ふるこくふじょう

古国府城

富山県高岡市

別名 : 如意城、(越中国衛跡、勝興寺城郭遺構)
旧国名 : 越中

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勝興寺総門
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朝田 辰兵衛

JR伏木駅前に立ちふさがる… (2023/10/07 訪問)

JR伏木駅から守山城に向かう時,行く手をさえぎっているのが古国府城。JR伏木駅からは,徒歩約5分で勝興寺総門につき当たります。勝興寺境内には「越中国府趾」の碑がありました。立派な建造物が立ち並んでいることからも,「越中国の中心は高岡」とのプライドが感じられます。金沢と富山のほぼ中間点という立地からも,どっちつかずの距離感を保ち,独自の文化を成長させてきたエリアかな…と思いました。
御亭角廃寺跡は,勝興寺南側の敷地外エリアにあります。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ12日目:古国府城 (2022/07/31 訪問)

放生津城からの転戦です。勝興寺駐車場(36.792935、137.053937)に駐車しました。

天正年間(1573年~1592年)守山城主神保氏張によって築かれたと言われているが、それ以前から存在した可能性もあるようです。
神保氏は放生津城を居城としていたが、越後長尾氏の侵攻により守山城に立て籠もります。 この守山城の出城として築かれたのが古国府城といわれています。
1581年(天正9年)越中木舟城主石黒左近成綱によって、越中安養寺御坊(勝興寺・小矢部市末友)が焼き討ちされ焼失しました。
1583年(天正11年)佐々成政が越中を平定し、神保氏張も平定に尽力し成政の配下に名を連ねます。
1584年(天正12年)佐々成政が豊臣秀吉と敵対姿勢を強め、隣国の前田利家との争いも激しさを増します。
佐々成政は越中一向一揆勢力を味方に付ける為、古国府城の一円を勝興寺に寄進し、安養寺御坊より移設(再建)されました。これにより古国府城は事実上、廃城となります。
1585年(天正13年)富山の役で佐々成政は豊臣秀吉に降伏して前田家の所領となるも、勝興寺は手厚い保護を受けました。以降幕末まで前田家と勝興寺は血縁的にも密接な関係を保ち続ける事となりました。

古国府城は勝興寺の境内一帯に築かれていたそうです。勝興寺内には入らず廻りを散策しました。中に入るには拝観料がいります。
東側に石垣で構築された堀が見られ、その上に物見櫓のような太鼓堂が建てられています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=守山城に向かいます。

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カズサン

城郭寺院勝興寺 (2012/10/14 訪問)

 平成24年10月第19回全国山城サミット魚津大会に合わせ2泊3日で富山県石川県の城廻りに出掛けました。
 13日の中井均先生の記念講演、14日の基調講演を午前中まで、その間出店してる山城サミット参加市町村の山城紹介コーナーで情報収集、資料収集を済ませ14日の午後は城廻り以前から狙ってた高岡市伏木港の元国府跡、古国府城跡、現在は勝興寺を魚津から地道を通って北アルプスの山容を途中途中眺めながらの進行。

 城跡は伏木港の西の守山城跡山陵が東に張り出した丘陵に在ります。
 車は勝興寺の門の無い総門跡を入り鼓堂前の駐車場へ入れる、近くに受付が有り参拝料を払い資料等を頂き、丁度平成の大修理中期間20年で進行中で参拝記念に金の栞を頂く、本堂は修復を終えて参拝出来ました。

 勝興寺の伽藍は古国府城跡内にすべて配置され周囲は土塁と堀で囲まれて且つ樹林でも囲まれ鬱蒼とした中に納まってる、浄土真宗のお寺らしく二階建ての太鼓櫓が総門の後に在る鼓堂と呼ぶ、本堂は西本願寺の阿弥陀堂を模したと言う立派な造り、富山の欄間彫刻で有名な所井波の彫しの仕事か本堂の軒下周囲は彫刻で埋まって居り見飽きないほど時間が過ぎてしまいます、本堂と唐門はじめ建物12棟は重要文化財。
 勝興寺は本願寺蓮如上人の子孫が継がれ本願寺、京都公家、戦国大名との関係を深め、藩政時代は前田家との繋がりも深く歴史資料宝物が多数保存されて居ます。

 寺院伽藍参拝の後、堀と土塁は東側と南側のみ見学。

 歴史的には神保氏の築城で古代越中の国国府が置かれた地、越後勢との抗争の中、背後の山に在る守山城の出城として使用、佐々成政の越中攻略に助力し成政が秀吉と対抗した時、越中一向宗徒を味方につけるため神保氏を介して成政が此の地を寄進して戦火で焼失していた勝興寺が天正12年(1584年)移った。(パンフレット、案内板抜粋)

 周辺観光で新港に係留されてる帆船海王丸に乗船、高岡大仏(三大大仏)参拝と洞内廻り、今回は見てませんが超有名な高岡城、瑞龍寺が見所です。
 当夜は高岡の旧友と久しぶりの再会、居酒屋で痛飲とスナックカラオケ、次の日と富山と石川県境の城跡を案内頂く。

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勝興寺 (2019/10/24 訪問)

勝興寺付近が城址です。
櫓かと思う鼓堂が印象的です。外から回ると土塁や空堀が良好に残っていることを確認できるようですが、今回は確認できていいません。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 神保氏張?
築城年 天正年間(1573〜1592)以前
主な城主 神保氏
廃城年 天正12年(1584)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
住所 富山県高岡市伏木古国府
問い合わせ先 富山県埋蔵文化財センター
問い合わせ先電話番号 076-434-2814