日本100名城 現存12天守

うわじまじょう

宇和島城

愛媛県宇和島市

別名 : 鶴島城、板島城、丸串城
旧国名 : 伊予

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宇和島城
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にのまる

③五角形 (2023/05/28 訪問)

現存天守をじっくり楽しんだあと、次に向かったのは藤兵衛丸。郷土資料館(山里倉庫)の建物は伊達宗城の時代に武器庫として使われていたものが伊達家の米蔵となり、その後移築されたのだそうです。「うわじま伊達偉人展」(入館無料)を見てきました。

長門丸に降りると宇和島城の城碑が。そういえば遺構たっぷりのお城では敢えて城碑をさがすこともなかったなぁ。
長門丸は遊具のある広い公園ですが下ってみると櫓台を備えた長大な石垣が!宇和島城、どれだけかっこいいのか!
ぴしっとした算木積みとその近くに密集する矢穴石に改修の跡を感じます。櫓台の下に散乱する瓦片、コロンと転がる丸瓦もありました。か、かわいい☺️
藤兵衛丸下の最古の石垣も味わい深かったです。

式部丸は雰囲気がほかと違っていました。新しい感じがするのは、昭和時代に封鎖されていたのを修築したためのようです。当初から櫓や門はつくられなかったそうで、ヒミツの郭っぽい雰囲気がありました。
代右衛門丸にもさまざまな石垣が。高虎時代の石垣もそこかしこに見られるのがうれしいです。

南側の上り立ち門から退場し、伊達博物館へ行きました。
“お城から来ました”と言うと缶バッチをいただけるそうなので、(いい大人が~^^;)と思いつつも言ってみたら「好きなの選んでいいですよ♪」と言ってくださったのでじーっくり選んで天守の缶バッチをいただきました(^^)/
天赦園へも行ってみましたが、河後森城へ行く電車の時間が迫っていたので外から見るにとどめました。


そして宇和島駅へと徒歩で向かったのですが、前日から感じていた違和感がここで炸裂。
上り立ち門の方角を考えても城山を右手に見ていれば駅に戻れるはずだと思っていたのですが全然近づきません。Googlemapを見ると、駅はもう一回曲がったはるか先の方。しかも右だと思っていたのに左。駅近くまでやっと戻って、前日宿泊したホテルの位置や道順を思い出し、城山を振り返ってみたのですが、どうしても位置関係を把握できません。(グーグルさんを疑ってしまう始末💦)
こんな町なかのお城で方向感覚を失うなんてヤバいなーと思ってしまったのですが、ふと思い当たったのが宇和島城の縄張り。空角の経始と呼ばれる幕府隠密も見誤ったという高虎の五角形の縄張りが今も主要道路や町割りに残っているのです。
私、もしかして高虎さんの仕掛けに引っかかった?
そう思って改めてじっくりマップを見てみました。
やはり曲がり角ひとつ分欠落して考えていました。
そして五角形の内角の和は540°とか超絶久しぶりに思い出して鈍角に進んでいたことに気づいてようやく納得。
海城時代の面影は今はもうないと信じ切っていたのですっかり騙されてしまいました。というか勉強不足なのですが、高虎さんに騙された―!と思うと楽しくておかしくてうれしい経験なのでした。
<おわり>

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にのまる

②本丸 (2023/05/28 訪問)

二の丸から本丸への最後の門、一の門(櫛形門)の下からは天守は見えません。
石段をゆっくりと、後ろ向きで海を見たりしながら登っていよいよ天守とご対面!
100名城スタンプの存在を知ってから足掛け10年で、ついに現存12天守制覇、1ゴールドゲットですヾ(≧▽≦)ノ

100名城・続100名城スタンプはあと28個(+有子山城)。
いつの日かこの「みんなの投稿」欄でコンプ報告したいです!
なので「城びと」さん、ずっと続いていてください。お願いします。

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にのまる

① 北側登城口(藩老桑折氏武家長屋門)より二の丸まで (2023/05/28 訪問)

前日に四国入りし大洲城見学のあと、予讃線で宇和島へ移動しました。
乗車券は東京都区内から松丸(河後森城)まで通しで購入していたので、まだ途中下車(北宇和島⇔宇和島は別途購入)です。
宇和島駅からホテルに向かって歩いているときに何となく方向感覚のズレを感じました。その時は商店街が碁盤の目じゃなかったのかな、程度に流したのですが、この違和感が結局最後まで付きまとうことになります。

