高崎城は慶長3年(1598)井伊直政によって築かれました。かつてこの地には和田氏による和田城が築かれていましたが、和田城址を取り込む形で高崎城を築いたとされています。現在残っている遺構は三の丸の堀と土塁のみになるようですが、乾櫓と東門が移築されています。なぜかワラで出来たゾウのモニュメントがありますが、このゾウ 異様に良くできています。良く見るとつぶらな瞳にまつ毛まで生えてますね。キモいくらいのこだわりが実に良いです。
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2025/02/13 22:52
つぶらな瞳だゾウ (2025/02/02 訪問)
高崎城は慶長3年(1598)井伊直政によって築かれました。かつてこの地には和田氏による和田城が築かれていましたが、和田城址を取り込む形で高崎城を築いたとされています。現在残っている遺構は三の丸の堀と土塁のみになるようですが、乾櫓と東門が移築されています。なぜかワラで出来たゾウのモニュメントがありますが、このゾウ 異様に良くできています。良く見るとつぶらな瞳にまつ毛まで生えてますね。キモいくらいのこだわりが実に良いです。
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2025/02/13 22:05
充実した案内看板が嬉しい (2024/04/28 訪問)
堀秀政の従兄弟にして重臣であった堀(奥田)直政の家系からは三つの大名家が生まれているが椎谷藩もそのひとつ。藩の台所は常に火の車だったらしいが陣屋跡は想像以上に立派だった。案内板が多いのも見学者には嬉しい配慮。
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2025/02/13 21:27
小里城 (2024/12/28 訪問)
【小里城】
<駐車場他>小里城跡駐車場あり。
<交通手段>車
<見所>石垣・本城枡形
<感想>日帰り小里城攻め旅3城目、本日のメイン。現地説明板によると小里城は1532年に小里光忠によって築城されたとされます。1572年(1570年の間違い?)の上村合戦で嫡男の小里光次が討死します。1574年に織田信長は岩村城攻めの拠点として池田恒興を小里城に配して改修を命じます。その後1576年に織田信忠が入城し石垣・土手・3重櫓を新築して小里氏に与えたとされます。関ヶ原後は小里氏は幕府の旗本として小里城を取り壊して麓に陣屋を築きます。1623年に小里氏は嗣子がいないため断絶し陣屋も取り壊されたようです。
登城口から陣屋跡の石垣が観察できます。陣屋跡は山の中腹下部に築かれていて山の稜線に沿って横に広く曲輪を段にしています。曲輪段の石垣と大手の石垣が見事に残されていて見応えがあります。
城跡は山城であり中腹の巨石で挟まれた通路を通ったり、巨石の転がる大手虎口を通ったりして山頂に向かいます。山頂付近からは2郭に入ります。石垣がお出迎えします。登城道の石垣と2郭の曲輪壁の石垣が見事です。2郭から上段に行くと主郭に入り天守台(現地では本城枡形と書いてありました)がいきなり見えて圧倒されます。天守台のある主郭は比較的小さく、主郭の南から西側にかけて広い副郭を備えています。副郭からさらに南にかけて傾斜になって最後は横広の腰曲輪で終わっています。副郭から傾斜にかけて廃城のためか巨石がゴロゴロと散らばっています。中には巨石間に苗木城で見たちょこっと間詰めした石垣が残り崩していない箇所が分かります。
天主台ですが現地説明板に後世地元の村民の有志で修復を施しているようで、どこまで手が加えられているかちょっと分かりませんでした。天主台の中に礎石が表面観察で見受けられれば重層の建物があったのでしょうが、半地下構造の石積みもどうでしょうか?石積み南面の巨石を抱き込んだ造りは見応えあります。やっぱりいい石垣遺構をみるとその上に建っていた建造物の想像は尽きないです。
<満足度>◆◆◆
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2025/02/13 21:25
新田氏の庶流・岩松氏 (2025/02/02 訪問)
下田島城は高等学校の敷地内にあるので当然入ることは出来ません。校内には土塁が残っているようで、売り物件の敷地のあたりから写真を撮らせていただきました。江戸時代の旗本・岩松秀純により築かれたとされています。新田氏の血筋であったためか徳川の時代では冷遇されていたようですね。城というより屋敷の様なものでしょうか。
