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しんちゃん

主郭北側の遺構 (2025/05/08 訪問)

溝辺城の北側にある小山を右手に迂回していくと登り口が付いているので、主郭を攻略した後に登って見ました。ある程度の高さを登ってはみたものの、堀切の両側にそびえたつ頂部は、まだそれなりの比高を持っています。既に主郭を攻略しているし、この城址の写真は十分撮れたので、ここで引き揚げることにしました。小山の前の堀切の仕掛けを見た時点で、あまり深追いはしない方が良いと判断しています(先もあるので)。できれば、整備がされて安全なルートを示す標識が設置されると良いと思うのですが、やはりここは万人向けでは無いですね。

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しんちゃん

猪を追い払って進む (2025/05/11 訪問)

桜尾城は標高378m・比高200mの山頂部に築かれています。太田の栗栖氏の一族の城とされていますが詳細は不明です。城郭大系には記載が無く縄張図もないので手探りでの登城になります。周囲はフェンスとコンクリで囲まれているので、一見攻城は難しそうに見えますが、実は一か所入れる場所が有ります。ヒントはニッポン城めぐりの口コミで、だいぶ昔に入った人が一人いました。小学校から城址に向かっていくという記載があったので、それを頼りに登城口を見つけることが出来ました。帰りにはコサ払いをやっている地元のお母さんたちと話が出来たので、個人宅の中を通らせていただいています。登城口が見つかりにくかったら、地元の方に尋ねてみると良いでしょう。

町の史跡に指定されているので、一応道はついています。ほとんど訪問者がいないので道は荒れています。近くでガサガサやっている奴がいる。スズで威嚇すると、でかくてずんぐりした獣が逃げて行きました。猪・・熊か? もう茂みの先にもいません。
逃げたのならかまわん、攻城続行です。遅めのGW最終日なので残った気力を絞り出して登って行きます。
ちなみに逃げていった動物は猪のようです。あとで地元のオヤジに聞きました。登っているうちに堀や土塁が見えてきました。案内板には本丸を中心に10か所近い腰郭があり、西側の尾根を遮断する堀切、馬場と呼ばれる弧状の細長い郭、基壇の跡、城門跡、櫓跡と考えられる箇所もあるようです。

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ぴーかる

亀尾城 (2025/03/22 訪問)

【亀尾城】
<駐車場他>駐車場あり<32.956368,130.762245>
<交通手段>車

<感想>2泊3日西九州旅3日目10城目。現地説明板によると亀尾城は菊池十八外城の1つです。鎌倉時代、相良一族がこの地を領して板井氏をとなえ、菊池氏の配下にありましたが、その後関部氏の名がみえます。南北朝時代には九州探題である今井了俊の菊池氏攻略の駐屯基地として2年間使用されました。
 現地説明板によると城跡は堀で囲まれた細長い2段の連郭構造がある所と神社のある削平地がある所の2局の主要部を備えているそうです。神社の方はあまり主要部感はなかったが、堀のある連郭構造の曲輪と北斜面にひな壇構造のある曲輪群は城跡の感じがありました。万を超える軍が駐屯していたというので、城跡南の台地一帯に陣が置かれていたのでしょうか。

<満足度>◆◆◇

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朝田 辰兵衛

前田家発祥の地との説アリ… (2025/03/21 訪問)

実際に荒子城と張り合っているのかどうかはわかりませんが,前田家発祥の地との説アリ。自己主張満々の前田速念寺の本堂は兜を意識したビジュアルです。

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上今井駅より (2025/05/29 訪問)

 築城年代、築城主等詳細は不明のようですが、江戸時代後期には飯山藩の参勤交代の際の本陣として使われていたようです。土塁、水堀が残っています。
 上今井駅から徒歩にて登城しました。10分くらいで行くことができました。

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にのまる

念願の陣跡めぐりも。 (2025/03/03 訪問)

