現在、皇居なり まことの城なり!
文言のみの投稿です
破調十二音で失礼致します
今でも日本の真の城と言える事を、強い口調で表現してみました
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2023/03/26 23:06
【かるた】江戸城の読み札
現在、皇居なり まことの城なり!
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破調十二音で失礼致します
今でも日本の真の城と言える事を、強い口調で表現してみました
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2023/03/26 10:10
2023/01/30 11:16
徳川紀行〜お墓物語〜 (2016/01/28 訪問)
近年の核家族化、高齢化、未婚化で一般的にお墓の維持、継承が難しくなっているのだとか。一方、どのお墓に入るか(入れるか)で、残された親族がゴタゴタするという話も相変わらずあるようで。以下、時代はやや遡りますが、とある大家族の場合。
鬼門か裏鬼門かーー。
ともに徳川家の菩提所としてアピール合戦を繰り広げたとされる増上寺(東京都港区)と寛永寺(同台東区)。幕閣は将軍が亡くなるたびに双方の面子を立てるための調整に腐心したのだとか。結果生じたのが以下のようなたすき掛け。
増上寺:2、6、7、9、12、14代
寛永寺:4、5、8、10、11、13代
あと3人。神君は久能山として、事の発端、鬼門封じで上野に寛永寺を開基した3代家光は初七日後に大好きなジージを祀る日光に改葬。そして15代慶喜は寛永寺に隣接する谷中霊園内に神式で埋葬されています。大寺院の霊廟と比べ、こちらはちょうどいい感じの寂寞感です。
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広い内濠が巡らされ、総構を含めると千代田区がまるごと収まるほどの巨大城郭。天守は明暦3年(1657)の大火で焼失し、今は石垣の天守台だけが残っている。他に外桜田門や三重櫓の富士見櫓などが現存し、天守の焼失後に代用とされた富士見櫓は「八方正面の櫓」とも称されている。
城地種類 | 輪郭式平山城 |
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築城年代 | 長禄元年(1457) |
築城者 | 太田道灌 |
主要城主 | 太田氏、北条氏(戦国期)、徳川将軍家(江戸期)、天皇家(明治以降) |
文化財史跡区分 | 国重要文化財(桜田門、田安門、清水門)、国特別史跡(江戸城跡) |
近年の主な復元・整備 | 徳川家康、秀忠、家光(江戸期)、宮内省、宮内庁(明治以降) |
天守の現況・形態 | 層塔型?[5重5階地下1階?/1607年築/解体(改築)]、独立式層塔型[5重5階地下1階/1623年再/解体(改築)]、独立式層塔型[5重5階地下1階/1635年再/焼失(火災)] |
主な関連施設 | 富士見櫓、伏見櫓、多聞櫓、桜田巽櫓、和田倉門、石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、櫓、門、石垣、土塁、横堀(水堀・空堀) |
住所 | 東京都千代田区千代田 |
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問い合わせ先 | 千代田区観光協会 |
問い合わせ先電話番号 | 03-3556-0391 |