宇都宮城本丸の土塁北西部にあった櫓で、江戸時代の絵図には二階建て瓦葺きで描かれており、広さ三間(5.9m)×三間半(6.9m)と記録されています。清明台のあった部分の土塁は、ほかの部分よりも高く、天守閣の役割を果たしていたのではないかと言われています
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清明台の案内文(1枚目) 富士見櫓の見学後にここも見学。宇都宮城址公園に天守閣は存在しないのですが、遠くから見ると…この櫓がそれっぽく見えるかもと言えばそうなので(2枚目)…「天守閣の役割を果たしていたのではないか」と言われると…そうかもしれない🏯
城址公園は橋を渡って外に出てみると…水堀に囲まれた造りになっている事が分かる…水堀の外から清明台を見てみると(2枚目)天守のように見える…かつ高い土塁の上にあるため、堅固な守りをしているようにも見えますね
城址公園は中庭が清明館ならびに芝生となっており、そこでサッカーをして遊ぶ若者がこの日もいたのですが⚽️富士見櫓と清明台は高い土塁の上にあり、階段もしくはエレベーターで移動する形になってました。行きは階段で、帰りはエレベーターで行き来した私🛗
清明台の中(3枚目)…富士見櫓と同様…ここも2階は非公開…階段自体が封鎖されていました。ここには(富士見櫓と違って)櫓の模型もなく…学校の教室程度の広さの空間があるだけ
そしてここでも…やりました腕立て伏せ😁富士見櫓で20回…体力も回復したのでもうワンセット💪20回×2→40回この日取り組んだ自分。家でやる時と回数は変わらないのに…一回一回の腕への負担が違うせいか…質の濃い筋トレが出来たかなと思えました✌️
家に帰ってからでも出来るっちゃできる…けれど何でしょうね?外でやる腕立て伏せは格別みたいな…この感覚…宇都宮城に昔いたであろう先人達の御加護を私は受けているのでしょうか?
サッカーしたり腕立て伏せしたり…今はすっかり平和なムードの…ここ宇都宮城⚽️💪⛲️しかし戊辰戦争において…この城は激戦地となった過去があるのを貴方はご存知でしょうか?
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%83%BD%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
詳細は↑のWikipediaをチェックしてください。要点だけ紹介すると…
・慶應四年(1868年)の宇都宮城の戦いにおいて、城の建物は(二の丸御殿や三の丸の武家屋敷など)ほぼ全て焼失
・旧幕府軍と新政府軍の戦いは2度おこなわれ…初戦は幕府軍の勝利。政府軍の方が軍備は最新式というイメージあるが、この時は幕府軍の方が(フランス製の)最新式兵器を備えており、政府軍の方が旧式で脆弱だった
・政府軍は一度城を明け渡し撤退…20000の味方と合流してから2戦目がおこなわれた⚔️🔫💣幕府軍の兵数は2000…数の暴力もあり次第に劣勢になる幕府軍
・首の無い死体が幾つも転がる…城だけでなく二荒山神社など周辺の建物も多くが焼失するカオスな状況…そんな中、幕府軍の1人が敵前逃亡を図るも、新撰組鬼の副長に斬り捨てられる💀
・逃げようとする者は斬る…という恐怖で戦線を維持しようとする新撰組副長ならびに幕軍首脳。しかし戦局の波には逆らえず…宇都宮からの撤退を決意。以後…会津→函館と(幕軍は)北へ転戦するわけである
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