おおつじょう

大津城

滋賀県大津市

別名 : 雲浜城
旧国名 : 近江

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

京極高次 (2021/07/17 訪問)

 関ケ原の戦いのときに京極高次が籠り奮闘した城です。
京阪電車「びわ湖浜大津駅」の道を挟んだ向かい側に石碑があります。外堀の石垣など忘れていて見ていません。

+ 続きを読む

イオ

意外に痕跡あり (2020/10/24 訪問)

坂本城に代わる琵琶湖水運の拠点として、豊臣秀吉の命により浅野長吉(長政)が築いた城で、関ケ原の戦いに際しては、東軍についた城主・京極高次が大津城に籠城して立花宗茂ら西軍精鋭の足止めを果たし、東軍の勝利に貢献しました。その後、大津は水運の拠点であって防衛には不向きなことから、徳川家康により城としての機能を膳所城に移して廃城となりましたが、建物の部材は膳所城に、天守は「落ちなかった城」の縁起を担いで彦根城に移築されました。

市街化によって遺構はほぼ消滅しており、本丸跡に石碑があるくらい……かと思いきや、石碑や説明板に併設された「大津城縄張推定復元図」を参照しながら城域をぶらぶら歩いてみると、意外にいろいろと痕跡を見つけることができました。
石碑から南南東に徒歩6分の朝日生命大津ビルの南東角(三の丸東側外堀)には模擬石垣や石碑、説明板が、模擬石垣から西に徒歩3分行くと中堀跡を埋め立てて開かれた旧中堀町の標柱が、旧中堀町から南に徒歩2分の大津祭曳山展示館の裏手には外堀跡のものとされる石垣が、大津祭曳山展示館から北西に徒歩10分行くと外堀の名残の百々川が、百々川から東に徒歩4分の川口公園は川口堀と呼ばれた中堀跡を埋め立てた公園で、公園北側の県道沿いに説明板があります。

ところで、この日は明智光秀ゆかりの史跡をめぐるのが主な目的でしたが、大津城から東南東に徒歩15分の琵琶湖文化館前には「明智左馬之助湖水渡ところ」の石碑があります。山崎の戦いでの明智光秀の敗報を受けて安土城から坂本城に向かった明智左馬之助(秀満)でしたが、堀秀政に行く手を阻まれたため、打出浜から馬に乗ったまま琵琶湖を渡って坂本城に入ったとする伝説に基づくもので、唐崎神社の霊松(打出浜から北に約4.4km)を目標にしたとも、柳が崎(打出浜から北北西に約2.4km)に上陸して松に馬を繋ぎとめたとも言われています。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

関西遠征 (2019/09/02 訪問)

浜大津市営駐車場(35.011315、135.864671)に駐車して攻城。
今回の関西遠征(1泊2日)最後の攻城です。京都駅からの新幹線の時間を気にしながらの攻城でした。遺構はほとんどにとの事前情報だったので、駅の歩道橋下の大津城跡碑と遠景からの大津港の写真を撮り、京都駅前(レンタカー返却)が渋滞していないことを祈りながら早めの撤退でした。駐車場入口を迷ってしまった為、攻城時間は15分くらいかかりました。

+ 続きを読む

まーやん

蛍大名とは失礼な‼️ (2020/09/20 訪問)

出張!お城エキスポ滋賀・びわ湖一日目。コロナで参戦を自粛していたのに一気の解放感でGO TOしましたが、渋滞にはまり中井均先生の講演が聞けず次の講演までお城巡りに(笑)
大津城は、京阪電鉄浜大津駅の道向かいに石碑があるのみで遺構はない。城域は今や駅や軌道や国道や駐車場となって全く思いを馳せられないが、歩道橋からびわ湖の眺望がよく、水陸交通の要衝であることは想像できる。
京極高次は、戦国最強と謳われるあの立花宗茂ら西軍の15000の兵を相手に籠城し関ヶ原に参陣させなかった功績は大きく、後世に語り継がれている。弟を徳川に遣わすなどしたたかで、蛍大名のあだ名とはほど遠い。
この戦いで砲撃を受けた教訓で、その後城は膳所に移される。
大津城の遺構はないが、城の用材は膳所や彦根に流用され生き返った。
それにしても風光明媚な所✨
復刻した京阪電鉄びわ湖号も見ることができラッキーだった。
余談だが、城びと情報により城域の南東角あたりの朝日生命保険ビルに発掘された石垣が再現されているとのことで写真を撮った。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 水城
天守構造 望楼型[4重5階/1586年頃/解体]
築城主 浅野長政
築城年 天正14年(1586)
主な城主 浅野氏、増田氏、新庄氏、京極氏
廃城年 慶長6年(1601)
遺構 石垣
再建造物 石碑
住所 滋賀県大津市浜大津
問い合わせ先 大津市歴史博物館
問い合わせ先電話番号 077-521-2100