烏山城は応永25年(1418)に那須太郎資氏の次男・那須資重によって築かれたとされています。八高山の山頂に古本丸を築いたのが始まりとされ那須氏の拠点として繁栄しますが、豊臣秀吉の小田原征伐の際に遅参を理由に所領を没収され、一時没落しました。
五城三郭と呼ばれる多数の曲輪を有する広大な山城で本丸(二の丸)周辺に石垣が見られるものの基本は土の城です。明治維新まで使われていただけあって、高い完成度を誇り遺構も良く残っています。
七曲りから登城し、太鼓丸を通過すると堀切があり、ここには「車橋」という車のついた引き橋がかかっていたようです。
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