下から見上げる丸亀城、良かったです。石垣も最高でした。
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2025/05/22 14:08
2025/05/22 13:05
山上の一乗谷城に登ってきました (2025/05/05 訪問)
一乗谷川両岸に拡がる朝倉氏一乗谷遺跡を訪れること三度目にして、山上の一乗谷城にも登ってきました。英林塚からの登城口に山頂まで1.0kmとあり、0.5kmまでは順調に登って来た感があったのですが、0.3kmや0.2kmの標識以降では、とんとペースが落ちました。ほんとに表示距離は合ってるの?って感じ。移動距離でなくて、残りの比高を表示しているんではないのと思うくらい。
山上御殿群に到着。郭群の背後の尾根を土塁代わりに利用しています。尾根の切通しを超えたところに写真4の説明板があり、「背後から10mほど行くと畝状竪堀があります」と。「背後」って? 自分の背後だと気づくのにだいぶかかりました。山上御殿群背後の尾根の外側の切岸が終わって、なだらかになったところにわさわさと並んでました。全体では100以上の竪堀が作られているとありました。
防御施設の連続郭群に進みます。城びと先人のレポート通り、一の丸内部は藪化。切岸を登る道も直登に近いです。二の丸、三の丸は切り開かれてました。大身の朝倉氏だけあって規模は大きいです。登って来た甲斐がありました。
カメラvsスマホについて、つぶやき。私はスマホのみです。城びとに写真をアップする際に、たまに「この写真はアップロードできません」とでます。最初は、不適切な映り込みがあり撥ねられているのか、誰かがチェックしているのかと、不安な感じもしました(おばかさんでした)が、最近になって、スマホでも10MBを越すことがあるためと認識しました。JPEGで、変化が少ない部分が多い写真は強く圧縮できるが、藪のような細かい変化が多い写真は圧縮しにくいのですねえ。
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2025/05/22 12:29
カメラ派? スマホ派? ご回答感謝
「カメラ派? スマホ派?」への早速のご回答ありがとうございます。やはりスマホが多数派のようですね。カメラ派のぴーかるさん、todo94さんにしても一眼ですから、もはや私のようなコンデジは消えゆくのみなのか…。
ちなみに、スマホも落として壊したことがあります。落下に備えて手帳型ケースに入れてケースにはストラップも付けていたんですが、つまづいた瞬間にスマホ本体がケースから飛び出して地面に激突。ケースから飛び出されてしまっては防ぎようがありません。何のためのケースだよ…。
> ぴーかるさん
街中での昭和の日本人旅行者スタイルは耐えられても、一眼を首から提げての山城直登や藪突破はちょっと自信ないかな…。山城ではベルトに付けたカメラポーチに収納できるサイズで、となるとどうしてもコンデジかスマホになってしまうんですよね。それにしても、カメラとスマホを画質に応じて使い分けるという発想はありませんでした。スマホに慣れておく意味でも今度試してみます。
> しんちゃんさん
しんちゃんさんもカメラとスマホの(ときどき)二刀流でしたか。修理できる分にはカメラ派を続けますが、いずれは転向することになるんだろうから、スマホでの撮影にも慣れておかないとなぁ。しんちゃんさんのように自力で修理できるなら、修理対応期間後も使い続けられるんでしょうけど…。
> トクさん
普段はカメラのSDカードをパソコンに差して撮った写真をバックアップしていますが(Wi-Fiでも転送できるけど直差しのほうが速い)、Android系スマホだと撮った写真がGoogle Driveに自動でバックアップされて、転送の手間なくパソコンで見られるのは確かにメリットですね。不満はズームと夏場の熱問題ですか…なるほどなるほど。現在使っているコンデジの光学3倍でも不満があるのに、基本デジタルズームのみというのはなかなかの難点ですね。熱問題も以前に使っていたスマホが夏場は頻繁に熱暴走していたのでよくわかります。車のエアコン吹き出し口に付けるスマホホルダーで冷却して対応していましたが、城内で突然に写真が撮れなくなるのは困るなぁ…(デジカメが熱で撮れなくなった経験はありません)。
> 朝田 辰兵衛さん
朝田さんは主に公共交通機関利用だったと思いますから、持ち物を少なくするためにスマホ派というのは大いに納得です。逆に言えば、カメラ派のぴーかるさんもtodo94さんも私も車での城めぐりが主なので、荷物の量を重視しないで済んでいるのかも?
