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しんちゃん

平城京 (2013/09/28 訪問)

「慎重派も 納豆(710)食うの 平城京(しんちょうはも なっとうくうの へいじょうきょう)」
なんじゃこりゃ
平城京は710年に藤原京から遷都されました。その造りは唐の長安を模したとされています。敷地は奈良市、大和郡山市に渡り、朱雀門や大極殿、庭園などが再建されています。遷都に当たって、大安寺・薬師寺・興福寺・元興寺が移転され、現在に至ります。
他にも周囲には東大寺や唐招提寺、西大寺などがあり華やかな仏教文化の都市として栄えました。私が訪問した時には朱雀門だけだったけど、今では大極門も再建されているようです。

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小城小次郎

ハイスペックな伝承のるつぼ (2025/01/12 訪問)

藤原秀郷の館跡と伝わり源義経ご一行が滞在して写経にいそしみ、新田義貞が陣を敷いて足利尊氏が寺を再興して高安寺と名付け、鎌倉公方が陣を敷くのを吉例としたという・・・なんだなんだこのハイスペックな伝承の塊は。

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翡翠

伊賀上野城 (2025/08/17 訪問)

松坂城の後に伊賀上野城に行きました。昭和10年に復興天守の木造で3層3階で建てられたと言う事でした。

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しんちゃん

海津城 (2013/12/15 訪問)

松代城の前身である海津城は武田信玄と上杉謙信の間で行われた川中島合戦の拠点として武田方によって築かれました。武田氏滅亡後は織田氏家臣の森長可が入り、北信濃の侍(武田遺臣ら)や農民から人質を集めましたが、信長の死去に伴い信濃を去る際に、善光寺街道の猿ケ馬場峠で人質を全員殺害して去って行ったようです。とんでもないサイコ野郎ですな。

元和8年(1622)真田信之が13万石で入り、松代城は松代藩の藩庁として明治まで続きました。現在は宅地化が進み、本丸周辺に水堀が残り、北不明門や太鼓門が再建されています。

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

遺構まで スカイラインで 鷹取城
(いこうまで すかいらいんで たかとりじょう)

トクさん、ご指摘ありがとうございます😊
痛恨の間違い、恥ずかしいです。
アドバイス通り「そっと(こっそり)」修正しようとも思いましたがポチも頂いており・・
前の投稿は後ほど削除します。
ポチ頂いた皆さん、申し訳ありません😞

こちらの鷹取城、標高は高いですが車で城址まで行けるとのこと。
問題は九州までが意外と遠いこと。
佐田岬から橋架けて欲しいです。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2017/11/27 訪問)

「茶々・初・江 三姉妹の郷 小谷城(ちゃちゃ・はつ・ごう さんしまいのさと おだにじょう)」

去年はマダニネタでボツとなりました。繰り返すワケにはいかんなぁ~ということで,浅井三姉妹に託します。三姉妹は戦乱を高貴に生き抜いたと思います。しかも,江を通じ,浅井の血は女系ながら途絶えていない。戦国時代,多くの名だたる武将の血筋が途絶えております。天晴です。

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翡翠

松坂城 (2025/08/17 訪問)

いつも、時間が無いのですが、松坂城に行って来ました。御城番屋敷にも行きました。何年か前に?るろうに剣心の撮影がされたみたいでした。

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翡翠

長浜城 (2025/08/16 訪問)

時間はなかったのですが小谷城跡から近くだったので、ちょっと寄ってみました。

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トク

ファイト九州デー(福岡ペイペイドーム) (2025/08/17 訪問)

先週の福岡・熊本・鹿児島では、8月1ヶ月分(500ml)の雨が1~2日で降り、多くの方々が豪雨災害に見舞われました。今でもローカルニュースでは、酷暑の中で家屋に入った泥の撤去をする人の姿や、農作物への深刻な被害状況などが取り上げられています。それらの方々を元気づけるため、「ファイト九州デー」と銘打って、入場者全員にレプリカユニフォームが配られ、みんなで応援しようと企画された試合があったので見に行ってきました。試合は投手戦の末、1☓-0のサヨナラ勝ち! 外の気温以上に試合は熱く、サヨナラの瞬間のボルテージは最高潮! 被災者の皆さんには元気を届けられたでしょうか?(お城に関係ないローカルな話題ですいません)。