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2025/02/13 21:14
特別史跡 国宝彦根城 (2035/02/09 訪問)
天秤櫓と太鼓門櫓を通過すると、国宝の天守閣のある本丸に到着します。城域は特別史跡に指定され、天守と附櫓、多聞櫓が国宝に指定されています。天守以外にも多くの建造物が残っていて、季節ごとに訪れたくなる名城です。
天守は大津城がら移築されたという伝承があり、小ぶりな天守と言われていますが、入って見ると案外広いです。天守から眺める琵琶湖や彦根の街並みも良いですね。
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2025/02/13 21:12
尚巴志による三山統一の拠点の城 (2024/12/30 訪問)
糸数城から10分、大里城址公園前にある体験交流センターの駐車場から登城開始。
広場になっている二の郭を通って一の郭へ。一の郭の西側の高台は物見台跡らしく、物見台に続く道には当時の石垣に使った石材なのか琉球石灰岩が散乱している。15分の攻城。
首里城に近いホテルに宿営し夜討ちをかける。
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2025/02/13 20:54
赤松祐尚 (2025/02/13 訪問)
赤松満祐の弟上原民部大輔祐政により築城されたと伝わります。嘉吉の乱の際、山名宗全の軍勢に攻め落とされました。天文年間に赤松祐尚が再建し、城の裾野に陽松寺を建立、嘉吉の乱で討ち死にした家臣や一族を供養する墓を境内裏に建て、寺社の整備、耕地の整理、市場の開設等多くの善政をしいて領民から慕われましたが、尼子氏により滅ぼされました。
曲輪、堀切、土塁などが残っています。
陽松寺脇の登城口から登っていきます。登城路も城域もよく整備され散策しやすい城址です。登城口にある坊獣フェンスの入口から15分くらいで本丸に行くことができました。
姫路駅からバスに乗り笠屋バス停下車、バス停から陽松寺まで徒歩10分くらいです。小谷区公民館前の駐車場に説明板があります。
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2025/02/13 19:17
鯨🐳 (2025/01/05 訪問)
今年の城はじめも昨年と同じく櫛崎城でした。隣接する病院へ行った際に駆け上がったというのも同じです。
ここに水族館があった頃の遺構である鯨🐳、優しい目をしています。
トクさんへ。
お返事遅くなり申し訳ありません。地元のおすすめお菓子は、外郎(御堀堂)と豆子郎と巌流焼と利休さんと阿わ雪(松琴堂)です。江戸金の亀の甲せんべいやうにパイも好きだったんだけど、なくなったみたい⁉︎
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2025/02/13 17:37
2017.11.26登城 (2017/11/26 訪問)
別府湾を見下ろせるところに高崎山があり、高崎山城址となります。
今回は家族旅行で来ていたため、登城ではなく、中腹にある高崎山動物園の猿を見に行きました。
山頂付近に遺構が残っている様ですので、次回、機会があれば、登城してみたいところです。
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2025/02/13 17:31
西之表港から徒歩圏内です❗ (2025/02/01 訪問)
鹿児島港からトッピーという高速船に乗り種子島の西之表港へ。そこから徒歩10分程度です。
土塁や石垣が残っていて、階段を登ると、、、広大な校庭の小学校が👀 お城の大きさが目に浮かびます✨
近くに鉄砲館があり、種子島や沖合いに浮かぶ馬毛島の歴史も学べます。運が良ければロケット発射にも立ち会えるかも‼️(私は、、、残念😖荒天延期になり、ロケット発射の楽しみは次回に持ち越しです😊)
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2025/02/13 15:55
2017.11.26登城 (2017/11/26 訪問)
中津川の河口付近に位置し、日本三大水城(他は今治城、高松城)の一つです。
