。
周囲に多数の腰郭や帯郭があるようですが、草に覆われていて良く見えません。城址は亀山山頂にあり、一応林道が付いていますが、車を空きスペースに停め、歩いて登ります。
天正13年(1585)の羽柴秀吉の紀州攻めの際、城主・湯川直春は秀吉に対し抗戦の意志を示すものの、娘婿の玉置直和は秀吉に恭順し、直春は200余騎にて直和の居城である手取城を焼き払いました。
その後、羽柴方の大軍に攻められ、直春は城に火をかけ退去し、その後も羽柴方と争いを続けました。最終的には両者は和解するものの直春は大和郡山城で死去し、一説には毒殺されたという説があるようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小松原館 (2025/02/11 訪問)

 城びと先人が亀山城について詳しくレポートしておられるので、城主の湯川氏の居館について。
 亀山城を詰めの城として、亀山城南側、山麓から少し離れた平地に湯川氏の小松原館がありました。室町時代には幕府の奉公衆として位置づけられた、有力者でした。小松原館は、200m四方の大きさを誇ったと。現在は、紀央館高校と湯川中学校の敷地になっています。
 小松原館は、熊野街道沿いの宿として発達した小松原の北に隣接して築かれたと。そして、街道に関所を設けて熊野詣に訪れる人々から、関銭を取ったとのこと。
 湯川中学校南側側に湯川子安神社があり、小松原館の庭のなごりである、土盛と池が残っています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

室町幕府奉公衆であった湯河氏の城 (2023/11/05 訪問)

麓の小松原居館とともに室町幕府奉公衆であり畠山氏被官でもあった湯河氏の本拠だったお城。御坊市湯川町を苗字の地とする湯河氏の家紋は武田菱で、調べてみたら甲斐武田氏の誰かが紀州に渡って湯河氏の祖になったとか。へー。

+ 続きを読む

イオ

みかんと梅(出城) (2022/02/26 訪問)

(続き)

南東の小曲輪群を抜けて山道を下って行くと、登城道から分岐した舗装道に至ります。案内表示に従って鳳生寺の方向に進むと5分ほど歩いたところで右手に梅園が広がり、その奥の竹藪が出城です。梅園の南縁を奥に進み、丸木橋を渡って出城へ。出城は主郭の周囲に腰曲輪、帯曲輪を配し、北辺に横堀をめぐらせ、東端は三重堀切により東尾根を遮断しています……が、竹藪と雑木林と化していて探索しづらい状況です。

梅園ではちょうど時季的に梅が綺麗に咲いていましたが、本城はみかん山、出城は梅園の奥というのは、有田みかんと南高梅の両産地の間に位置する日高地方らしいなぁ、などと春の訪れを感じつつの亀山城登城でした。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 山城
築城主 湯川光春
築城年 室町時代前期
主な城主 湯川氏
遺構 曲輪、土塁
指定文化財 市史跡
再建造物 石碑、説明板
住所 和歌山県御坊市湯川町丸山
問い合わせ先 御坊市教育委員会生涯学習課
問い合わせ先電話番号 0738-23-5525