日本100名城

おおさかじょう

大坂城

大阪府大阪市

別名 : 大阪城、金城、錦城、浪華城、(石山本願寺)
旧国名 : 摂津

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大坂城
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イオ

桜桃爛漫 (2024/04/06 訪問)

今年の城の日は、所用で大阪に行くついでに大坂城で桜見物を。昨秋に紅葉見物で訪れた際に、東外堀沿いの桜並木の紅葉が(遠景では)綺麗だったので、いつか桜の時季にも来てみたいな、と思っていましたが、思いがけず早く叶えることができました。

例年より開花が遅れたことで、ちょうど城の日に満開を迎え、東外堀の南端からは両岸に続く桜並木が見渡せます。東外堀沿いに北に進むと、巽櫓台から艮櫓台、さらに高石垣の上にも桜が続き、桜越しに天守の姿も覗いています。天候も穏やかで、公園側の桜並木の下では多くの人々がシートを広げてお花見に興じていました。ああ、なんて心和む春の一日…。

東外堀沿いの桜を満喫したところで、今度は北外堀沿いの大阪城桃園へ。桃の見ごろはもう過ぎているかと思いきや、早咲きから遅咲きまで様々な品種が植えられていて、華やかな色彩の桃と桜の競演を堪能させてもらいました。こちらも大いにおすすめです。

そして伏見櫓台を経て、乾櫓を眺めながら帰途につきました。次は乾櫓特別公開に来るぞ、と念じつつ…。
 

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Tokyobay

「目的なしの勉強」に励みたいとの思いを強くする (2024/01/15 訪問)

念願の適塾訪問。予想はしていたが高層ビルの谷間にある異空間に存在。「ついに来たか」という感じ。1階の教室や展示を見て急階段を上り2階へ。まず目に入るのが、刀痕が刻まれた大きな柱で、血気盛んな若者たちの情熱が伝わってくる。そして、ここが『福翁自伝』に出てくる所謂「大部屋」かと思うと非常に感慨深く、しばし座り込み思いに浸る。自分が今居るこの場所で、大村益次郎や橋本佐内や福沢諭吉らが寝食し、勉学に励んだのかと想像すると、感動で全身が震えて止まらなくなる。
福澤は適塾時代を振り返り「目的なしの勉強」を提唱しているが、自分も気持ちを新たに「目的なしの勉強」に一層励みたいとの思いを強くする。適塾の大部屋でとても幸せな時間を過ごさせてもらった。まさにこれが歴史探訪の醍醐味である。

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Tokyobay

近代日本の国家体制の方向性を決定づけた大阪会議 (2024/01/15 訪問)

1875年に大阪会議が開催された「花外楼」はビルとなって現在も営業中。「大阪会議体制」は短期間で崩壊してしまったが、成果として「漸次立憲政体樹立の詔書」が発せられた意義は大きく、近代日本の国家体制の方向性を決定づけたと言っても過言ではない。一説には下野組による第二次薩長連合が結成され、更なるクーデターが起きるのを恐れた大久保・伊藤・井上が仕組んだという話もあるようで、結果的には西郷は孤立するような形になってしまったようにも思えるが果たして。尚、「花外楼」の隣ビルには関係者5名のレリーフがあるようだが、全く気が付かずに見落とし。事前によく調べておくべきだった。
そしてスグ近くの旧大阪証券取引所へ。真ん前に立つ五代友厚は大阪会議にも関与していたようで、日銀大阪支店近辺にあった五代の邸宅で事前交渉が行われていたようである。その日銀大阪支店や大阪市中央公会堂や大阪市役所等々の官庁街を見学。なぜかミャクミャクが寝っ転がっていて、可愛くて面白い。街全体は万博PRで盛り上がっているようには思えたが、万博も先行き不透明でどうなるんだろうかと。

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Tokyobay

福沢諭吉が大坂出身という事実の認知度の低さ (2024/01/15 訪問)

まずは、宿泊したホテル近くの頼山陽生誕地へ。周辺はキレイなビルに建て替わっているが碑は健在。やはりこういうのは撤去し難いのだろうか。あらためて碑を1本建てることが歴史を継承する上でとても有意義であることを認識。次に宮武外骨ゆかりの地へ。ジャーナリズム史を学んだことがない人には馴染みがないかもしれないが、その功績はもっと評価されてもいいように思える。
そして、福沢諭吉生誕地へ。あれこれ見学していると、その姿を不思議がってた近隣のチビッ子が「何これ?お墓~?」とお母さんに問いかける。まあそう見えなくもないが、お母さんもわかってない様子。地元ではこの程度の認知度でしかないのかと落胆。
その後偶然発見した雙松岡塾跡。これまで聞いたこともない全く知らない塾なので、今後調べてみようかと。こういう偶然的発見も歴史探訪の面白い所。東京よりも立派な社屋の毎日新聞や阪神日本一で盛り上がる大阪駅を通り過ぎて、『曽根崎心中』ゆかりのお初天神へ。ここは若い女子がとても多かったが、大阪駅前のこんな場所にあったことに驚き。現地を歩いてみないとわからないものだなと。

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概要

現在見られる天守は、五重六階地下二階・黒漆塗の下見板張・金箔瓦という、豊臣秀吉が築いた望楼型天守を模した3代目(鉄筋コンクリート造の復元天守は日本初)。徳川秀忠が豊臣時代の城跡に盛土をし建設した2代目は、五重五階地下一階・白漆喰塗籠・瓦葺きの層塔型天守だった。

イベント情報

  • 2024年04月27日(土)~2024年05月19日(日)

    大坂城

    令和6年 重要文化財 大阪城の櫓YAGURA特別公開

    国の重要文化財に指定されている大阪城の古建造物内部を特別公開。大手口桝形の石垣の上に建つ多聞櫓、大手口を守る隅櫓の千貫櫓、さらに大阪城最古の建造物で9年ぶりの一般公開となる乾櫓に入場できます。入場者には乾櫓の特別記念符(御城印)をプレゼント。開催日時:【多聞櫓・千貫櫓・乾櫓】4月27日(土)~5月6日(月・休)【乾櫓】5月7日(火)~19日(日)10:00~16:30(最終入場16:00)入場料(櫓共通券):【多聞櫓・千貫櫓・乾櫓】1500円【乾櫓】800円

※ 内容は変更となる可能性があります、予めご了承くださいませ。

城郭情報

城地種類 輪郭式平城、平山城
築城年代 天正11年(1583)
築城者 豊臣秀吉
主要城主 豊臣氏、奥平氏、徳川氏
文化財史跡区分 国重要文化財(櫓・門等)、登録有形文化財(再建天守)、特別史跡
近年の主な復元・整備 徳川秀忠
天守の現況・形態 連結式望楼型[5重6階地下2階/1585年築/焼失(落城)]、独立式層塔型[5重5階地下1階/1626年再/焼失(落雷)]、独立式望楼型[5重8階/1931年再/SRC造復興]
主な関連施設 復興天守、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、櫓、門、石垣、横堀(水堀)
住所 大阪府大阪市中央区(大坂城公園)
問い合わせ先 (財)大阪市博物館協会大阪城天守閣
問い合わせ先電話番号 06-6941-3044