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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征20日目:蓮華山城 (2026/05/30 訪問)

宿泊先のホテルから車で10分くらいで、比叡神社付近空スペース付近(34.108553、132.078526)に着きました。
そこから、本コース(室ヶ迫)と市の滝観音コースの登山口分岐点(34.112389、132.073452)に向かいました。
自分は市の滝観音コース(直進)を選択しました。蓮華山まで2Kmくらいだと思います。

築城年代は定かではないようですが、関東管領・上杉憲実に従って周防国に下向した太田時直の頃(享徳年間以降)と、大内氏、後に毛利氏に従った椙杜(すぎもり)隆康の時代(天文年間(1532年~1555年))の築城説があるようです。
1555年(弘治元年)陶晴賢が厳島合戦で敗れると、毛利の軍勢は周防・長門国への侵攻を開始しました。
蓮華山城椙杜隆康、鞍掛山城主杉隆泰、瀬田城主小方元康も毛利氏に降ったが、杉隆泰は大内義長に内通していたことから、毛利氏に攻められ鞍掛山合戦となり、毛利軍は鞍掛山城の搦め手側である蓮華山城から攻め落としました。
椙杜隆康は嗣子に恵まれなかったことから、毛利元就の五男元秋を養子に迎えますが、元秋は出雲国富田城督として迎えられた為に椙杜家から去り、代わりに元就の八男元康を養子に迎えました。
しかし、この元康も元秋の死後出雲国富田城督となって去った為、志道元保の二男元縁を養子に迎えて家督を譲ります。
1588年(天正16年)椙杜元縁は長門国且山城主を命ぜられ蓮華山城は廃城となりました。

比叡神社入り口を少し北側に行った所に登山道入口の道標があります。
遊歩道ははっきりとしているので迷うことはありません。それにしても高い。
攻城時間は110分くらいでした。次の攻城先=源氏武田氏屋敷(城びと未登録 山口県岩国市)に向かいました。

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にのまる

もうひとつの五稜郭 (2026/06/26 訪問)

上ノ国勝山館(大留)からバスに1時間20分揺られて14:30に木古内着。道の駅「みそぎの郷きこない」でいさりび鉄道グッズを自分へのお土産に購入し、15:19発の列車で函館に向かいました。(五稜郭まではおときゅう範囲外)

函館から市電函館どつく行きに乗り終点で下車。
電停目の前の公園が弁天岬台場跡で、説明板がありました。現在はその面影はありませんが、函館五稜郭と同じ武田斐三郎設計の不等辺六角形の台場で、新選組終焉の地でもあるそうです。

台場の転用石があるという防波堤……行っていません😭時間はたっぷりあったのに全く何を見に行ったのやら。やはりブラタモリでの事前学習は必須です。いや、事前学習なしでも某アプリのリア攻めマップを見れば親切な方が記録してくださっているのに😢(赤い城さんに教えていただいていつもとても重宝しているのですがこの時は失念していました😢)
なのでかなり消化不良ですが、圡方歳三と新選組隊士の供養碑のある称名寺に行ったり、周辺を気持ちよくお散歩したりできてよかったです。

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べっち

能島城 (2026/07/05 訪問)

クラブツーリズムの福山ガイド同行ツアーで行った

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フカチャンマン

高虎PR館 歴史講演会 「在りし日の津城」講師:三浦正幸氏

大河ドラマ「豊臣兄弟!」で大活躍している築城の名手藤堂高虎公
その藤堂高虎公が手がけた集大成の城「津城」
この度、津城に深く関わっていただいている 三浦正幸先生をお招きして、城の理想的形態を備えた天下の名城「津城」の魅力に迫っていただきます。
三浦先生は、大河ドラマ「豊臣兄弟!」を始め、たくさんの大河ドラマの建築考証をされておられます。
また、全国各地の城の整備委員をされておられます。

歴史講演会にご参加いただき、津城の魅力を皆様の目で確かめていただきたいと思います。
ただいま津センターパレス1階では、「高虎PR館」(入場無料)がオープンしており、津城模型や高虎公と豊臣秀長公の関係資料も展示し、ガイドも常駐しております
この機会にぜひともご来場ください

【歴史講演会の概要】
日時 9月4日(金) 15:00~16:30(開場14:30)
場所 津リージョンプラザ3階 お城ホール
(三重県津市西丸ノ内23-1)
入場無料(先着500名 定員になり次第受付を終了)

