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しんちゃん

宮吉城 鳥取市気高町 (2025/10/12 訪問)

久々に県外に遠征です。時間の制約もあって一泊二日で1200km走破の強行スケジュールでした。うう・・きっつい。
二日目の朝、手始めに宮吉城を攻略しました。ニッポン城めぐりでリア攻めをしながら「城びと」の城を攻略・・したつもりだったんだけど、城びとの城じゃなかった・・。かぶっているようで微妙にちがうんだよな。
ちなみに良い城ほど夢中になって「リア攻め」取得を忘れてしまう、あるあるではないでしょうか? 私も最近「めぐり」に慣れてきたのでリア攻めを意識するようにしていますが、松江城や姫路城は夢中になり過ぎて「リア攻め」を取るのを忘れています。

宮吉城ですが母木神社の南の丘陵が城址とされています。直登に近いかんじで登りましたが、足元が滑るので攻めづらい。廃屋のような建物の裏手から道が続いていて、そのまま進むと最初の郭があります。道をスイッチバックのように切り替えして登って行くと腰郭があり、その上に主郭らしき郭があります。さらに南の丘陵の上にも郭があるかもしれませんが、そこまでは攻略していません。
田公新介高家の城とされ、羽柴秀吉に内通したとされ天正9年(1581)吉川勢に攻められ落城するも高家は逃れ、後に毛利輝元に仕えたそうですわ。

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ぴーかる

母坪城 (2025/10/18 訪問)

【母坪城(穂壺城)】兵庫県丹波市柏原町
<駐車場他>駐車場はなし。登城口に歩道に掛かるが1台停めれる。ストック要。
<交通手段>車

<見所>2重堀切・竪堀
<感想>丹波の黒枝豆購入旅。久しぶりの攻め城と投稿でご無沙汰です。恒例の黒枝豆の収穫時期なので購入がてら城攻略をしました。朝に丹波篠山市の鍔市自然公園にて湧水を汲んで、黒枝豆を購入、JAひかみに行きました。丹波市・丹波篠山市の城びと登録城はほぼ攻略してしまっているので、城びと未登録で遺構の良さそうな母坪城を選んで攻略しました。
 母坪城の築城年代は定かではないようで、南北朝時代に仁木氏の高見城の支城として築かれたようです。戦国時代、細川晴元の家臣赤沢景盛が城主の時に波多野氏に攻められ落城したそうです。その後は稲継壱岐守という者が城主であったそうですが、1579年に明智光秀によって攻められ落城しました。
 城郭は独立丘陵の山城で、北側が柏原川・加古川が流れていて後ろ堅固となっています。城跡の南西端は急崖で大手は南東端になるようですが柵があって行けませんでした。
 登城口は北側の尾根終わりの<35.152657,135.040921>にあります。城郭構造は主郭を中心に南北に連なる連郭式で主郭から北側は3段舌状曲輪が連なってその北に見事な2重堀切があります。2重堀切の北側にも3段程の曲輪が連なります。主郭から南側は2段舌状曲輪があり、そこから高い切岸となっていてガクッと下がります。切岸は高低差があり見応えがあります。高切岸から南側の曲輪群は緩やかな広い段曲輪になっています。主要部入り口の兵を多く置く武者溜まりのような感じと見ました。残念ながら主郭は雑草で鬱蒼としていました。
 とりわけ見応えがあるのは竪堀で、城跡東面に3条、南面に1条あります。東面の2条はハの字になっていて、ハの字の間に段曲輪が配されています。南側の竪堀が特徴的で、主要部から南北に山の稜線に沿って掘り込んでいます。一見切り通しみたいだけれども、主要部高切岸の手前でぷっつり切れているので、誘い込むようないい竪堀です。全部で4条ある竪堀も横幅が広く見応えがありました。西面は加古川が流れているので、竪堀は必要なかったと思われます。
 戦国期の良好な遺構を残した見応えあるいい城跡でした。城びと登録していないのが不思議。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

二川宿本陣資料館 (2025/10/18 訪問)