前回できなかった陣跡めぐりにチャレンジしたくて再訪しました。
月曜日だったため博物館は休館でしたが、鎮西町観光案内所と名護屋城観光案内所が開館しており、リアルタイムの現地情報をいただけありがたかったです。(荒天だったので歩くの大丈夫か心配で……。)
また、重いリュックをロッカーに入れさせていただけたので身軽に動けたのもとても助かりました。

まずは城址散策です。
一歩踏み込んだ途端にその威容と迫力に圧倒されそうになりました。しかし、呼吸を整え耳を傾けると破却の痕跡から聞こえてくるのは華やかな宴のあとの脱力と安堵の混じった静かな吐息。城と人とが一体となり一つの大きなうねりとなった時代の記憶がここにあるのだと感じました。
春の嵐の中を天守台に向かっていると、降雪と凍える寒さの中で立っているのもやっとだった前回のことを思い出しました。二度も悪天候に見舞われたのですが、「ついてない」という感情は不思議と湧かず、“京をも凌ぐ賑わい”の中にもこの荒天のように人間模様が複雑に渦巻いていたのではないかしら、など思いながら散策しました。

陣跡めぐりのことを考え城址散策は軽めにしようと思っていたのですが、そんなことできるわけもなく、気づけば2時間近く経ってしまっていました。
そして相変わらずの強風でしたが、ようやく陣跡めぐりへと繰り出しました。
スタートは前田利家陣跡。広くてびっくり!さすがです!いきなりKOされました。

見学できる陣跡は限られているということと、あまり遠くまでは行けそうにないので、【歴史探訪の道】も織り交ぜながら歩ける範囲をじっくり見学することにしました。のどかで人の気配は全くないのですが、まさに歴史の風を感じる散歩道。ひとつひとつの陣跡を遠望し、学びながら歩いた記憶はこの先きっと役に立つと確信しました。

堀秀治陣跡に着きました。
東曲輪からです。かっこよすぎ、広すぎ。能舞台まである!
秀吉の野望に取り込まれた人たちの夢の世界。
つわものどもが夢のあと。。。目の前のこの場所がそうなのか!と感慨と共に浸り尽くしました。

豊臣秀保陣跡。
寂しげな山道を辿って……というのはよくあるのですが、その先にこれほどまでに開けた陣屋が現れるとは!さすがの一言に尽きます。枡形から入って、こちらが書院でございますぅ💁など、ひとり遊びを堪能してきました。

もう一度、今度は搦手から堀秀治陣跡へ行ってから古田織部陣跡へ。茶会の雅が目に浮かぶ美しい石積みや配置。静かさの中、おこもり感の心地よさを深く記憶に刻み込みました。

名護屋城に戻り、山里口、上山里丸を経て徳川家康陣跡(本陣・竹ノ丸陣阯)へ。今回は別陣の方へは渡れませんでしたが、信頼と実力の家康の陣まで行けたのは感慨深かったです。

大野治長陣跡。
家康本陣から向かっていると墓地の角に案内が立っていました。【歴史探訪の道】によると名護屋小学校が跡地だそうです。

冨田信則陣跡。
大野治長陣跡から少し進んだところの天神宮。それっぽい石積みがありましたが鳥居のそばの旗竿石が当時のものだそうです。

まだまだ行きたいところはありますが、そろそろタイムリミットが近づいてきたのでここで終了です。
今回行けなかったところはいつか自転車でまわりたいです。

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カズサン

淡路守護細川氏7代180年の居館 (2025/05/15 訪問)

 淡路島2城目の志知城を終えて、県道477号線を東に約4~5km程の養宜館を目指す、平成病院交差点を北に折れて約300m程の所に養宜館跡の道路標識とコンクリート製標柱案内指示板があり良く分かる。

 駐車場:特に無し標識前の道の東側水路上のコンクリートエリアに幅寄せ路駐(34°18'20"N 134°47'45"E h=40m)1台位可能
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 東門からの車進入は入口が狭く感じて上記駐車エリアに駐めて家内が留守番、東門より入り東側の土塁が南北に残って居る、土塁と空壕がセットの城館、北側にも残って居る、中心部に中八木集会所、薬師堂、墓場、神社が纏まっている、西側の土塁上(少々消滅してるが)に立派な養宜館之碑が立っている、側面には昭和2年6月従二位侯爵蜂須賀正韶と有り蜂須賀家15代当主に当たる方、碑文を読むと題字は15代正韶侯爵に依る?と読みましたが良く解読できません。

