熊の出没が怖くて遺構に近寄らず。熊鈴は貸し出しあります。展示の見どころが多い。アイヌの埋葬
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2026/07/05 00:09
熊出没注意!! (2026/06/27 訪問)
熊の出没が怖くて遺構に近寄らず。熊鈴は貸し出しあります。展示の見どころが多い。アイヌの埋葬
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2026/07/05 00:04
16年ぶりの登城 (2026/06/27 訪問)
続100名城に登録されて整備が進みました?
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2026/07/04 22:53
雨にいざなわれたのかな,それとも…☔ (2026/06/26 訪問)
『6月26日に山口県岩国市の未投稿城「成君寺山城」を攻めてきます。雨がすごかったら「亀居城」に変えます』と予告しておりましたが,どちらもダブルタイフーンの影響で断念しました…<泣>。
6月26日,この日も山口県内在来線が全て運休。「成君寺山城」へアクセスする錦川清流線も運休。岩国駅から広島方向の在来線は,速度を落としながらもかろうじて動いてました。「止まってしまうのも時間の問題かな…?」と判断し,途中下車して「亀居城」という選択肢も断念。昼ごろには広島駅に到着。まずは荷物を預けに宿泊先のホテルへ。赤いローソンを過ぎて,赤いロゴの東横インへ。このホテルのことは,にのまるさんがレポートしておりますので割愛します。
にのまるさん,この時点でもまだまだ気が抜けなかったんですよ。ねぎらいのお言葉,ありがとうございますm(__)m
すでに,トラブルさえも楽しんでいるような…<苦笑>。
さて,広島県内の大雨ピークは概ねこの日の夕方~夜間にかけて。ふと,赤い城さんのクイズで出題された「広島城の暗渠」を思い出しました。以前は素通りし,撮影もしておりません。これは赤い城さんにいざなわれたのか,雨にいざなわれたのか…☔
天守はすでに入れませんが,三の丸歴史館を建設中のハズ。ちょいと見てくるにはベストなタイミングに思え,レッツゴー👣
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2026/07/04 18:56
鮫ケ尾城:2024年9月5日:続100名城-43 (2024/09/05 訪問)
別名:宮内古城
駐車場無料。公園事務所に続100名城のスタンプがある。
御館の乱で上杉景虎の決戦の地。
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2026/07/04 18:45
2026/07/04 18:30
2026/07/04 18:08
2026/07/04 17:46
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2026/07/04 16:10
2026/07/04 15:50
熊本城外回り (2026/06/20 訪問)
さすがの熊本城、ものすごい数の投稿と写真ですなあ。前回登城は、だいぶん前、本丸御殿が再建されて(2008年)しばらくしてからでした。今回は、震災からの復旧状況・工事を見学するのと、熊本城が立つ、阿蘇山からの火砕流の高まりを実感するのを目的にして、参りました。
熊本城の前身となった隈本城は、砦規模で、火砕流のほんの先端にあったのを知りました。火砕流の高まり(茶臼山)全体は大きすぎて、縄張りのしようがなかったのでしょう。長塀前を東に進み、熊本城東側の東竹の丸の石垣(法面)が火砕流台地の高さと急峻さを感じさせてくれました(写真3)。北大手門前の堀は、火砕流の台地を大きく掘り切っています(写真4)。二の丸は、写真1のように、観光用の縄張り図には描かれないことが多いです。上級武士の屋敷地&豊前街道、豊後街道を引き込んだ二の丸の際(きわ)の処置が気になってました。西側の堀、南側の石垣を見てきました。二の丸の西端から天守閣を眺めるととても遠いです(写真9)。まだ、この西側に三の丸があるとは、巨大です。
市役所の14階にレストランがありランチしつつ、熊本城を眺められました。熊本城の後、水前寺公園に行きましたが、雨脚が強くなり、通路が小川になって、ゆっくり景色を眺めている余裕はありませんでした。阿蘇山も雨雲の中で残念。
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2026/07/04 15:36
2026/07/04 15:22
岩崎城:2024年2月24日:その他城-48 (2024/02/24 訪問)
無料駐車場、模擬天守、資料館有り。
小牧長久手の戦いの激戦場の一つ。
(長久手古戦場の碑は別のところ)
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2026/07/04 06:09
(中国地方と兵庫県)遠征15日目:大可島城 (2026/05/25 訪問)
福山城(岡本家長屋門)から徒歩5分ちょっとで、圓福寺入口(34.381686、133.383089)に着きました。
1342年(康永元年・興国3年))岡部出羽守によって築かれたと云われています。
ここは南北朝時代鞆争奪の古戦場で,現在は陸続きとなり円福寺が建てられているが、かつては島であり、そこに大可島城があったそうです。
1342年(康永元年・興国3年)南朝方の伊予川之江城は、北朝方によって攻撃され、南朝軍は川之江に援助に向ったが、途中北朝側の備後勢と燧灘で遭遇し大合戦となり、折からの風で鞆方向に流されました。
そこで鞆を攻撃し占領、大可島を詰城として拠点を構えました。これに対して北朝側は鞆の小松寺に陣し、激戦十余日に及んだが、南朝軍は本拠川之江城危うしの報に、備後服部の桑原重信を残し伊予に引き返しました。
北朝軍は南朝方が籠もる大可島城を猛攻して落城させ、桑原氏を滅ぼしました。世にいう鞆合戦の城跡で、城地にある石塔は桑原一族の墓と伝えられています。
戦国時代には織田信長に京を追われた足利義昭が鞆城に滞在していたため、警護として因島村上氏の一族・村上亮康が大可島城に在城していました。
城址は圓福寺の本堂になっています。圓福寺境内に説明板が設置され、入口の脇に桑原一族の墓と伝えられる墓地があります。
本堂の屋根に乗っている狛犬が鯱を思わせてお城のイメージを彷彿とさせます。
海沿いの高台にあるので、瀬戸内海の島々がキレイに見えましたが、岬側は私有地のようです。
攻城時間は25分(鞆の浦歴史民俗資料館駐車場までの徒歩移動含む)くらいでした。次の攻城先=相方城に向かいました。
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