南北朝期に河野通盛が築いた城で、以来250年にわたる河野氏の居城となりましたが、羽柴秀吉の四国攻めで小早川隆景に降伏し、福島正則が入った後に廃城となりました。現在、城跡は道後公園として整備され、堀や土塁が遺り、公園南部には発掘調査に基づき武家屋敷や庭園、排水溝などが復元されています。
地元のとある集まりの旅行で、今年は道後温泉に行きました。道後温泉に行くなら、すぐ近くの湯築城にも行かないと! と半ば無理やりコースに組み込んで(観光程度ではありますが)登城しました。湯築城の後には道後温泉本館に行くので、道後公園北口駐車場にレンタカーを駐めて登城開始。
公園西部を内堀沿いに南に進むと外堀側に搦手門が開口しています。搦手門から入ったところの湯築城資料館では、係員の方が丁寧に案内して下さいました。踊念仏の一遍上人って河野氏の出自だったんですね。資料館ではジオラマと「猫の足跡のある皿」を楽しみにしていましたが、猫の足跡のある皿はどこかに出展しているのか、この日は写真が展示されているだけでした。残念…。100名城スタンプを押して資料館を出ると、資料館の南には発掘調査に基づいて土塀と門、武家屋敷が復元されていて、「ある日の武家屋敷」と題して連歌に興じる主たちと茶を点てる使用人の様子が再現されていました。武家屋敷はもう一軒復元されていて、こちらには発掘調査の出土品などが展示されています(写真取り忘れ…)。
公園の外周は外堀と土塁がほぼ一周しており、外堀土塁の内側には排水溝が復元されています。土塁南辺には土塁の断面が見学できる土塁展示室がありますが、見落としてしまいました…。また、公園中央の丘陵部を囲むように内堀と内堀土塁がめぐらされています(続く)。
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