君ヶ伏床砦の守将で和田城主の和田兵衛業繁は元は山内上杉氏に従っていたようです。上野国箕輪城主・長野業正の娘を妻としており上杉憲政が北条氏に敗れ越後に逃れてからは北条氏に従いますが、上杉謙信が関東に侵攻してくると今度は上杉氏に従い、永禄4年(1561)に武田氏が上野に侵攻してくると武田氏に従いました。
10年あまりの間に周囲の大大名の間で従う相手を次々と変えていますが、この時代の武将としてはやむを得ないと思います。よくある話ですね。
その後は武田氏配下のまま長篠・設楽ヶ原の戦いに至り、君ヶ伏床砦で酒井忠次配下の攻撃を受け討死したとされています。
君ヶ伏床砦の残りの写真と西尾根の写真を載せました。西手の藪の中に見えるのは鉄塔では無く何かの施設だろうか? ここの守兵は300騎とのことですが、より多くの兵が守ればもっと持ちこたえることが出来たと思います。もっともそんな余裕が無いのも分かっているのですが。
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