名鉄バスの高根バス停から徒歩20分くらいで、石碑案内板前(35.298050、136.961380)に着きました。
足利将軍家の末裔と伝わる落合将監勝正によって、文明年間(1469年〜1487年)頃に築かれたと云われています。
勝正の子、落合安親は織田氏に仕え、1584年(天正12年)の小牧長久手合戦で秀吉方となり、池田恒興が率いた三河中入り隊の道案内をしていましたが、徳川家康に敗れ、廃城となりました。
現在城址には土塁や空堀が一部残っているそうですが、外から見てただの竹藪なので、中には入らず案内板と石碑、ちょこっと見える土塁を確認しました。
また城の南西にある陶昌院に安親の墓があるようですが、時間の都合で行ってません。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=大草城を目指す為、上末バス停から名鉄バスで大草北バス停に向かいました。
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