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しんちゃん

修善寺周辺 (2022/01/10 訪問)

日枝神社の麓、信功院跡には修善寺の八塔司の一つ信功院がありました。建久4年(1193)源頼範は当地に幽閉され、翌年に梶原景時率いる五百騎に攻められ自害したとされています。大河ではゼンジにばっさりやられていますね。
城びとであれば大河の「ウソ」はわかると思いますが、うちの母はそのまま信じてしまっているようです。そのつど「大河は嘘つきなんだよ」と教えていますが、マスコミ全体が半分サギ氏みたいなもんだと思いますよ。

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朝田 辰兵衛

公園側から眺めると…👀 (2025/08/10 訪問)

背後から眺めると,舌状地形だった雰囲気が感じられると思います。しかし,周辺は宅地と公園が隣接しており,本来の姿とは思えないです…。とくに,公園側のラインは明らかに改変跡。極力公園内をフラット化するために手が加えられている匂いがプンプンします…<笑>。それでも,パネルが設置されているだけでも感謝しなければいけないのかも…。

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イオ

金龍紀行のついで(失礼) (2025/06/01 訪問)

鎌倉後期に多治見国長が築いたとされる城館で、国長は後醍醐天皇の倒幕計画に参加して上洛しましたが、密告により京の宿所は六波羅探題の軍勢に包囲され、勇戦するも非業の最期を遂げました。

産業文化センターの駐車場(最初の1時間無料)から登城。昔ながらの商店街の一角に石碑と説明板があるくらいで遺構は消滅しています。墓標のような石碑に手を合わせて多治見国長邸を後にしました。


…ところで、多治見国長邸とは全く関係ありませんが、金森長近は現在の多治見市大畑町の生まれであり、生誕500年の昨年には多治見市で生誕500年まつりや記念講演会などが開催されていたようです。私が金森長近に興味を持ったのがイベント終了後の12月なので仕方ないんですが、参加したかった…。せめて生誕地だけでも訪れようと思っていろいろ調べるも場所が特定されていないのかよくわからず、とりあえず大畑公民館に行き、このあたりで生まれたのかな~という雰囲気だけを感じてきました。
 

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todo94

北海道&東日本パス第2弾 江戸城三十六見附めぐりの続き②と大河ドラマ紀行で彼岸中日の墓参三連発 (2025/09/23 訪問)

江戸城の見附めぐりのトリは、虎ノ門。地下の石垣展示もしっかり拝見させていただきました。これで漸く15箇所目。まだまだ遠い道のりですが、残りの門は既にチェック済みのものがかなりあるんですよね。お城EXPOの後に狙ってみてもいいかもしれません。

早朝から見附めぐりをしていたのは、寺が開くまでの時間調整の意味もありました。まずは上野の徳本寺。かなり前にべらぼう紀行に取り上げられた世直し大明神の墓があります。墓参には300円が必要です。線香を2束、渡されます。彼岸の中日だったので、墓参の方々がかなりいらっしゃいました。続いて光明寺。ここには北川歌麿の師・鳥山石燕の墓があります。最後に新宿の成覚寺。紀行で取り上げられたばかりの恋川春町の墓です。豆腐の角に頭をぶつけての死はインパクトがありました。

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しんちゃん

良い山城 (2025/01/06 訪問)

案内板によると五城三郭というのは古本丸・本丸・中城・西城・北城・常盤曲輪・若狭曲輪・大野曲輪を指すらしい。この若狭曲輪というのが解りづらく、他の縄張図を見ても腰曲輪くらいの扱いでしかない。次訪問するのがいつになるのか分からないが、その時には訪れてみよう。麓には三の丸跡があり、石垣が残っています。那須烏山市野上には裏門とされる神長門がありました。
しかし実に良い山城でありました。

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のぶ

安田城虎口 (2025/08/13 訪問)

小さいながらも遺構が整備されていて良い城でした!

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T-Shionoya

番外編 ニュルブルク城

今月は出張でドイツのニュルブルクに宿泊。
流石に観光する時間はなく、今回はニュルブルク城の入口まで。

ニュルブルク城は12~13世紀頃の古い城である模様。
丘の上に建ち、堀や土塁はなさそうだが、築かれている防御施設は石造りの高い壁。

またのチャンスがあれば、じっくり確認してみたいものです。

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ナギャン

あこがれの五稜郭 (2025/09/19 訪問)

朝早くや夕方に行くと観光客が少ないのでお勧めだ。ものすごいくらいのアジア人観光客や欧米の皆様がいた。天守閣がなくても遊びに来るんだね。
五稜郭は公園になっていてぐるっと回れるのがいい。皇居ランナーみたいに走っている人がいた。犬の散歩にも適している。

堀の中には鴨ちゃんとカモメがいる。カモメは鴨ちゃんを威嚇していた。
ベストシーズンは絶対にサクラが咲いている春がいい。いっぱいの桜が植えてある。きれいに咲くだろうね。あと、水堀の中に睡蓮が咲いているので睡蓮好きにはたまらない。

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南部信直 (2025/09/26 訪問)

 久しぶりの盛岡城です。若い頃、盛岡市へ出張でときどき来ていたので何回か立ち寄っていました。盛岡城跡公園として整備されていて、盛岡駅から歩いても15分くらいで気軽に登城できる城址です。しばらく来なかったので新鮮な気持ちで散策することができました。魅力は高石垣で、盛岡城跡公園バス停付近から彦御蔵方面の石垣が気に入っています。