豊橋市二川宿本陣資料館は二川町の旧東海道沿いにあります。車で来られる場合は1号線沿いにあるので途中までのアクセスは良いですが、周辺は道が狭く、すれ違いも多いので気を遣うと思います。私は慣れているのでスイスイスーですが。
資料館には大名が宿泊した本陣と旅篭屋の「清明屋」が隣接しています。江戸時代の本陣が現存しているのは二川宿と草津宿とされているので、なかなか貴重な代物みたいです。商家の「駒屋」も見学することが出来るので、併せて見学されると良いでしょう。
文化4年(1807)から明治までの間、馬場信春の子孫とされる馬場彦十郎が二川宿の本陣職を務めたとされています。本陣は江戸時代末期の状態に再現されていて市の史跡に指定されています。清明屋も市の有形文化財に指定されています。
「駒屋」ではカフェや雑貨屋も営業しており「東駒屋」「西駒屋」などの分家もあるようです。

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関ケ原古戦場散歩(黒田長政・竹中重門陣跡) (2025/10/25 訪問)

 黒田長政が竹中重門と共に布陣し、東軍諸将に烽火を上げた場所です。この場所は今は木が茂っていて見にくい所もありますが、笹尾山、松尾山、東山道等が一望でき、戦況を一番把握できた場所だと思います。竹中重門は竹中半兵衛重治の子で、関ヶ原の戦いでは、当初西軍に属していましたが、井伊直政、黒田長政の仲介で徳川方に寝返り、関ヶ原では黒田長政とこの地に布陣していました。

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関ケ原古戦場散歩(細川忠興陣跡) (2025/10/25 訪問)

 岐阜県関ケ原古戦場記念館より徒歩5分くらいの場所にあります。
この戦いの前に忠興の妻たま(ガラシャ)は石田三成の軍勢に細川邸を囲まれると、家臣に命じて自分の命を絶つように命じました。もともと仲は悪かったということもありますが、忠興にとって石田三成は許せない存在だったのでしょうね。

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しんちゃん

形原松平氏 (2025/10/24 訪問)

カピバラを見に行っただけでは何なので形原城も訪問しました。「城めぐり」のアプリでリア攻めを1000城こなすと「千軍万馬」の異名がもらえるのかな? 2023年からやってればたぶん、そろそろゲット出来ていたとは思うけどぼちぼちやりますか。
東古城・南古城・北古城があり稲荷社のある東古城が最も古いとされています。「形原松平氏」の時代に城が拡張され、広い城域を誇っていたようです。現在地形は改変がなされ、かつての姿を伺うことは出来ませんが、東古城の周辺に城址の雰囲気が残っています。

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makkin

安土桃山時代の再現 (2022/09/27 訪問)

広島城は、安芸国佐東郡広島にあった安土桃山時代から江戸時代の城。国の史跡に指定されている。1945年(昭和20年)まで天守を始めとする城郭建築が現存していたが、太平洋戦争末期にアメリカ軍の原子爆弾投下によって倒壊し、現在見られる城内の天守以下城郭建築はすべて1958年以降に再建されたものである。

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もりちゃん

現存天守❗️ でも実は天守では無い⁉️ (2025/10/12 訪問)

弘前城の天守は一度焼失したそうです。天守の再建が禁じられていた時代に、櫓という名目で再建されたものが現在の天守。だから、見事な破風のある面と、すっきりさっぱりとした面があるのだそう❗️
現在は耐震工事のため、天守は岩木山を背景に拝める場所に移設中。間もなく本来の位置に戻すそうなので、ある意味今がチャンス。タイミングが合えば、天守の曳屋体験ができるかも‼️ 戦災を免れているので、城郭が昔のまま残っているのも必見❗️
近くには、ねぷた関連の施設や岩木山もあり、見どころも充実。もちろん神社もあるので、御朱印好きの方も楽しめます。
煮干結社というラーメン屋さんも、是非行ってみて❗️

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守谷城址公園 (2025/10/23 訪問)