> チェブさん
身軽で出かけるためには、やはりスマホ一択ですよね。歳を重ねるにつれて、何のきっかけも目的もなく新しいことに挑戦してみようという気持ちにはならなくなってきましたが、「城びと」への投稿を通じて、カメラもスマホもChatGPTもやってみようと思えているのはありがたいことです。…ChatGPTは我ながら脱線し過ぎですが。
> 赤い城さん
プリントアウトしていた縄張図を忘れて余湖さんのページの鳥観図を頼りに城めぐりしたり、山中でちょっと迷った時には地形図アプリで現在地を確認したり、いずれにしてもスマホは持参しているので、そのスマホで撮影するのが合理的ではあるんですよね。私も撮影は基本横長、できるだけ人を入れないように意識しています。
> todo94さん
かなりハードな山城をめぐっておられるtodo94さんが(ぴーかるさんも)デジタル一眼レフというのは、私などとは気合の入り方が違うなぁ…と感嘆するばかりです。コンデジの落下でも血の気が引きましたが、30万超のデジ一を破損した日には…考えるだけでも卒倒してしまいそうです。やっぱり私には一眼で山城は無理だ…。
皆さまのご回答のおかげで自分の中での方向性が定まってきました。とりあえずコンデジを使える限りは使って、いよいよとなればスマホに転向。いずれ訪れるであろうその日のために、スマホでの撮影も併用しつつぼちぼち慣れていきたいと思っています。ありがとうございました。
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2025/05/22 10:31
徳島城-3/6 本丸編 (2025/05/14 訪問)
東二の丸から本丸へ移動、本丸虎口手前の本丸東側石垣を眺めての登城、本丸虎口より入る、南面前の楠の新緑が眩しい、その下辺りをご婦人が早朝にも拘らず落ち葉掃除をされて居ました、城跡清掃のお礼と朝の挨拶を兼ねて挨拶させて頂く、城を楽しく見学探訪出来るのはボランティア活動のお陰です。
本丸は広いスペースです、周囲は樹木で覆われて楠木の新緑が眩しい、東二の丸からの東虎口、西二の丸への西虎口搦手弓櫓台が控えて居る、また北側に非常用に埋門虎口が石垣で奇麗に整備されています。
北側の埋門虎口辺りに「本丸跡」の解説案内板がある。
徳島城-4/6本丸搦手虎口編に続く。
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2025/05/22 09:59
徳島城-2/6 東二の丸辺り編 (2025/05/14 訪問)
徳島城-1/6 鷲の門辺り編の続です。
前日夕食前に城山下の御殿居館跡を散策しましたが、翌早朝5時半から50数年前の初登城以来と言う城山に挑戦、東二の丸に続く長い登り石段より入る。
私には石階段が辛い、踊場まで登り一休憩、更に石階段を登り東二の丸の虎口石垣に当たる、早朝でも散策の人が居る、東二の丸では徳島城跡東二の丸跡の石碑を確認、中心部に天守跡の石碑を確認、ぐるりと樹木に囲まれてあまり見晴らしは良く無い、東の天端より眺望と石垣下を覗く、東二の丸から本丸へ登る石段西付根に徳島戦災犠牲者慰霊碑が建ち祀られている。
徳島城は珍し事に東二の丸に天守閣が在り明治の取り壊しまで存在した、水戸城の天守閣も二の丸に在り空襲で焼失した。幕府に対する遠慮でしょうか?
