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カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2019/11/21 訪問)

 ①「恵那山と ツーショットの 苗木城」(えなさんと つーしょっとの なえぎじょう)

 ②「岩山に 石垣寄り添う 苗木誠」(いわやまに いしがきよりそう なえぎじょう)

 ③「木曾川に 聳える山城 苗木城」(きそがわに そびえるやましろ なえきじょう)

 苗木城へは浜松から国道257号線で一本道、高速道を新名神、東海環状、中央道経由で近いのですが中々行けて居ません、写真が平成23年と令和1年登城で残って居ましたので今回の【赤色立体地図かるた】企画で投稿させて頂きます。
 苗木城は何と言っても木曾川にそそり立つ岩山に築城され、景観は近くの恵那山、見下ろす木曾川渓谷が絶品です。駐車場、史料館も有り探訪、見学には持って来いの場所です。
 かるたの読みが絞れず3文投稿します。
 

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

光秀が 丹波を抑えて 周山城
(みつひでが たんばをおさえて しゅうざんじょう)

ここも未訪です。
信長の命により丹波を平定した明智光秀が築城しました。
丹波と京、若狭をつなぐ周山街道の防衛拠点でした。
光秀が秀吉に敗れた以降は廃城となったそうで当時の遺構が良好に残るそうです。

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カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2011/06/04 訪問)

 「圧巻の 五段石垣 七尾城」(あっかんの ごだんいしがき ななおじょう)

 14年前の平成23年6月4日、東海北陸道を夜走行し朝一番で富山城登城開館時間を待って復興天守の富山市郷土博物館へ入場、展示閲覧と情報収集、安田城を紹介されて安田城初登城。その後七尾城へ初登城、小丸山城初登城、能登白米千枚田、能登輪島へ郷土料理とスナックカラオケ、1時間1万発の圧巻輪島大花火を見学堪能した思い出の日でした。

 先に車で山頂の駐車場へ、調度丸では写真で良く紹介されている、野面積み五段の石垣に圧倒されました、長年探訪を願って居た七尾城の五段石垣にやっと巡り合った瞬間で感激一入、寺屋敷からの登城虎口に当たるのか石垣群、虎口の間から五段石垣を望むと視界一面に石垣群が溢れて何とも言えません、五段石垣を登って桜馬場、遊佐氏屋敷跡、本丸へ虎口登り石垣階段、三段の本丸石垣、本丸内部へ、神社鳥居と祠は土壇に在り天守台の跡なのか?裏を廻って遊佐屋敷、九尺石の巨石、城門の鏡石に相当かな?温井屋敷跡、二之丸跡で探訪終了。資料館へは時間を過ぎて居り入れず、感激の探訪でした。
 

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翡翠

安土城 (2025/08/15 訪問)

盆で高速は車が多かったですが、朝6時くらいに駐車場に着きました。大手道の階段は、特に素晴らしかったです。登るだけでハードでしたが、最後まで良かったです。写真は、沢山あり過ぎて悩みましたが、この10枚にしました。もちろん、信長の館なども行きました。明日は、朝は違う所に行って彦根城にリベンジです。

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2017/05/04 訪問)

「城郭に お台場付けた 松前城(じょうかくに おだいばつけた まつまえじょう)」
逆説で
「お台場に お城が付いてる? 松前城(おだいばに おしろがついてる まつまえじょう)」

松前城は新しい城で、完成は安政元年(1855)になります。津軽海峡を通過する異国船を監視するのが目的と見られ、幕命で福山館を拡張する方針で築城がされています。海岸には16砲台、33門が置かれ、松前城の三の丸にも7門の大砲が設置されていました。
近世と近代が混じりあったような城で、三の丸には石垣ではなく土塁が据えられていたと思いますが、城郭の主要部は石垣で築かれ、三重の層塔型の天守が置かれています。
砲撃戦だと・・・
天守は本丸を狙う時の的になると思う・・
石垣は砲撃が直撃すると、破片で周囲の兵士を傷つけてしまう・・
いろいろ思う所はありますが、五稜郭よりはだいぶマシか・・

