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しんちゃん

コホンと来たら古本丸 (2025/01/06 訪問)

さっき本丸は二の丸じゃないかって書いたばかりだが、本丸の案内板の写真を見ると「本丸(二の丸)」と書いてある。まあ良しとして置こう。本丸と古本丸の間に堀切が有り、いずれの曲輪にも土塁が残っている。
「こほん」とかいたが、まさか「ふるほんまる」ということは無いだろう。最近ブックオフに行ってないな。

「烏山城 コホンと来たら 古本丸(からすやまじょう こほんときたら こほんまる)」
すでに遅かりし・・

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しんちゃん

柏久保城 狩野氏の支城で、伊勢新九郎宗瑞に落とされる (2022/01/10 訪問)

静岡県伊豆市の愛宕山の山頂に柏久保城は築かれていました。「城びとの城ではない」が堀と土塁を残す、なかなか良い城で主郭には「北条早雲城山砦址」の石碑が建てられています。
柏久保城は西に狩野川、南に大見川、北に古川と三方を河川に守られた要害で狩野氏の城でした。明応2年(1493)伊勢新九郎宗瑞(北条早雲)が伊豆侵攻を開始した時、宗瑞に従う大見三人衆が柏久保城奪還を狙う狩野氏と戦ったとされています。狩野氏が敗れた後は、伊勢氏の韮山城の支城として機能したとされ、北側の深い谷は「新九郎谷」と呼ばれ、北東には「地獄沢」の地名も残っています。
日本画の最大の画派である狩野派の祖・狩野正信は狩野派の祖・狩野宗茂(工藤茂光の子)の子孫とされています。

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しんちゃん

石垣 (2025/01/06 訪問)

吹貫門脇石垣を見てから正門跡を通過。周囲に石垣が残り、内枡形の標識が立っている。R90を右折して、もう一度右折すると本丸へ到着。思ったよりあっさりと本丸に到着できた。土の山城として完成形に至った素晴らしい城だと思うが、本丸周辺に石垣を配し格式を高めて有る。この・・欲張りめ! だが、そこがいい。
見たところ最も守りの堅いのは古本丸のようだ。非常時には古本丸に籠って周囲の曲輪で守るのか・・つまり事実上の本丸は古本丸で、居住に使っていた本丸は、実は二の丸にあたるのか・・? ややこしい・・だが、そこがいい!?
でも江戸時代に居住していたのは麓の三の丸・・人は低い方に流れていくのか?

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石碑 (2025/09/23 訪問)

 赤い城さんが田幡城を投稿された数時間前に現場を訪問しました。城びと先人のレポートから、石碑があることを知り、遠目でも見たいと、小学校を2周してしまいました。カズサンさん投稿の写真が決め手になって、東門のすぐ脇と推定。
 有りました! 遠目に見たくても、木立に隠れて見えない位置なんですね。石碑が見えたと言っても、正面でないし、近寄れないので、「有りました」というところです。

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トク

【宮本武蔵】(11)京都一乗寺(吉岡一門との決闘) (2025/06/06 訪問)

宮本武蔵の続き(11)です。

19才になったたけぞう(武蔵)は、この頃から名前を「宮本武蔵(むさし)」と名乗るようになり、諸国を転々とします。武蔵が21才の時に吉岡一門との決闘した場所、京都一乗寺の下り松へ行ってきました(写真①②③)。叡山電鉄「一乗寺」駅から徒歩10分の所にありました(写真⑦⑧)。

吉岡一門は、室町時代に将軍足利家の剣術指南役を務めた名門です。最初は京都洛外の漣台野で、吉岡家の当主「清十郎」と対戦し一撃で倒します。次はその弟「伝七郎」をも一撃で倒します。面目をつぶされた吉岡の門弟たちは、敵討ちと称しこの場所に武蔵を呼び付け決闘しました。しかし武蔵は、ここで100人以上の門弟を相手にした決闘を制し、全国にその名を知らしめたようです。さらに5分程登ったところにある「八大神社」は、決闘の前に武蔵が祈願した場所だとされ、武蔵の銅像がありました(写真④⑤⑥)。

しかしここから8年間の武蔵の足跡がよくわかりません。この間、60余回戦いをして一度も負けなかったと自ら語っています(小倉碑文より)。24才の時鎖鎌の使い手「宍戸梅軒」や、奈良で槍の使い手「奥蔵院」と決闘し勝ったという話もあります。しかしそれらは、後世になって書かれた二天記に記述されており、直接本人が語った小倉碑文には、有馬喜兵衛・吉岡一門・岩流小次郎との決闘以外、60余回の内容は書かれていないので、真相はわかりません。

