織田信長の筆頭家老であった林秀貞の居城跡です。城びとには未登録の城址です。石碑には林通勝邸跡とあり以前は通勝という名前とされていましたが、秀貞が最近では正しいとされています。遺構はありません。石碑の裏に説明文が彫ってありましたが、わかりにくく読むことは断念しました。
信長公記によると信長が生まれた時、4人の家老が信長に付けられ林秀貞が筆頭家老になっています。ちなみに2番目は平手政秀でした。しかし、若い頃の信長の振る舞いを危惧したのか、信長を廃して弟の信勝(信行)の擁立する動きを見せましたが、弘治2年の稲生合戦(本人は不参加)で信長に敗北。許されて、その後も織田家家老の地位にありました。華々しい戦いの記録はなく所領も増えていませんが、行政官としてはそれなりに働いていたようです。天正8年になり突然織田家追放になります。理由は昔、信勝の謀反に加担したからなどとされています。追放された後は京都や安芸に移住し2ヶ月後に亡くなりました。
名鉄西春駅より徒歩15分くらいで行くことができます。
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