P.S(赤い城さんへ)
かるたの鷹取城は黒田六端城の城(鷹取山城)の方ではないので、今の内にこそっと修正しておいた方がいいかも? 確かに間違えやすいですね。
 

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イオ

【赤色立体地図かるた】 (2020/11/21 訪問)

八方に のびる石垣 周山城
(はっぽうに のびるいしがき しゅうざんじょう)

城山山頂から八方にのびる支尾根に石垣を施した巨大山城であり、破城により石垣はほとんど崩されているものの、状態良く遺る西尾根の高石垣を見るに明智光秀の石垣技術の高さが窺え、この石垣が全ての支尾根を覆っていたのかと考えると、一体どれほど壮麗な山城だったんだろう…と思わされます。
 

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カズサン

初秋ブラ散歩 (2025/08/17 訪問)

 今回又静岡に用事が有り帰りを国道1号線バイパスを通りましたので、今年1月10日以来の登城、以降変化は無いか如何かな?との気持ちで暑い中ですがチョイ寄り。
 一昨日夕刻より浜松北部で警告の出る雷雨集中豪雨、ビジターセンターの方に聞くと諏訪原城も豪雨だったそうで雨の痕跡がそこかしこに見当たり、蒸し暑く雲も霞んで視界悪し富士山は見えません。
 しかし初秋、晩夏の証かツクツクボウシ、ヒグラシ、カナカナ蝉の大合唱が外堀、大手馬出、中馬出辺りを散策しましたが良く聞こえました、うるさくも有り又夏を感じさせ、潤いの有る、中馬出までのブラ散歩約30分でした。
 ビジターセンターから中馬出、復元薬医門辺りまでのブラ散歩で1月からの変化は無く夏草が茂ってるだけでした。

 暑さ対策で、ブラ散歩の前後には冷房の効いたビジターセンターで涼み、係りの方と会話したりしましたが、
 ①「牧野城御城印限定販売」のチラシが目に付きました、牧野城は武田氏の諏訪原城を徳川氏が攻略改修して牧野城と改名した謂れによるものです。7月24日申し込み開始、8月19日引換開始24日まで、限定300枚、500円/枚、諏訪原城ビジターセンターにて。
 ②「山城ブームの到来!諏訪原城の時代がやってきた!!」シンポジウムのチラシも、11月16日、島田市金谷生きがいせんたー夢づくり開館ホールにて開催、昇太師匠、加藤日本城郭協会理事の講演とトークセッション、全席指定プレーガイド販売、前売り1000円当日1500円とか。
 ③「全国山城サミットin白山大会」のポスターも目を引きました、恵那大会以来訪ねて居ませんが、今年は9月14日で13時から16時半の基調講演、昇太師匠、千田教授にて白山市松任文化会館ピーノ(要申込)、9月15日10時から16時、道の駅一向一揆の里特設会場にて開催。
 詳細はホームページでご確認ください。

 30分程の暑い中のブラ散歩でしたが久しぶりの登城を楽しみました、駐車場はほぼ満車、家族連れ、お父さんとお子さん、夏の暑い中ですがほぼほぼ来客は有る様です。
  

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しんちゃん

小幡城 (2019/01/05 訪問)

土の良城として、城好きには有名な小幡城。そうでない人には、たぶんさっぱりわからない。初めて小幡城を訪問した時の写真です。
ひたすら堀底道の写真ばかりだけど、すこし古い写真なので変な所に入り込んでいないか心配だ。
1月の頭くらいで、だいぶひんやりしてたけど、寒い中楽しんで歩き回っていたのを覚えています。ただ一部を除いて郭の上には上がれないんだよな~ 堀底 堀底

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ナギャン

招き猫の豪徳寺 吉良さんの御城の世田谷城 (2020/01/25 訪問)

ふらいんぐうぃっちで登場したこともある豪徳寺。
招き猫がいっぱいある。お寺なので夕方に行くより朝とか昼前に行くことをお勧めする。

豪徳寺に行く前によるといいのがこちらの世田谷城、御城関連で超有名人のれきしクンこと長谷川ヨシテル先生がこの御城の縄張内に住んでいたとか。世田谷に住めるってすんごいね。・・・テントとか段ボールハウスでないといいが。

世田谷城は閑静な住宅街にあるので騒いだりはしゃいだりするのはNGだ。また、住宅が近いので写真を撮影するときにも注意が必要だ。
堀だったり廓だったり土塁の一部が残るだけのシンプル御城だ。しかし、残していただいてサンキュー!!
こちらの御城跡にはトイレとか施設はないので注意が必要だ。