 中心部にあった、養宜館跡案内図に依れば。
 室町南北朝時代、細川氏の淡路国守護所に当たり、敷地は東西120m南北250mに土塁と空壕が廻っていた、細川氏7代180年の居館で淡路国の中心地であったと有りました。

 内部は畑地で東と北に土塁と空壕が残り南側は大きな平成病院が建っています、静かな環境です500年前を偲んで想像を膨らますも一興かと思います。
 
 この後はここまで来たので洲本城樹木伐採された東登石垣を眺めたいなと3度目の登城へ。
  

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カズサン

志知城-3/3 搦手より駐車場編 (2025/05/15 訪問)

 志知城-2/3 石碑・案内板・展示物編の続です。

 志知城守る会代表の関口さん会員の方2名で竹林伐採整備された城跡を案内頂き、スルーと通ってしまう所を奥深く探訪見学観察させて頂きました。また保存会の尽力で搦手登城路、専用駐車所の確保も頂いており、ルート、要所要所の写真投稿で保存会の方々の尽力努力に報いたく投稿致します。

 駐車場:県道477号線南側の白い二階建事務所の駐車場が保存会確保の無料駐車場、スーパーマルナカの南通南側、和食淡路島肉丼店の西隣。(私は情報入手前でスーパーマルナカに駐車させて頂きました)
 参考資料:城郭放浪記さん城びと投稿者各位グーグルマップ城内案内板、保存会に頂いた資料に依る。

 本丸北側のスロープを降り、保存会手造りの志知城跡看板を確認、城びと投稿者の写真で確認して居たものです、北側の内水堀は蒲の水草が茂って堀が良く分からない、搦手登城路は木製チップが敷き詰められて畦道ですが歩きやすい、倉庫の様な事務所駐車場脇を通って県道477号線へ、角の電柱に手造りの志知城案内看板、そこより東20~30m程で志知城専用駐車場白い二階建事務所前庭へ。
 私はスーパーマルナカの西側に駐めましたので分かりませんでしたが、中程から東側に駐められましたら南側竹林の微高地に幟旗が沢山翻っていますので良く分かると思います。

 スーパーマルナカさんありがとうございました淡路島の新玉ねぎを土産にし今も酒の肴で頂いています。
 志知城守る会代表関口さん始め会員の皆様、志知城整備ありがとうございます、楽しく見学探訪が出来、且つ新しい発見と新知識を頂きました。益々のご活躍とご健勝を祈っております。重ねてお礼申し上げます。

 志知城3編長々とご覧頂きありがとうございました。

 この後は県道477号線を東に4~5km程の養宜館(ヤギヤカタ)を目指します。
 

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イオ

東の城 (2025/01/26 訪問)

室町中期に紀伊国守護・畠山政長に仕えた牲川義春が詰めの城として築いたと伝わり、戦国期の畠山氏の内紛では畠山氏の関与により改修されたと考えられます。畠山氏が没落すると織田信長に従うも、羽柴秀吉(信長とも)の紀州攻めにより落城しました。

6年前は縄張図を持っておらず見落としも多々あったので、見落としを回収すべく再訪しました。「東の城」「西の城」「出城」と呼ばれる三つの曲輪群からなる一城別郭の城で、今回は入口Ⅰから出城→西の城→東の城とめぐるつもりでしたが、入口Ⅰ付近に駐車できそうな場所が見付けられず、結局、前回同様に給水塔前に駐車して入口Ⅲから東の城→西の城→出城のルートで登城することに。

入口Ⅲから尾根伝いに進むこと10分あまりで東の城・南西尾根の堀切(外側)に到達。外側の堀切を越えて少し行くと内側の堀切があり、その上に東の城の主郭に至る喰い違い虎口がある…はずですが、登城道が改変されているのかよくわかりませんでした。

