江戸時代初期までは小田原城の大手門だった箱根口門と三の丸土塁。それなりに痕跡はあるが、三の丸小学校内にあるので土日祝だと見学は難しい。平日なら学校関係者に頼めば校内見学可かも。で、この土塁が清閑亭土塁まで続きその高低差を実感することにより、天守のイチバン近くで「総構え」を体感できる。尚、近辺には秋山真之終焉の地がある。
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2025/04/03 01:10
2025/04/02 14:26
謙信・信玄はどこから攻めて、どこまで攻めた? (2025/03/09 訪問)
小田原城は謙信・信玄の城攻めに耐えているが(それが秀吉にも通用すると勘違い?)、2人がどのあたりから、どこまで攻め込んだのかは諸説ある。弁財天曲輪周辺が有力なようで、堀の遺構や高低差が確認できる。現在は広場となっており地元民の憩いの場だが、本丸からは結構近いので、ギリギリまで攻め込んだのがわかる。他方で、地元の案内板ではもうちょっと遠い幸田門跡周辺をアピールしている。こっちの方が三の丸土塁跡も残っているし、観光客の目に付きやすいからか。まあ、幸田門突破して弁財天曲輪周辺まで攻め込んだと考えれば矛盾はないのだが。
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2025/04/02 00:10
2025/03/17 02:33
移住はアリ? (2025/03/09 訪問)
一応、ミーハー的に本丸から天守を概観。忠実に再現されてはいるようだが、「準直轄地」にしてはよく見ると破風の少ない結構地味な天守という印象。ちなみに、外国人観光客は思ったより少なく、再開発も殆どなされおらず、良くも悪くも「地方都市」という風情。
尚、人口は18万だそうで、小田原攻めの秀吉軍とほぼ同じ数というガイド説明がちょっとウケる。
最近は、小田原移住&新幹線で東京通勤も増えているらしいが、マダマダ盛り上がり?には欠けるか。
という出遅れ感?ある、いい感じの「古臭さ」?が気に入ったので、自分もちょっと移住したいと思ったが、やはり「津波」が怖い。かといって、高台に住むのは不便そうだなあと散歩して痛感したし・・・。
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後北条氏の居城を後年になって稲葉氏が近世城郭へと改修。本丸の正門にあたる常磐木門、天守、馬出門などが江戸時代の資料を元に再建されている。史跡公園として開園された八幡山古郭東曲輪の西側には、後北条氏が造った総構の大堀切と土塁が見られる。
城地種類 | 平山城 |
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築城年代 | 応永24年(1417) |
築城者 | 大森頼春 |
主要城主 | 大森氏、後北条氏、阿部氏、稲葉氏、大久保氏 |
文化財史跡区分 | 国史跡(小田原城跡) |
近年の主な復元・整備 | 北条早雲、大久保忠世、稲葉正勝 |
天守の現況・形態 | 複合式層塔型[3重4階/1633年築/倒壊(地震)]、複合式層塔型[3重4階/1706年再/解体]、複合式層塔型[3重4階/1960年再/RC造外観復元] |
主な関連施設 | 天守、門、塀、石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、横堀(水堀) |
住所 | 神奈川県小田原市城内、本町他 |
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問い合わせ先 | 小田原市経済部観光課城址公園担当 |
問い合わせ先電話番号 | 0465-23-1373 |