三木城から東へ5kmの所にある平井山にある秀吉の陣跡まで行ってきました。神戸鉄道の「上の丸」駅からさらに1駅の「恵比須」駅で下り、そこから気温32度と暑かったので、行きは登山口(駐車場)までタクシーを使い(1200円)、帰りは1時間かけて歩いて駅まで戻りました。登山口(写真①②)からは整備された自然遊歩道(太閤道)があり、約10分の軽い登りで本丸まで行く事ができます(写真③④⑤)。
登山口から300m下った場所には、三木城攻めの最中にここで亡くなった、竹中半兵衛の墓がありました(写真⑧⑨⑩)。今の発展した福岡市があるのは、松寿丸(=黒田長政)を匿ってくれた竹中半兵衛のおかげでもあるので、福岡市民として墓に手を合わせてきました。
本丸の木々の間からは三木城が見えました(写真⑥⑦)。あの周りには、蟻の這い出る隙間もないほどの羽柴の軍勢で取り囲まれていたと思います。そして秀吉と秀長は、ここからその様子を1年10カ月に渡り眺めていたのですね。
長い籠城戦を最後まで見届ける事ができなかった半兵衛は、どんな思いでこの平井山から三木城を眺め、そして亡くなって行ったのでしょうか? また秀吉や秀長は、どんな思いでここから別所長治の自刃する様子を見届けていたのでしょうか? 5年にも及ぶ長い播磨平定をかけた戦いが、ようやくこれで終結し、ほっと安堵した半面、干し殺しという残虐な方法とった事に、後ろめたい気持ちもあったのではないでしょうか・・・🤔。
しかしまたしても、ゆっくりしている暇はありません。鳥取城の山名豊国が毛利方に付いたため、信長から「因幡を攻めよ」との命が下ります。
次は鳥取城を訪れ、因幡平定をたどって行こうと思います。
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