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翡翠

小谷城 (2025/08/16 訪問)

安土城の後、観音寺城途中まで、行ったのですが、まだ入山出来る時間ではなかったので、スタンプと御城印だけでその日は彦根に行きました、次の日小谷城に挑戦、安土城よりハードでした。そして、藪蚊との戦いでした。写真がなかなか撮れませんでした。

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ナギャン

桜で有名な佐倉城 佐倉城は永久に不滅ですってね。 (2023/11/12 訪問)

意外と御城がいっぱいある千葉県。
夢の国だったりドイツのランドだったりといろいろ御城がある。

そしてこの佐倉市には昭和の超有名人の出身地でもある。昭和野球の大スターである長嶋茂雄氏が佐倉市生まれとのこと。
JR佐倉駅のホーム下にある観光情報センターで長嶋茂雄グッズが購入できる。また、こちらの観光情報センターで周辺のおすすめスポットも教えてもらえる。
当たり前だが佐倉城跡をメインに武家屋敷を見てまわるのもかなりおススメだ。その中でもおすすめは旧堀田邸という武家屋敷だ。
こちらは病院と介護老人施設の奥にポツンとあるお屋敷でかなり奥まったところにある。グーグルマップを信じていくと病院の敷地内にお屋敷があるように勘違いする。
旧堀田邸は戦隊シリーズのロケでも使用されたところだ。シンケンジャーだったかな?一筆啓上!

旧堀田邸をじっくり回った後に周遊バスで佐倉城跡に向かう。
佐倉城跡は天守跡だったり堀だったりが残る土の御城。土の御城好きにはたまりませんな。
こちらの御城は桜がキレイでおすすめの花見スポットらしい。桜と佐倉かシャレてるね。

そして忘れてはいけないのがこのお城の縄張内にある国立歴史民俗博物館だ。
展示物も見事でジオラマあり武具あり民芸品ありと手が込んでいる。全くしょぼくない。さすが国立の施設だねぇ。
1階のお土産屋さんとレストランも立ち寄る価値あり。カレーがうまい。近くで収穫した古代米を使用したカレーを堪能するのも一興だ。

佐倉市はもっともっとこの御城だったり武家屋敷(旧堀田邸)をプッシュしていっぱい観光客をよんだ方がよい。
旧堀田邸をガイドしてくれる御爺様はかなりいい。いろいろ歴史を教えてくれたり四季折々の屋敷跡風景の写真を見してくれる。
この人のおかげで旅が楽しくなった。最後に今回まわったところはお手洗いが少ない。博物館のトイレを利用するのベスト。

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T-Shionoya

長浜城訪問 (2006/09/09 訪問)

過去の城郭巡りの振り返り第26弾は、彦根城に続いて訪れた滋賀県長浜市の長浜城。

琵琶湖の北東部、京都と北陸を結ぶ北国街道東近江路が通り、湖上交通も利用可能な湖畔の城。
ただ秀吉の城として知られるが、その時代のつくりは不明な点が多いとのこと。

嘗ては今浜と呼ばれ京極氏方の城が存在したらしいが、浅井氏滅亡後に羽柴秀吉が名を改めて長浜城を築城。
本能寺の変の後、一時は柴田領となるものの、秀吉が奪還し1585年からは山内一豊が在城。しかし天正地震で被災し、城郭の一部は湖底に沈んだとの記録もある。
関ケ原の後、徳川家臣の内藤信成・信正親子が城主となり改修するが、1615年に廃城となり石垣などは彦根城で再利用されました。

現在は内堀が道路となり、その内側は豊公園として公園化され、本丸跡地に建つのは天守型の歴史博物館。
外堀は狭められつつも名残を残し、湖底にも城跡らしき遺構が確認されている模様。

2006年訪問時の記憶はほとんどなく、印象に残ったのは移築門のある大通寺と知善院へ向かう際、通過するのみに終わった城下町跡の黒壁スクエア。
そこで今年6月、黒壁スクエアの観光と内堀&外堀巡りを含めて再訪問。
公園内は北側に高くなった部分があるが、やはり"城"らしさは感じ難いもの。しかし公園内外の広いエリアに「御殿跡」や「石垣出土地」、「御馬屋跡」など数々の標柱が点在。
そして今回は外堀跡などの水の流れる風景が好印象に感じられた長浜でした。

