佐伯城は標高144m・比高135mの城山山頂に築かれた山城です。慶長7年(1602)佐伯藩初代藩主・毛利高政によって築かれました。
毛利高政は豊臣秀吉の子飼いの武将で、元々は森氏を称していましたが、後に人質として送られた毛利輝元より毛利姓を賜り、毛利氏を称しています。このあたりのいきさつは元ネタである城郭放浪記さんのサイトにも記載があります。本家公認というやつですね。
高政は関ヶ原の合戦では西軍に属し、丹後田辺城攻めに参加しています。西軍が敗れた後も改易を逃れ、慶長6年に佐伯へ2万石で転封となりました。佐伯城は翌年、当時八幡山と呼ばれた城山に築かれたものと見られます。
九州はまだニッポン城めぐりで本格的に攻略が出来ていないので、武将集めに近くまで寄ったのですが、晴天にそびえる本丸の石垣の引力に逆らえず、そのまま登城と相成りました。これは仕方のないことだと思います。
江戸期に藩主の住まう所となった三の丸を通過し、登城道を登って、本丸の石垣にまで到着しました。やはり晴天の下で眺める本丸下からの眺望と、山上の石垣は素晴らしかったですね。
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