本丸へ移動。
徳島城-3/6 本丸編に続く。
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2025/05/22 09:47
2025/05/22 09:42
2025/05/22 09:40
2025/05/22 09:37
2025/05/22 09:34
2025/05/22 09:31
2025/05/22 07:08
ゴールデンウイーク後半・伯耆の城めぐり② (2025/05/03 訪問)
湯谷城からの転戦です。来た道を引き返す形でのアプローチでした。日野高校黒坂施設のグランドからは鏡山城址の看板がとてもよく見えますが、そこは陣屋跡でした。きっちりとした枡形虎口があり、説明板も建っています。そこから、山城への案内も懇切丁寧なもので、この城が地元の人々にとても愛されていることが伝わってきました。主郭跡には立派な縄張り図もあってとても散策しやすい城です。できれば、櫓跡にも表示があるとうれしいな。
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2025/05/22 07:02
秋田県指定史跡 (2025/04/28 訪問)
185mの山城です。
看板のある学校(廃校?)に駐車可能
で登り道も整備されてます。
広大な城跡です。
削平された大きな曲輪が高さのある
切岸を境に多数あります。
新緑の若いシダ植物に覆われた城跡
は神々しく良い空気でした。
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2025/05/22 06:58
整備されすぎ感はあるが (2025/04/29 訪問)
隣接する安田城資料館の駐車場を利用。
朝早かったので資料館は閉まっています。
水堀にかかる橋を渡ると右曲輪、模型が設置されています。
さらに橋を渡ると二の丸、土塁に囲まれています。
二の丸と本丸の間にも土橋がかかり、本丸も高く幅広な土塁が囲みます。
登れるようになっていたので土塁上を一周、周りを囲む水堀を見下ろしました。
東側の井田川沿いには八重桜の並木がありますがすでに花の季節は終了。
南東側には雄大な立山連峰を望みます(晴れてたら)。
秀吉が佐々成政の富山城攻めのため築いた白鳥城の支城。
巨大な水堀に浮かぶ平城で、国史跡にも指定されています。
発掘調査の際に復元整備されたとのこと。
遺構は良好に残りますがちょっと綺麗過ぎかな?というわがままな感想でした。
【見どころ】
・井田川から水を引き込んだ水堀
・本丸の土塁
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2025/05/22 01:13
小田原北條五代祭り 大河ドラマに (2025/05/03 訪問)
(紹介URL)https://www.odawara-kankou.com/topics/article/hojogodai.html
(参考動画)https://youtu.be/SkKgVDROBWA?si=wn9EZLLjvj6uycIj
某駅の壁に「小田原北條五代祭り」の宣伝ポスターが貼られており…何故か行きたくなった私は…5/3に小田原へ向かいました🚞
駅の南口でチラシが配られており…それを引き換え期間内(5/9-8/3)に指定引換場所に持参すると…北條五代祭り限定デザインの武将印がもらえるという特典付き…なのでまた…小田原に行きそう
武者行列のパレード(1枚目)は12時ごろ…混んでるエリアとそうでないエリアが紹介URLにて掲載されており…もちろん混んでない方のエリアへ向かいました
私が見学&撮影ポイントにした場所は十字路の近く…道の両側に座って居場所を確保してる方が大勢いて…私は(前に一回り背の低い女性がいる中で)他の見学客をかわしながらの見物となりました
高校のチアダンス部…バトンチームの生徒…迷彩服の自衛隊(第1音楽隊)がまず行進💃それから…「北条五代を大河ドラマに」の横断幕を掲げた方々の行進(2枚目)がありました…
そう言えば…現時点(2025年5月22日)で2027年までの大河は決まっており…北条五代を主役にした作品はありません😅駅前でそれに関する署名活動はおこなわれており…私も署名した事はあるのですが…需要が足りないのでしょうか?