 守谷城は相馬氏の居城で、北に筑波山を望む沼地に突き出した舌状台地に築かれた城です。守谷城址公園として整備されています。曲輪の跡が残っていて本丸、二の丸、妙見曲輪、御馬家台、船着場などを散策しました。楯形曲輪は興味深い縄張りです。迫力のある空堀が残っています。障子堀があったようですが、今は平坦になっていました。空堀を歩いているだけで楽しく過ごせます。土塁、矢倉台なども残っています。
 整備されていて散策しやすい城址ですが、イノシシ注意、スズメバチの巣があります、マムシがいるかも、などの看板がありました。
守谷市立守谷小学校近くにも守谷城址の石碑と説明板があります。

 守谷駅から徒歩15分くらいで行くことができます。

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高井城址公園 (2025/10/23 訪問)

 下総相馬氏の城で、守谷城の支城でした。現在、高井城址公園として整備されています。主郭と周囲の土塁を見ることができます。

 関東鉄道常総線ゆめみ野駅から徒歩15分くらいで行くことができます。

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興津良次 (2025/10/18 訪問)

 関東郡代伊奈忠次の家臣、興津良次の陣屋跡です。西袋陣屋公園となっています。公園には堀跡、土塁のような地形がありましたが、遺構か否かよくわかりません。説明板は劣化していますが、何とか読むことができました。

 草加駅からバスに乗り手代町南バス停下車、徒歩5分で跡地である公園に行くことができます。

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アルテミ〜ス執事

約400年前の石垣を観に行ってきました (2025/10/11 訪問)

秀吉が小田原北条氏攻めの際に築城した石垣山一夜城へ行ってきました。関東では珍しい約400年前の野面積みの石垣が残る貴重な城址ですね。

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しんちゃん

カピバラベイビー (2025/09/24 訪問)

愛知県蒲郡市の竹島水族館に行ってきました。去年の10月12日に新館が完成しリニューアルされています。入場料もリニューアルされて900円→1200円となっておりますのでご留意を。ちなみに2023年までは500円(ワンコイン)で入れました・・あまり気楽に行けなくなったけど適切な価格とは思います。ご存じの方も多いとは思いますが、この水族館にはカピバラがいます。
リニューアルからちょうど1年後の10月12日にカピバラの赤ちゃんが5匹誕生しました。凄い偶然、間違いじゃないよね? まさしく竹島の申し子たちです。赤ちゃんが誕生した関係でカピバラのショーはしばらく中断ですが14時から16時までカピバラ親子の姿を見ることが出来ます。生まれてそれほど経っていないのにベイビーたちは元気いっぱいに走り回っています。
というかカピバラって走るんだ? プールにも興味津々で浅瀬を行ったり来たりしています。ベイビーたちは好奇心いっぱいのキラキラした目をしているのに、親御さんの方は悟りきったような目をしています。まるでブッダのようだ・・何を考えているのかさっぱりわからない。水辺で親子で戯れているように見えますが親は水を飲みに来ているだけです。
それ以外は餌を食べたりぼーっとしているだけです。親はいつものカピバラですが子供たちはせわしなく食べたり走ったり水辺にトライしたり・・カピバラはすぐに大きくなるので見に行くなら今がチャンスじゃないでしょうか。

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朝田 辰兵衛

深草館からの転戦です…🐾 (2025/09/15 訪問)

谷戸城は深草館とは違い,しっかり整備されています。すぐ向かいに北杜市考古資料館があるからかもしれませんが…。北杜市考古資料館の2Fには,クマとシカのはく製がありました。エレベーターの扉が開くとビックリするかもしれません。他にも見どころがありましたが,実際に訪れて発見してみてください。楽しみやワクワク感を奪いたくないので。

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カズサン

移築門廻り (2025/10/21 訪問)

 高森町の松岡城及び支城・属城、市田陣屋、高森町歴史民俗資料館を訪ねて時間が1時間程有ったので、飯田城の移築門である経蔵寺の山門、民間に払い下げて移築復原されてる二の丸八間門、飯田図書館横の赤門、建物は無いのですが水の手御門跡の石垣も眺め、訪ねました。
 二の丸は現在飯田市美術博物館、同館の前に江戸ヒガン桜の大木樹齢400年(安富桜)は桜の時期に見学しましたが其れは見事な咲振りです。
 サラッと現存の門、門跡石垣を写真投稿します。
 現存門の場所はネットで調べて回って下さい。
   

