みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

小城小次郎

ハイブリッドな城 (2024/02/20 訪問)

堀を埋めてまで居住空間を確保した「住む城」と、畝状竪堀と連続堀切でびっしり固められた「守る城」の両面を見られるハイブリッドな城だが畝状竪堀のあたりがちょっと荒れているので今一度光を当てたいところ。

+ 続きを読む

しんちゃん

畝状竪堀と人柱の伝説 (2024/10/20 訪問)

林道は南側より東側がお勧めです。5ナンバーであれば、それほど苦も無く来れますが、3ナンバーだと少し難儀するかもしれません。
なんにせよ山に入ってからのカーブの箇所は落石があるかもしれないので注意が必要です。
城址のすぐ近くにまで車で来れるので、すごく助かります。標高503m、比高200mを車で来れるのはスケジュール的にすごく助かります。
ふっふっふ 勝ったな‥ニヤリ(何にやねん)。
「東海鬼攻め」最終日、幸先が良いですな。
二日町城は東氏によって築かれ、東益之は次男・安東遠江守氏世にこの城を守らせたとされています。現地の案内板には人柱を建てたという伝説が書かれていますが、こんな畝状竪堀ばかりの城に人柱とな? 伝説にせよ、いささか文化的ではないのでは?

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

立入禁止なので「野口城」を身代わりに捧げます・・ (2024/10/14 訪問)

前日、帰雲城を見に行って、またはるばる戻ってきます。山道はしんどかったな‥それもまた旅。
翌朝やるき満々で向小島城に向かったら、完全に入れなくなっている。このやる気、どうしてくれる‥
①忠臣蔵(強引に押入る)
②あきらめて次に行く
③かわりの城を攻める

①はダメだな、犯罪になる。②でも良いが、あえてここは③で行こう! 実はすぐ近くに「野口城」という城があって、これなら向小島城にヒケを取らない。向小島城にいけなくて悔しい思いをされた方は、ぜひ野口城を!(増やすなって)
私の信頼する某サイトに従って南から攻めます。‥登城道が見当たらない‥結局96mを直登で登るのですが、なかなか急坂です。
じつは新しい登城道が北についていて、そこからなら楽に登城が出来るようです。野口城を訪問される方は是非、北側から攻めてください。
西の社のある郭が主郭とされていますが、東側の北と南に二郭か三角と見られる郭があり厳重に堀切と畝状の堀切で守られています。ある意味、一城三郭とも呼べる城になっています。
この城なら、向小島城に行けなかったフラストレーションを消滅させてくれますよ。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

江馬氏下館を見る。 (2024/10/13 訪問)

城址北側の林道を進み空きスペースに駐車。比高を50mほど稼ぎます。そこからは観音山参道を通って城址を目指します。東から続いている林道を使えば、かなり近くまで寄せることが出来そうですが、以前グーグルマップのストリートビューで調べた時は「立入禁止」になっていたと思います。あと一時間程度かな、尾根沿いにじっくり歩いてきます。
しばらくするとお堂があり、これで半分くらい来たことになります。さらに進むと、舗装された林道と合流します。途中までこれといった城の遺構は無かったので、この林道が使えればかなり楽なのですが、とにかく登って行くと無線中継の施設らしいものがいくつかあり、それぞれが郭跡に建てられているようです。主郭北側にはそれほど面白味はないのですが、飛騨の街並みが良く見え、江馬氏下館が俯瞰できます。ズームで撮った写真を見ると庭園の庭石も写っているので、少しうれしくなりますね。
江馬氏下館の庭園からは観音山の傘松城が良く見えたとは思いますが、こちらからも良く見えるようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

予想どおり… (2024/10/12 訪問)

予想どおり,豊島氏館から向かう途中,日が没しました。あっという間に真っ暗闇です。「つるべ落とし」とはよく言ったものだ…。
しかし,防犯上の目的と思われますが,街灯に照らされされておりました。間違っても「ライトアップ」とは言えないです…<笑>。
もうひとつ,予想どおり,終日開放。あえて夜を狙って訪れる人はいないと思いますが,時間の縛りはありません。

+ 続きを読む

しんちゃん

江馬氏の本城とされるだけあって、支城とは造りが違う。 (2024/10/13 訪問)

公式の飛騨山城ツアーも楽しそうですね。蒸し寿司もおいしそう。
高原諏訪城は江馬氏の主城と呼ばれています。標高622m、比高170mの山城ですが、車ですぐ近くまで行けます。山奥には違いないので熊を警戒しますが、飛騨は意外と熊が少ないです。クリがおいしい季節なので、クリの木がある場所は注意が要りますね。
この後、道の駅で「熊汁」をいただきましたが、すごくおいしかったです。私、熊肉気に入りました。もっと流通して値段が下がってくれたら、クマカツ定食とか食べたいです。いまは非常に高級な食材です。