東の城は細長い主郭の南端と北西端にいくつかの小曲輪を付属し、南西尾根のみならず南東尾根や北東裾にも堀切を設けています。落葉で足を滑らせつつ南東尾根や北東裾にも下りてみましたが、それぞれ堀切は浅くなっていて見応えはいまいちでした。主郭の北西部には北西尾根へと続く虎口があり、虎口内に土塁で囲まれた空間を設けています。

虎口を出て登城道の分岐を北西方向に進むと、堀切が北西尾根を断ち切っています。分岐まで戻って今度は南西方向に進むと、北側が急峻な崖になった細尾根が続いています。この先が西の城です(続く)。
 

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todo94

ゴールデンウイーク後半・伯耆の城めぐり⑨ (2025/05/04 訪問)

>ぴーかるさん 膝のご心配をいただき、ありがとうございます。現在、膝をはじめ足腰の状態は万全です。実は田内城の次に攻めた伯耆河口城、攻城後にぴーかるさん投稿の櫓台の写真を拝見して愕然としてしまいました。

連休2日目は朝食をすき家にて摂った後、田内城に朝駆けをかけました。小鴨川に面した側は、急峻な岩山になっていますが、裏手の墓地の側は結構なだらかで、攻略はさほど困難ではありません。墓地の中を縫って頂上にたどり着くとそこには模擬櫓が鎮座していました。その基礎部分に石の説明板がはめ込まれていました。

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赤い城

縦淵城 愛媛県松山市 (2025/04/30 訪問)

城びと未登録城です。
仕事で近くに所用があった際に立ち寄りました。

小野川と土佐街道が交差するあたり、城山神社内に石碑と説明板が立っています。
小高い丘だったとのことですが土佐街道建設の際に削られ、遺構は残りません。

承久の乱で活躍した河野通久により築かれました。
その後、河野通盛が湯築城を築くまで、代々河野氏が居城としていました。

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天守無しがアツい

富士見櫓 (2025/05/11 訪問)

(宇都宮城の御城印について)
https://www.utsunomiya-jo.jp/utsunomiyajo/gojouin.html

JR宇都宮駅から1.5kmほどの場所にあるのが宇都宮城址公園🏯その中に清明館という施設があります。本当は館内の展示室を見学したかったのですが…公開は17時まで。餃子定食を食べた分、訪問が遅れた影響により、そこの見学はできませんでした😓

しかし御城印の販売は21時までおこなっているそうで…自販機にお金を入れてからボタンを押すと券が出てきて…それを館員に渡せばもらえるという仕組み🎫

御城印は清明台(櫓)をモチーフにした縦バージョン(1枚目右)…社参行列をモチーフにした横バージョン(1枚目左)の2種類があり…どちらにしようか迷いましたが…「たまには両方買っちゃえ」という事で2種類とも買いました。1枚300円…2枚で600円

(宇都宮城址公園・清明館)
https://www.city.utsunomiya.lg.jp/citypromotion/kanko/meisho/jyiousi/1007275.html

展示室は閉まっていたけど…櫓はまだ開放されていたので…その見学へ向かいました。まずは富士見櫓(2枚目)…江戸時代には周辺にここより高い建物が無かったため…富士山が見えた事から、そう名づけられたと案内板に書いてありました🗻

櫓は2階まであるのですが、2階部分は閉鎖されており(階段さえ登れない)1階部分の見学のみになりました

富士見橋には…櫓の模型がありました(3枚目)。だいぶ壊れかけていたけど…誰かが造ってそれを寄贈したのではないでしょうか?「触らないでください」の注意書きがあったので…それを見てからは…触れないようにしました

櫓内は土足厳禁…入口で履物を脱いでから上がる必要がありました。時々他の客も来るけど…私一人の時もある…そんな中でふと思い浮かんだ感情は…

ここで腕立て伏せがしたい💪

私一人のタイミングで…まずはここで20回やりました…家でやる時は下が畳…対してここは床が硬い木板のため、一回あたりの身体への負担が大きく…両腕で身体を上げるのが(家でするよりも)重い…そのため(家では40回できるのが)ここでは20回が精一杯

