日本100名城

おおさかじょう

大坂城

大阪府大阪市

別名 : 大阪城、金城、錦城、浪華城、(石山本願寺)
旧国名 : 摂津

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大坂城
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ニコ・ロビン

100名城の54( ・᷄ㅂ)大坂城🏯 (2024/12/30 訪問)

天下の名城🏯大坂城!
大阪に住んでた時はよく花見してたなぁ🌸

見事な石垣で、こんなの落とせるのか?と思うほどの深く広い堀
コレでも( ・᷄ㅂ・᷅)徳川の堀なんだよねー
井戸から豊臣の堀が見つかったらしい
まぁ天守も徳川天守の天守台の上に豊臣天守をイメージして建てた合鴨みたいなコンクリートの3代目天守だから、まぁまぁまぁ…
敷地内のスタバもリージョナルランドマークストアで素敵だね✨
大坂城内は,物凄い中国人でただの人混み博物館!こんなん見ても分かるんかいな( ・᷄ㅂ・᷅)
大阪に来たら、あべのハルカスに行っての上から大坂城🏯!今ではすぐ見つけられるほど通った!
鶴橋でフグ🐡食べたり、東三国の名店大養軒の中華弁当🍱
ウルフルズ結成の喫茶店でチャイを飲む☕️
ええなぁ大阪( ・᷄ㅂ・᷅)懐かしい

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翡翠

大阪城 (2026/09/24 訪問)

今回大阪城22日に行ったのですが、登城出来ず、券を買うのに3時間くらいかかりそうなので、周りだけまわって姫路まで帰って、24日に始発の新快速でまた、リベンジ、1番に並びました。24日は大手口多聞櫓と千貫櫓の特別公開をしていたので、これも合わせて見ることが出来ました。とても、ラッキーでした。さすが、石垣はびっくりするくらいでした。24日は可愛い猫ちゃんが天守近くにいました。

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トク

26【秀長の晩年をたどる①】大坂城と豊臣石垣館 (2026/03/22 訪問)

根白坂の戦いが終わってから亡くなるまでの3年間、秀長はいったいどこでどのように過ごしていたのだろうか🤔? なぜかそれが気になってしまい、今度は秀長の晩年にスポットを当てる旅に出る事にし、大阪→京都→奈良→郡山を訪れました。

博多から再び新幹線みずほ600号に乗り大阪へ、豊臣兄弟の象徴と言えばやはり大坂城だと思い、最初に立ち寄る事にしました。新大阪駅では何とドクターイエローに遭遇😯! 幸先のいいスタートです(写真⑩)。

JR大阪城公園駅で降り、極楽橋から本丸へ入ります(写真②)。いや~平日で雨にもかかわらず大混雑です! しかも約80%が外国人です。チケット売場に30分も並びました。そして再建された徳川の天守へ上がります(写真①)。天守の3階には、豊臣時代の大坂城の模型がありました(写真③)。

その後、豊臣石垣館へ行ってみました。天守のチケットを見せれば入る事ができます。徳川が埋めてその上に現在の天守を建てたというのは本当だったのですね。ここは豊臣期の本丸(詰ノ丸)の南側の石垣だそうです。大坂の陣で焼けた跡の赤い色が、確かに残っていました(写真④⑤)。411年前の歴史の証人に会う事ができ、とても感動です! しかし反面、この時亡くなった豊臣秀頼の事を思うと、何故か忍ばずにはいられませんでした。秀頼自刃の地は、豊臣天守があった詰ノ丸北側から山里丸へ降りた場所に、ひっそりとありました(写真⑥⑦)。

私は、天守最上階からは西ノ丸を見下ろして見ました。西ノ丸には秀長の屋敷があったとされています(写真⑧)。大坂を訪れた諸大名はまず秀長に要件を伝え、秀長が秀吉との仲介役となって、謁見の段取りをしていたものと思われます。また秀長は謁見ができるまでの間、その大名を接待します。千利休の茶室に招き、夜は西ノ丸の屋敷でもてなしながら、そこで秀吉の真意を伝え、うまく事を運ぶためにはどうしたらいいか、いろいろと両者の間に立って話を聞いていたのではないでしょうか。

秀長の西ノ丸屋敷で最も有名な話は、小牧長久手の戦いの後の1586年10月、徳川家康が大坂城を訪れ、諸大名の前で秀吉との対面を迎える前日、家康は秀長の屋敷に宿泊し接待を受けます。その時その屋敷に秀吉がこっそり訪れ、明日は我の前でひれ伏してくれぬかと、家康に頭を下げるシーンですよね。