歳三さんたちが松前城を攻めた時は、幕府軍艦・蟠竜丸が津軽藩の旗を掲げて松前湾に侵入し、松前城に砲撃を加えるも、松前城側は海岸の砲台と三の丸の砲台で反撃をし、蟠竜丸は沖に逃れたそうです。ひょっとしてこれは日本初の軍艦と城郭の砲撃戦ではなかろうか・・ 
五稜郭はかなり正確な五芒星(ペンタグラム)の形状をしているので、稜角の位置が三箇所わかれば、全体の正確な形状と位置が把握できると思います。砲撃戦が進化したこの時代に、これは無いな・・と思います。
着弾計測の技術も進化していると思うし、名人だったら思ったところに砲弾を降らして来そうだし、相手の好きな所へ砲弾を落とせるのってヤバいと思う。しかも石垣で囲まれているし、砲台に大砲が乗っかっていないし・・
正直 歳三さん達も「ハズレだ・・」と思ったかもしれません。



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朝田 辰兵衛

挙母城散策2/2(七州城,又日亭) (2025/08/10 訪問)

雨男ぶり健在。しかも,気温がそこそこ高かったので,動けば汗ビッショリでした。豊田市美術館内が快適だった分なおさらで…。
三河国,尾張国,美濃国,信濃国,遠江国,伊勢国,近江国が見えたそうで,それが「七州城」命名の由来とのこと。七つの尾根の七尾城みたいな感覚だ…。

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朝田 辰兵衛

挙母城散策1/2(豊田市美術館) (2025/08/10 訪問)

挙母城の中に豊田市美術館。豊田市美術館の中に挙母城という方もおられます。面倒くさいので,こんなことにはかかわりたくありません…<笑>。
「モネ 睡蓮のとき展」に行ってきました。時間予約制なのでご注意ください。東京展は激込みだろうな…と思い,豊田市美術館展をチョイスしましたが,けっこう混んでいて驚きました。愛知県民の方,スミマセンm(__)m

※「赤色かるた投稿」中休みです。

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トク

【赤色立体地図かるた】

太閤が 夢見し跡の 名護屋城
(たいこうが ゆめみしあとの なごやじょう)

名護屋城では、石垣の破却跡を見る事ができます。でもよく見ると中途半端に終わっているのが分かります。それゆえ破却中の様子を想像できます。破却を行ったのは唐津藩主「寺沢広高」です。1602年家康の命で天守や御殿などの建物を解体し、それを自身の唐津城の築城に再利用したと伝わっています。そして1615年一国一城令で本格的に石垣の破却が始まりますが、あまりに立派すぎて唐津藩の力だけでは十分に壊せなかったようです。そして子の「寺沢堅高」の代になり、唐津藩の領地である天草でのキリシタン弾圧や、農民による天草一揆がはじまると、もう破却どころではなくなり、最後1637年には天草島原の乱の責任で堅高は切腹し寺沢家は断絶となります。乱の後に代わって入った大久保氏により、幕府の命で再度破却が試みられますが、やはりこれは無理と断念したのが実情ではないでしょうか? とりあえず天端石をとり石垣の隅部を破却して自然に崩し、この上にすぐには建物が建てられない状態にして、そこでもう力尽きたという感じです。また朝鮮との国交回復をしたのは唐津藩ではなく、対馬藩金石城主の「宗義智」で、人質を朝鮮へ返し謝罪する事を条件に交渉がなされているので、名護屋城の破却は、朝鮮との関りというより幕府の一城令によるものが強く、しかも完璧にはほど遠いまま終わったというのが実情ではないかと私は思います。

