関ヶ原の自害ヶ岡を再訪しました。神谷道一氏の記した「関ヶ原合戦図志」だとこの丘陵が西軍の陣地と記してある。現状、丘陵を削り取って東海道新幹線が通り、間に橋が架かって行き来できるようにはなっている。
新幹線が通っているということは国の土地になるのだろうか? 「関ヶ原合戦図志」は小和田教授がユーチューブで紹介していたのだが中古で15000くらいするのでおいそれと手が出せない・・「武家事記」はけっこう安かったのだが。
「関ヶ原合戦図志」は国立公文書館のHPに登録すれば閲覧が出来ます・・ありがたい、ありがたい。明治の難しい漢字で書かれているので読むのは大変だが、古文書に比べるとまだましだ。関ヶ原の歴史に興味のある方は是非読んで欲しいです。
私の記憶だと「関ヶ原合戦図志」が書かれた翌年に参謀本部が今の関ヶ原の陣地を発表して、その翌年には日清戦争が起きている。私は基本的に偶然と思しきものは疑ってかかるので、参謀本部が使えそうな位地から陣所をずらしているものと考える。
当時の大砲は国産化を優先しているので鋳造・前装式の青銅製の大砲だが欠陥品のアームストロング砲なんかよりよほど頼りになると思う。南宮山の尾根上に配置すれば中山道や伊勢街道を通って東京(皇居)を目指す「清軍」を狙い撃ちできる。
「関ヶ原合戦図志」には大垣城の布陣があるが参謀本部の物には無い。本当は陣地の取得にしか興味がなかったんじゃないか??
正直・・南宮山一帯だけ「遺構が無い」のが気になる。「伝・毛利秀元陣」もとても怪しい。毛利も一定の間、南宮山に布陣していたらしいのでもうちょっと何かあっても良いんじゃないか?
いやな考えだが陸軍の命令で「誰か」が土塁などを削り取って扁平してしまったのであろうか??
自害ヶ岡の南側は草ぼうぼうだったので引き返した。おそらく遺構は無いだろう。いずれにしろ野戦砲陣地として陸軍に目をつけられたのなら扁平されて何もないと思う。土塁の端っこでも残っていると良いのだが。
新幹線が元気にビュンビュン走り回っている。「豊臣新幹線」楽しみだ! 東海の時代が来た!!
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