現存天守をじっくり楽しんだあと、次に向かったのは藤兵衛丸。郷土資料館(山里倉庫)の建物は伊達宗城の時代に武器庫として使われていたものが伊達家の米蔵となり、その後移築されたのだそうです。「うわじま伊達偉人展」(入館無料)を見てきました。
長門丸に降りると宇和島城の城碑が。そういえば遺構たっぷりのお城では敢えて城碑をさがすこともなかったなぁ。
長門丸は遊具のある広い公園ですが下ってみると櫓台を備えた長大な石垣が!宇和島城、どれだけかっこいいのか!
ぴしっとした算木積みとその近くに密集する矢穴石に改修の跡を感じます。櫓台の下に散乱する瓦片、コロンと転がる丸瓦もありました。か、かわいい☺️
藤兵衛丸下の最古の石垣も味わい深かったです。
式部丸は雰囲気がほかと違っていました。新しい感じがするのは、昭和時代に封鎖されていたのを修築したためのようです。当初から櫓や門はつくられなかったそうで、ヒミツの郭っぽい雰囲気がありました。
代右衛門丸にもさまざまな石垣が。高虎時代の石垣もそこかしこに見られるのがうれしいです。
南側の上り立ち門から退場し、伊達博物館へ行きました。
“お城から来ました”と言うと缶バッチをいただけるそうなので、(いい大人が~^^;)と思いつつも言ってみたら「好きなの選んでいいですよ♪」と言ってくださったのでじーっくり選んで天守の缶バッチをいただきました(^^)/
天赦園へも行ってみましたが、河後森城へ行く電車の時間が迫っていたので外から見るにとどめました。
そして宇和島駅へと徒歩で向かったのですが、前日から感じていた違和感がここで炸裂。
上り立ち門の方角を考えても城山を右手に見ていれば駅に戻れるはずだと思っていたのですが全然近づきません。Googlemapを見ると、駅はもう一回曲がったはるか先の方。しかも右だと思っていたのに左。駅近くまでやっと戻って、前日宿泊したホテルの位置や道順を思い出し、城山を振り返ってみたのですが、どうしても位置関係を把握できません。(グーグルさんを疑ってしまう始末💦)
こんな町なかのお城で方向感覚を失うなんてヤバいなーと思ってしまったのですが、ふと思い当たったのが宇和島城の縄張り。空角の経始と呼ばれる幕府隠密も見誤ったという高虎の五角形の縄張りが今も主要道路や町割りに残っているのです。
私、もしかして高虎さんの仕掛けに引っかかった?
そう思って改めてじっくりマップを見てみました。
やはり曲がり角ひとつ分欠落して考えていました。
そして五角形の内角の和は540°とか超絶久しぶりに思い出して鈍角に進んでいたことに気づいてようやく納得。
海城時代の面影は今はもうないと信じ切っていたのですっかり騙されてしまいました。というか勉強不足なのですが、高虎さんに騙された―!と思うと楽しくておかしくてうれしい経験なのでした。
<おわり>
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