次に有名な話は、その半年前の1586年4月の大友宗麟が助けを求めて大坂城へ来た時の事です。秀長は同じくこの西ノ丸で宗麟を接待し「表の事はこの秀長に、裏の事は利休に、何でも相談されるがよい」と声をかけます。そして翌1587年3月、九州平定へ出陣。大坂に戻った頃には聚楽第が完成し、従二位大納言に任じられた秀長は、従一位関白に任じられた秀吉とともに、1588年には京都へ本拠を移しました。

1591年秀長死後の西ノ丸には徳川家康が入り、秀吉死後に家康は伏見城へ移ると前田利家が西ノ丸を預かります。利家死後の1600年、家康が伏見より上杉討伐へ出陣すると、今度は毛利輝元が西ノ丸へ入り、関ケ原を迎えます。よって西ノ丸に入った人物は、秀吉または秀頼の次である、つまり豊臣政権No2の地位に立つ事を意味していたようですね。

次は、京都聚楽第へ向かいます。その前に、新大阪駅で食べた「大阪たこ焼き」が、とても美味しかったです😋(写真⑨)。
 

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にのまる

大阪・お城フェスの翌日 (2026/08/10 訪問)

天守入館の行列を回避するためホテルを早めにチェックアウトし、9:00前に青屋門に到着しました。しかし、素通りできない石垣が次から次に現れ、天守入口に着いた時にはすでに長い行列が!
15分くらい並んで入れましたが、ものすごく暑かったので行列に並ぶための水分が必要だと思いました。(天守内には自販機あります。)

豊臣石垣館も天守入館券で入館できました。
映像を見てから階段を下りていきます。すると目の前にばーんと現れた算木積み。時代を感じる積み方です。素の秀吉を感じる無骨な野面積みや、ドラマやSNSで流れるあれこれより真実を語る戦火の痕跡をしっかりと目に焼きつけました。(石垣のみ撮影可)

一昨年訪問時に時間切れで入れなかった西の丸庭園は月曜日のため休園でしたのでまたいつか。

10枚目の写真は、梅田駅の地下を彷徨っていた時に遭遇した千貫櫓のミニ石垣です。(もう二度と行けないと思っていたらXで阪神スナックパークの近くだと教えてもらいました。)

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概要

現在見られる天守は、五重六階地下二階・黒漆塗の下見板張・金箔瓦という、豊臣秀吉が築いた望楼型天守を模した3代目(鉄筋コンクリート造の復元天守は日本初)。徳川秀忠が豊臣時代の城跡に盛土をし建設した2代目は、五重五階地下一階・白漆喰塗籠・瓦葺きの層塔型天守だった。

イベント情報

  • 2026年10月10日(土)~2026年11月23日(月)

    大坂城

    特別展「戦国のきょうだい」

    『文禄・慶長の役図屏風』『羽柴秀吉書状』などの貴重な展示を通じて、日本の歴史を彩った「きょうだい」の姿を届ける特別展。血縁で結ばれた一族のまとまりが今よりずっと重要な意味を持った戦国時代における、武将を中心とする魅力的な「きょうだい」たちの複雑で多様なあり方を紹介します。開催日時:10月10日(土)~11月23日(月・祝)9:00~18:00(最終入館17:30。月曜休館。祝日の場合は翌火曜休)入場料:一般1200円

※ 内容は変更となる可能性があります、予めご了承くださいませ。

城郭情報

城地種類 輪郭式平城、平山城
築城年代 天正11年(1583)
築城者 豊臣秀吉
主要城主 豊臣氏、奥平氏、徳川氏
文化財史跡区分 国重要文化財(櫓・門等)、登録有形文化財(再建天守)、特別史跡
近年の主な復元・整備 徳川秀忠
天守の現況・形態 連結式望楼型[5重6階地下2階/1585年築/焼失(落城)]、独立式層塔型[5重5階地下1階/1626年再/焼失(落雷)]、独立式望楼型[5重8階/1931年再/SRC造復興]
主な関連施設 復興天守、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、櫓、門、石垣、横堀(水堀)
住所 大阪府大阪市中央区(大坂城公園)
問い合わせ先 (財)大阪市博物館協会大阪城天守閣
問い合わせ先電話番号 06-6941-3044