菊池公園、菊池神社を散策しました。
駐車場もあり、公園も広く公園も2つありました。
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2026/06/03 09:41
2026/02/27 16:36
菊池一族 栄枯盛衰の地 (2026/02/21 訪問)
鞠智城からの転戦です。一寸榎のバス停から菊池温泉行のバスに乗り10分、菊池温泉市民広場で下車しました。広場には「菊池武光」の像がドンとあります。彼は地元のヒーローのようです。そして像の背後に見える山が「隈府城」です。菊池氏の時代は「守山城(菊池本城)」と呼ばれていたようです。
菊池氏は元寇でも活躍した事が蒙古襲来絵詞にも残る、鎌倉時代から300年続き室町時代には肥後国守護も務めた名門でした。最も有名になったのは南北朝時代の菊池武光です。武光は九州に逃れてきた南朝方の懐良親王(後醍醐天皇の子)を助けるため、北朝方である大宰府の小弐氏を筑後川の戦いで破り勝利します。その時に血のついた刀を洗ったとされる場所が「太刀洗」という地名で今でも残っています(陸軍航空隊があった場所です)。
菊池氏は戦国時代まで続きますが、子がなく嫡流が途絶えると内乱が発生、これに乗じて侵攻してきた大友義鑑(宗麟の父)に乗っ取られ、菊池氏の家老だった赤星親家に与えられます。しかし大友宗麟が耳川の戦いで島津氏に敗れ衰退すると、同じく家老だった隈部親永が龍造寺氏と手を組み、城を奪い取ります。その後の秀吉の九州征伐では、親永は北上する島津氏と戦ったため、秀吉からは領地を安堵され、従来の守山城を改修し隈府城と改名しました。
九州征伐後は、佐々成正が肥後(隈本城)に入りますが、隈部親永は成正の検地に反発し一揆を起こします(肥後国衆一揆)。小早川秀包(久留米城主)黒田官兵衛(中津城主)らに鎮圧されますが、これにより隈部氏は滅亡し、隈府城は廃城となってしまいました。佐々成正も秀吉から許されず切腹となったようです。その後は肥後に入った加藤清正によって統治され、赤星氏はここで清正から家臣として取り立てられたとか。ちょっとややこしい話ですが、菊池にはこんな歴史があるようです。
菊池温泉市民広場のバス停前には足湯♨があり、熊本駅行のバスまで20分あったので、浸かりながらバスを待ちました。鞠智城から1日中歩き回って足が疲れたので、この温泉はとても効きました!😊。
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2026/01/18 11:21
20190622隈府城(熊本県菊池市) (2019/06/22 訪問)
菊池神社とその周辺を散策
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2025/05/31 15:41
隈府城 (2025/03/22 訪問)
【隈府城】
<駐車場他>菊池神社駐車場
<交通手段>車
<感想>2泊3日西九州旅3日目12城目。隈府城は菊池城とも呼ばれ、菊池十八外城の1つです。正平年間(1346~1370年)に菊池武政によって築城され、菊池氏の本拠地となっていました。菊池氏は戦国時代に内紛を繰り返し次第に衰退し、菊池城は菊池三家老の一人赤星氏が城主となり、1578年に対立していた菊池三家老の隈部親永に城を奪われます。秀吉の九州平定後は佐々成政の傘下に入りますが、隈部親永は肥後国人一揆の中心人物となります。隈府城は反乱後に破却されました。
現地は明治に菊池神社が建立され主郭場所は社殿があります。駐車場の背後に大きい空堀が残っています。歴史館がありますが5時過ぎていたために終わっていました。
<満足度>◆◇◇
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| 分類・構造 | 山城 |
|---|---|
| 築城主 | 菊池武政 |
| 築城年 | 正平22年〔南朝〕/貞治6年(1367) |
| 主な城主 | 菊池氏、赤星氏、隈部氏、佐々氏、加藤氏 |
| 遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、堅堀 |
| 指定文化財 | 市史跡(守山城跡及び内裏尾) |
| 再建造物 | 石碑 |
| 住所 | 熊本県菊池市隈府1257 |
| 問い合わせ先 | 菊池市教育委員会生涯学習課文化振興係 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0968-25-1672 |