あきづきじょう

秋月城

徳島県阿波市


旧国名 : 阿波

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東屋のある郭に残る畝状竪堀
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しんちゃん

詰めの城の奥丸 畝状竪堀。 (2023/08/14 訪問)

秋月城の詰めの城は奥丸と呼ばれ、秋月歴史公園になっており
車で行くことができます。
道は狭く、急坂ですが5ナンバーくらいのサイズであれば
問題なく到達でき、駐車場もあります。
入り口は獣害よけの針金でぐるぐる巻きにされていて、
さすがに面倒なのでよいしょとまたいで入りますが
あまり行儀はよくないです。
山頂部に郭があり、途中にも展望台の郭、東屋の郭がありますが
展望台の階段は傷んでいるかもしれないので、登らない方がよいかも
しれません。山頂部からの眺めもイマイチ。
でも東屋の郭の左右に竪堀があるようです。向かって右側の方が
良く見えますね。畝状竪堀のようです。
奥丸から下った先、駐車場の西側に池があるようです。この付近に
五輪塔があるようですが未確認です。

秋月歴史公園駐車場
徳島県阿波市土成町秋月明月82−2
34°06'12.6"N 134°18'52.7"E
34.103505, 134.314643

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しんちゃん

四国管領細川氏の居館跡 (2023/08/14 訪問)

秋月城は県道139号線によって南北に分断されており
その周囲を巨大な堀がめぐり南北も堀切によって
分断されていたようです。城址碑のある北側の郭が
主郭のようで現状墓地でヤブ化が進んでいます。
城郭大系に寄ればここが南北朝時代に四国大将・四国管領
として四国の守護に号令した細川氏の居館跡ということです。
阿波の吉野川流域の武士たちが足利尊氏に協力し湊川の戦いで
楠木正成を破る強力な兵力になっていたそうです。
戦国期には秋月五郎左衛門光秋が城主を務め、天正年間に落城。
本丸の一角に秋月城主及び戦没将士の墓 があるそうです。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征7目:秋月城 (2022/07/26 訪問)

西条城からの転戦です。墓地前の空スペース(34.101027、134.312350)に駐車しました。

古代、秋月郷と呼ばれ、土豪秋月氏が居館を構えていました。
文永年間(1265年~75年)守護小笠原氏から世継ぎを迎えたと伝えられています。
1336年(建武3年・延元元年)小笠原氏(後の三好氏)に代って阿波国守護となって入国した細川和氏・頼春兄弟が、当地の土豪の秋月氏に迎えられて、秋月城を築き居館としたといいます。
秋月城は和氏のあと、弟細川頼春、子の細川頼之と三代にわたり居城となりましが、頼之が管領として上洛すると弟詮春は勝瑞城に移りました。 その後は秋月氏の居城となり戦国時代まで続いたといいます。
1579年(天正7年)長宗我部元親に攻められ落城、廃城となりました。

墓地となっており、的場跡の碑、城址碑が建てられています。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=原田城に向かいます。

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小城小次郎

細川管領家はこの城から大きく羽ばたいていったとも言える。 (2020/10/17 訪問)

今は静かなこの場所は、勝瑞城が細川氏の守護所となる前に安国寺(補陀寺)も建立され、実質的な守護所として機能していた時期があった。いわば細川氏が管領家として雄飛するきっかけを作った場であった、ということになる。

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 なし
築城主 細川和氏
築城年 延元元年〔南朝〕/建武3年〔北朝〕(1336)
主な城主 細川氏、秋月氏
廃城年 天正7年(1579)
遺構 土塁
指定文化財 市史跡(秋月城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 徳島県阿波市土成町秋月
問い合わせ先 阿波市教育委員会社会教育課
問い合わせ先電話番号 088-696-3969