うつのみやじょう

宇都宮城

栃木県宇都宮市

別名 : 亀ヶ岡城
旧国名 : 下野

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清明台の案内板
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天守無しがアツい

清明台 (2025/05/11 訪問)

宇都宮城本丸の土塁北西部にあった櫓で、江戸時代の絵図には二階建て瓦葺きで描かれており、広さ三間(5.9m)×三間半(6.9m)と記録されています。清明台のあった部分の土塁は、ほかの部分よりも高く、天守閣の役割を果たしていたのではないかと言われています

清明台の案内文(1枚目) 富士見櫓の見学後にここも見学。宇都宮城址公園に天守閣は存在しないのですが、遠くから見ると…この櫓がそれっぽく見えるかもと言えばそうなので(2枚目)…「天守閣の役割を果たしていたのではないか」と言われると…そうかもしれない🏯

城址公園は橋を渡って外に出てみると…水堀に囲まれた造りになっている事が分かる…水堀の外から清明台を見てみると(2枚目)天守のように見える…かつ高い土塁の上にあるため、堅固な守りをしているようにも見えますね

城址公園は中庭が清明館ならびに芝生となっており、そこでサッカーをして遊ぶ若者がこの日もいたのですが⚽️富士見櫓と清明台は高い土塁の上にあり、階段もしくはエレベーターで移動する形になってました。行きは階段で、帰りはエレベーターで行き来した私🛗

清明台の中(3枚目)…富士見櫓と同様…ここも2階は非公開…階段自体が封鎖されていました。ここには(富士見櫓と違って)櫓の模型もなく…学校の教室程度の広さの空間があるだけ

そしてここでも…やりました腕立て伏せ😁富士見櫓で20回…体力も回復したのでもうワンセット💪20回×2→40回この日取り組んだ自分。家でやる時と回数は変わらないのに…一回一回の腕への負担が違うせいか…質の濃い筋トレが出来たかなと思えました✌️

家に帰ってからでも出来るっちゃできる…けれど何でしょうね?外でやる腕立て伏せは格別みたいな…この感覚…宇都宮城に昔いたであろう先人達の御加護を私は受けているのでしょうか?

サッカーしたり腕立て伏せしたり…今はすっかり平和なムードの…ここ宇都宮城⚽️💪⛲️しかし戊辰戦争において…この城は激戦地となった過去があるのを貴方はご存知でしょうか?

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%83%BD%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

詳細は↑のWikipediaをチェックしてください。要点だけ紹介すると…
・慶應四年(1868年)の宇都宮城の戦いにおいて、城の建物は(二の丸御殿や三の丸の武家屋敷など)ほぼ全て焼失
・旧幕府軍と新政府軍の戦いは2度おこなわれ…初戦は幕府軍の勝利。政府軍の方が軍備は最新式というイメージあるが、この時は幕府軍の方が(フランス製の)最新式兵器を備えており、政府軍の方が旧式で脆弱だった
・政府軍は一度城を明け渡し撤退…20000の味方と合流してから2戦目がおこなわれた⚔️🔫💣幕府軍の兵数は2000…数の暴力もあり次第に劣勢になる幕府軍
・首の無い死体が幾つも転がる…城だけでなく二荒山神社など周辺の建物も多くが焼失するカオスな状況…そんな中、幕府軍の1人が敵前逃亡を図るも、新撰組鬼の副長に斬り捨てられる💀
・逃げようとする者は斬る…という恐怖で戦線を維持しようとする新撰組副長ならびに幕軍首脳。しかし戦局の波には逆らえず…宇都宮からの撤退を決意。以後…会津→函館と(幕軍は)北へ転戦するわけである

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天守無しがアツい

富士見櫓 (2025/05/11 訪問)