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カズサン

【信濃 松岡古城】長野県高森町 安倍貞任次男松岡氏当初の館 (2025/10/21 訪問)

 松岡城から北に500~600m程の所に一本杉(樹高25m、幹周6m、樹齢約600年)が立ち、松岡古城標柱、松岡古城と一本杉の解説板が設置されています。

 住所:長野県下伊那郡高森町上市田
 駐車場:近くの幅広道に一時路駐、松岡城専用駐車場から北の広域農道を越えて徒歩500m程。
 参考資料:グーグルマップに依る。

 平安末期安倍貞任の次男仙千代が信濃市田郷に逃れて郷民に押されて地頭に成り、松岡氏を名乗り「松岡平六郎貞則」と称した。これが市田松岡氏の始祖と言われる。松岡本城に移るまでの約300年を古城後に館を構えたと思われる。

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トク

発掘調査現場にて (2025/10/23 訪問)

発掘調査中の福岡城の天守台へ行ってきました。

その前に、福岡城の三ノ丸の広大な平和台球場跡地の前を通ると、跡地は柵で閉鎖され、鴻臚館(こうろかん)の復元工事が、突然始まっていたのにはビックリでした(写真⑤⑥)。昭和の西鉄ライオンズで沸いたこの場所は、実は鴻臚館という奈良から室町時代にかけて、隋や唐から来た要人たちを接待する施設(迎賓館)があった場所でした。いったいどのように復元されるのか、何やら楽しみです!

そして本丸で6月から始まった、福岡城に天守が本当にあったかどうかの証拠を探す発掘調査は、2カ月かけて天守台周辺を掘ったようですが、何も出なかったようで(写真④)、ならばと9月からは、天守台内部の穴蔵を掘り始めているようです。よって現在は、天守台入口までは行けますが、その先の天守台に入る事はできません(写真①②)。調査は12月まで続けられる予定のようです(写真③)。市長が文化庁まで巻き込んだこの意地の戦い、果たしてあと2ヶ月で逆転サヨナラホームランは出るのでしょうか?

野球といえば、ここ天守台入口からはPayPayドームが見えます(写真⑦)。さあいよいよ明日は、あのドームで日本シリーズ第1戦が行われます。商店街や百貨店はどこもホークス応援セールが行われ、福岡の街は今とても盛り上がっています!(でも阪神は強そうだな🤔)。
 

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しんちゃん

空にそびえるくろがねの櫓 (2025/09/28 訪問)

戦は弓・槍・刀が良いですな。
戦艦大和やタイガー重戦車も良いですが、この間には境界線を引いときたい。現在アプリで絶賛合戦中です。
イオさんが設楽原古戦場のレポートをされてますね。私は「東三河を歩こう」というサイトを参考に三河各地を回りました。東三河の名所や城跡、神社仏閣などを詳細に紹介しているサイトです。長篠・設楽原周辺のことも詳しくのっているんですよ。
楽しいですね古戦場めぐり・・。大河ドラマなどでははしょられ気味ですがもっとねちっこくやってほしいですね。長篠城を廻っていて、なんとなく鳥居強右衛門の可動フィギュアが欲しくなってきました。グッドスマイルカンパニーあたりがfigmaで出さないかな~「走る強右衛門」「泳ぐ強右衛門」「磔にされる強右衛門」「脱出する強右衛門」とか・・なんかステマぽくなってきた。
吉田城鉄櫓は夏場は見学時間は極端に短いようです・・こまったものだ。私はいつでも散歩できるが遠方から来た人は一度は入って見たいだろうに。鉄櫓が閉まっている間は続百名城のスタンプは三の丸跡のある豊橋市役所の展望室(東館13階)に設置されているようだ。たしかエレベーターが設置されているはずなので困った際にはこちらまで。
本丸の四方には櫓が設置されていて石垣も残っています。昔は石段で石垣の上を自由に歩けたのだが、今はどこも封鎖されている。ちょっと残念だ。

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カズサン

松岡城支城属城探訪の締めで松岡本城を2年振り登城 (2025/10/21 訪問)

