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トク

【春の長崎天草を巡る⑬】(10)本渡城 (2025/04/02 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、(10城目)は「本渡城」です。

本渡バスセンター(終点)で降りて徒歩15分、小高い丘の上に本渡城はありました。ここはかつて天草五人衆の一人「天草氏」の居城です。ザビエルの後継として天草に上陸したアルメイダは、天草氏と志岐氏から布教許可を得て天草の地にキリスト教を広めました。医学にも長けていたため診療所なども開き、信者のアダム荒川に医学を伝授して、領民から信頼されていったようです。そのアルメイダとアダム荒川の碑が、城内のキリシタン墓地にありました(写真④)。

ここでは過去に大きな戦いが二度行われました。一度目は、九州を手中にしようとする豊臣秀吉の命で、加藤清正と小西行長がここ本渡城に籠る天草氏を攻めます。ここで小西行長はキリシタンであったため、同じキリシタンたちは保護しようとします。しかし加籐清正はそれを許さず、天草氏・志岐氏を攻め滅ぼしました。この時からこの二人は犬猿の仲となり、この後の朝鮮出兵でも対立します。

二度目の戦いは天草一揆です。ここ本渡は激戦地となりました。寺沢堅高の悪政に業を煮やし、大矢野島で決起した天草四郎率いる天草の一揆軍は、ここ本渡で唐津藩の軍勢と戦い勝利します。そして一気に富岡城まで攻めて行きました。ちょうど(写真⑦)に見えるあたり(本渡市広瀬)が激戦地だったようです。

本渡城の本丸とされる場所には、現在「天草キリシタン館」(写真①②)が建てられていて、天草島原の乱の内容が時系列でとても詳しく解説されています。ここには血染めの天草四郎陣中旗(ここが四郎のいる本陣である事を示す旗)も保管されています(撮影不可)。また乱の後に入った代官の鈴木重成が建立し(幕府軍・一揆軍)両者分け隔てなく弔ったとされる千人塚(写真⑤)や、四郎のいいなづけであったとされる「路香」を弔った「てまり塚」(写真⑥)もありました。ぜひ天草へ来られた時は、天草キリシタン館は見学してほしい場所だと思います。

午後に、本渡バスセンターから富岡港行のバスに乗り、富岡港のそばにある「ホテル四季彩館」に宿泊しました(写真⑧)。ここ富岡で贅沢をした頼山陽に習い、私も奮発して平目のお造りとアワビの踊り食いを注文しました。定年までがんばった自分から自分への御褒美という事で、皆様方お許し願います!(大満足😋天草は本当に魚が美味しいところです!)(写真⑨⑩)。

次は、「富岡城」に登城します。
 

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にのまる

大村公園 (2025/03/01 訪問)

JR大村駅から徒歩で向かいました。
出迎えてくれた美しい角堀から楽しい城さんぽのスタートです(^o^)/

ゆるい坂を上ると大村神社の真っ白な土塀とそれを支えるどっしりとした石垣が見えてきました。そしてカクカクの虎口門。遥々ここまで来てよかった。お城体験の思い出を重ねることができて感謝です。

見どころのひとつである空堀は草叢に覆われており一層遺構感を醸し出していました。
板敷櫓は開放期間ではなかったので入れませんでしたが、きっと素晴らしい眺めが得られるだろうと想像できます。

新蔵波止の方にくだり、板敷櫓台を見上げます。素晴らしい反りに惚れ惚れ。櫓の有無は未確定のようですが現在見せてくれるこの姿、眼福でした。
続いて井戸や穴門跡(立入制限中)を見学しました。ほかの多くのお城同様、石垣に経年による孕みや割れの問題が出てきているそうです。

大手門から再び本丸へ行き、最後に大村小学校の五教館御成門を見に行きました。駅への往復を除くと約1時間の滞在でした。

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todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり⑭ (2025/04/27 訪問)

陸前宮沢城からの転戦です。本丸にあった栗原市立高清水中学校は統合によって廃校となっており、2024年には校舎解体が始まって現在は更地になっています。校歌歌碑が校門跡の脇に建っていました。外濠跡は外濠公園として整備されています。

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三木城の付城 (2025/05/08 訪問)

 三木合戦で織田方が築いた付城のひとつと伝わっています。高木古墳群の中で最も大きな高木1号墳を利用した物見櫓台があり周囲には土塁が残っています。

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羽柴秀吉 (2025/05/08 訪問)

 織田信長と別所長治の間で行われた三木合戦にて織田方が三木城周辺に築いた付城の1つで羽柴秀吉の本陣があったと伝わる場所です。主郭に土塁が残り斜面には雛壇状の曲輪が見られます。堀切などなく駐屯監視機能重視の付城だと思います。主郭にあった仮設展望台は老朽化のため撤去されていました。
 登城路は整備されていて気持ちよく散策できます。近くに竹中半兵衛の墓がありました。