城址に入ってすぐに、二重の堀切が有ります。主郭に向かうまでにいくつもの堀切や竪堀があるのですが、縄張り図に登城用のルートの記載が有ればもっとわかりやすいかもしれません。主郭の北西側から回り込んで、腰郭を経て主郭に到達します。この城は二回目なので、主郭周辺を散策して戻りましたが、また来てじっくり見たい城でありました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

森の熊さんの落し物。 (2024/10/13 訪問)

昌官忠さん、公共交通機関での「鬼攻め」お疲れ様です。そのパワーと情熱には頭が下がります。寺前城の疑問についてはどこかで、お答えしたいと思いますが、あまり期待はしないでください。私はけっこう搦手から攻めるのが好きなんですよ。
オカン(80手前)の体調が良くなってきたので、9月ごろから東海地方を「鬼攻め」してます。これが「しんちゃん流攻城術」です。基本攻めた城は必ず落とします。ペンペン草一本残す気は無いです。
こんなことを書くと零汰さんからツッコミが入りそうですが、最近音沙汰がないですね。元気にしてますかね~。
いんげん丸虫さんの山城ばっかりの投稿も好きだったりするんですが、しばらく見ませんね。
終了‥ じゃない石神城の投稿です。
石神集落の白山神社に車を停めさせていただき、ゲートを開けて入って行きます。攻め方としては、まず尾根に取りついて主郭を目指します。途中熊のフンが有りました。けっこうじろじろ見ます。山城を攻め入る以上、動物のフンや習性にたいしての知識を得ることは重要なんですよ。比較的新しいですが、周囲に水場や餌場は無いようなので、もう近くにはいないでしょう。通りすがりに落としていったのだと思います。すでに見慣れた感はありますが、岐阜県は意外と熊の痕跡が少なかったと思います。
山奥にいるか、人里に降りてくるかで二極化しているのでしょうか。飛騨・高山は案外 熊とうまくつきあっているような気がします。

主郭の手前には堀切が切られています。主郭を攻めた後、引き返すと、二の郭に向かう道が折り返しているので、今度は二の郭を目指します。登りきると鉄塔があり、その先に見える二つ目の鉄塔の有る場所が二郭です。



+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

回想:石田三成(100点ありがとうございます)

100点ありがとうございます😊(嬉しいな~♬)

このクイズの後で、石田三成の人生が次から次と(写真①→⑩)また浮かんでしまいました。すいません、余計なつぶやきでお許しを・・

長浜城の天守から見た景色で、有名な豊臣秀吉ではなく、石田三成とその辞世の句を想像したのは、私だけでしょうか・・?🤔

(辞世の句)
  筑摩江や
  芦間に灯すかがり火と
  ともに消えゆく
  我が身なりけり

① 秀吉と三成出会いの地(大原観音寺)
② 三成生誕の地(石田町バス停)生家はこの奥
③ 秀吉に仕え頭角を現した地(大坂城)
④ 人生のターニングポイント(肥前名護屋城)
⑤ 三成の居城(佐和山城)
⑥ 三成の銅像(佐和山龍潭寺)
⑦ 関ケ原三成陣跡(笹尾山)
⑧ 関ケ原三成陣跡(笹尾山)
⑨ 三成処刑の地(京都六条河原)
⑩ 三成墓所(大徳寺三玄院)面会謝絶
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

駿府城

駿府城跡本丸北面発掘調査が始まりました!

駿府城跡天守台の野外展示事業を進めるため、整備範囲内の未調査エリア(本丸北面周辺)の発掘調査を実施します。発掘調査期間は2024年10月1日から2024年12月下旬までを予定しています。発掘調査現場事務所前も作業範囲となりますのでご注意ください。


調査期間中は発掘作業の様子を見学することができます!この期間だけの特別な機会ですので、ぜひ駿府城跡天守台発掘調査現場へ訪れてみてください。
 発掘調査期間中、作業員や重機の出入り等で大変ご迷惑をおかけいたしますが、ご理解ご協力をお願いいたします。

+ 続きを読む

カズサン

南美濃未踏の城探訪6/7 ハリヨ生息清水池 (2024/10/14 訪問)