あと…北条と北條の違いって…何なんでしょうね?「小田原北條五代祭り」の時は「北條」と表記…「北条五代を大河ドラマに」の時は「北条」と表す…
ネットで調べたところ…條は条の旧字らしく、文献考証学的に鎌倉時代の執権そして戦国時代の小田原を本拠とする一族はどちらも北條・北条の両方を表記したそうなので…ちょっと混乱しそうではあっても…あまり気にする必要はない…のかな😅
それから…甲冑武者に扮した方々の行進(3枚目)…北条五代、5人それぞれの旗が掲げられて…少年少女武者隊や手作り甲冑隊…そして北條軍団の行進
初代北条早雲隊の行進(4枚目)…早雲役は合田雅吏(俳優・小田原ふるさと大使)。北条五代役の5人は…馬に乗ってるので分かりやすかったですね
ちなみにこのパレード…初代早雲・四代氏政・五代氏直は俳優(というか芸能人)を起用。二代と三代は運営委員の方が演じてるとチラシに書いてありました
何故5人のうち3人だけ俳優なのか?個人的には(戦国無双のゲームをプレイした影響か?)三代氏康の方が知名度高いので、そこに俳優を起用した方がいいんじゃないかと思うのですが、そこは一般人起用…😅
(チラシに記載されていた)家系図を見たら…早雲から氏直までは直系…つまり、早雲→氏綱→氏康→氏政→氏直はそれぞれ息子が家督を継いでおり…氏直は早雲の玄孫なのです👴👦
そして…チラシおよび宣伝ポスターに紹介されていたのは…(有名人を起用してる)初代四代五代の3人…これを見た私は…
北条早雲→ジョナサン
氏政→ジョセフ
氏直→承太郎
つまり…ジョジョの奇妙な冒険と完全にシンクロしてしまいました(笑)
厳密に語ると…ジョセフはジョナサンの孫であり、承太郎のお祖父さんなので…本当は氏康がそれにあたります。けれどこのパレードにおいて彼はモブキャラなので…(ちょっと無理矢理感ありますが)氏政をジョセフポジションにしちゃえと🤭
北条四代氏政役の高嶋政伸(5枚目)…テレビでは髭を生やした姿を見た事ないので…つけ髭なのでしょうか?にしても…こうして見ると…武者役として貫禄のある姿をしているなと…思えてきました👨🦰
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2025/05/21 21:14
徳島城-1/6 鷲の門辺り編 (2025/05/13 訪問)
徳島城には50数年前に四国城廻で初登城し出張で何度か訪ねて居りますが、直近は8年前の平成29年9月に平成元年復元成った鷲の門を見学探訪で訪ねて以来です。
今回家内の要望で鳴門大塚国際美術館、祖谷のかずら橋を訪ねる旅を企画し、もしもの時間調整として徳島市のホテルを2泊予約、ホテルは徳島市役所のすぐ裏でしたので、市内のレストラン夕食前に1時間程城山下の御殿跡居館跡を散策しました。
三木廓鷲の門、黒門桝形石垣、太鼓櫓台、下乗橋、内堀月見櫓台、屛風塀の舌石観察、徳島城博物館は5時過ぎで不可、門が開いていましたので日本庭園をチョット見ようとしたのですが門扉開閉の係員に制止されました。博物館が建っていなかった頃は自由に見学出来たものですが。
北側を廻って数寄屋橋虎口石垣周り、バラ園、鷺の寝床は東二の丸の樹林フンで白く成って鳴き声でうるさい。
夕食の為徳島駅方向に移動しました。
翌日早朝の徳島城-2/6 東二の丸辺り編に続く。
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2025/05/21 20:49
本丸からの眺望も良好。 (2025/01/01 訪問)
実はこの投稿、デジカメとスマホの両方の写真が混じっています。デジカメorスマホ論争、盛り上がって来てますが、私ときどき「二刀流」です。あるあるですね。調子の悪かったデジカメを分解して組み立てたら、一時モニターが移らなくなりましたが、フレキケーブルのコネクタのロックを外して、しっかりはめ込んだら写るようになりました。動作も以前よりは好くなったようです。まだいける・・?