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朝田 辰兵衛

目指すは砦公園の遊具の上…👀 (2025/03/21 訪問)

他の方の投稿を確認し,しんちゃんさんの投稿にあった「遊具の上の眺望」が気になっていました。「どんな遊具やねん」と…。
見つけた時は「おっ,これか」って声が漏れてしまいました。

せっかく名古屋に来たので,矢場とんの「みそひれかつ丼」をテイクアウトしました。静かにホテルで食べたかったので。

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チェブ

ポチッがしたいだけじゃないけど。 (2025/05/01 訪問)

前回投稿した「笹子城」の後に「佐是城」へ向かいました。
「佐是城址内虎口」の石碑を道沿いに発見しました。
相方は、『車、停められないから写真を写しておいで』と一言。
ちょっと散策したいけど、ずっーーーーと、運転している相方に悪いのでパチッとして退陣しました。

車で「佐是城」の虎口を通過。
やっぱり、お城巡りは1人の方が気を使わないでいいな、と思いつつ、1人じゃ「佐是城」にも来られなかったから、ありがた山だな。
と、次の目的地を探すため『お城を探す』をビヨーンとしたのでありました。

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トク

【春の長崎天草を巡る⑫】(9)大矢野城 (2025/04/02 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、(9城目)は「大矢野城」です。

翌朝ホテルを出て、まず大矢野城へ行ってみました。ホテルの前(2号橋バス停)からバス10分の所(大矢野庁舎前)で下車し徒歩5分、大矢野中学校の裏の小高い丘の上にありました。(写真①~⑤)。城主の大矢野氏は元寇ではかなり活躍したようで、蒙古襲来絵詞にもその姿があるようです。私は以前元寇と竹崎季長を追いましたが、この大矢野氏が活躍した事は知りませんでした🤔。

大矢野氏は天草五人衆の一人に数えられ、戦国時代を独立して生き延びますが、秀吉から熊本の地を与えられた小西行長・加藤清正軍に敗れ、領地を没収され小西行長の家臣となります。その後、大矢野種基は秀吉に従い朝鮮へ出兵しますが、そこで命を落としたようです。それからの大矢野氏は、小西行長が関ケ原で斬首になったため、加藤清正に仕え、加藤家改易後は細川氏に仕えたようです。

またここ大矢野島は天草四郎が生まれ育った場所だとされています。天草四郎の父とされる「益田甚兵衛」は小西行長の家臣でしたが、行長死後はキリスト教を棄教する事ができなかったため加藤家へは仕官せず、宇土城下から移住して農民(隠れキリシタン)となってこの大矢野島に住み着き、そこで四郎は生まれたようです。

大矢野城から国道を徒歩で10分ほど戻った所にある「天草四郎メモリアルホール」に行ってみました(写真⑥)。ホールの中はまるで教会のようで、ステンドグラスに囲まれた静かで幻想的な雰囲気に包まれていて、天草四郎の事がシアターなどで解説されていました(写真⑦他撮影不可)。

ホールから海岸を眺めると、雲仙普賢岳や原城も対岸に見えました(写真⑧)。という事は天草四郎も幼い時からこの景色をよく見ていたという事になります。その時の四郎は、永遠にここ大矢野島で自分は平和に暮らせるものとばかり思っていたでしょう。まさか戦乱に巻き込まれ、あげくには総大将に祀り上げられ、最後はあそこに見える原城で最期を迎える事になるとは、夢にも思っていなかったのではないでしょうか?🤔

次はメモリアルホールの前にある(さんぱーる)バス停から、本渡バスセンター行(快速あまくさ号)に再び乗って本渡へ戻り、本渡城に向かいます。
 

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todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり⑬ (2027/04/27 訪問)

名生城からの転戦です。光岳寺に駐車させていただきました。案内板の位置は、グーグルマップにて確認できますが、ちょっと離れています。案内板の絵図では八幡神社が本丸となっていますが、現状の地図では、土塁が残る鹿島神社が本丸とされています。八幡神社は鹿島神社から1.5kmも離れていたので脚を伸ばしていませんが、案内板の地図からは明らかに外れています。

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Tokyobay

関東大震災で滑り落ちた本丸石垣 (2025/03/09 訪問)

以前ブラタモリで紹介されたような気もする、天守の裏手付近はミニミニ遊園地も閉演中で観光客は少ないが、見どころは関東大震災で滑り落ちた本丸石垣。こんなにキレイに滑り落ちるのかとある意味感動。だが、野面積みの石垣山城はあまり崩れてないことを考慮すると、石垣の積み方による脆弱は明らかであり、その対称性が興味深い。尚、正面入り口の本丸東堀には花を植えるプロジェクトが進行中とのことである。

