志賀城(城びと未登録)は、文献資料に登場せず築城者も築城時期も不明ですが、高野山領内に築かれていることから高野山に従う在地土豪の城と考えられます。
国道の広い路側帯(34°13'17.3"N 135°30'32.2"E)に路駐して登城開始。大日寺への道を進み、山手の民家(廃屋?)を過ぎたあたりで山に入ります。明瞭な登城道はないので5分あまり直登して主郭部の南下をめぐる帯曲輪に到達。主郭部へと登る前にまず南尾根の曲輪群に向かいましたが、削平が甘い上に藪化していました。南端の曲輪で引き返して主郭部へ。主郭南西下段の曲輪を経て主郭に取りつくと、主郭南面にはわずかに石積みが見られました。主郭の周囲にも土塁や竪堀などは見当たらず、主郭から北に続く尾根を堀切で遮断しているくらいでした。
高野山勢の城には珍しく複数の曲輪を連ねた山城ですが、堀切が一条あるのみで土塁も竪堀もなく、防御の意識があまり感じられませんでした。古い時代の城、あるいは外部からの侵攻をあまり考える必要のない高野山領内の城だからでしょうか。
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