輪郭式の縄張りを体感できる土塁と堀が立派な城
スタンプと御城印は本丸跡地の
荘内神社(8:30~17:00)
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2025/08/29 00:14
2025/08/28 23:36
村上城 (2025/05/11 訪問)
登城後ひと月半後に 熊出没で一時入山禁止になりました。
その後
令和7年7月28日(月曜日)正午
入山禁止は解除となりましたが
今後もクマが出没する可能性がありますので、十分注意が必要です
常に新しい情報を仕入れてから登城しましょう
以下、村山市からの注意事項です
・クマの活動が活発となる「早朝」や「夕方」の入山は避けましょう。
・入山時にはラジオや鈴など音の鳴るものを携行し、複数人で行動するなど、クマとの遭遇を避ける対策を行っていただくようお願いします。
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2025/08/28 22:21
2025/08/28 22:15
中曽根神社 (2025/08/28 訪問)
北千住駅からバスに乗り関原二丁目バス停下車。バス停から徒歩2~3分で跡地の中曽根神社へ行くことができます。石碑と説明板がありました。遺構はありません。
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2025/08/28 22:09
2025/08/28 21:59
赤塚公園 (2025/08/28 訪問)
都営三田線西高島平駅から徒歩約15分、赤塚公園一帯が城址です。本丸には城址碑と説明板がありました。南側の乗蓮寺には赤塚城二の丸跡の石碑が建てられていますが、現在では梅林が二の丸という説が有力のようです。
ウキペディアには「本丸跡を示す石碑の他には土塁、空堀、水堀、堀切、切岸など、江戸城を除く23区内の城跡の中では最も多くの遺構が残っている」と記載がありました。ぶらりと散策しただけでは土塁や空堀等はよくわりませんでした。
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2025/08/28 21:28
2025/08/28 20:47
長福寺 (2025/01/07 訪問)
永禄年間(1558~1569)の夏見城の城主は夏見政芳とされています。城址の大部分は長福寺となっており、土塁が残っています。長福寺は永禄年間に夏見政芳によって再興されたとされ、関わりが深かったものと思われます。
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2025/08/28 20:40
2025/08/28 20:26
2025/08/28 20:23
2025/08/28 18:57
2025/08/28 09:32
【宮本武蔵】(1)小倉碑文(手向山) (2025/08/25 訪問)
皆さんは宮本武蔵という人物をどこまで御存知でしょうか? 巌流島の決闘や二刀流で有名な人物である事は少なくとも御存知と思います。
武蔵は謎多き人物ですが、最近新しく発見された資料などにより、今までの我々の知識とは異なった、その真実が徐々に明らかになっているようです。例えば、巌流島で武蔵は遅刻していないとか、武蔵の一撃で小次郎は死んでいないとか、そもそも佐々木小次郎という名前の人物は存在していないとか、宇喜多軍(西軍)に属し岐阜の関ケ原にいたというのは誤りで実は九州の関ケ原で黒田軍(東軍)に属していたとか、大坂の陣では徳川方として水野軍にいたとか、島原の乱では幕府方として小笠原軍にいたとか・・・などなど。
武蔵の事を知るために、まず1級資料の「小倉碑文」が現在も残る、手向山(たむけやま)へ行ってきました。JR小倉駅入口(または小倉城前)からバス[70]に乗り(手向山)バス停で下車(写真⑧)、そこから15分程の坂を登った頂上の手向山公園に碑文はありました。小倉碑文は、子の宮本伊織が父の武蔵から実際に聞いた話を、武蔵が没して9年後に、伊織本人が菩提を弔い武蔵の言葉を後世に残すために建てた、最も信頼できる資料です(写真①②)。武蔵の1級資料としてはこの他にも「五輪の書」や「沼田家記」、2級資料としては「二天記」などがありますが、各々についてはまたおいおい、お話して行きたいと思います。
展望台からは巌流島や関門橋が見えました。とてもいい眺めでした(写真③)。また公園には、その宮本伊織(小倉小笠原藩筆頭家老)の墓や(写真④⑤)、昭和になって建てられた佐々木小次郎の碑もありました(写真⑥⑦)。
次は、武蔵の資料が数多く残る、熊本の「島田美術館」を訪れます。
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2025/08/28 08:22
【赤色立体地図かるた】 (2023/02/11 訪問)
北守り 南は居館 飯盛城
(きたまもり みなみはきょかん いいもりじょう)
南北に長く続く主尾根の曲輪群は、高低差があり東西にのびる支尾根にも小曲輪群を配する北側が守りを担い、千畳敷郭など広大な曲輪を擁する南側が居住スペースだったと考えられていることは、赤色立体地図を見てもよくわかります。
摂河泉 阿淡見渡す 飯盛城
(せっかせん あたんみわたす いいもりじょう)