※写真1~8は2025年6月の撮影

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しんちゃん

破城いろいろ (2024/01/26 訪問)

先日、石垣山城の井戸曲輪の東側が崩されているのでは・・という話を書きました。ちょっと思う所があるので そこから話を膨らましてみたいと思います。
破城といっても、いろいろあるようです。熊本県の宇土古城の場合は廃城に伴って、念入りな儀式が行われたとされ、城門付近の横堀から多数の石塔の部材が発掘されているようです。これは丁寧な方ですね。
多くの山城は「島原の乱」の後、石垣の隅部などを崩されています。一揆勢などに使われないようにということですね。中でも石垣山城はけっこう念入りに破城が行われ本丸周囲の石垣もかなり壊されています。もし敵対勢力が石垣山城に籠ったとしても、石垣を修復する前に、小田原城の手勢がすぐに本丸まで到達できると思います。水の手から侵入して、本丸まで一気にいけますよ。
水口岡山城や佐和山城は石垣をほとんど持っていかれてしまって、かわいそうな状態になっています。朝田さんが言う所の、完ハキャというやつで・・やれば出来るみたいですね。
ちなみに近くの安土城や観音寺城の石垣は比較的原型を留めていますが、これは後述で・・

佐賀県の名古屋城も石垣を結構念入りに崩してあります。でも江戸時代260年あったのに、残されている石垣も多い。これは推測ですが、非常事態を考えて完全破却までには至っていないのかもしれません。中国に攻撃的な政権が誕生、もしくは欧州の国が中国を占拠して日本を攻めてくる場合に朝鮮を経由して来る可能性があります。その際に防衛、もしくは攻撃の拠点とするために、保険としてある程度の形状を残してあるのかもしれません。
江戸の平和が崩れて、戦国の世が再来したときのことを考えると・・薩摩の麓や仙台の要害も立派な城だし。各藩も補修して使えるのなら山城を残しておきたいのでは・・?  まあ詳しい所は破城を行った本人に聞いてみないとわかんないけど・・・

※安土城の石垣は昭和の修復以前はだいぶ崩れていたようです。思った以上に念入りにやられているらしい。詳細が知りたいですね・・情報が足りない。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2017/06/27 訪問)

「八高線 防御高める 鉢形城(はちこうせん ぼうぎょたかめる はちがたじょう)」

荒川と深沢川が天然の堀。水運にも利用されていました。唯一の弱点は南側か。現代となり,その南側を塞ぐかのようにJR八高線が走っています。現代に入り,南側の防御力が高まったと思います。

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しんちゃん

えさし藤原の郷 (2017/05/02 訪問)

歴史公園・えさし藤原の郷は奥州市江刺にあるテーマパークです。主題は平安時代末期から奥州藤原氏が滅亡する鎌倉時代初期とされ、藤原氏の栄華と東北の文化を体験できます。どことなく御所を彷彿とさせる政庁建物を見ていると、何気に平安時代にいるような感じがします。人気の源義経や平氏にかかわる展示も充実しています。

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ナギャン

100万石の城郭 しかし、その魅力は1000万石あり。 (2023/09/15 訪問)

加賀100万石で有名な石川県にお邪魔した。
ご存知!金沢城や兼六園や尾山神社が有名で、神社には国重要指定文化財の神門がある。

ブラブラとするには適している範囲に御城と庭園・神社がギュッと集まっている。見所がバラバラに点在している観光地よりお勧めだ。
金沢駅から周遊バスが出ているので歩きで回るのが億劫な人は利用するといい。

御城があるということは武家屋敷跡もあり、武家屋敷跡 野村家は建物もきれいでお庭も洋風の御庭にはない静かな感じでいい。池には鯉も泳いでいる。2階に上がると茶室があり500円か1000円くらい支払うとお部屋を貸し切りで利用でき、抹茶とお菓子を堪能できる。

武家屋敷からぶらぶら歩くと御城が見える。石垣の博物館といわれる金沢城は石を積み上げた人たちの魂を感じる。「何が何でも積んでやるぞ!」という魂を!
石川・能登は地震や豪雨で大変なことになっているがきっとなんとかなると信じている。自分も石川県のアンテナショップでいろいろ購入して復興の一助になればと思っている。石川のお味噌美味し!

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