うつのみやじょう

宇都宮城

栃木県宇都宮市

別名 : 亀ヶ岡城
旧国名 : 下野

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夏の雪だるま

関東七名城 (2016/07/17 訪問)

栃木県宇都宮市の宇都宮城です。関東七名城の一つで平安時代後期に宇都宮氏がこの地に館を置いたのが始まりとされます。益子氏を中心とする紀党武士団、芳賀氏を中心とする清党武士団を家臣に組み入れ勢力を拡大したとされます。戦国時代に入ると17代当主宇都宮成綱は反抗的な家臣を討伐して家臣団を再編、西の鹿沼城を攻略し領土を拡大、北の塩原の地をめぐり芦名氏と争い片角原の戦いで破り自領としてます。1514年佐竹・岩城氏連合軍が2万の大軍で宇都宮氏の下野国に侵攻するも撃退。さらに1516年再度佐竹・岩城氏は大軍を率いて侵攻。宇都宮氏は大いに破り逆に佐竹領へ侵攻。北関東の実力者となっています。しかし、成綱死後、跡を継いだ忠綱は無謀な戦いを行うようになり家臣の謀反が起こり家中は混乱。家臣の壬生氏が宇都宮城を占領。これに対して宇都宮氏は忠臣芳賀氏に支えられ1557年宇都宮城を奪還。1558年には上杉謙信が、1572年には北条氏政、1574年には武田勝頼が攻撃してきますが、これらをすべて撃退。その後小田原北条氏に対抗するため佐竹氏・結城氏らとともに反北条連合を結成、北条軍と戦っています。そして、1590年豊臣秀吉の北条征伐に参陣、本領を安堵されています。その後理由は不明ですが1597年突如宇都宮氏は改易処分を受け、宇都宮領には蒲生氏が入封。1601年には奥平氏、さらに1619年には本多正純が15万5千石で城主となり、城を大改修しています。しかし、1622年釣天井事件と呼ばれる謀反の疑いにより改易。その後、城主はめまぐるしく替わり江戸時代後期戸田氏が城主となり明治維新を迎えています。戊辰戦争では官軍の攻撃により城は炎上灰燼に帰しています。城は本丸を中心に堀を廻らし二の丸、三の丸、外曲輪を配した東西・南北1kmの規模の平城で、現在城跡は開発により市街地となり、本丸の一部が宇都宮城址公園として富士見櫓、清明台櫓、土塀、土塁などか復元されています。今後も、復元計画があるようです。

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くろもり

リスペクトユー (2013/10/19 訪問)

下野国の名家である宇都宮氏が長らく居城としていた宇都宮城。
江戸期には四重の堀で囲まれた巨大な近世城郭の威容を誇っていたはずですが、戊辰の役で灰燼(かいじん)に帰し、残されていた堀や土塁は太平洋戦争での宇都宮大空襲で、B-29重爆撃機による爆撃にさらされ・・・

それでも、昭和30年代くらいまでは外堀等も残っている場所もあったようですが(本丸の土塁も昭和30年頃の古写真で確認できるのですが)、現在は防災施設の公園として生まれ変わっています。

復元された土塁はコンクリートで確かに見た目は違和感がありますが、清明台と富士見櫓は木造で復元されており宇都宮城も喜んでいるだろうなと感じました。

名門・宇都宮氏の居城、釣天井事件の舞台、宇都宮城の戦い、宇都宮大空襲と経験してきた宇都宮城にはリスペクトの念しかありません。今の宇都宮城の姿には「お疲れ様でした」と一声かけたいです。

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へいくろう

宇都宮餃子祭り開催でした (2018/11/04 訪問)

日光に行った翌日に、餃子祭り開催中の宇都宮城へ行ってきました。
少し前にテレビでブラタモリを見ていたので、日光社参を思いながらのお城見学でした。
清明台櫓の2階からは、晴れていれば男体山が見られるということでした。
この日は雲の中で見られずに残念。
復元された堀に土塁に2つの櫓に本丸広場はきれいに整備されていて、当時を感じさせてもらえます。
また宇都宮城ものしり館ではガイドの方が熱心に説明をしてくれました。
それにしても餃子祭りは大盛況でしたよ。
公園内は人でいっぱい。
自分も行列に何度も並んで、いろんなお店の餃子をたらふくいただきました。
美味しかったし楽しかったですよ。

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織田晃司

宇都宮釣天井 (2018/10/06 訪問)

写真は土塁を主体に撮りました。
土塁のトンネルはもちろん写しません。

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城郭情報

分類・構造 梯郭式+輪郭式平城
築城主 藤原秀郷?、藤原宗円?
築城年 平安時代後期
主な改修者 本多正純
主な城主 藤原氏、宇都宮氏、本多氏、奥平氏、戸田氏
廃城年 明治元年(1868)
遺構 土塁
再建造物 清明台櫓、富士見櫓、土塁、堀、土塀、石碑、説明板
住所 栃木県宇都宮市本丸町
問い合わせ先 宇都宮市教育委員会事務局文化課
問い合わせ先電話番号 028-632-2767