でもこれだけ決闘すれば、名声が上がる一方で、あちこちから恨みも買い命も狙われるでしょうね。そのためか、武蔵は風呂に入らなかった(入る事を嫌った)という言い伝えがあります。風呂に入るためには刀を置かねばならず、命が最も狙われやすいからです。なので武蔵は相当臭かったらしいです(笑)。

その後1612年、29才になった武蔵は、当時まだ中津にいた父の無二斎の要請で、小倉へ行く事になります。そこであるゴタゴタに巻き込まれてしまうのです。

次は、小倉城(巌流島の決闘)に続きます。
 

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にのまる

天浜線乗り潰しの途中で。 (2025/08/09 訪問)

「どうする家康」放映時に訪れて以来です。
天竜二俣駅で下車し、最初に天浜線車両基地での乗車体験ツアー(¥900)に参加しました。鉄道歴史館も洗車体験乗車も楽しかったです。

前回は二俣城まで歩きましたが、今回は天浜線乗り潰しの目的もあったので二俣本町までひと駅乗車し、井戸櫓、清瀧寺、信康廟を訪れました。時代小説をよく読んでいた頃は信康にも築山殿にも徳姫にもさまざまな(よくない)感情をもっていましたが、今は事実を正確に知ることが供養にもなるのかなという思いでいます。

信康廟から二俣小学校をぐるっと巻くコースで二俣城へ向かいました。遊歩道はありましたがちょっとした山の中で周囲も険しめ。あれれ?なんだここは?と思ったら付城群の蜷原砦だったようです。

3人連れの鉄旅でお城は行けないかもと思っていましたが、かっこいい石垣を見上げ、天守台に上がり、天竜川を眺めと充分に楽しむことができました。

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赤い城

ご存知、家康生誕の地 (2025/08/09 訪問)

名古屋での仕事の後、折角なので後泊しました。
岡崎に宿をとり朝駆けで登城しました。
2019年に訪れて以来2回目の登城です。

西側から橋を渡り、まずは堀沿いに外周を歩きました。
本丸埋門北袖石垣を見上げながらもここでは登らずさらに進みます。
赤い神橋から東側の菅生曲輪、さらに大手門へ。
ここに駐車場があります。

東隅櫓まで行って再度西側に戻ります。
家康産湯の井戸を見て二の丸へ。
三河武士のやかた家康館がありますが早朝なので開館前、二の丸には家康のしかみ像や本多忠勝の像もあります。

太鼓門を入りいよいよ本丸エリアに。
最大の見どころである青海堀を覗き込みます。
かなり深い😃
降りてみたい、との衝動に駆られながらも当然自重。
本丸へ入る前に辰巳櫓下の石垣に、結構な高さがあります。感激しながら本丸に入りました。

本丸には龍城神社が鎮座し、復興天守が建っています。
皆さんのレポート通り、以前あった2本の松は伐採されて見やすくなっていました。

久しぶりの登城でしたが以前に比べ城にも少し詳しくなっているのか新たな発見も多く楽しむことができました✨

【見どころ】
 ・青海堀
 ・太鼓門の石垣
 ・廊下橋
 ・辰巳櫓下の石垣
 ・本丸埋門の石垣
 ・持仏堂曲輪腰巻石垣

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todo94

北海道&東日本パス第2弾 城カードゲットと初めての共通券 (2025/09/22 訪問)

仙台の光明寺で支倉常長の墓に参った後、赴きました。だいぶ早く到着してしまったので、周辺をゆっくり見て回って開城を待ちました。歴史探訪ミュージアムの売店で城カードをゲットし、三階櫓に登ってから、片倉家中武家屋敷へと向かいました。白石城の共通券を購入するのは今回が初めてでこの武家屋敷も初めてになります。そして、厩口門が移築されている延命寺まで足を伸ばして程よい時間になりましたので、10時開始の立体ハイビジョンシアターも楽しんでまいりました。姉妹による仇討のお話で由井正雪が姉妹に剣術を手ほどきしていました。これまで足早に通り過ぎるばかりの白石でしたので、なかなか新鮮な体験となりました。

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しんちゃん

那須 (2025/01/06 訪問)

