(続き)
加藤嘉明が建てた天守は五重だったとされますが、松平定行が三重3階の層塔型天守に改修しています。小天守をはじめとする他の天守群は不審火で焼失したのを戦後に木造復元したものながら、再建から50年を経て国有形文化財にも登録され、違和感なく連立式天守群を構成しています。
本来は玄関多門櫓が天守群への入口でしたが、現在は大天守地階の穴蔵から入城します。大天守1階から内門の櫓部分を通り、玄関多門櫓の武者走りを抜けて北隅櫓へ。2階に上がってみると狭間や突き上げ窓が天守枡形や搦手側に狙いを定めています。南隅櫓に続く十間廊下の東辺には加藤嘉明や松平定行ら歴代城主の鎧兜、久松松平氏に伝わる刀槍が展示され、西辺の狭間には火縄銃体験コーナーが設けられていました。南隅櫓の2階には上がれませんでしたが、階段のある南西隅には狭間と石落としが見られます。多聞櫓を抜けると小天守に至ります。小天守南東隅の石落としは他と違って床板が開けられています。小天守2階からは大手側を見渡すことができ、着見櫓と呼ばれていたのも納得です。さらに一ノ門の枡形や天守枡形をも眼下に収め、まさに本壇防衛の要衝ですね。そして小天守から筋金門の櫓部分を通って大天守へ。
大天守1階の外周は武者走り、内側は敷居と鴨居で区画された居室になっていて、居室は棹縁天井で畳を敷ける造りになっています。層塔型天守のため2階も1階とほぼ同じ構造ながら、武者走りの幅が狭くなり、四方に狭間を備えた破風があるところが異なっています。居室には床の間も設けられていました。3階も同様の構造ですが、四方に開けた窓からは360度遮るもののない眺望が広がっています! 東は午前中に訪れた湯築城(と道後温泉)、西は眼下の天守枡形越しに搦手側、南は眼下の小天守越しに大手側と山麓の官庁街を見渡し、大いに見応えがありました。
さて、本壇を出た後は紫竹門から搦手側に行きたいところでしたが、他の面々は天守群を見学し終えると当然のようにロープウェイ駅に行ってしまったので、搦手側はまたの機会にしてリフトで下山し、大街道近くのホテルに向かいました(続く)。
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