翌朝、天守開館の9:00前にそのほかのところをできるだけ見ておきたかったので7:00過ぎに行動を開始、北側登城口へ向かいました。
この時にも“何か違う”という違和感がじわじわと湧いてきます。
昔から好きだった「歩くこと」をお城めぐりでも続けているうちに体が覚えたはずの感覚や勘が生きてこないというか、悉くハズレの方向に行ってしまうのです。

それでも登城口に着いたので、登城口の藩老桑折氏武家長屋門より入城しました。この長屋門は城下唯一の現存長屋門だそうです。城門として観光客を迎えるようになるなんて誰も想像してなかったでしょう。ほんとうに、将来のことなんて誰にもわかりません。

城門をくぐり、石段を登って最初に井戸丸に向かいました。
石段のキツさとかっこよさは比例します。井戸丸門の石垣の惚れ惚れするかっこよさに行ったり来たりしてしまいました。縁石に金石文の残る井戸跡を見て、三の門へと登っていきます。ここの石垣もかっこいいです。積み直しの境目は言われてみないとわからなかったし、かっこいいしか言えないのですが、宇和島城と言えば現存天守で、天守目当てに来たところが大きかったので、これらの荒々しい石垣に、自分の知識や想像力の乏しさを再認識してしまいました。百聞は一見に如かずです。

三の門左、御弓櫓石垣の上に天守の屋根が見えました。この上が本丸。
ですがその前に二の門があって、最終防衛の二の丸。二の丸では御算用矢倉跡の礎石やかつての石垣ラインを示す石など足元の遺構展示が楽しかったです。
二の丸と連結する帯曲輪は通行禁止でしたが、本来ならば本丸へ上がる一の門(櫛形門)石垣の右側(写真⑨)から三の門の近く(写真⑩)まで一周できるようです。
<つづく>

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シャンシャン

現存12天守5城目!! (2023/07/06 訪問)

少し険しい山道を登っていくと天守が現れる。
天守はそんなに高さはないけど、破風が立派で凛々しい姿。
石同士の隙間がピッタリした切込接の石垣も見事。
木造天守は、木の匂いや歩いたときの木の軋みなどが感じられてやっぱりいい!

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概要

中世の山城・板島丸串城を藤堂高虎が近世城郭化。高虎が造った天守は三重三階の望楼型だったが、現存しているのは伊達宗利が建てた層塔型。防衛用の狭間も石落もなくなり、千鳥破風や唐破風など装飾性の高い天守に仕上がっている。また、時代や技法の異なる石垣が城内の各所で見られるのも特徴的。

イベント情報

  • 2024年05月04日(土)~2024年05月05日(日)

    宇和島城

    伊達なうわじまお城まつり

    宇和島伊達十万石の城下町として栄えてきた歴史や文化、伝統の魅力を誇りとする宇和島市で、宇和島藩初代藩主・伊達秀宗の宇和島入部を再現する「秀宗公入部伊達五十七騎大武者行列」を開催。ほかにも楽しい参加型イベントやステージイベントなどを実施します。開催日時:5月4日(土・祝)11:00~17:00・5日(日・祝)10:00~15:30 参加料:無料 各イベントの詳細はHP参照

    • 会場名宇和島城、城山公園ほか
    • お問い合わせ伊達なうわじまお城まつり事務局(愛媛新聞社企画事業部) TEL:089-935-2322(平日9:00~17:00)
    • URLhttp://oshiromatsuri.jp/

※ 内容は変更となる可能性があります、予めご了承くださいませ。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 天慶4年(941)
築城者 橘遠保
主要城主 藤堂氏、伊達氏
文化財史跡区分 国重要文化財(天守)、国史跡(宇和島城)、宇和島市文化財(上り立ち門)
近年の主な復元・整備 藤堂高虎、伊達宗利
天守の現況・形態 複合式望楼型[3重3階/1601年築/解体(改築)]、独立式層塔型[3重3階/1671年改/現存]
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、天守、石垣、門、横堀
住所 愛媛県宇和島市丸之内1
問い合わせ先 宇和島市教育委員会文化課
問い合わせ先電話番号 0895-49-7033