 津屋城跡・本慶寺の東側近くに国の天然記念物ハリヨの生息地として有名な清水池があり訪ねました、本慶寺北側駐車場に案内板が有り約100m程、随所に案内板が有りに従って清水池へ、この辺りは津屋城の東の守り水堀、池、沼、津屋川に注ぐ水辺で清流が流れています。
 池側に東屋と「天然記念物ハリヨ生息地」の大看板の解説板が設置されている、そっと静かに池に寄るがハリヨは動いて水草側に隠れてしまう、小さく写真にとっても、看板の写真の様には撮れない。
 天然記念物ハリヨの存在は微かに認識はしていましたが、実物を見るのは初めて、津屋城跡初体験より感激でした。

 津屋城跡、本慶寺参拝の折りには寄ってみたらいかがでしょう、すぐ近くです。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

南美濃未踏の城探訪6/7 津屋城 (2024/10/14 訪問)

 福束城を終えて揖斐川を渡り南西に約7.2km程の津屋城を初登城、津屋城旧城門と伝わる長屋門を初確認。

 駐車場:津屋城跡に建つ本慶寺参道の北側と南側に駐車場有り。
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 北側のジャリ駐車場に駐めて、山門である旧津屋城門を側面から眺め、西側の城塁?石垣を眺めて東側参道入り口へ、参道北側に津屋城跡石碑、津屋城跡案内解説板が立っている、ゆっくり読んで確認勉強、解説板の東前に寺院の石碑、「獅子吼山本慶寺、側面に蓮如上人由緒教如法主旧跡之地」と刻まれている。
 移築城門の山門を潜り本堂を参拝し周辺を目視、南から北へ土塁が走る、本堂奥は更に一段上がっている、土塁の南側は竹が茂り鬱蒼としており土塁、空堀を確認する事が出来ない。
 
 案内解説板によると、本堂の奥北西の隅の一画が一の曲輪、それより一段低い平地(本堂)が二の曲輪、南側の内堀の外側に三の曲輪(畑地)が在り大手門が在ったと考察されると記されていた。主郭を囲む内堀と三の曲輪を内側にした外堀の二重堀であった、北、西、南側は空堀、東側は水堀とし津屋川を中心とした池、沼に成っていた。

 山門を出て念のために、南側の土塁、内堀が残って居ると言われる竹藪を孟宗竹、真竹、小竹などいろいろの竹が鬱蒼と茂っており良く確認する事が出来ない、東、南、西は養老鉄道路線側まで行き西側を確認するが良く分からない。

 歴史は案内解説板によると、津屋城は関ケ原戦まで高木八郎左衛門正家が居城していた、関ケ原戦で西軍に従ったために没落廃城と成った。現在は慶長8年(1603年)に当時の領主徳永法印寿昌(高須城主)に許しを得て移された本慶寺と成っている。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

秋の乗り放題パスでの攻城⑤ (2024/10/13 訪問)

塚口城から徒歩にてアプローチしました。10月27日には富松城跡まつりが開催されるようですね。その時にはフェンスの中にも入れるのかな?地域の皆さんに大切にされていることが良くうかがわれます。午後に赴いた尼崎市立歴史博物館にも富松城の写真と説明のパネルが掲示されていました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

感謝とリベンジ (2024/10/13 訪問)

トクさん、助太刀ありがとうございます(感謝)😊
海ではなく湖でしたか。
私のクイズに対する朝田さんの最初の回答が伏線になっていたとは。
参りました。

さて、リベンジの方ですが、昨年スズメバチにやられた乙子城に再訪。
今回はおにやんま君を帽子に付け、藪には入らないと心に決めて登城しました。

石碑から道路を挟んだ空き地に車を停めて登城口に。
スズメバチ注意の看板に感謝しながら登城します。
途中の神社のところに竪堀っぽい地形もありますがどうなんでしょう。
さらに急な階段を登ると程なく主郭、見晴らしも良いです。
下草で埋まっていますが歩ける状態で、主郭に付いている段になった腰曲輪にも降りてみました。
こちらも下草が茂ってやや藪、ん?

一旦主郭に戻り、二郭に向けて降りることにしました。
前回やられた腰曲輪の藪は綺麗になっていて形もよくわかります。
これならスズメバチも大丈夫、これも感謝です。

墓地で隔てられた二郭は乙子神社が鎮座します。
ちょうど地域の皆さんによる清掃が行なわれていました。
お祭りの準備なんでしょうか。

宇喜多氏の始まりの城、この日はこのあと砥石城→新庄山城(未登録)→沼城→岡山城と下剋上の足跡を辿りました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)5日目:柏野城 (2024/09/26 訪問)

新堂駅より徒歩20分ちょっとで、標柱前(34.816652、136.191751)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、福島宗雄によって築かれたようです。