 ユーチューブ大丸山砦動画に触発されて秋の城探訪の足慣らしにと南信濃城散歩へ、高所の市田陣屋、東に下がる方向で、大丸山砦、高森町歴史民俗資料館、古御屋城、吉田城山城、吉田本城、吉田古城、吉田南城、松岡古城と廻りましたので、松岡本城を飛ばす訳にも行かず、2年振りに成りますが市田柿の実った頃の登城をサラッと致しました。

 駐車場:松岡城専用駐車場、松源寺専用駐車場を利用。

 松岡城の歴史をじっくり読み込んで無かったのですね、高森町歴史民俗資料館では松岡城及び支城・属城の解説一覧が有り、松岡本城、南城のジオラマ模型も設置されて居り、歴史を読んで居ましたら、松岡城の松岡氏は平安の時代前九年の役で源頼義、義家に敗れた安倍貞任の次男仙千代が信州市田郷に落ち延び郷民に押されて地頭に成り松岡氏を名乗ったと有りました。ここに安倍貞任が出て来るとはびっくり、再認識しました。
 又松岡氏の最後は、本能寺の変後秀吉、家康の勢力範囲が定まらに時期に、家康方の高遠城を小笠原氏が攻めた時に味方し敗れたが、井伊直政が親の直親の恩義を感じ松岡氏の助命嘆願するも松岡城所領没収改易と成り直政預かりとなり、500年の支配を終えた。
 井伊直政の親の恩に報いる行いも感じ入りますが安倍貞任の血筋がここに500年栄えつづいたことにも感動ものです。
 

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イオ

設楽原古戦場 (2025/06/21 訪問)

予定では、長篠城とその周辺、医王寺山本陣と周辺の陣地に続いて武田五砦をめぐった後、設楽原古戦場の両軍の陣跡や史跡をめぐるつもりでしたが、設楽原に着いた時点で予定を2時間ほど超過しており、設楽原をめぐり尽くすには全く時間が足りないので、とりあえず今回は定番の決戦場と設楽原歴史資料館に行きました。

長篠の戦いは歴史番組やドラマでも大きく取り上げられる合戦だけに、自分なりに思い描くイメージはありましたが、いざ現地に立ってみるとやはり感慨はひとしおでした。特に再現された馬防柵の存在感は大きく、ほんの一部の再現であるとしても連吾川越しに馬防柵が見えてくると「おお、あれが…」と思わされますし、内側に入ってみると単に柵が立てられているだけでなく、織田軍と徳川軍で馬防柵の攻口の設け方に違いがあったり、堀と馬防柵と土塁を組み合わせて構築された「鉄砲構え」が復原されていたり、これまで知らなかった備えを目にすることができ、大変興味深い経験でした。鉄砲構えの近くには土屋右衛門尉昌次戦死之地の石碑があり、昌次(昌続)ほどの猛将でも三重の馬防柵は突破できなかったのか…と考えると、戦国最強とうたわれた武田騎馬隊を打ち破ったのは単なる大量の火縄銃の力だけでなく、その力を最大限に発揮するための備えがあればこそだったんだな、と実感。馬防柵はさらに北まで続いていたようなので行ってみると、石碑や説明板は見当たらないものの馬場信房、土屋昌続らと、水野信元、佐久間信盛、丹羽長秀らが戦った名高田前激戦地、そして馬防柵左端(北端)に古戦場いろはかるたが立てられていました。

最後に設楽原歴史資料館を見学。設楽原の資料館だけあって様々な火縄銃が展示され、設楽原だけでなく長篠城や鳶ヶ巣山砦での戦いを含めた長篠の戦い全般について解説されています。屋上からは古戦場が一望! …できることを期待しましたが、樹木にさえぎられて眺望はいまいちでした。そして資料館を出て帰宅する前に、駐車場に掲示されている「いろはかるたでめぐる設楽原の戦い古戦場」を眺めながら、次の機会には設楽原をとことんめぐる! との思いを新たにしました。ちょうどしんちゃんさんが設楽原古戦場の陣跡等について詳しくレポートしておられるので、その際には参考にさせていただきますね。

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