新城市の豊川沿いの川路天神の地に「鳥居強右衛門勝商上陸の地」の標識があります。天正3年(1575)に武田勝頼が長篠城に攻撃を仕掛けたため、鳥居強右衛門が岡崎の徳川家康に援軍を求める使者として派遣されました。強右衛門は夜中に長篠城の野中門を出て、武田軍の包囲をかいくぐって豊川からこの地に上陸し、ここから雁峰山に登って脱出成功の狼煙を揚げ、援軍を求めに岡崎に走りました。
考えてみれば雁峰山から揚げる狼煙を「援軍来る」の合図にしておけば、武田軍に捕まって殺されることは無かったような気がしますが・・なんにせよ強右衛門の気概が長篠城の士気を大いにあげたのは間違いないと思います。
「鳥居強右衛門勝商上陸の地」に向かう途中に、酒井忠次の軍勢が鳶ヶ巣山砦を襲撃する際に豊川を渡ったとする「広瀬の渡」があります。時差はありますが、この地で酒井忠次と鳥居強右衛門がすれ違ったというのは面白い話です。
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