「鬼玄蕃の 目にも涙の 二曲城(おにげんばの めにもなみだの ふとげじょう)」
鳥越一向一揆歴史館には二曲城のパネルがありました。それによると鳥越城の城主「鈴木出羽守」の娘百合姫は美人で髪が長く、座敷に立つと髪が背中から足元に二曲(ふわたげ)になるので二曲姫(ふとげひめ)と呼ばれていたようです。
天正8年(1580)鳥越城が落城し、出羽守と子息4人が柴田勝家によって松任城で殺害されました。姫は鬼玄蕃の異名を持つ猛将・佐久間盛政に捕えられますが、こいつ姫に惚れやがったようで、さりげなく求婚しますが姫は尼となって父や兄たちを弔いたいと言って断りました(残念)。
天正9年に出羽守の遺臣が鳥越城奪還の兵を起こし、盛政は尾山城から駆けつけ敵を鎮圧、残った門徒を捜索します。尼となった姫は庵を忍び出たところを敵方に発見され命を落としたとの事。(前回の投稿では自害と書いたけど諸説あるようです)
盛政は「さだめ(運命)つたない女子であった」と涙し、阿含谷に葬らせ御堂を建て里人に末永く供養するよう申し付け立ち去ったそうな。
姫の死には涙するけど、門徒は一人残らず処刑。割切ってますね盛政殿・・プロの鑑ですな。
とはいえ創作の部分も多いのではなかろうか。二曲城のパネルには鈴木(二曲)氏と表示があります。鈴木氏は白山麓門徒(山内衆)の指導者です。
「信長公記」には天正9年(1581)3月に加州一揆が蜂起して「府峠(ふとうげ)」に配置された柴田勝家の軍勢300人を悉く討ち果たしたと書かれているようです。「ふとげ」の由来もいろいろありそうだ。
果たして二曲姫は幻のキャラクターだったのか? 姫武将・・期待しています。
+ 続きを読む