円光寺を西に少し行くと、太田本郷城の案内板と石碑が立っています。元亀3年(1572)に上杉謙信の武将河田長親が一向一揆に備えるために築いた「向城」の一つとされています。平成3年と12年の調査で、戦国時代の堀が二本発見され、この堀に囲まれた部分が「北郭」とされ、円光寺は「南郭」に含まれます。なんとなく城址の雰囲気は有りますね。・・堀とか。
天正6年(1578)織田信長の武将・斎藤新五らは飛騨方面から当地に攻め入り、河田長親が撤退した後、ここを居城としています。円光寺は斎藤新五の菩提寺と伝わっています。
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