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chiroru

四季折々楽しめるお城 (2025/05/03 訪問)

前回は紅葉の季節、今回は新緑の季節。風も気持ちよくて春を存分に感じられる気候でした。

城下町にはたくさんの観光客で賑わい、城にもたくさんの方がいらして嬉しいです。

桜の季節と雪景色の頃も素敵な光景でこのお城は包まれるのだろうなーと思いました。

「城チュロス」とはいチーズ📷

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chiroru

市民愛の詰まった福知山城 (2025/04/21 訪問)

京都駅から往復「特急はしだて号」で福知山まででかけました、車内は外国人観光客の皆様がたくさんおられましたが、福知山で下車するのはほとんどビジネスマンの方と自分。

駅からは路線バスで向かいほんの数分で、福知山城に到着。
天守閣の建つ場所へ行くまでの道もとてもきれいに手入れされています。

転用石はどこかと探しながらみる石垣は立派でした。市民の皆様の熱意からなる天守もカッコいいです!

帰りは、明智藪や移築城門などに立ち寄りながら徒歩で駅まで戻り福知山を後にしました。

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朝田 辰兵衛

三崎マグロ駅から路線バスにて…🚌 (2025/04/27 訪問)

京急久里浜線の終着駅「三崎口駅」が「三崎マグロ駅」にいじられておりました。
また,油壺温泉が全館営業を終了させたことにより,「油壺温泉」バス停は「油壺」バス停に名称変更。運行便数も激減。
よって,「三41」系統で「シーボニア入口」バス停から歩きました。「油壺」バス停の1つ手前になります。「三41」系統のバスは,「油壺」への進路を避け,西海岸線を進んで行きました。
駅局舎内にある観光案内所からレンタサイクルという選択もアリだと思います。レンタサイクル利用者はかなり見受けました。

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しんちゃん

雇用

イオさん、購買部のお姉さん達2人ともいいですね。九州の「変態城選手権」で心身ともに疲れた私には最高の癒しです。勝手に2人とも「しんちゃん村」購買部で雇用させていただきます。
ところで「戦闘員」様をお持ちでは無いですか?
ムサイおっさんは間に合っているので、キレイなお姉様を希望したいのですが。いやし系も良いですが、いやらし系も捨てがたい。ナウシカさんも良いけどクシャナ様も良いですな。

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ぴーかる

大崎城 (2025/03/08 訪問)

【大崎城】
<駐車場他>大崎城跡駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>主郭・眺望
<感想>転送したら写真全滅だった件、再訪3城目。現地説明板によると大崎城は1581年の羽柴秀吉の因幡侵攻の際に毛利方の陣城として利用されたことがよく知られていますが、当時の城主は諸説ありますが、田公高清といわれています。
 上記駐車場から西に進むと城跡入り口の案内板がありますので分かります。笹藪のトンネルを抜けて通ると登城口があります。登城路も丸太階段があるので難なく登れます。城跡の東最下段の曲輪が展望所になっていて、東方向の鳥取砂丘が遠望できます。砂浜の海岸線の見える眺望も素晴らしいです。東の最下段から西に全部で8段ある連郭の城跡で真ん中の石垣の残る曲輪の奥から梯子を降りていって井戸跡に行けます。だいぶ降りて行かなくてはなりません。2度目の往復はつらかった。さらに落ちたらヤバイ高さ。主郭は土居囲みで南西隅に櫓台の土壇跡が残ります。櫓台横に虎口跡の切り込みがあって西方向に降りれますが、急峻で行くのやめました。

<満足度>◆◆◇

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チェブ

私は去ったが、タケルはどうした? (2025/05/01 訪問)

皆さんの投稿で車は不向きな事は承知で「笹子城」に向かいました。
私は、高速道路の運転が苦手なうえに、新しい愛車にキズ付けたくないと言う理由で、相方を引っ張り出し着陣しました。
路駐できる道幅ではないので、すぐ出発できるように相方には運転席に乗っていてもらいました。

手作りの「笹子城」の柱をパチッ。
田植えを終えたばかりの水田を眺め、改めて農家の方々のご苦労を思いました。無事に秋の収穫を迎える事を願い出発。

「笹子城」は木更津市にあります。
この辺りは、ヤマトタケル伝説が残ってました。
『木更津』はヤマトタケル君(きみ)が上総に着きました。后を偲んて去らなかったので『君不去』と呼び地名ができたんだとか。