秀吉の朝鮮出兵には、安宅船が使われました。この船は帆と櫂で進むので、1日せいぜい50kmぐらいの航海が限界ではないかと思います。漕ぎ手を休ませながら天候や風向(夏は南風、冬は北風、春は西風)や潮の流れなどの好条件がそろわないと進めないので、そういった必要性から壱岐・対馬には兵站基地として勝本城や清水山城が築かれました。

今年も「名護屋城大茶会」が11月23-24日に行われます。また名護屋城歴史博物館では、朝鮮出兵の様子などが詳しく解説されており、安宅船の特大模型や、蔚山の戦いを描いた巨大絵図、特に再現された「黄金の茶室」は必見です! 唐津城とセットで訪れられたら、より分かりやすく楽しめるのではないかと思います。詳しくはHPで。
 

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ミヤちゃん

暑かった。でも、天守閣まで登ると良い気分になった。 (2025/08/13 訪問)

前に犬山城に登った事もあり、階段の傾斜が急な事や
梁に頭をぶつけた思い出がありましたが、また頭をぶつけました(笑)
天守まで登った時に汗が滝のように流れました。タオル持参してなかったので、備え付けの扇風機に体を預けていました。
松本城は、階段以外は写真が撮れましたのでそこもポイント高かったですね。御白印も3枚セットで買いました。いい汗かきました( ` -´ )bイイネッ✨
ホテルも近かったので、チェックインもスムーズでした。

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

津和野城 赤い瓦の 城下町
(つわのじょう あかいかわらの じょうかまち)

津和野城差し替えます。
津和野は山口県にあると間違えられがちですが島根県の石見地方にある城です。
石見地方は赤い色の石州瓦の産地で城址から見下ろす城下町でも石州瓦が使用されています。
松江のEXPOでブースの方ともお話し、魅せる整備も進んでいるとのこと。
近い内に行きたいです😊

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

尾根筋に 曲輪連なる 岸岳城
(おねすじに くるわつらなる きしだけじょう)

ここも未訪、行きたい城です。
上松浦党、波多氏の最大の城とされます。
縄張図を見るとややカーブした尾根筋に曲輪や堀切が並んでいます。

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

松浦党 境目守る 獅子ヶ城
(まつらとう さかいめまもる ししがじょう)

ここも未訪ですがモトさんのレポート読むと「いかなきゃ」と思ってしまいます。
松浦党が築いた城で大友氏や龍造寺氏、後藤氏などの勢力との境界にありました。

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

荒城も 今や名城 岡城址
(こうじょうも いまやめいじょう おかじょうし)

滝廉太郎の荒城の月のモデル、岡城。
曲はあまり知らないのでなんとも言えません。
100名城に選出されるくらいの城、未訪なので行ってみたい城です。

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しんちゃん

杉山城 (2014/02/07 訪問)

続百名城の杉山城です。規模はコンパクトですが良く手が入っている。この規模の土の城だと古宮城と同じくらいでしょうか。
どちらも良い城です。古宮城は武田氏に加えて徳川氏の改修も入っているという話ですが、古宮城に改修を加えたのは誰なのか?
井戸郭までたどり着いて、本丸までもう少しじゃんと思っていると、延々と本丸まで外周を迂回させられる・・ここで矢の雨が降って来てオジャンです。
地元の学生さんたちが整備に協力してくれているらしいです。草刈りとかでしょうか、地味ですが草刈りは大事です。
ヤブラーに占拠された城址を見るたびにそう思いますね。

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しんちゃん

越前大野城   ぴょん (2013/08/10 訪問)

最初に訪問した時は夏季だったので、無事に模擬天守に入ることが出来ました。この時には天空の城と言うイメージは無かったのですが、山+天守の組み合わせからの眺望は思った以上でした。個人的にはハムスターとウサギだったらウサギですね、どうでも良い話ですが。

大野城は12月~3月まで冬季閉館になります。思ったより閉館時期が早いので訪問するタイミングは選んだ方が良いと思います。

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しんちゃん

太鼓やぐら・織田家廟所 (2014/07/21 訪問)

