その名の通り米蔵があったらしいが、こんな広大な敷地が米蔵オンリーとは思えず。現在発掘中とのことだが、今後あらたな発見があるのかもしれない。ちなみに、北条時代は庭園だったとか。尚、戦後は野球場として使われており、復元過程でその痕跡が確認できるのは歴史の皮肉か。
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2025/04/03 23:33
2025/04/03 01:10
2025/04/02 14:26
謙信・信玄はどこから攻めて、どこまで攻めた? (2025/03/09 訪問)
小田原城は謙信・信玄の城攻めに耐えているが(それが秀吉にも通用すると勘違い?)、2人がどのあたりから、どこまで攻め込んだのかは諸説ある。弁財天曲輪周辺が有力なようで、堀の遺構や高低差が確認できる。現在は広場となっており地元民の憩いの場だが、本丸からは結構近いので、ギリギリまで攻め込んだのがわかる。他方で、地元の案内板ではもうちょっと遠い幸田門跡周辺をアピールしている。こっちの方が三の丸土塁跡も残っているし、観光客の目に付きやすいからか。まあ、幸田門突破して弁財天曲輪周辺まで攻め込んだと考えれば矛盾はないのだが。
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後北条氏の居城を後年になって稲葉氏が近世城郭へと改修。本丸の正門にあたる常磐木門、天守、馬出門などが江戸時代の資料を元に再建されている。史跡公園として開園された八幡山古郭東曲輪の西側には、後北条氏が造った総構の大堀切と土塁が見られる。
城地種類 | 平山城 |
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築城年代 | 応永24年(1417) |
築城者 | 大森頼春 |
主要城主 | 大森氏、後北条氏、阿部氏、稲葉氏、大久保氏 |
文化財史跡区分 | 国史跡(小田原城跡) |
近年の主な復元・整備 | 北条早雲、大久保忠世、稲葉正勝 |
天守の現況・形態 | 複合式層塔型[3重4階/1633年築/倒壊(地震)]、複合式層塔型[3重4階/1706年再/解体]、複合式層塔型[3重4階/1960年再/RC造外観復元] |
主な関連施設 | 天守、門、塀、石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、横堀(水堀) |
住所 | 神奈川県小田原市城内、本町他 |
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問い合わせ先 | 小田原市経済部観光課城址公園担当 |
問い合わせ先電話番号 | 0465-23-1373 |