金山城は山頂に本丸が築かれ、石垣も良く残っています。地震で崩壊したと見られる部分の修復は行われてはいないようですが、今の状態でも十分見ごたえはあります。登城道は北に付いており、米蔵・煙硝蔵・出丸等を経て二の丸に至ります。石垣の下には馬場が配され、石垣の脇を登って本丸に至ります。どう見ても立派な城ですね。
本丸からの眺望も素晴らしく、地元の人にとっても良いトレーニングになっているようです。
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2025/05/21 20:21
烏帽子嶺砦(えぼしみねとりで)・攻略 (2025/05/07 訪問)
瀬平ノ城は早々に立入禁止であることが解っていたので、瀬平ノ城と関連のある烏帽子嶺砦を攻略にかかりました。
飫肥城主・島津忠広が伊東義祐に備えて築いた砦で、主郭は山の中腹に築かれ、段状に郭を配しています。主郭周辺にも多数の郭が配されており、山城と呼んで良い規模を有していると思います。おそらく瀬平ノ城よりは城域は広いでしょう。
代替の城としては十分だとは思いますが、少しハードルが高いです。山に分け入る道はあるものの、明確な登城道が無く、案内板も有りません。立ち入り禁止では無さそうなので、訪問させていただきますが、少し勿体ない気がします。
道がはっきりしないので、急な崩れの周辺から一気に比高を稼ぎました。帰りに安全なルートもチェックしておきたかったのですが、大きな新鮮な熊のフンを発見したので、あまりのんびりもしていられなかったんですね。
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2025/05/21 19:53
幾つか面白い遺構がある (2025/05/11 訪問)
青森・・・・・??
仁後城の続きです。その性質上、人目に触れることの少ない城だと思いますが、いくつか面白い遺構があると思います。まずは主郭周辺と東の城域を隔てる大堀切、これがけっこうな規模です。城址の中は道などは整備されずネイティブのままなので、移動に少し手こずる場合もありますが、こればこれで面白い。主郭を南側から見上げると、かなりの角度が付いています。実は南端あたりに石積みの様な物が断続的についていて、そこから登ることも出来ますが、最初は裏側に回り込んで比較的角度の浅い場所から攻めることにしました。
藪に覆われて少しわかりづらいですが、主郭北西側にも堀や土塁などの遺構が残っています。尾根上から攻めてくる敵を防ぐためのものでしょうか。
斜面をよじ登って、主郭にたどり着くと、周囲は藪で覆われています。主郭は二段構造になっていて、主郭の東側に一段低い腰郭が付いています。南端に行くと、下へ降りる道が付いていて、ところどころに石積みの様な物が見られます。この周辺にだけ不自然に多いので、主郭への登り降りの為に、足元を石で補強してあるのではと思います。個人的にこの城の見どころの一つだと思いますね。
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2025/05/21 19:23
鞠智城 (2025/03/22 訪問)
【続百名城77城目】
<駐車場他>歴史公園鞠智城駐車場フルオープンです。
<交通手段>車
<見所>礎石建物跡・城門跡と城門礎石・土塁線
<感想>2泊3日西九州旅3日目4城目。閉鎖時間がないので自由に散策することができます。朝8時に来城し長者原のA~Dゾーンを散策⇒灰原⇒西側土塁線⇒戻ると温故創世館の方が復元建物を開けていたので、内部を覗き見て(兵舎建物にはちょっとした資料が置いてあります)⇒池ノ尾門跡⇒池ノ尾間歩トンネル⇒南側土塁線⇒堀切門跡・深迫門跡⇒温故創世館を見学・スタンプ押印・御城印購入しました。来城時は城跡範囲が長者原だけかと思いきや、補給基地といえどやはり古代山城は壮大で西・南土塁線や山と谷の地形を利用した城門跡はでっかくて迫力がありました。3時間半おおかた城跡を巡り散策を十分楽しみました。
<満足度>★★☆
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