いわやじょう

岩屋城

福岡県太宰府市


旧国名 : 筑前

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10Q-Nobu

高橋紹運を訪ねる (2023/05/01 訪問)

大野城から太宰府へ下山する途中に高橋紹運の墓と最後をむかえた岩屋城があったのでまとめて訪れました。
岩屋城は頂上が開けていて、大野城以上の景色が広がっています。
高橋紹運の墓所もすぐ近くにあり、山中ながら整備が行き届いており、今も慕われている武将なんだと感じました。

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小城小次郎

763名 (2022/11/26 訪問)

島津の大軍を釘付けにした763名という城兵の人数が正確であるか否かには諸説あるが763名と記載した人物はこの中途半端な人数を示すことで「全員討死」という異常な戦いをリアルな形で伝えたかったのだと思う。

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にのまる

車や電チャリに追い抜かれながら。 (2022/06/08 訪問)

2018年暮れの下見で、大宰府政庁裏の市民の森から登って岩屋城経由で大野城に行くルートを描いていたのですが、あっという間に3年半の月日が流れてしまいました。
今回は太宰府駅からのスタートになったので市民の森へ行かずに林道から登ることにしました。途中で寄ったのが昨日投稿した浦ノ城です。
アスファルトの坂道をひたすら登りました。住宅街を過ぎ、浦ノ城から40分くらいでようやく到着。最初に林道左側の高橋紹運と家来衆の墓所へお参りし、本丸へ行きました。
みなさまのご投稿で拝見していた特徴的な「嗚呼壮烈岩屋城址」の碑を目の前にして感無量。壮大な眺めを目に焼きつけました。

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トク

岩屋城攻城(ハイキング)コース (2022/07/12 訪問)

私がよく行く地元の「岩屋城」の攻城ルート(ハイキングコース)を御紹介します。

岩屋城といえば、豊後大友の家臣「高橋紹運」がわずか763名で、薩摩の「島津忠長」率いる約3万の軍勢に対し2週間にわたり互角以上に戦い、最後は全員壮絶な討死をした事で有名な場所です。この犠牲があり、立花山城にいる実の息子「立花宗茂」を守る事ができ、島津は九州制覇を断念しました。紹運は私の最も好きな武将です。


① 西鉄「都府楼(とふろう)」駅
ここからスタートします。

② 坂本神社
坂本神社は令和の年号で有名になった場所です(写真①)。政庁に来た客をもてなしていた「大伴旅人」の邸宅でもあり、ここの歌会で詠まれた歌(万葉集)に令和の語源がありました。

③ 大宰府政庁跡(大宰府展示館)
大宰府政庁は奈良平安時代に九州の政治を司った場所で、「大宰府展示館」(写真②)で大宰府の歴史について学ぶ事ができます(ここは100名城「大野城」のスタンプ設置場所でもあります)。ここでトイレを済ませ、前にコンビニがあるので、そこで「お茶・おにぎり」を買います(この先、トイレ・自販機はありません)。

④ 攻城(登城)
いよいよ登城です(写真③)。さあ、島津の兵の気持ちになって、岩屋城を攻めに行きましょう! この先、登山道が続きます(約30分)(写真④)。高橋紹運の家臣(大友勢)がどこに隠れているかわかりません。注意しながら登りましょう!😲

⑤ 高橋紹運の墓
高橋紹運の墓が途中にあります(写真⑤)(あと5分で本丸です)。

⑥ 本丸(ああ壮烈碑)
本丸に到着です。有名な壮烈碑があります(いったいだれが建てたんだろう🤔?)(写真⑥)。本丸から眺める筑紫平野の絶景が私は大好きです。ここで、買ってきたおにぎりを食べながら休憩、下に薩摩(島津忠長)3万の軍勢がいる事を想像します(写真⑦)。高橋紹運はどんな気持ちで、ここから島津の軍勢を眺めていたのでしょうか? そして私が登ってきた道を同じく登ってくる島津の軍勢を、どのような気持ちで迎え討とうとしていたのでしょうか?

⑦ 大宰府天満宮(梅ケ枝餅)
本丸から舗装された道を下ると「大宰府天満宮」に着きます(写真⑧)。「菅原道真」公が祀られている学問の神様です。おみやげに名物「梅ケ枝餅」を買って帰ります(写真⑨)。

⑧ 西鉄「大宰府」駅
ゴールです。お疲れ様でした!

約3時間のハイキングコースです。いろいろな歴史にふれることができるので、みなさんもぜひいかがでしょうか?😊
 

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城郭情報

分類・構造 山城
天守構造 不明
築城主 高橋鑑種
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な城主 高橋氏
廃城年 天正14年(1586)
遺構 曲輪、土塁、堀切
住所 福岡県太宰府市観世音寺
問い合わせ先 太宰府市文化財課
問い合わせ先電話番号 092-921-2121