烏山城は応永25年(1418)に那須太郎資氏の次男・那須資重によって築かれたとされています。八高山の山頂に古本丸を築いたのが始まりとされ那須氏の拠点として繁栄しますが、豊臣秀吉の小田原征伐の際に遅参を理由に所領を没収され、一時没落しました。
五城三郭と呼ばれる多数の曲輪を有する広大な山城で本丸(二の丸)周辺に石垣が見られるものの基本は土の城です。明治維新まで使われていただけあって、高い完成度を誇り遺構も良く残っています。
七曲りから登城し、太鼓丸を通過すると堀切があり、ここには「車橋」という車のついた引き橋がかかっていたようです。

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しんちゃん

大見城  (2022/01/10 訪問)

静岡県伊豆市の大見城は平安時代末に大見平三家政か、その子の大見小藤太成家によって築かれたとされています。戦国時代にも使用されており、見えづらくなっていますが堀切や竪堀も残っています。
大見城址公園として整備されていて山頂部に本曲輪があり、周辺には多数の腰曲輪があります。二の曲輪には諏訪神社が有り、虎口は南側についているようです。ちなみに井戸は無いようで、籠城が長期に及んだらどうするつもりだったのか?
本曲輪からが狩野氏の領土や伊東氏領を見渡すことが出来、要衝にあったことが伺えます。

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しんちゃん

設楽ヶ原 慰霊の碑 (2025/09/15 訪問)

設楽原歴史資料館の周辺には合戦の犠牲者を弔ったとされる大塚・小塚がありますが他にも慰霊碑や宝篋印塔などもあります。大塚の近くには閻魔堂も有りました。なぜ閻魔? 道中には信玄祖師堂とされる小さな祠もあったりします。設楽ヶ原の周辺には陣所の他に武将の墓や慰霊碑も実にたくさんあります。
愛知県の無形民俗文化財に指定されている「信玄原の火おんどり」は昔、塚から大量に発生した蜂が人々を困らせたので、これを武田軍の戦死者の亡霊と信じて、夜に松明をともして供養したことが発祥とされているようです。しかし、なぜ信玄・・? 勝頼さんの立場は?

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名古屋城の帰りは名駅太閤口地下がオススメ。 (2025/09/25 訪問)

名駅の東側が再開発され「大名古屋ビルヂング」もビックリするほどオシャレになってますが、古き良き建物を知ってる者からすると居心地が悪い。それに比べ駅西側の太閤口の地下街は背伸びをしてない名古屋の雰囲気が残っていて落ち着く。その中でもイチ押しは「お食事処ゆうふく」店構えは決して高級じゃないのに店名は「ゆうふく」なのが笑える🤣 さらにオススメなのが「晩酌セット」、きょうはうなぎの肝の佃煮と鶏の味噌田楽にこんにゃく、マグロに生ビールが付いて1,200円。お客さんが少ないからゆっくり呑める。元々は鰻屋さんみたいなので「ゆうふくな方」はぜひ名古屋名物ひつまぶしをお召し上がりください。

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朝田 辰兵衛

長崎県未投稿城は…🏰 (2025/07/14 訪問)

長崎県未投稿城は,来年のGWで解決したいと思います。飛行機とホテルをリザーブ完了しました。来年は,5月と9月に5連休があります。5月の5連休を長崎県に傾注します。合わせて,西九州新幹線にも乗りたいと思います(GWは混むゾ❢)。長崎で2泊。佐世保で2泊です。
「雨男には任せておけない」と思ったら,どうぞご自由に攻城してください。諫早で,マイカー派の方でも頂上まで行ける山城が未投稿で残っております。琴尾山烽火台です。離島の大島城は平戸からフェリーになります。
もし,どなたかが攻城されて時間に余裕ができたとしたら,赤色かるたのマイナス4城の中から厳選したいと思います。
さしあたり,告知まで。

小田部城ですが,地下鉄七隈線の次郎丸駅から,徒歩約20分です。キャリーバッグを引きずりながらなので,参考タイムということで。小田部城は福岡講倫館高校となっており,向かいの有田集会所/有田宝満神社にパネルが設置されております。

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鉢伏城 (2025/09/13 訪問)

 観音丸城から稜線に沿って道があり、15分ほど登ると、スキー場の建物が現れ、北東から来るリフト終点です。鉢伏の名前の通り、なだらかな頂上の最上部に、堀、土塁で囲われた鉢伏城があります。南側の堀切、土橋、土塁が迎えてくれます。本郭は長径80m程もあり、広いです。敦賀湾方向の眺望がグッドです。敦賀湾までは険しい山並みが激しく下っており、海から木ノ芽峠までの間では、道をつけにくかったのでしょう。
 リフト終点にブランコがありました。流行りの「天空」でしょうか。帰りは、とても急なコンクリート舗装道を木ノ芽峠下までたどりました。

