来年3月で閉城するとのことで久しぶりに訪れました。天守はコンクリートとはいえ史実に基づいて外観復元されています。私は堀も含めた北西からの景色が好みです。先週行われた説明会には参加できなかったものの、発掘された石垣を柵の外から何とか見ることができました。地上に遺構は残っていないものの、城の近くの街中には「堀跡」の案内表示や石垣のモニュメントがいくつも作られていました。広島は戦災で多くを失ったからこそ、歴史を伝えることを大事にしている街なのだと感じます。
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2025/12/13 22:33
令和8年3月で閉城 (2025/12/13 訪問)
来年3月で閉城するとのことで久しぶりに訪れました。天守はコンクリートとはいえ史実に基づいて外観復元されています。私は堀も含めた北西からの景色が好みです。先週行われた説明会には参加できなかったものの、発掘された石垣を柵の外から何とか見ることができました。地上に遺構は残っていないものの、城の近くの街中には「堀跡」の案内表示や石垣のモニュメントがいくつも作られていました。広島は戦災で多くを失ったからこそ、歴史を伝えることを大事にしている街なのだと感じます。
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2025/10/30 08:35
広島城の景色を堪能 (2025/10/14 訪問)
広島城の天守最上階に登って、天守からの景色を眺めてきました(写真①②③)。天守は耐震基準に満たないため、2026年3月22日をもって閉館となります。
私が広島城の天守に初めて登ったのは50年前の、まだ小学生で夏休みの時に父に連れられて訪れました。当時は新幹線など無かったので、別府から船で広島へ渡りました。それから数えると今回で通算7回目となります。でももう生きている内に天守へ登る事ができるのは、この先無いだろうな~と思い、最上階からの景色をじっくりと目に焼き付けてきました。
1599年に、毛利輝元(写真⑤)が秀吉の聚楽第を参考に建てた天守は、昭和20(1945)年8月6日に原爆が投下されるまで現存していました。その後に市民の強い要望で、昭和33(1958)年に鉄筋コンクリートで外観復元されて現在に至っている事は、みなさんも御存知と思います。この復元天守からは、原爆ドームがかすかに見えます(写真③)。50年前に見た時は、うる憶えですが、高いビルや樹木はほとんど無く、もっと遠く海まで見渡せたような、原爆ドームや平和公園ももっとはっきり見えたような、そんな気がします。よってこの天守は、復興し高度成長を遂げていく広島の街を、ずっと見守ってきたという事ですね。そしてその時は、隣接していた広島市民球場で野球を見て帰ったのを憶えています。多くのカープファンが初優勝に酔いしれた50年前の、赤ヘル旋風が初めて巻き起こったあの日も、この天守は見届けてきたという事になります。本当に長い間お疲れ様でした。
閉館後もしばらく天守は壊されず、外から外観のみ見る事はできるようです。三ノ丸には歴史館が建設中で(写真③⑨の黄色のクレーンがその工事現場)、閉館後に収蔵品はそちらに移され展示されるとの事でした。その先に天守をどうするかは、木造で再建の話もあるようですが、同様に木造で再建を目指す名古屋城の動きなどを参考にしながら、進められるのではないでしょうか。よって仮に木造で再建するとなれば、完成までには少なくとも、まだ20~30年はかかりそうな感じがします🤔。
そして今回は!・・・千田嘉博先生が小倉城のセミナーでおっしゃっていた、先生も泊まれなかったという、あの【広島城が一望できるホテル】に、私は何と・・・宿泊してきました~!!!(トリバゴで安く泊まれました😊)。その高層階の部屋から見えた広島城は感動の絶景です。さらに夜景はもっと美しく、部屋の窓はまるでシアターのよう。時間を忘れて深夜まで、グラス片手に眺めてしまいました(写真⑥⑦⑧⑨)。予約する時は、キャスルビューの部屋を希望と伝えた方がいいようです。
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2025/10/25 13:49
安土桃山時代の再現 (2022/09/27 訪問)
広島城は、安芸国佐東郡広島にあった安土桃山時代から江戸時代の城。国の史跡に指定されている。1945年(昭和20年)まで天守を始めとする城郭建築が現存していたが、太平洋戦争末期にアメリカ軍の原子爆弾投下によって倒壊し、現在見られる城内の天守以下城郭建築はすべて1958年以降に再建されたものである。
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郡山から広島に本拠を移した毛利輝元が築いた城。聚楽第を模したとされる、内堀に囲まれた巨大な本丸と馬出を兼ねた小さな二の丸が特徴的。天守は望楼型の五重五階の大天守に2基の小天守を連ねた連結式で、原爆による倒壊後、昭和33年(1958)に大天守のみ再建された。
| 城地種類 | 輪郭式平城 |
|---|---|
| 築城年代 | 天正17年(1589) |
| 築城者 | 毛利輝元 |
| 主要城主 | 毛利氏、浅野氏、福島氏 |
| 文化財史跡区分 | 国史跡(広島城跡) |
| 近年の主な復元・整備 | 福島正則 |
| 天守の現況・形態 | 複合連結式望楼型[5重5階/1599年築/焼失(空襲)]、複合連結式望楼型[5重5階/1958年再/SRC造外観復元] |
| 主な関連施設 | 大天守、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓、表御門、石碑、説明板 |
| 主な遺構 | 曲輪、石垣、横堀(水堀) |
| 住所 | 広島県広島市中区基町 |
|---|---|
| 問い合わせ先 | 広島市市民局文化スポーツ部文化振興課広島城活性化担当 |
| 問い合わせ先電話番号 | 082-504-2869 |