宮尾城を攻城する為、広島駅からJR山陽本線とJR西日本宮島フェリーを利用して宮島港に着きました。
宮島港からすぐの場所に、要害山登り口(34.301072、132.321736)があります。
1555年(弘治元年)毛利元就によって築かれました。
1553年(天文22年)大内義隆が家臣陶晴賢に滅ぼされると義隆の姉婿である石見国津和野城の吉見正頼は陶氏打倒に立ちあがります。
陶氏、吉見氏双方から味方に付くように催促のあった毛利元就は意を決し陶氏を討つ為に挙兵します。
元就は安芸国南部の諸城を落とし宮尾城を築くとともに草津城・仁保城・桜尾城などの整備を行います。
陶軍約二万は宮尾城攻略のため厳島に上陸し勝山城に本陣を置き、さらに本陣を塔の岡へ進め籠城する宮尾城を攻め寄せます。これに対する籠城兵はわずかに300名余りだったそうです。
元就は能島、来島、因島の三島村上水軍を味方に付ける事に成功します。小早川隆景を海路から、元就・吉川元春が率いる主力は包ヶ浦に上陸し博奕尾を越えて陶本陣を急襲しました。
この結果、陶晴賢は自刃し大内家は急速に没落、やがて毛利氏に駆逐されました。
以上が、1555年(天文24年)毛利元就と陶晴賢が戦った「厳島の戦い」ですが、宮尾城はその舞台となった城です。
かつては元就が晴賢をおびき寄せるための囮として築城したとされていましたが、近年の研究では大内氏の城がそれ以前から存在しており、元就はそれを占拠し改修したとする説が有力のようです。
フェリー桟橋から厳島神社に向かうと、登城口の「要害山、厳島合戦史跡」の案内表示があり、5分も登れば要害山の小高い丘に到着し、その奥に今伊勢神社建てられています。
攻城時間は15分くらいでした。次の観光先=石の大鳥居・御笠浜に徒歩で向かいました。
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