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todo94

北海道&東日本パス第2弾 青森の城めぐりの締め (2025/09/21 訪問)

奥瀬館からの転戦です。国道4号線で分断されてしまっていて、東側に標柱が立っています。ここは土塁遺構とみて良いのでしょうか。国道の西側が本丸とのことで空堀遺構も認められますが、こちらは、私有地で民家も建っていますので郭内の写真撮影は差し控えさせていただきました。正午過ぎにレンタカーを返却し、八戸駅にて青森の郷土料理満載のちょっと贅沢な昼食をとり、盛岡の献血ルームにて血漿成分献血を無事すますことができました。この日の泊は仙台のネットカフェ。翌早朝、支倉常長の墓があるという光明寺にも足を伸ばしてきました。

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HKISD

城村城散策 (2025/09/24 訪問)

菅原神社にお参りして三の丸、二ノ丸、本丸に行きました。
道が凄く狭かったので車は遠くに停めて歩いて行きました。

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しんちゃん

春桜・夏紫陽花・秋彼岸花・冬蝋梅 (2025/01/06 訪問)

鎌倉幕府の御家人八田知家は奥州藤原氏討伐の功により下野国茂木郡を与えられ、三男知基は桔梗山に城を築き居住しました。知基は茂木氏を名乗り、以後茂木城は400年16代に渡って茂木氏の居城となりました。
茂木城は現在は城山公園となっており、広い城域の中に複数の曲輪や堀切が残っています。南西部が本丸で、城址中央に千人溜があり、反時計回りに本丸・二の丸・三の丸・馬場と続き各曲輪の間には堀が残っています。南東部には出丸が有り、知基橋を渡って訪れることができます。城址公園には桜をはじめ彼岸花・紫陽花など多くの花が植えられており、季節ごとに楽しませてくれるようです。

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急告!  (2025/09/23 訪問)

 2025年に入り、カズサンさんが3月30日に訪問されて、「駐車場のお知らせに「2025年4月25日をもって閉鎖」」とレポートされました。小城小次郎さんは、2024年8月18日に訪問されて「工事用のフェンスに囲まれて荒れるに任せた姿は痛々しい。今のうちに、見ておいた方がよいかも」とレポートされました。昌官忠さん、ぴーかるさん、きんやさん、しんちゃんさんも草ぼうぼうをレポートされています。
 昨日、訪問すると、予告通り、駐車場は閉鎖されて、発掘作業が行われています。それまでは、土塁の内部が駐車場にされて、土塁や堀はガードフェンスで遮られ、また、それらは草ぼうぼうでしたが、今は、草がない当時の状況が再現されています。ただし、駐車場には入れません。少し高くなっている石碑の裏に回り込んだりして、見学してください。以前よりは遺構がよくわかると思います。北西隅の櫓台はなかなかの規模です。発掘が終わると整地されてしまうのではないかと思われ、ぜひ、今のうちに見てください。工事の入り口に、侵入した不審者の写真が掲示されています。くれぐれも、写真を撮られないように振舞ってください。

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しんちゃん

田代城  静岡県伊豆市田代 (2022/01/10 訪問)

田代城は平安時代末期から鎌倉時代にかけて源頼朝・義経の下で活躍した田代信綱の居城であったとされています。信綱は石橋山の合戦に参加して以降、義経の配下として一ノ谷合戦や屋島・壇ノ浦の戦いで功を挙げ、狩野庄田代郷の地頭に任じられました。
承久の乱でさらなる功績を挙げ和泉国大鳥郷(堺市)の地頭職も得ています。
城址は主郭の南西に二段の郭が続き二条の堀切が残っています。また主郭の南側には土塁も残っています。近くには田代信綱と一族の墓も有りました。

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しんちゃん

史跡北条氏邸跡(円成寺跡) (2022/01/10 訪問)

伊豆の国市・狩野川の東岸にある守山の小さな谷に鎌倉時代に幕府の執権として活躍した北条氏の館が有りました。平安時代末期から鎌倉時代にかけて北条氏の本拠であったとされています。
鎌倉幕府の滅亡後、北条一族の妻や娘たちは鎌倉から韮山に戻りました。一族の中の円成尼という尼が中心になって、かつての北条氏の館址に円成寺を建て、一族の冥福を祈ったそうです。円成寺は室町時代も尼寺として続き、上杉氏の一族の女性が尼として入っていたようです。館跡の脇に残る溝の様なものは円成寺の遺稿になるのでしょうか?

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