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小城小次郎

国持大名の風格を微かに感じる? (2024/10/12 訪問)

丹後一国の国持大名であった京極氏時代の姿を明治初年まで残していたはずだが今となっては跡形もない。でも僅かに残された移築建造物や古写真からもその風格を感じることはできるし、地下にはそれなりに遺構が残っているとか。

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翡翠

宇和島城 (2025/01/02 訪問)

宇和島城、天守閣まで行く石垣や天守閣内部の階段の角度とか良かったです。正月だったので天守閣の最上階でみかんとお茶をいただきました。良い思い出になりました。

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朝田 辰兵衛

大宮の隠れ家的スポットも紹介…🥩 (2025/04/29 訪問)

埼玉高速鉄道線を南下して,川口元郷駅へ。周辺一帯は,新しいものと古いものがごちゃまぜになった風景が印象的でした。
復路は,さらに埼玉高速鉄道線を南下して,赤羽岩淵駅へ。JR赤羽駅まで徒歩。京浜東北線で北上して,JR南浦和駅へ。これにて,南浦和・川口ループ完了。

大宮駅でさらに途中下車。西口から徒歩約5分の「レストランたやか」へ。サイコロステーキで空腹を満たして越後へ。
撮れ高が少ないので,「レストランたやか」での画像も差し込みます。大宮の隠れ家的スポットかも…。

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ぴーかる

お役に立ててなによりです(^_^)

todo94さんへ。槻下豪族館の攻略お役に立てて良かったです。私が行った時はとりあえず突込みできそうな場所が絶対あるはずと思い、方形館跡だろうから、1巡りしながら探そうと思い、以外と簡単に内部に入れました。10月初めとはいえ、暑くて虫やら蜘蛛の巣がまとわりつくは、地面は倒竹とぬかるみで歩きにくいはで、平城ながらきつい攻城だったのを覚えています。todo94さんのGWは充実しておりますね。前半は宮城県で、後半は鳥取県西部とは、移動距離とタフさがすごいです。膝もよくなられたようでなによりです。

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しんちゃん

小山を迂回して主郭を攻略する (2025/05/08 訪問)

主郭前の小山は写真だけでは解りづらいですが、かなりの高さがあります。小山の角度は急で、下に深い堀切があり、岩も所々にむき出しになっています。しかもこの小山に沿って踏みしろのような道が付いています。この踏みしろが、いつの時代のものか解りませんが、これは「釣り」と考えた方が良いでしょう。うかつに攻めて足をすべらして、そのまま堀に落ちたら大ケガです。
西側(右手)にそって迂回していくと、小山や主郭に沿って側道が付いていて、ここから小山の裏側に登ることも出来ます。そこを登ると深い堀切が有りますが、まずは主郭を先に攻めることにします。
写真だけでは解りづらいですが、側道と主郭の高低差は結構あります。なかなか登りやすい場所が見つからなかったので、南端から登ることにしました。登った先は激ヤブで、行けども行けどもヤブシダが続きます。郭の中央部分まで行って、主郭攻略終了とします。
郭の端から下に降りたい所ですが、なかなか良いポイントが見つかりません。
人が重力に逆らえるのは、せいぜい1mちょっとなので、膝等に負担をかけずに降りれるポイントを探します。踏みしろも途中で消えていたりするので、降りては登ってを繰り替えして、結局南端に戻ってそこから降りました。

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しんちゃん

島津家発祥の地 (2025/05/07 訪問)

祝吉御所は島津家の始祖・忠久が鎌倉より下向して最初に御所(館)を構えた場所とされ、小公園として整備されています。ちょうどお昼時に訪問したので、公園整備のオヤジさんたちが昼食をとっていました。周辺にはアヤメも咲いていて良い感じです。
忠久は文治元年(1185)8月、源頼朝によって、領家の島津御荘下司職、次いで同荘8千町の惣地頭職、薩摩・大隅・日向三ヶ国の守護に任じられ、はじめは惟宗姓を名乗っていたが、地名を取り「島津氏」を名乗るようになったそうです(現地パネルより)。