現在は、本丸の石垣と水濠が現存しており、模擬天守が建てられています。
模擬天守ながら、二重櫓と共に石垣と水濠にマッチしていて、往時が偲ばれる城址です。
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2025/02/13 12:45
小松原館 (2025/02/11 訪問)
城びと先人が亀山城について詳しくレポートしておられるので、城主の湯川氏の居館について。
亀山城を詰めの城として、亀山城南側、山麓から少し離れた平地に湯川氏の小松原館がありました。室町時代には幕府の奉公衆として位置づけられた、有力者でした。小松原館は、200m四方の大きさを誇ったと。現在は、紀央館高校と湯川中学校の敷地になっています。
小松原館は、熊野街道沿いの宿として発達した小松原の北に隣接して築かれたと。そして、街道に関所を設けて熊野詣に訪れる人々から、関銭を取ったとのこと。
湯川中学校南側側に湯川子安神社があり、小松原館の庭のなごりである、土盛と池が残っています。
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2025/02/13 11:43
2017.11.26登城 (2017/11/26 訪問)
杵築市の中心部の近くの台山上に位置し、城山公園として整備されています。
現在は、周りを埋め立てられてしまっていますが、往時は三方を海に囲まれた要害だったことは、今でも想像は難しくありません。
城下町も保存地区に指定されていて、散策も楽しめる城址です。
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2025/02/13 08:49
③【護佐丸と沖縄6城】(2)今帰仁城(1/2) (2025/02/05 訪問)
2城目は、護佐丸が討伐軍として戦い、その後に約5年間監守として過ごした「今帰仁城」です。那覇の県庁北口から「やんばる急行」に乗り170分(含遅着30分)、今帰仁城に到着です(写真①)。バスを降りると目の前が登城口で、入場券売り場や100名城スタンプもありました(写真②)。このバスは途中「美ら海(ちゅらうみ)水族館」にも停車しますので、水族館へも行きたい方は途中下車してまた乗ればいいと思います(バスは約1時間毎に運行)。
そして登城口まで行くと・・・圧巻!そして感動です! 私がこの時期の沖縄を選んだ最大の理由は、まさにこの今帰仁城の桜のトンネルを歩いてみたかったからです。城壁と桜と海のコントラストは最高でした。しいて言えば桜のトンネルはその時はとても人が多く(ほぼ中国人)、人物無しの写真が撮れなかったのがちょっと残念でした(笑)。
今帰仁城と護佐丸の説明は次回にする事として、まずはこの桜を皆さん御覧下さい!
(2/2)へ続きます。
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2025/02/13 07:00
麓には岩樟神社 (2025/02/08 訪問)
岩屋港の駐車場を利用、1時間以内なら無料です。
登城口とされるところは激藪、また私有地との情報もあるので無理はしませんでした。
城址を見上げながら周囲を歩くことにしました。
港近くの絵島が伊弉諾と伊弉冉の国生みで最初に生れた「おのころ島」との伝説があります。
道路を渡ると恵比寿神社があり、奥には岩樟神社が鎮座します。
この崖上が城跡になります。
南と東は住宅地になっていて路地に入るのも憚られました。
【見どころ】
・岩屋港からみる遠景
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2025/02/12 23:50
アザナで守る城 (2024/12/30 訪問)
玉城城から5分、糸数排水池近くの駐車スペースに車を駐車し登城開始。
いきなり北のアザナという城壁の張り出した物見台の姿に目を奪われる。直線状の東側石垣に沿って南へ向かって歩くと正門へ到達。正門は櫓門だったようで、方形の加工石で築かれ堅牢さがうかがえる。石垣全体では自然石で積まれたところが多く見られ、崩れるためか登らないように危険を示す看板があちこちに設置されている。
城は単郭。残念ながら内部から北のアザナへ登るルートは工事中で立入禁止。郭の西側は崖になっていて南城市の街並みを望む。30分の攻城。
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2025/02/12 21:20
