裁判所のあたりが大手門跡で、大手門石垣の上になぜか鐘がある。国道1号が堀跡でやや凹の高低差があるのがわかる。
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2025/04/02 00:10
2025/03/17 02:33
移住はアリ? (2025/03/09 訪問)
一応、ミーハー的に本丸から天守を概観。忠実に再現されてはいるようだが、「準直轄地」にしてはよく見ると破風の少ない結構地味な天守という印象。ちなみに、外国人観光客は思ったより少なく、再開発も殆どなされおらず、良くも悪くも「地方都市」という風情。
尚、人口は18万だそうで、小田原攻めの秀吉軍とほぼ同じ数というガイド説明がちょっとウケる。
最近は、小田原移住&新幹線で東京通勤も増えているらしいが、マダマダ盛り上がり?には欠けるか。
という出遅れ感?ある、いい感じの「古臭さ」?が気に入ったので、自分もちょっと移住したいと思ったが、やはり「津波」が怖い。かといって、高台に住むのは不便そうだなあと散歩して痛感したし・・・。
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2025/03/17 00:37
豪華な銅門と手抜きな常盤木門の差異 (2025/03/09 訪問)
他に参加者が居なかったのでガイド独占。ガイド的に強調していたのは平成の銅門と昭和の常盤木門の差異。前者は手の込んだ作りになっているが、後者は手抜きも甚だしく、ガイドすら意味不明の復元になっているとのこと。銅門はハリに細かな意匠が施され、柱も石垣に合わせて加工されているのに対し、常盤木門の方は石垣と柱に空間がある。最悪それは予算の関係で仕方ないとしても、非常に中途半端な位置に柱が建っており、これは常盤木門復元のミステリーとのこと。
とはいえ、常盤木門は平和な世に作られた徳川専用の門でもあり、狭間もなくオープンな作りであるのに対し、銅門の方は桝形虎口で防御性が高いという対比も興味深いものがある。
尚、ガイドの方は「初デート」が小田原城の動物園で、当時の動物園は雑多で待ち合わせに苦労したらしいが、その後無事結婚したとのこと。その思い出地で60~70年後にボランティアガイドができる「幸福」を感じた次第。ガイドの方々は地元愛のある名士的人格者な方々が多く、単なる観光ガイドに留まらない様々な話が聞けるのが想い出になる。それが観光地の「格」を位置付けているのかなとも思ったり。
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2025/03/16 22:51
八幡山古郭東曲輪跡はとてもよい展望台 (2025/03/10 訪問)
小田原城は溶岩が流れて形成された八幡山丘陵に構築された城郭だが、東海道線の開通によって分断された格好になっている。現在の天守は丘陵の下方部分にある平山城であり古郭からは見下ろすポジショニングにある。よって、結果的に八幡山古郭東曲輪跡はとてもよい展望台的な存在。
ちなみにアクセスとしては解体中の競輪場が無料駐車場になっているのでそこを利用するのがオススメ。天守からも全然近いので、丸1日ここに停めて総構え&天守周辺を観光してもよいのかと。地元民との交流も楽しみにしていたので下校中の相洋高等学校の学生に道案内してもらったのもいい思い出。観光地の学生はそういう教育を受けているのか皆結構親切という印象。
尚、現在小田原駅前の繁華街にある「竹花」元々は「岳鼻」であり、八幡山丘陵の溶岩が流れ着いた先端とのこと。という知識があると「立体感」で小田原城郭を把握できる。
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後北条氏の居城を後年になって稲葉氏が近世城郭へと改修。本丸の正門にあたる常磐木門、天守、馬出門などが江戸時代の資料を元に再建されている。史跡公園として開園された八幡山古郭東曲輪の西側には、後北条氏が造った総構の大堀切と土塁が見られる。
城地種類 | 平山城 |
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築城年代 | 応永24年(1417) |
築城者 | 大森頼春 |
主要城主 | 大森氏、後北条氏、阿部氏、稲葉氏、大久保氏 |
文化財史跡区分 | 国史跡(小田原城跡) |
近年の主な復元・整備 | 北条早雲、大久保忠世、稲葉正勝 |
天守の現況・形態 | 複合式層塔型[3重4階/1633年築/倒壊(地震)]、複合式層塔型[3重4階/1706年再/解体]、複合式層塔型[3重4階/1960年再/RC造外観復元] |
主な関連施設 | 天守、門、塀、石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、横堀(水堀) |
住所 | 神奈川県小田原市城内、本町他 |
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問い合わせ先 | 小田原市経済部観光課城址公園担当 |
問い合わせ先電話番号 | 0465-23-1373 |