 昼飯はぴょんぴょん舎で冷麺をいただきました。

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うさ

土浦城 (2025/09/21 訪問)

関東唯一の現存櫓門、素敵でした

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うさ

世田谷城 (2025/09/20 訪問)

豪徳寺近くの公園になっています。
公園内の写真がアップロードできず申し訳ありません。

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南部直義 (2025/09/26 訪問)

 遠野市にある標高 344mの 鍋倉山に築城された県内屈指の大規模な山城です。鍋倉山は遠野盆地平野部に突出した半島状の地形で、東と北には来内川、西には猿ヶ石川が流れ天然の堀としていました。天正年間(1573~1592 年)に阿曽沼広郷により築かれたと伝わる城郭で、その後南部氏の支配となりました。盛岡藩二代藩主南部利直の命により南部(八戸)直義が、八戸の根城から遠野に移り1万2千余石を知行して治めますが曲輪の大規模な改変はなかったようです。現在、城址は整備され曲輪、土塁、空堀等を見ることができます。竪堀もあるようですが、草に覆われていてよくわかりません。空堀の北側に水溜堀があるようですが、見落としたようです。縄張り図を見ると今回は行っていませんが、尾根に堀切などがあるようです。考えていた以上に面白い遺構がありそうですが、もう少し葉が落ちた時期に来て尾根なども含めて散策してみたいですね。
もちろん整備された道を散策するだけも十分楽しめました。三の丸にある櫓風の展望台に入ると音声ガイドが流れます。
 登城口の南部神社へはJR遠野駅から歩いて10分くらいです。

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todo94

北海道&東日本パス第2弾 江戸城三十六見附めぐりの続き① (2025/09/23 訪問)

シルバーウイークの最終日、この日は帰着するだけでよかったのですが、2023年に赤坂見附までめぐってストップしたままの江戸城三十六見付めぐりの続きにチャレンジすることにしました。最初に向かった常盤橋門、こんなに立派な石垣が残っているとは思いませんでした。橋の名前は常“磐”橋なんですね。勉強になります。呉服橋門、鍛冶橋門は説明板のみでした。数寄屋橋公園には、銀恋の碑や数寄屋橋の碑などはありましたが、門自体の説明板はありませんでした。山下門の説明板は暗いガード下に立っていて見つけるのに難渋しました。そして幸橋門に至っては、門に関わる表示、説明などは存在しないようです。都市化によって遺構の残らない見附も多いようですが、せめて説明板くらいは欲しいなと感じてしまいます。(続く)

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文室綿麻呂 (2025/09/26 訪問)

 平安時代初期の弘仁3年(812年)頃に、文室綿麻呂によって造られた律令制最後の 城柵です。志波城がしばしば水害を被るため移転したと伝わります。整備されていて散策しやすくなっています。

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南部利直 (2025/09/26 訪問)

 斯波氏の居城で北上川右岸標高180mの段丘に築かれており、範囲は東西550m、南北700mに及び、縄張り図を見るとそれなりに大きな城であったようです。城址は城山公園として整備されています。曲輪跡はわかりますが、どこまで当時の状況を反映しているかはわかりません。「東北の名城を歩く 北東北編」(吉川弘文館)によると江戸時代まで本丸の法面には石垣が残存していたようですが、南部利済の時に南東側の北上川に承慶橋を架ける中島を構築するために石材を取り崩したようです。本丸南西部にある石垣は後世の公園整備のときに積まれた新しいものと記載がありました。

 登城時には熊出没の看板はありませんでした。地元の方によると時々熊出没により公園が閉鎖になることもあるとのことでした。

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藤原清綱 (2025/06/26 訪問)

 樋爪氏の居館跡です。樋爪氏は、平泉藤原氏初代清衡の子清綱に始まると伝わります。この付近で産出される砂金支配のために、当地に館が置かれていたという説もあります。赤石小学校付近が館跡で説明板が設置されていました。五郎沼の駐車場にも説明板があります。

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河野通重 (2025/09/26 訪問)

 光林寺の由緒書によれば、河野伊予守通信の次男、通重が城主として居住したことに始まるといわれています。光林寺付近が跡地で寺の裏に二重空堀や土塁が残っています。

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稗貫氏の居館跡 (2025/09/26 訪問)

 稗貫氏の居城と伝わっています。大瀬川氏の居城であったという説もあるようです。説明板は見つけましたが、遺構はよくわかりません。

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工藤行光 (2025/09/25 訪問)

 北上川に面した段丘を利用して築かれていて、外館、北館、本丸、中館、南館、勾当館、帯曲輪で構成されていました。厨川八幡宮が建つ場所が本丸、安部館稲荷神社、公民館付近が中館ということです。空堀がよく残っています。
 雨が降っていて傘をさしての散策となりました。

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坂上田村麻呂 (2025/09/25 訪問)

 平安時代に、桓武天皇の命を受けた坂上田村麻呂によって造られた古代陸奥国最北の古代城柵です。発掘調査成果により復元整備し志波城古代公園となっています。
 登城した日は雨が降っていて風もありましたが、何とか散策できました。

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