徳川四天王の一人・井伊直政の次男・直孝は静岡県焼津市の中里に生まれました。大阪「夏」の陣では大きな功績を挙げ「井伊の赤牛」の異名を誇ったと中里若宮八幡宮の案内板には記載が有ります。二代彦根藩主となり彦根城を継ぎ、秀忠の遺言で三代将軍家光の後見人に指名されるなど、幕府からも絶大な信頼を寄せられています。
近江の城郭についていろいろ調べていて、何人か詳しい人と話をしましたが彦根城の広さは緒城の中でも群を抜いています。南側の堀などを含めた総構の面積は400ヘクタールほどあるようです。名古屋城より広いでしょう。彦根城は大軍を擁しての決戦を前提に築かれた最初期の城郭と言って良いと思います(大阪城を除く)。ちなみに大垣城では大軍での籠城は無理だと思いますが・・
城の構造から見て井伊家は家臣筆頭格と言って良いと思います。中里八幡宮は寛永6年(1629)直孝によって再建されました。ここから東へ200mほどの場所には「井伊直孝産湯の井」があります。
もひとつ・・1945年の8月15日夜には彦根の空襲が行われる予定でした。あと一日終戦が遅れれば彦根城の姿を見ることは出来なかったと思います。あと10日早ければ広島の悲劇も無かったし、本来の広島城も残されていたのかもしれない。これは言っても仕方がないことなのだが・・
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