平和について考える旅(2/3)です。
皆さんは太平洋戦争中「首里城」の地下30mには、日本陸軍により全長1kmにも及ぶ長大な壕(要塞基地)が作られていたのを御存知でしょうか? 今年の2月に首里城を訪れた時に、それを見たかったのですが、そこは立ち入り禁止で見る事はできませんでした。しかし、首里城から南へ4kmの小禄地区の丘の地下に、海軍の司令部壕があり、そこは見学できるようなので、そちらに行ってきました。那覇バスターミナルから[98]豊崎美らSUNビーチ行のバスに乗り20分、宇栄原団地前で下車しそこから徒歩10分の所です。
入口から深い地下に降りると、とんでもなく長い迷路のような壕(トンネル)が掘られていました。シャベルやツルハシだけでよくこんなに掘ったものだと驚きです。そして空襲や艦砲射撃に耐えながら、この地下から司令官は指揮を執っていたものと思われます。壕の中には通信室や病院もありました。しかし最後には米軍から突入され、全員亡くなられたようです。弾痕跡なども生々しく残っていました。
壕から出た丘の上に立ち、そこから那覇市内や海を眺めて見ました。今では住宅やビルが立ち並んでいますが、当時は艦砲射撃で草木が1本もない程の一面真っ黒い焼け野原となり、海には青い海面が見えないほどぎっしりと数千隻の米軍艦艇で覆われていたそうです。
太田司令官は、最後に大本営に沖縄県民が実によく協力し戦ってくれたことを伝え、県民を褒めてやってほしい旨の電文を送った後、自決されたとの事です。
「オキナワケンミン カク タタカエリ」
(3/3)に続きます。
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