申し込みはチラシのQRコードよりお願いいたします。

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べっち

徳島城 (2026/07/04 訪問)

自分でツアーのついでに行った

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べっち

河後森城 (2026/07/05 訪問)

クラブツーリズムの福山ガイド同行ツアーで行った

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べっち

岡豊城 (2026/07/04 訪問)

クラブツーリズムの福山ガイド同行ツアーで行った

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べっち

一宮城 (2026/07/04 訪問)

クラブツーリズムの福山ガイド同行ツアーで行った

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べっち

勝瑞城 (2026/07/04 訪問)

クラブツーリズムの関本ガイド同行ツアーで行った

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べっち

松江城 (2026/06/22 訪問)

クラブツーリズムの関本ガイド同行ツアーで行った

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べっち

引田城 (2026/07/03 訪問)

クラブツーリズムの福山ガイド同行ツアーで行った

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べっち

月山富田城 (2026/06/22 訪問)

クラブツーリズムの関本ガイド同行ツアーで行った

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べっち

鳥取城 (2026/06/21 訪問)

クラブツーリズムの関本ガイド同行ツアーで行った

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べっち

津山城 (2026/06/21 訪問)

クラブツーリズムの関本ガイド同行ツアーで行った

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べっち

岡山城 (2026/06/21 訪問)

クラブツーリズムの関本ガイド同行ツアーで行った

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べっち

備中松山城 (2026/06/20 訪問)

クラブツーリズムの関本ガイド同行ツアーで行った

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べっち

鬼ノ城 (2026/06/20 訪問)

クラブツーリズム関本ガイド同行ツアーで行った

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イオ

高野瀬城(滋賀県犬上郡豊郷町高野瀬) (2026/01/04 訪問)

高野瀬城(城びと未登録)は、築城時期は不明ながら近江国守護佐々木氏に仕えた高野瀬氏が築いた城で、高野瀬氏代々の居城となりました。戦国期に高野瀬隆重が六角氏の命により肥田城を築いた後も高野瀬城は存続しているようです。

城跡は工場建設により遺構のほとんどが失われていますが、工場南辺の道路沿いに高野瀬城趾の石碑が、工場東側の高野瀬城趾バス停脇には高野瀬城址の標柱が立てられています。工場建設前の城跡は竹藪になっていて藪の中に土塁や堀が見られたようですが、現在は工場南西隅から南へ続く道路の東側(東馬場)の竹藪が唯一遺る土塁のようです。
 

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征19日目:三丘嶽城 (2026/05/29 訪問)

須々万沼城から車で35分くらいで、貞昌寺側登山口付近空スペース(34.052407、132.000529)に着き、そこに路駐しました。
そこから、登山口(34.052520、132.000801)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、大内氏の城番として、桂兵部少輔元親、三丘隼人之介、倉田治部大夫、井原四郎兵衛などの名があるようです。

登城口は貞昌寺の南から高速道路の下を北へ潜った所にあり、入口付近に駐車できます。
土塁と石垣を確認しました。巨石が多く城壁として取り込まれているようです。
攻城時間は90分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
このまま本日の宿泊先に車で向かいました。
歩行歩数=22969歩、歩行距離=16.0Kmです。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征19日目:須々万沼城 (2026/05/29 訪問)

米光城から車で30分くらいで、保福寺駐車場入口(34.123636、131.866151)に着きました。
そこから、保福寺山門入口(34.123519、131.865698)で説明板を確認➡山崎伊豆守興盛自刃の地碑(34.125819、131.865379)➡ケアハウス周南温泉駐車場入口(34.124667、131.865521)に向かい、土塁を確認しました。

須々万沼城は室町時代に築かれたようですが、築城者は不明です。
1555年(弘治元年)からの毛利元就による防長経略では、鞍掛合戦に続く大きな戦となりました。
大内氏の家臣・山崎興盛、江良賢宣らが籠城して、攻め寄せる毛利軍と度々戦いました。
1557年(弘治3年)城内へ毛利軍が乱入。城内に籠った一般人の老若男女1,500人(3,000人とする説もあり)も斬殺され、城将山崎興盛・隆次親子は自害、城主の江良賢宣は城を出て降伏、須々万沼城は落城しました。

現在の城跡は住宅や各種施設が建っており、遺構らしきものはケアハウス周南温泉駐車場に土塁がありました。
保福寺の正門前に説明板がありました。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=三丘嶽城に向かいました。

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