かつて柏原陣屋の大手門付近に建てられていた太鼓やぐらは石田大蔵神社の本堂近くに移されています。内部は三階の立派な建物で、藩主の参勤交代からの帰りの合図や、火事・大水の時にも使われたそうです。
最上部には「つつじ太閤」が吊るされていると案内板には記載がありますが現在は非公開です。
柏原町東奥の織田家廟所には織田信休から九代藩主・信民までの藩主と一族の墓があります。

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しんちゃん

足摺岬 (2018/01/05 訪問)

四国で岬と言えば、まず頭に浮かぶのが室戸岬・・そして足摺岬だと思います。かつては那智勝浦と並ぶ補陀洛信仰の舞台であり、自殺の名所でもありました。昔はこの辺を歩いていると地元の人が心配して声をかけてきたそうです。
現在は公園化されて、かつてのイメージは払拭されています。とはいえ展望台から眺めると、切り立った絶壁が見渡せ、おそがい感じもします。公園の入り口あたりにジョン万次郎こと中浜万次郎の銅像があります。
元は漁師の子ですが、漂流中にアメリカの捕鯨船に助けられ、船長にその才能を認められた後は、船長の故郷マサチューセッツ州フェアヘーブンで語学や数学・測量・航海術・造船技術などを学びました。
当時の日本人では最も進んだ技術や知識を身に着けた人物だったのではないでしょうか。正直言うと、国学とか山鹿流とかはどこか胡散臭い感じがするので、そんなに好きではないんですよ。面白いとは思うのですが。

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しんちゃん

東京タワーの階段 (2015/12/29 訪問)

東京タワーです。お城とは関係ないですが、好きなんですよ・・高い所が。。
眺望の良さって重要で、人が山に登る理由の一つでは無いでしょうか。お城の天守だって上まで行きたいし、きっと徳川家康も駿府城の天守から富士山を眺望していたと思います。
東京タワーですが、実は階段で展望台の間を移動することが出来ます。昔、マガジンの漫画で主人公が足首を鍛えるために東京タワーの階段を使っていたので、私も登って見ました。けっこう登りますが、山城に登ることを考えるとあっという間です。
今でも登れるのかな? 写真でみるとけっこう不思議な空間が広がっています・・昭和を感じますね。

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カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2022/05/23 訪問)

 「障子堀 オンパレードの 山中城」(しょうじほり おんぱれーどの やまなかじょう)

 箱根越えの伊豆山中城は北条流の畝堀障子堀が曲輪間に張めぐされて畝堀の展示会場の様相を見せています、西櫓、西の丸周囲の障子堀・畝堀は圧巻です、岱崎出丸北側下の横堀には畝が入り横に長い畝堀でこれも見所の一つ、北の丸と二の丸・本丸間にも畝堀が施されている様ですが草が茂り畝の確認は難しい。
 西櫓辺りからは天気が良ければ秀峰富士山を見る事が出来て素晴らしい景観に触れる事が出来ます。
 

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しんちゃん

五箇山・相倉合掌造り集落 (2015/10/22 訪問)

相倉合掌造り集落は住人もけっこういて、安心感があります。菅沼は少し怖かったですね、人を一人も見ませんでしたので。
お昼のお勧めは「五箇山そば」です。山のごちそうと言えば「そば」だけど、五箇山そばには栃の実が入っています。
山菜も大きくて良い。国土の大半を山林で囲まれている我が国は、人が山に入って成り立っていると思います。もちろん登山や登城もその一環だと思います。人が適切に山に入って管理して初めて国の安全や生業が維持されるのだと思います。

五箇山そばの山菜も地元の方が山に入って取ってきているんだろうか。この先も熊に襲われず無事に家に帰ってきて欲しいですね。
見渡すと里山の原風景が広がっていて、心がなごみました。

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