飯盛山からの眺望は素晴らしく、眼下の大阪平野(摂津・河内・和泉)はもちろん、淡路島や四国(阿波)まで見渡すことができます。見渡す限り全てが三好長慶の勢力下であり、長慶が天下を統べるに相応しい城ですね。
以上で登城済み11城の投稿完了…と思ったら、4城が差替えになりましたので、うち登城済み2城についてはまた来週に追加投稿いたします。
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2025/08/28 07:02
大内教弘の居館 (2025/07/13 訪問)
大内氏館の北側に観光駐車場があり、さらに道路を挟んだ北側が築山館です。
大内教弘が「築山殿」と呼ばれていて、別邸として築いたとされていましたが、発掘調査や文献から教弘が守護職を息子に譲った後の居館だったようです。
跡地は整備され、掘立柱建物跡などが表示されています。
ここには瓦葺きの建物が可能性があるとのこと。
隣接する築山神社の裏手には土塁が残ります。
見える遺構はこれのみですが大内氏が当時、栄華を誇っていたことが伺えました。
高嶺城にも行きたかったですがこの日も猛暑、時間も限られてたので山口城に向かいました。
【見どころ】
・築山神社北西部に残る土塁
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2025/08/28 07:02
お盆帰省の城めぐり⑧ (2025/08/14 訪問)
川島氏居館(下野高松城)からの転戦です。ここも私有地で、入口の案内表示を読むと土塁を乗り越えての立ち入り厳禁、そして橋本さん若しくは荒井さんに声をかけて立ち入ることとのことです。とある煩悩の登城目録さん同様、立ち入りは控えさせていただきました。堀も土塁もとても見栄えが良いので、外からの撮影で十分に満足です。2025年の夏の帰省時の攻城はこれにて終了です。
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2025/08/27 22:48
推定地? (2025/01/07 訪問)
米ケ崎城は城主不明の城址です。「意富比神社」の祀られているあたりが城址とされていますが、城があったという記録すら残っていないようで、林の中に土塁が残っているようです。西側に海老川を挟んで夏見城を見る位置に有るので、城郭が存在しても不思議ではなさそうです。「城びと」のデータでは城主は夏見氏となっているので、夏見城の支城になるのかな。
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2025/08/27 21:42
桑折陣屋(幕府領・松平氏)福島県桑折町・岡陣屋(幕府領)福島県伊達市 (2025/07/19 訪問)
米沢藩上杉氏の領地半減により幕府直轄地となり一時期福島藩本多氏の領地になるが1685年再び幕府領に。
その時築かれたのが桑折陣屋です。
その後1700年松平忠尚が領主になり1747年まで松平氏の陣屋として利用されたようです。
跡地は住宅街となり遺構はありませんが陣屋の杜公園に説明書があります。
この付近その他の幕府領を管理するため1701年岡陣屋が築かれたようです。
当時堀に囲まれ土塁も存在していたようですが現在は確認できません。
東側は現在でも3〜4m程の崖となっています。
跡地の稲荷神社に石柱が建てられています。
1749年この陣屋も廃され再び桑折陣屋に統合されたようです。
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2025/08/27 21:31
堀っちゃダメですよ。 (2025/01/07 訪問)
「穴掘れば 金が出るかも 金堀城(あなほれば きんがでるかも かなほりじょう)」
出るわけないでしょ。「きんほり」じゃなくて「かなほり」でんがな。
金堀城の城主の詳細は不明ですが、臼井氏の関係者ではないかと考えられており、古橋城を遠望する位置に築かれています。
正直、あまり印象に残っていないのですが、土塁や堀などが残っているようです。畑の写真が郭になるようですね。
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2025/08/27 21:10
【赤色立体地図かるた】 (2007/02/09 訪問)
①「珊瑚石 湾曲アザナ 勝連グスク」(さんごいし わんきょくあざな かつれんぐすく)
②「南海に 海運栄し 勝連グスク」(なんかいに かいうんさかえし かつれんぐすく)
③「コバルトブルー 白亜が映える 勝連グスク」(こばるとぶるー はくあがはえる かつれんぐすく)
18年前の平成19年2月9日、沖縄のグスクが世界遺産に登録されて7年後世界遺産グスク5城を探訪、中城を終えて夕刻近くの時間に勝連グスクを初探訪、4の郭は琉球石灰岩の石垣積整備中、登城路も作業中でした、車は観光ガイダンス駐車場利用。
1の郭からは中城湾の青い海が広がり眺めは絶景、発掘調査で瓦屋根の建物が有ったとの事、遠き昔に南の海を海運貿易で船が走り栄えた事が窺えます。丁度琉球石灰岩で石垣を修復整備中でしたので一際石灰岩の白さが目を引きました、琉球独特の湾曲した石垣が又目を見張りました。
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