ししくじょう

獅子吼城

山梨県北杜市

別名 : 江草城、江草小屋
旧国名 : 甲斐

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説明板の後ろに登城路が
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赤い城

石が転がり石積も残る (2023/05/28 訪問)

麓の根古屋神社から登城路があるようですが案内板に沿って進み、説明板が設置されているところから登城しました。
車は少し広いスペースがあったので路駐。
登城路は整備されていて歩きやすいです。
少し進むと門跡のような堀切があり、竪堀となり落ちていました。
さらに進むと石が転がり、導線を兼ねた横堀にも石が転がっていました。
主郭につながる段曲輪には石積もありました。
たまたま立ち寄った城ですがこの日の城では一番な感じでした。
元々は武田氏家臣の江草氏の城ですが天正壬午の乱では北条氏の陣城だった可能性もあるようです。

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higekam

自然石、石垣、石積を楽しむ (2022/05/30 訪問)

数年前に旧登城道が通行止めとなっているようで、事前調査に時間をかけた。
結果、google map で獅子吼城登山口が表示されていて、これを信じて若神子城から車で向かうことにした。
目的地直前で大きく右へUターンするところを直進して根古屋神社の空き地に駐車させてもらった。そこから戻るようにまっすぐ歩いて5分足らずで登山口の標識に到着(ここにはやはり小型車1台がかろうじて駐車可能?)。あとはテープをたよりにほぼ直登で頂上にたどり着いた。

本丸への到着地のま反対に下山道があったので、これが旧の登城道と判断し、横堀にたどり着くまで下ってみた。こちらのほうが曲輪、土塁、石垣、石積が残っていて存分に楽しめた。縄張は複雑ではないが、今回どれだけの石垣を見ることが出来たのかわからない。

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カルビン

【城と生き物】 (2014/10/18 訪問)

登城口のある解説板の正面にある廃村の建屋屋根いた る~さ~

他の写真以前の投稿で添付済なので余ったヤツを

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:獅子吼城 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の6城目は獅子吼城です。
若神子城から転戦。登城口付近空スペース(35.818320、138.467284)に路駐しました。
路駐場所から徒歩1分/150mの説明板前登城口(35.818644、138.467759)から登城しました。

最初の築城は不明ですが、平安時代には馬の産地であり、朝廷直轄の牧があったとも言われています。
鎌倉時代の末期である1320年に、信田小右衛門実正と、信田小太郎実高の父子が、家来と共に討死したと言う記録が地元の見性寺に記録としてあるそうです。
1394年~1428年には、江草信泰(江草兵庫助信泰)が、獅子吼城主として見受けられます。
この江草氏は、甲斐の武田一族で、江草家の初代・江草信景は、武田信重や武田信長の弟です。
その後、高白斎記によると、永正6年(1509年)10月23日に、小尾弥十郎なる武将が、獅子吼城(江草城)を乗っ取ったとあります。
乗っ取りですので、合戦があったとは限りませんが、巨摩郡の豪族である小尾氏から江草家の養子になり、事実上、乗っ取ったと言うことなのかも知れません。
戦国時代に小尾氏の小尾党は、信州峠の川上口の警固を行っています。
1530年前後の獅子吼城主は、今井信是・今井信元の親子で、諏訪頼満や、大井氏・栗原氏と協力して、武田信虎と敵対しています。
しかし、今諏訪の戦いで武田信虎に大敗を喫します。
今井信元は浦の城(獅子吼城)にて籠城したようですが、1532年9月に降伏し、これにより、武田信虎の甲斐統一となりました。

武田信玄の時代には、烽火ネットワークの中継基地として、重要な場所であったと考えられています。
武田氏滅亡後に起きた「天正壬午の乱」では、北条軍が占拠しましたが、服部半蔵が率いる伊賀組、武田氏遺臣の津金衆・小尾衆らが夜襲をかけて落城させました。
その後、和睦が成立し、甲斐が徳川領となると廃城となりました。
現在城址では大規模な石塁の遺構を見ることができるそうです。

目指した登城口は途中から私有地で通行止めの説明があったので、本丸まで行かず途中で引き返しました。
それでも石積と竪堀は確認できました。
攻城時間は20分くらいでした。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 江草信康?
築城年 不明
主な改修者 後北条氏
主な城主 江草氏、後北条氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、竪堀
指定文化財 市史跡(獅子吼城址)
再建造物 烽火台、説明板
住所 山梨県北杜市須玉町江草
問い合わせ先 須玉歴史資料館
問い合わせ先電話番号 0551-20-7100