ヤマトタケルが、私みたいに足早に去ってしまったら『木更津』は何と言う地名になっていたのかが気になる「笹子城」攻めでした。

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イオ

ChatGPT

GWは城めぐりにも行きましたし(4か月後くらいに投稿します(笑))、毎年恒例の真田まつりや家族でのお出かけもしましたが、最終日は雨でもあり家でChatGPTで遊んでいました。

存在は前々から当然承知していたものの、ちゃんと使ってみようとしたのは今回が初めて。興味を持ったきっかけは昨今話題になっている「ジブリフィケーション(ジブリ風画像生成)」です。自前の写真をジブリ風に生成するのが主流のようですが、生成AIなんだから元の写真無しでも生成できるのか? と思って「姫路城 ジブリ風に」で画像生成してみると…おお!(写真①) ネット上の写真を元にしているんでしょうけど、水の三門から四門にかけてが違うのと備前丸が公園の森のようになっている以外は姫路城そのものです。それもしっかりジブリの背景風に。

面白くなってきたので、今度は「ひこにゃん ジブリ風に」で生成すると…ドン!(写真②) 確かにジブリ風ひこにゃんなんだけど、何かが違う…。ひこにゃんは猫ですが、こういう猫そのものの座り方はしませんよね。基本は立ち姿だし、座布団に座るときも正座だったはず。

続いては猫つながりで「備中松山城 さんじゅーろー ジブリ風に」で生成ドン!(写真③) うーん、これはかなり違う(笑) 岩盤の上の石垣に天守が建っていたり背後に二重櫓があったり雰囲気は近いんだけど、三重の天守が決定的に違う。何よりさんじゅーろーは? この左側の若侍がそうだといいたいのか?? ならばと「さんじゅーろー ジブリ風に」でドン!(写真④) うむ、やはりこの若侍がさんじゅーろーのようです。擬人化? それとも元ネタの新選組七番隊隊長・谷三十郎のつもりなのか?? 生成AIといっても、姫路城くらいメジャーならともかく一からの生成ではマイナーになればなるほど細部は怪しくなってくるようです。さんじゅーろーは細部が怪しいどころの話ではありませんが。

ここでふと思いついて「購買部のおねーさん」で生成……こ、これはっ!(写真⑤) 具体的な存在のイラストでは細部が怪しくなるとしても、一般的なイラストならほぼ完璧ですね。どこからどう見ても「購買部のおねーさん」です。「ジブリ風に」を入れるのを忘れていたので、ジブリ風に生成し直すとこんな感じ(写真⑥)。すげえ、すっかりジブリ風だ。ChatGPTおそるべし!

…ということで、ChatGPTは直接的には城めぐりの役には立たないかもしれませんが、ジブリ化にとどまらず絵心の無い私でもいろいろと城にからめて遊べそうな可能性を感じる新技術でした。…いや、仕事に活用しろよ(笑)
 

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しんちゃん

北郷氏によって築かれる (2025/05/07 訪問)

安永城の築城年代は確かではありませんが、応仁2年(1468)北郷敏久によって築かれたという説が有るようです。本丸は庄内児童公園になっていて北側から車道が続いていて駐車場もあります。本丸の南に南洲神社があり、西手に堀切と土塁が残っています。本丸北側は堀切道になっていて、北東がかつての二の丸、他にも取添、金石という四の曲輪で構成されていたようです。
元和元年の江戸幕府の一国一城令によって廃城になりますが、その後は麓に地頭仮屋が置かれております。

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しんちゃん

激藪 (2025/05/07 訪問)

山之口城は延元年間に土肥実重によって築かれたとされています。参考にさせていただいたサイトの情報通り激藪なのですが、なんとか登れそうな場所から登ります。リュックもあるので引っかからないように押しのけて行きます。小枝で目を傷つけないように注意。危ない枝や枯れ枝はへし折って除去します。ぶっちゃけ下から見上げるとほとんど「変態選手権」の状況なんですよ。もうええっちゅうのに。
主郭の下に堀切が巡り、北西に郭が一つ付いていて土塁も残っていました。主郭は二段構造になっていて、南側に小さな郭が付いているのですが、ここは地形図アプリの圏外になっています。本当は人工衛星「みちびき」とリンクしていて何処でも繋がるはずなのですが、こんな事は初めてです。

可能であれば城山も、と考えていましたが危ないのでやめます。GPSが効かない上に道も藪で閉ざされているので城山は謎につつまれたままの気がしますね。

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結城左近

分国法制定場所 (2025/04/26 訪問)

塵芥集が制定された場所についに登城。南奥州の大名や豪族を巻き込んだ天文の乱の舞台でもあり立地も街道沿いで見晴らしがよかったです。

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