単郭の城は北側を除く三方が土塁で囲われています。
西側には空堀があり、北西部に土橋があります。
攻城時間は20分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
本日の宿泊先に向かう為、とりあえず甲南駅から津駅に向かい荷物をコインロッカーから取り出した後、三重県の松阪駅に向かいました。
本日の攻城徒歩=41104歩、攻城距離=28.77Kmでした。
(ただし、甲南駅➡竹中城~新宮支城➡甲南駅の間はレンタサイクルを使用しましたので、攻城徒歩/攻城距離は誤差があります)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)5日目:新宮支城 (2024/09/26 訪問)

新宮城より、自転車ですぐ先の標柱入口(34.917290、136.163290)に着きました。新宮城のすぐ傍にあります。

新宮支城は服部氏によって築かれた城で、「甲賀郡中惣遺跡群」のひとつとして国の史跡に指定されています。
谷を挟んで北にある新宮城の支城で、連携して防衛体制を敷いていたと思われています。

主郭部周囲にある高く分厚い土塁は必見です。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=柏野城へ行く為、レンタサイクル返却後、電車で甲南駅から新堂駅に向かいました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)5日目:新宮城 (2024/09/26 訪問)

服部城(城びと未登録 滋賀県甲賀市)より自転車で5分弱で、説明板前(34.917677、136.163259)に着きました。

新宮城は、室町時代に服部氏によって築かれました。

曲輪、土塁、横堀(空堀)、虎口、堀切が確認できます。土塁は高いです。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=新宮支城へ自転車で向かいました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)5日目:服部城(城びと未登録 滋賀県甲賀市) (2024/09/26 訪問)

寺前城より自転車で5分弱で、新宮神社東側入口(34.919678、136.159747)に着きました。

服部城は甲賀郡中惣を組織した甲賀五十三家のひとつで、荘内三家に数えられた有力土豪・服部氏の居城として知られています。
伊賀服部氏とも一族になり、服部一族本貫の地でもあるようです。南東約200mの位置に新宮城と新宮支城があり、連携して防衛を図ったと考えられています。

目印となるものがないので、あっているかどうかわかりませんが、土塁と空堀らしきものはありました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=新宮城へ自転車で向かいました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)5日目:寺前城 (2024/09/26 訪問)

村雨城より自転車で北側に少し(1分かからない)進んで、寺前城標柱入口(34.915860、136.157499)に着きました。
この場所から山側を見るとなんとか標柱が遠くに見えます。

寺前城の詳細は詳細は不明のようですが、「甲賀郡中惣遺跡群」のひとつとして国の史跡に指定されています。

標柱付近で城址への進入口を捜しましたが見つかりません。(「しんちゃん」さんはどこからはいったのかな?)
しかたないので標柱(草に隠れています)の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=服部城(城びと未登録 滋賀県甲賀市)へ自転車で向かいました。

+ 続きを読む

しんちゃん

かっぱ像 (2024/10/19 訪問)

南北朝の時代には、この地には杉原砦と呼ばれる砦があったとされています。新田義貞による築城という伝承も有るようですが、年代が合わないため確証は無いようです。現在は藤橋城と呼ばれるプラネタリウムを備えた資料館が建ち、道路を隔てて藤橋歴史民俗資料館が併設されています。また武山神社には杉原砦落城時に主君・杉原家盛を逃がすため犠牲になった七人の忠臣達の「七人塚」がありました。
プラネタリウムは3時には終了したようなので、藤橋城や歴史民俗資料館をざっくり見学しています。東にあるどんどん橋には「かっぱ像」がありました。かっぱの由来はなんでしょうか?

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

雨と相性が最悪! 石段危なすぎ (2024/10/19 訪問)

杉原砦(プラネタリウム)から山の中を延々走って神所城にやって来ました。雨がだいぶ強くなって来てます。入口を見つけて登って行くのだけど、石段がものすごく急ですね‥。いまどきこんなのアリか?
急すぎて足のかかりが悪いし、雨ですべるじゃん。雨の日と相性最悪の城だ‥。地元のお年寄りとか来ないのかな?
他に登城ルートがあるのかもしれませんんが、今はこの階段を登るしかない、慎重に全集中で登ります。それにしてもまだ5時になってないのに城の中が暗い‥ 主郭には祠が祭られ、うっすらと土塁が残っているようにも見えます。今回はこれで引き揚げることにしますが、いずれ本巣市の城を攻めに来る際に、もう一度訪れてみたいと思います。
そうそう‥カズサンさんの投稿にあった、泥と枯葉が下りでは良いブレーキになりました。石は滑るんですよ。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ30