なかじまとりでじょう

中島砦

愛知県名古屋市

別名 : 中島城
旧国名 : 尾張

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城跡碑
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昌官忠

2022夏の青春18キップ15日目:中島砦 (2022/08/03 訪問)

鳴海駅から4~5分くらい歩き、中島砦跡看板付近(35.076973、136.953923)に到着しました。
フエンス扉より個人宅に入り、城址碑を確認しました。他には何もないです。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=善照寺砦を徒歩で目指します。

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にのまる

9/12城目 (2022/05/20 訪問)

善照寺砦から坂を下り、扇川を目指します。住宅が立ち並ぶ舗装道路で感じる山城(砦)感。関東平野や江戸の埋め立て地ではなかなか味わえないおもしろさがありました。所有者様のご好意により見学させていただける城碑。ありがたかったです。

中島砦の見学を終えた時点で15時50分。早朝5時台に東京の自宅を出立してから休憩なしで10時間以上経過しましたが、日没までまだ2時間余りあるのでそのまま鷲津砦・丸根砦・大高城に向かいました(=゚ω゚)ノ

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城好きのメガネ

「中島砦」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
中島砦は、織田信長が今川氏を牽制するために築いたとされる。桶狭間の戦いでは、中嶋砦の守将として猛将と名高い梶川高秀が置かれた。桶狭間の戦い後に廃城となる。現在、遺構は消滅している。※砦跡は私有地のため見学の際は注意が必要である。

<アクセス>
名鉄名古屋本線 鳴海駅 徒歩10分

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小城小次郎

信長はここから飛び出して行った (2021/05/29 訪問)

鳴海城を囲む三砦のひとつで、織田信長は三つの砦を順番に進軍し、最後はこの砦から今川義元の本隊めがけて飛び出していった。遺構は何も残らないが個人宅の敷地内に石碑が立てられていて、砦の位置をここだと教えてくれている。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 織田信長
築城年 永禄2年(1559)
主な城主 梶川高秀(織田氏家臣)
遺構 消滅
再建造物 石碑
住所 愛知県名古屋市緑区鳴海町字下中、曽根1