JR利用ですと広島駅と新白島駅利用になりますが、後者の方が徒歩で15分程度、駅を出てからまっすぐ南に進んで行くだけなので迷うこともなくおすすめです。天守閣からは原爆ドーム、宮島を眺めることができます。北側の石垣には刻印の有る石垣、福島正則公が壊したとされる石垣を見ることができます。西側石垣にも刻印の有る石垣があります。堀に突き出したようなニノ丸は、馬出しの機能を持っており堀に写る櫓群の水鏡は美しかったです。
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2023/01/05 05:58
安芸の名城を訪ねて② (2023/01/04 訪問)
JR利用ですと広島駅と新白島駅利用になりますが、後者の方が徒歩で15分程度、駅を出てからまっすぐ南に進んで行くだけなので迷うこともなくおすすめです。天守閣からは原爆ドーム、宮島を眺めることができます。北側の石垣には刻印の有る石垣、福島正則公が壊したとされる石垣を見ることができます。西側石垣にも刻印の有る石垣があります。堀に突き出したようなニノ丸は、馬出しの機能を持っており堀に写る櫓群の水鏡は美しかったです。
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2022/11/20 17:40
二の丸にハマった広島城訪問 (2005/11/27 訪問)
過去のお城巡りの振り返り第22弾は、広島県広島市の広島城。
広島湾に流れ出る太田川を水堀とした、その河口部の三角州に築かれた近代城郭。
築城時は現在と違い海が近く、厳島神社や瀬戸内航路に繋がる地。
陸路は京都と福岡を結ぶ山陽道が通り、北へは出雲や石見銀山に通じるエリア。
1589年に毛利輝元が築城を開始し、吉田郡山城から本拠を移転。
関ヶ原の後は福島正則が引き継ぎ、一説ではこの時の拡張整備で山陽道(西国街道)を城内に引き入れた模様。
その後は明治まで浅野氏12代が城主を務めました。
現在、三の丸から外側の城郭は失われたものの、内堀内の本丸と二の丸は天守と櫓が復元され広島城跡公園に。
広い本丸は元々北の上段が御殿、南が馬場だったようで、下見板張りのシブい天守は南小天守と東小天守を持った連立式だったとのこと。
実際に訪問すると、本丸は大本営時代の名残が濃く、城の雰囲気は薄い印象。
一方で小島のような馬出構造の二の丸が、武士の時代の城らしさを感じさせてくれた広島城でした。
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2022/10/09 11:23
郡山から広島に本拠を移した毛利輝元が築いた城。聚楽第を模したとされる、内堀に囲まれた巨大な本丸と馬出を兼ねた小さな二の丸が特徴的。天守は望楼型の五重五階の大天守に2基の小天守を連ねた連結式で、原爆による倒壊後、昭和33年(1958)に大天守のみ再建された。
城地種類 | 輪郭式平城 |
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築城年代 | 天正17年(1589) |
築城者 | 毛利輝元 |
主要城主 | 毛利氏、浅野氏、福島氏 |
文化財史跡区分 | 国史跡(広島城跡) |
近年の主な復元・整備 | 福島正則 |
天守の現況・形態 | 複合連結式望楼型[5重5階/1599年築/焼失(空襲)]、複合連結式望楼型[5重5階/1958年再/SRC造外観復元] |
主な関連施設 | 大天守、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓、表御門、石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、横堀(水堀) |
住所 | 広島県広島市中区基町 |
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問い合わせ先 | 広島市市民局文化スポーツ部文化財課 |
問い合わせ先電話番号 | 082-504-2501 |