今日はちょっと古い写真を投稿させていただきたいと思います。かつての宇和島城は藤堂高虎による特徴的な五角形の外郭の縄張りを持っていて、西側が海に面していた海城でありました。本丸に残る現存天守は宇和島伊達家によるものです。
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2024/12/27 19:56
2024/11/08 11:25
城への交通手段実践レポート (2024/11/02 訪問)
愛媛+α城廻:第二日
※河後森城と共に登城、前日宇和島泊
現存する薬医門である上り立ち門から登城、式部丸経由長門丸石垣へ。長門丸石垣は立派だが、隅櫓はあっただろうが、続き櫓を建てるには少々上部の奥行がない(1mちょい?)ように思える。郷土資料館は開館前だったので素通りして二の丸、本丸へ。依然来た時も思ったのだが本丸にこじんまりした天守がポツンと佇んでいる感じがなんとなくかわいい。とはいえ残存12天守の一つだけあり、天守内のつくりは急な階段や大きな梁など興味深い
今回は高虎時代の石垣と修理、増築されたその後の石垣などの違いを十分楽しんで、井戸丸経由で下城
【本日の行程は以下の通り】
8:15上り立ち門から登城
宇和島城(百名城スタンプ天守券売所 9:00-16:00,城内6:00-17:00 11-2月)
10:30宇和島バスセンター(路線バス)、11:26松丸
(徒歩5分登城口)河後森城跡(続百名城スタンプ:第十曲輪馬屋24H可)
※松丸温泉入浴(駅ビル)
15:14松丸(JR)、16:00,16:02宇和島(JR宇和海22号)、17:21松山
泊:松山市内
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2023/07/23 21:00
③五角形 (2023/05/28 訪問)
現存天守をじっくり楽しんだあと、次に向かったのは藤兵衛丸。郷土資料館(山里倉庫)の建物は伊達宗城の時代に武器庫として使われていたものが伊達家の米蔵となり、その後移築されたのだそうです。「うわじま伊達偉人展」(入館無料)を見てきました。
長門丸に降りると宇和島城の城碑が。そういえば遺構たっぷりのお城では敢えて城碑をさがすこともなかったなぁ。
長門丸は遊具のある広い公園ですが下ってみると櫓台を備えた長大な石垣が!宇和島城、どれだけかっこいいのか!
ぴしっとした算木積みとその近くに密集する矢穴石に改修の跡を感じます。櫓台の下に散乱する瓦片、コロンと転がる丸瓦もありました。か、かわいい☺️
藤兵衛丸下の最古の石垣も味わい深かったです。
式部丸は雰囲気がほかと違っていました。新しい感じがするのは、昭和時代に封鎖されていたのを修築したためのようです。当初から櫓や門はつくられなかったそうで、ヒミツの郭っぽい雰囲気がありました。
代右衛門丸にもさまざまな石垣が。高虎時代の石垣もそこかしこに見られるのがうれしいです。
南側の上り立ち門から退場し、伊達博物館へ行きました。
“お城から来ました”と言うと缶バッチをいただけるそうなので、(いい大人が~^^;)と思いつつも言ってみたら「好きなの選んでいいですよ♪」と言ってくださったのでじーっくり選んで天守の缶バッチをいただきました(^^)/
天赦園へも行ってみましたが、河後森城へ行く電車の時間が迫っていたので外から見るにとどめました。
そして宇和島駅へと徒歩で向かったのですが、前日から感じていた違和感がここで炸裂。
上り立ち門の方角を考えても城山を右手に見ていれば駅に戻れるはずだと思っていたのですが全然近づきません。Googlemapを見ると、駅はもう一回曲がったはるか先の方。しかも右だと思っていたのに左。駅近くまでやっと戻って、前日宿泊したホテルの位置や道順を思い出し、城山を振り返ってみたのですが、どうしても位置関係を把握できません。(グーグルさんを疑ってしまう始末💦)
こんな町なかのお城で方向感覚を失うなんてヤバいなーと思ってしまったのですが、ふと思い当たったのが宇和島城の縄張り。空角の経始と呼ばれる幕府隠密も見誤ったという高虎の五角形の縄張りが今も主要道路や町割りに残っているのです。
私、もしかして高虎さんの仕掛けに引っかかった?
そう思って改めてじっくりマップを見てみました。
やはり曲がり角ひとつ分欠落して考えていました。
そして五角形の内角の和は540°とか超絶久しぶりに思い出して鈍角に進んでいたことに気づいてようやく納得。
海城時代の面影は今はもうないと信じ切っていたのですっかり騙されてしまいました。というか勉強不足なのですが、高虎さんに騙された―!と思うと楽しくておかしくてうれしい経験なのでした。
<おわり>
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2023/07/23 20:49
②本丸 (2023/05/28 訪問)
二の丸から本丸への最後の門、一の門(櫛形門)の下からは天守は見えません。
石段をゆっくりと、後ろ向きで海を見たりしながら登っていよいよ天守とご対面!
100名城スタンプの存在を知ってから足掛け10年で、ついに現存12天守制覇、1ゴールドゲットですヾ(≧▽≦)ノ
100名城・続100名城スタンプはあと28個(+有子山城)。
いつの日かこの「みんなの投稿」欄でコンプ報告したいです!
なので「城びと」さん、ずっと続いていてください。お願いします。
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中世の山城・板島丸串城を藤堂高虎が近世城郭化。高虎が造った天守は三重三階の望楼型だったが、現存しているのは伊達宗利が建てた層塔型。防衛用の狭間も石落もなくなり、千鳥破風や唐破風など装飾性の高い天守に仕上がっている。また、時代や技法の異なる石垣が城内の各所で見られるのも特徴的。
城地種類 | 梯郭式平山城 |
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築城年代 | 天慶4年(941) |
築城者 | 橘遠保 |
主要城主 | 藤堂氏、伊達氏 |
文化財史跡区分 | 国重要文化財(天守)、国史跡(宇和島城)、宇和島市文化財(上り立ち門) |
近年の主な復元・整備 | 藤堂高虎、伊達宗利 |
天守の現況・形態 | 複合式望楼型[3重3階/1601年築/解体(改築)]、独立式層塔型[3重3階/1671年改/現存] |
主な関連施設 | 石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、天守、石垣、門、横堀 |
住所 | 愛媛県宇和島市丸之内1 |
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問い合わせ先 | 宇和島市教育委員会文化課 |
問い合わせ先電話番号 | 0895-49-7033 |