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しんちゃん

堀と土橋が見所 (2025/05/06 訪問)

田野城は松山川に面した丘陵の鼻先に築かれています。対岸の公園からの距離はさほどではありませんが、ここにたどり着くまで田野フィールド(演習林)の中を延々と迂回してこなければならなりません。訪問時は縄張図が無かったので、手探りで回って来ましたが、余湖さんの縄張図がネットから出てくるので、これを参考に散策されると良いと思います。細部に多少の差異はありますが、おおよその配置は合っていると思います。
藪に覆われた登城道を進んでいくと東西の丘陵の中央部分に出るので、まずは東を目指します。尾根上に西から一郭の腰郭、一郭、二郭、三郭が連なっています。腰郭の南側からスロープが付いているので、これを使えば楽に腰郭まで登れます。一郭から三郭の間は大きな堀切で断ちきってあり、それぞれに土橋がかかっています。この堀と土橋はなかなか見事で、この城の見どころだと思います。
三郭の南に腰郭が付いており、三郭の先端あたりまで続いています。その先は藪に覆われ良く見えませんが川が流れている気配を感じます。縄張り図を見ると城址の下側は川に沿って崖が続いているようですが、城内からはそれを確認することは出来ません。

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イオ

カメラ派? スマホ派? コンデジ派に援軍!

もはやコンデジ派は絶滅危惧種なのかなぁ…と思っていましたが、心強い援軍がお二人も! 困難な状況に変わりはないとしても、お仲間がいるのは嬉しいことです。ありがとうございます。

> トクさん

なんと、スマホで光学5~7倍とは! 光学となるとスマホ本体からレンズが突き出てくるんですかね? 引っ掛けて壊してしまいそうで怖いですし、どうせ同じくらいのお金を出すのなら素直に一眼を選ぶかな、うん。もし外付けレンズを試されましたら、レポートお願いいたします。

> にのまるさん

やはり電車派にはサイズや重さは大事な要素になってくるようですね。スマホに全てを集約すれば身軽になる一方で、そのスマホに何かあったら全てが破綻する……難しいところです。それにしても、やはりスマホにおいても高額な機種で撮った写真は出来が違いますか…。これまではカメラ性能は全く求めていなかったので格安の機種ばかりでしたが、その点も考えないといけないなぁ。

> ヒロケンさん

カメラとしてなら一眼が、手軽さを追求するならスマホがベストということで、カメラが良いんだけど手軽さも、というコンデジは半端な立ち位置となって衰退してしまったのかな、とも。新機種もほとんど発売されないとなると、現有機を大事に使っていくしかなさそうですね。

> とある煩悩の登城目録さん

挙げておられる5つの主な理由、全くもって同意いたします! 1から3はスマホで代替がきくとしても、4と5はカメラ(特に4はコンデジ)ならではなんですよね。市場的にはそれだけでは弱いからコンデジは衰退してしまったんでしょうけど…。

> しんちゃんさん

今回の一件も、カメラ破損後はスマホで撮影することで何とか乗り切ることができましたし、荷物になる点を除けば、どちらをメインとするかはともかく、カメラとスマホの二刀流が一番確実なんでしょうね。破損はそう滅多にはないとしても、容量不足や充電切れや熱暴走(スマホ)はそれなりにあり得ることなので。

> todo94さん

デジタル一眼を自分のものとして使ったことはありませんが、コンデジを現有機に買い換えた際に、ピント合わせが前機より速くサクサク撮れるので驚いたことがありました。思ったタイミングで撮れるのが当たり前になると、もう戻れないというのはその通りなんだろうな、と思います。あと、バッテリーの持ちが良いというのは意外でした。やはり重くてもかさばってもそれ以上の価値があるということなんですね。

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