(宇都宮城の御城印について)
https://www.utsunomiya-jo.jp/utsunomiyajo/gojouin.html

JR宇都宮駅から1.5kmほどの場所にあるのが宇都宮城址公園🏯その中に清明館という施設があります。本当は館内の展示室を見学したかったのですが…公開は17時まで。餃子定食を食べた分、訪問が遅れた影響により、そこの見学はできませんでした😓

しかし御城印の販売は21時までおこなっているそうで…自販機にお金を入れてからボタンを押すと券が出てきて…それを館員に渡せばもらえるという仕組み🎫

御城印は清明台(櫓)をモチーフにした縦バージョン(1枚目右)…社参行列をモチーフにした横バージョン(1枚目左)の2種類があり…どちらにしようか迷いましたが…「たまには両方買っちゃえ」という事で2種類とも買いました。1枚300円…2枚で600円

(宇都宮城址公園・清明館)
https://www.city.utsunomiya.lg.jp/citypromotion/kanko/meisho/jyiousi/1007275.html

展示室は閉まっていたけど…櫓はまだ開放されていたので…その見学へ向かいました。まずは富士見櫓(2枚目)…江戸時代には周辺にここより高い建物が無かったため…富士山が見えた事から、そう名づけられたと案内板に書いてありました🗻

櫓は2階まであるのですが、2階部分は閉鎖されており(階段さえ登れない)1階部分の見学のみになりました

富士見橋には…櫓の模型がありました(3枚目)。だいぶ壊れかけていたけど…誰かが造ってそれを寄贈したのではないでしょうか?「触らないでください」の注意書きがあったので…それを見てからは…触れないようにしました

櫓内は土足厳禁…入口で履物を脱いでから上がる必要がありました。時々他の客も来るけど…私一人の時もある…そんな中でふと思い浮かんだ感情は…

ここで腕立て伏せがしたい💪

私一人のタイミングで…まずはここで20回やりました…家でやる時は下が畳…対してここは床が硬い木板のため、一回あたりの身体への負担が大きく…両腕で身体を上げるのが(家でするよりも)重い…そのため(家では40回できるのが)ここでは20回が精一杯

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城とマスク

ライトアップの宇都宮城 (2025/04/04 訪問)

東武百貨店でアントニオ猪木展を観てから宇都宮城に寄りました。ちょうど夜になりライトアップされていました。桜🌸は少し散ってしまいましたがとても綺麗でした。

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しんちゃん

秘密基地みたい (2024/09/14 訪問)

宇都宮城の始まりは平安時代に藤原秀郷または藤原宗円によって築かれたとされています。宗円は宇都宮氏の祖となる人物で、前九年の役にて功を立て、宇都宮大明神の座主の地位と、毛野川流域一帯の支配権を認められました。その後、長らく宇都宮城は宇都宮氏の居城となり、豊臣秀吉の小田原攻めの後も所領を安堵されますが、慶長2年(1597)に宇都宮国綱が突如改易され、その後蒲生秀行が18万石で入りました。その後も江戸時代末期まで城主が次々と入れ替わりますが、元和8年(1622)の宇都宮釣天井事件にまつわる謀反の疑いで本多正純が改易されています。
宇都宮城は本丸周辺が城址公園として整備されていますが、土塁にコンクリートで入口が設けられていたり、エレベータが設置されていたりで、コレジャナイ感が盛り盛りです。私は正直居心地は良くないですが、市民の皆さんが喜んでいるのならいいのかな?

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城郭情報

分類・構造 梯郭式+輪郭式平城
築城主 藤原秀郷?、藤原宗円?
築城年 平安時代後期
主な改修者 本多正純
主な城主 藤原氏、宇都宮氏、本多氏、奥平氏、戸田氏
廃城年 明治元年(1868)
遺構 土塁
再建造物 清明台櫓、富士見櫓、土塁、堀、土塀、石碑、説明板
住所 栃木県宇都宮市本丸町
問い合わせ先 宇都宮市教育委員会事務局文化課
問い合わせ先電話番号 028-632-2767