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2022/10/25 07:34
2022/06/16 09:55
2022/06/02 22:16
ギョーザ、かぶと揚げ、吊り天井 (2022/05/04 訪問)
どうやら事件らしい。「餃子の町」として散々PRしてきた宇都宮は昨年、一世帯あたりの購入額が全国3位にまで後退したとのこと(1位宮崎、2位浜松。総務省家計調査)。某テレビ番組はさっそく、ギョーザ以外の地元ソウルフードとして「かぶと揚げ」(鳥の半身揚げ)を推し始めていた。
が、ちょっと待て。私の中では宇都宮といえばギョーザ以前から「吊り天井」、、。うん、賛同ないね。
驚天動地の大事件が起きたのは1622年。幕府最高幹部のひとり、本多正純(父は徳川家康の参謀・本多正信)が宇都宮城内に吊り天井を仕掛けて、2代将軍・秀忠殺害を目論んだという疑惑が浮上したのだ。「罪」に問われた正純はその後、改易されてしまう。
そもそも城に吊り天井などなかったというのが今日の結論。疑惑は権力闘争の果ての陰謀で、ねつ造と考えられている。しかしながら、当時はかなり巷の話題をさらったようで、口談や歌舞伎の演目として頻繁に取り上げられた。ただしここでは将軍は秀忠ではなく3代家光だとされ、単純に正純の悪事として処理されることが多い。
父同様、家康の懐刀と目された正純。それほどの人物に付け入る隙なんて本当にあったのだろうか、というのが素朴な疑問。ひとつ推測するとすれば、それは大規模な城の改修と関係しているのではなかろうか。
15万石超で宇都宮入りした正純は城域を拡張。水堀を巡らし、土塁を高く積んで近世城郭化した。本丸に天守はなく、御殿のほかは空白地が多い。おそらく将軍の日光社参に不可欠な設備を整えるためのもので、吏僚派トップとしてはしごく当然な働きだったように思える。ところが、もともと秀忠周辺との折り合いが悪いところにこの大改修が加わり、「宇都宮に不審あり」との疑惑に発展した可能性は考えられないだろうか。
さて、そんな正純を偲びながら縄張りを綿密にトレースしたいところだが、全くの平城だったためか、城跡はかなり市街地化が進んでいる。こうなるともう絵図片手に歩き倒すしかない。もし挫けそうになったら、ひとまず本丸に戻るのもよい。2007年に復元された土塁や土塀、二基の櫓(清明台と富士見櫓)を眺めていれば、おのずと体力も想像力も回復するだろう。
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分類・構造 | 梯郭式+輪郭式平城 |
---|---|
築城主 | 藤原秀郷?、藤原宗円? |
築城年 | 平安時代後期 |
主な改修者 | 本多正純 |
主な城主 | 藤原氏、宇都宮氏、本多氏、奥平氏、戸田氏 |
廃城年 | 明治元年(1868) |
遺構 | 土塁 |
再建造物 | 清明台櫓、富士見櫓、土塁、堀、土塀、石碑、説明板 |
住所 | 栃木県宇都宮市本丸町 |
問い合わせ先 | 宇都宮市教育委員会事務局文化課 |
問い合わせ先電話番号 | 028-632-2767 |