日本100名城

おおのじょう

大野城

福岡県大野城市


旧国名 : 筑前

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大野城
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筑紫虎党

百間石垣に感動 (2024/07/15 訪問)

昨年夏、避暑を兼ねて訪れました。
山の中の壮大の石垣は最高でした

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じゅんじん

広大 (2025/01/26 訪問)

とてもまわり切れません。またいかねば!

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にのまる

一歩前進。 (2025/03/20 訪問)

数年前の初登城時は焼米ヶ原と増長天礎石群、鏡ヶ池で時間切れとなってしまいました。
それはそれで満足しているのですが、百間石垣を見てみたいのと、何を見ても読んでも全体像が掴めないあの山の中が一体どうなっているのか自分の足と目で確かめたいという気持ちが募って再訪してきました。

麓の大宰府政庁から市民の森を経て岩屋城へ。
岩屋城からさらに進んで太宰府口城門へ向かいました。

太宰府口城門は前回下りなかったことを激しく後悔していたので、一も二もなく突進しました。
そして出会ったパラダイス✨
1300年の時を超えて今この姿を見、かの時代に思いを馳せることができる幸せを噛みしめました。
両袖に延びる石塁と土塁もまた目と心にぐっと迫り来るものがあり、強さに魅せられるというのはこういうことなのかと感じ入りました。

広々とした焼米ケ原。どこまでも続く青空。どこからでもかかってこい!な眺望。
版築模型や公衆トイレの新築工事など楽しく安心してお城を学べるサポートもありがたいです。

尾花礎石群、増長天礎石群に行きました。鏡ヶ池から大石垣まで遊歩道で行けそうなのですが、途中で案内がなくなり、わからなくなってしまいました。
土塁の工事をしているところがあり百間石垣まで通じていて一周できるのかな?とも思いましたが、行っていいのかどうかわからなかったのでやめておきました。
子供の国も人の気配がなく、ここから先どう行けばいいのか行き詰まってしまったので、仕切り直して車道から県民の森センターに行くことにしました。

県民の森センターでスタッフの方に見どころや安全に歩いていけるかどうか、所要時間などを伺い、いろいろ考えて車道から百間石垣へ行き、北石垣経由で戻ることにしました。

てくてく歩いていると自動車が2台停まっていたので何かあったのかな?と思ったら、そこが百間石垣でした!
こんな風に現れるとは思っていなかったのでびっくりです。
階段があったので登ってみるとかっこいい土塁が続いています。登山道の案内もあり、ここを歩けたんだろうなぁと思いましたが、全体像もルートも今ひとつ把握できていないビギナーの単独登城なので、今回は車道ルートでOKだったとしました。

そして北石垣に向かったつもりが「鮎返り滝」の案内につられて道を一本間違えてしまい、外側の遊歩道に行ってしまいました(ノД`)
そのおかげで北端の土塁を見ることができ、いい具合に小石垣(北石垣ではなく!)に出ることができたのですが、まあまあ彷徨うことになってしまいました。(しかもこのあたりは電波がない。)
見上げる小石垣は露出部分は少なめながら古城感を纏っており、暫し見惚れてしまいました。

「小石垣100m・北石垣290m」という案内があります。小石垣は目の前なのであれ?と思い、290m登るのはきついかもと少し躊躇しましたが、せっかくなので北石垣へも行ってみることにしました。ロープ伝いに登り、案内が立っているところを何度も見たのですが、草に覆われた行き止まりのロープの先だったのか確認はできませんでした。

そろそろ戻ります。
北石垣から主城原に遊歩道が延びていたので、通り損ねた百間石垣への土塁ルートではなくこちらを通ることにしました。
静寂の中の礎石群。
迷ったり悩んだり間違えたりしてたどり着いたので、導かれたんだなぁという気持ちになりました。離れがたいです。でもここにとどまり続けるわけにはいかないので“また来るね”と言ってあとにしました。

遊歩道をずんずん歩いて県民の森センター近くに抜け出しました。疲れていたらタクシーを呼ぼうと思っていたのですが、あとは帰るだけだから平気だろうとまた車道を焼米ヶ原に戻り、そのまま太宰府駅へくだりました。なかなか遠くて、ここがいちばんきつかったです。

行く前は謎だらけで全体像もイメージも全く把握できなかった大野城。
完璧には程遠いながら歩いてみて大枠で掴めた気がします。次回の目標もできました。

帰宅後、改めてみなさまの投稿を読むと、書かれていることがものすごくよくわかりました。
ー登城体験を共有できた喜びー。
これが城びと投稿欄のいちばんの意義なのではないかと思いました。
そして、まだまだ行ける、行ってみたいところをリストアップすることができました。みなさまの現地情報のおかげでますますお城めぐりが楽しくなってきています。改めてお礼申し上げます。ありがとうございます🙇‍♀️

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たか

日本最古の広大な山城 (2024/09/11 訪問)

福岡県出身のわたしも知らなかった。
大野城市という名前を見ればそりゃそうだ。

ここは663年に起こった白村江の戦いで敗戦した日本が攻め込まれると思って大宰府を守るために築城されたとのこと。
途中まで車で行ったら道路わきになんと立派な土塁に石垣でいきなりテンションマックスです。
しかし駐車場も無くしばらく進むと大きな駐車場がありました。
ここに駐車して掲示されていた案内図を確認していざ出陣。

土塁が残っておりそこをつたいながら郭部分には倉庫などの礎石が多数ある。
夢中になって主郭部分に着いたころ空がなんとなく暗くなり「ゴロゴロ」と雷鳴が。
これはやばいと先を急いで最後の目当て、車で見た大迫力の百閒石垣へ。
これが登ってきたところよりかなり急で木の根を利用した自然の階段。
さすがにこっちから登ったら挫折してしまいそう。

なんとか下山したら道路の向こうに圧巻の土塁と石垣が!
下に流れる小川が気持ちよく、しばし呆然とその風景に見入っていました。
これは本当にお勧めです。
但し、登山する様な格好で行かないと無理があると思います。

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概要

大和朝廷が新羅・唐連合軍の襲来から大宰府を防衛するため、標高410mの四王子山(大野山)に築いた山城。亡命百済人の指導によって朝鮮半島の築城技法が用いられた。尾根に沿って築かれた土塁の内側には、今も建物礎石群が見られる。谷の部分には石塁を巡らせ、長さ百間(180m)とされた「百間石垣」の跡も見られる。

城郭情報

城地種類 神籠石式山城
築城年代 天智天皇4年(665)
築城者 天智天皇
主要城主 防人司
文化財史跡区分 国特別史跡(大野城跡)
天守の現況・形態 なし
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 石垣、土塁、門跡、礎石群
住所 福岡県大野城市/太宰府市/糟屋郡宇美町
問い合わせ先 大野城市教育委員会
問い合わせ先電話番号 092-501-2211