千葉道中 富士山 (2025/02/08 訪問)
意外と千葉県から富士山は良く見えます。富士山といえば駿河湾と三保の松原が有名ですが、東京湾越しに千葉県から見る富士山も悪くないです。海と富士山の組み合わせもなかなか良い物です。そのうち神奈川県の三浦市も訪れる予定なので、相模湾と富士山の絶景も楽しみにしています。この日の昼食はバーミヤンでカニあんかけチャーハン。夕食は千葉で人気のラーメン屋でコラーゲンたっぷりの軟骨入りラーメンを食べました。この食生活は血糖にも血圧にも良くないですね。ちなみにラーメンは年齢的にけっこうきつかったです。
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2025/02/12 20:58
壁の中に堀切が・・。 (2025/02/08 訪問)
久留里城の模擬天守は浜松城を模しているとされています。確かに似ているかも、ちなみに江戸期の天守では無く、今の鉄筋コンクリート造りの天守閣の方です。実際の天守は二層二階だったようですが、やはり三階ぐらいは欲しかったようですね。
小振りですが外観は良いです(外観はね)。山頂まで車道が通じていますが、基本は身体が不自由な人用で、健常者は麓の駐車場から比高90mを登って来ます。尾根をくりぬいて無理やり車道を通しているので、コンクリの壁の中に堀切が覗いていたりします。かなりシュールですね。
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2025/02/12 20:34
ひこにゃん (2025/02/09 訪問)
ひこにゃんが出てきました。足元に注目です‥濡れるのが嫌なのでシャッターの前から動きません。彦根城は国宝の天守以外にも太鼓門櫓や天秤櫓などの遺構が豊富です。石垣も立派ですが、表門橋の西手には鉢巻石垣に腰巻石垣も有りバリエーションも豊かです。外ジンに人気があるのは姫路城や松本城のようですが、松本城より彦根城の方が好きな人は多いみたいですね。
佐和山城からの移築石垣もあるようですが、保護や安全管理のため立入りが制限されているようです。公開されたら是非、見に行きたいですね。
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2025/02/12 19:06
🏯城攻略〜土佐国 中村城〜 土佐の小京都 前関白の城 (2025/01/07 訪問)
高知県全体と高知市の天気予報では両日とも気温10℃前後、初日☀、二日目☀のち曇りで全く問題なかったのですが、徳島と高知の県境のあたり山間部に入ったところで気温3℃、雪⛄がぱらついてきて道路脇にも積雪の後が・・・
高知市内も☀で気温もあがり予定通り問題なし
しかし最初の目的地はそこからさらに西へ四万十市まで100km超走ります。
ここでまたまた雪⛄や雨☔がパラパラ、心はハラハラドキドキ💦
着いたときも気温3℃小雨☔でした。
中村城(為松城)は四万十市中村市街地の北西部にある標高約90mの丘陵地(為松山)に為松氏が築いた連立式の平山城です。
かつて丘陵地には「東城」、「為松城」、「御城(詰)」、「今城」と呼ばれる4つの城郭が連立し、総称して「中村城」と呼ばれています。
江戸期に廃城となり、現在城跡は為松公園として整備され、遺構として土塁、石垣、曲輪が残されています。
現在、二ノ丸にあたるところに国宝犬山城をモデルにした模擬天守が建っており四万十市立郷土資料館となっています。
私の大好きな戦国時代初期、元亀元年(1570)頃、この地を治めていたのは一条氏でした。
遡ること約100年、応仁2年(1468)に前関白一乗教房が京からこの地に下向します。
そこから土佐の小京都として栄えることになります。
その居城が御城部分と言われていますが現在は宅地開発のため失われてしまいました。
最後は土佐の出来人、長宗我部元親に渡川の合戦など二度にわたって破れ一条氏はこの地を去ります。
四万十市立郷土資料館 https://www.city.shimanto.lg.jp/site/museum/
開館時間:10:00-17:00
定休日:水曜日
入場料:440円(65歳以上は無料)
駐車場:すぐ近く(20m)に数台、中ノ森(100m)に数十台あり(無料)
御城印:なし
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