日本100名城 現存12天守

まつもとじょう

松本城

長野県松本市

別名 : 深志城[ふかしじょう]

投稿する
松本城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

綾結紘

松本城 (2017/05/11 訪問)

外からお城を眺めてもとても素晴らしい。
天守閣に登り1番上からの景色もとても良かった。
階段がちょっと段差が大きい。

+ 続きを読む

安土桃山時代~江戸時代の造形美

永正元年(1504)小笠原氏の一族であった島立貞永が築いた深志城が松本城の前身です。元々この場所には坂西氏の館があったとされ、この頃の深志城の成立過程は不明な点が多いです。信濃守護、小笠原長時を林城から駆逐した甲斐の武田晴信(信玄)は、天文19年(1550)深志城の改修を行い信濃攻略の前線基地としました 。天正10年(1582)武田家滅亡後小笠原貞慶が深志城へ入り松本城と改めましたが、豊臣秀吉の命で関東へ移封となった徳川家康に従って小笠原氏も下総古河3万石で移って行きました。代わって城主になったのが石川数正です。徳川家康の家臣であった石川数正が突如豊臣秀吉に翻り、その功績で和泉国より8万石で松本へ移って来ました。松本城天守はこの石川数正、康長父子の代に創建されたと考えられていて、現存する12の天守を擁する城郭の中では唯一の平城でもあります。

石川氏改易後小笠原、戸田と城主が替わり、寛永10年(1633)越前大野より松平直政が7万石で松本城へ入封。従兄弟である三代将軍徳川家光を迎えるために辰巳附櫓と月見櫓を増設しました。家光は上洛の帰途中山道経由で善光寺を参詣。その足で松本入りする内意が幕府からあったためのものでしたが、結局家光の松本入りは実現しませんでしたが、今に見る連結複合式の松本城天守が誕生しました。大天守、乾小天守、渡櫓は安土桃山時代の様式、辰巳附櫓と月見櫓は江戸時代の様式と、東大寺の三月堂(正堂は天平初期の建築、礼堂は鎌倉時代の建築)のように異なった時代の建築美を同一視点で見ることが出来るのも松本城の魅力です。

松本城との付き合いは、極端な言い方をすれば僕が生まれたその時からと言えなくもないです。ほぼ半世紀近くの付き合いになりますが、改めてその魅力を意識したのは10年ほど前からです。五層六階の大天守は漆喰の白壁に黒漆の下見板が付属する統一した色彩でその威容を際立たせています。装飾性豊かな大天守の千鳥破風は北側は1か所だけ無い所があり、周囲から目立つ位置には唐破風とセットで組み込まれている事が分かります。日本の屋根とも言われる北アルプスの峰々と天守とのコラボは絶好の撮影ポイントで、西に百名山の常念岳、東にこれまた百名山の美ケ原に囲まれ百名城の松本城が鎮座するこの自然風景との調和も素晴らしいです。

松本城の現存遺構は、大天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟(いずれも国宝)ですが、二の丸御殿跡には慶応3年に落成した御金蔵があります。これは明治9年二の丸御殿が焼失した際にも類焼を免れた貴重な現存遺構です。中には入れませんが近くまで行けるので足を運んでみるのもいいかも知れません。

四季を通じて様々な表情で出迎えてくれる松本城。僕にとっては大切な心の拠り所でもあります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

松本城 (2018/11/03 訪問)

【百名城42城目】
<駐車場>城周辺に有料あり。 <交通手段>車

<見所>天守群・黒門・太鼓門

<感想>1泊2日信濃攻城の旅1城目。2度目の松本城だがよく記憶していた。当時はすんなり天守に入れたが、様々な方のを拝見するに近年は入城制限があるようなので朝4時頃出発し9時前に到着入城してすんなり入れた。入城口の黒門は外観のみ。次に天守群内の乾小天守には入れないが、1Fフロアは覗ける。天守内は格子窓は小さく狭間しかないので非常に暗い。3Fは特に天井が低くくフロアには入れない。天守後本丸内を散策したが埋橋の門跡も立入禁止や櫓跡の形跡もなかった。太鼓門は櫓は復元、石垣はほぼ積み直しだが、櫓内に入れて鯱・瓦の展示物がある。石垣も鏡石の「玄蕃石」見応えある。太鼓門を出ると、東側の外堀が一部残っていて土塁および腰巻石垣になっている。6年前より城郭の知識も増えて天守以外の見所ある遺構も楽しみにしてたが、案外少なくて残念な感じだったがやはり天守存在感は強烈で良かった。さらに天気が快晴で写真が栄えた。城後十割の新そばを食べた。

<グルメ>蕎麦倶楽部佐々木 城の南側10分程歩くとあります。開店前から行列ですが十割でおいしいです。

<満足度>★★★☆☆

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トベシュン

松本城 (2013/08/12 訪問)

長野 城めぐり

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

概要

黒漆塗りの下見板張の天守が美しい松本城は、豊臣配下の石川数正・康長父子によって石垣造の近世城郭へ改築された。一の門(櫓門)・二の門(高麗門)から成る外枡形の本丸正門にあたる黒門と、内桝形の二の丸東側に太鼓門が再建されている。二の丸御殿跡は史跡公園として復元され、当時の規模や間取りが分かる。

城郭情報

城地種類 平城
築城年代 文禄2~3年(1593~94)
築城者 石川数正・康長
主要城主 石川氏、小笠原氏、戸田(松平)氏、松平(越前)氏、堀田氏、水野氏
文化財史跡区分 大天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓(以上国宝)、国指定史跡
近年の主な復元・整備 平成11年に太鼓門を復元
天守の現況・形態 五重六階 木造(現存)
主な関連施設 松本市立博物館
主な遺構 天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓、本丸、二の丸、堀
住所 長野県松本市丸の内4-1
問い合わせ先 松本城管理事務所
問い合わせ先電話番号 0263-32-2902