設楽原古戦場の徳川家康の陣は八釼神社に置かれていたとされることから、現地に立っている「いろはかるた」の看板には「八釼山」と書かれています。この八釼神社の裏手を登っていった所に断上山第10号墳があることから断上山とも呼ばれています。
この断上山周辺に扁平地が広がり、家康の大部隊が駐屯していたのではと思われます。10号墳の東側にある9号墳は、家康が指揮を取ったとする伝承があることから「徳川家康物見塚」と呼ばれています。たしかに10号墳より9号墳の方が戦況がよく見えますが、より修羅場に近いです。
武田勝頼も陣所を才ノ神陣からより戦場に近い場所に移って指揮を取ったと各所の案内に書かれているので、家康と勝頼の戦いがヒートアップしていった様子が伺えます。
ある意味、この時代ではライバル関係に有った二人だと思います。家康の方が勝頼より3歳ほど年長で、設楽ヶ原の戦いの時は家康33歳(数え)で勝頼が30歳くらいだったと思います。これだけの合戦の主役二人が30そこそことはびっくりです。勝頼公は実際は29ですからね。若さゆえの失敗とすると重すぎる。
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