続日本100名城

たかてんじんじょう

高天神城

静岡県掛川市

別名 : 鶴舞城(かくぶじょう)、土方城

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高天神城
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前ちゃん

遠州の覇者になりえる城 (2019/03/26 訪問)

織田・徳川vs武田の激戦地。

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ぴぽぽ

堀切と横堀が分かりやすかったです (2019/02/17 訪問)

高天神城に向かう前に、大東北公民館に寄ってスタンプをぽち!
そこで、資料をいただきました
高天神城に向かう途中の橋が工事中で、遠回りをして少し迷ってしまいました
無料の駐車場に車を停めて、搦め手門から登りました
結構急な坂道で、侵入者を拒むかのような折れがある道で、途中に三日月井戸がありました
いただいたパンフレットの見どころは、ほとんど制覇することができました
大手門付近は、立ち入り禁止になっていて、ちょっと残念でした
甚五郎の抜け穴道は、あるかなかったけど、エピソードも含めて感慨深かったです
堂の尾曲輪と井楼曲輪も見ごたえがありました
険しい場所もあるので、これから行く方は歩きやすい靴と服装で行くことをおすすめします

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夏の雪だるま

徳川・武田の攻防の城 (2016/09/18 訪問)

静岡県掛川市の高天神城です。室町時代駿河の今川氏が遠江への侵攻の拠点として築いたとされ、戦国時代には遠江をめぐる武田・徳川の激しい攻防の舞台となりました。1571年武田信玄が徳川方の城であった高天神城を攻めますが攻略できず、信玄亡き後1574年武田勝頼が攻撃、徳川家康は援軍を出せず1ケ月の攻防の末城主小笠原氏は降伏開城、信玄でも攻略できなかった高天神城を落としたことから勝頼の武名を上げたとされます。その後、武田方となった高天神城は徳川の攻撃をたびたび受けるようになり、1575年長篠の戦で大敗し勢力が衰えた武田氏は、1580年9月の徳川氏の攻撃に対して籠城した高天神城8百の兵に対し援軍を送ることができず高天神城は兵糧も絶え1581年3月陥落、廃城となっています。城は、信州へ向かう街道と浜街道を押さえる交通の要衝である標高130mの山上に築かれ、東の峰に本丸、西の峰に西の丸・二の丸、その間の鞍部に井戸曲輪、南側の尾根に三の丸を置き、山全体が急斜面で難攻不落の城とされます。城跡は現在山頂に高天神社が祭られ、北側山麓の搦手門側の参道に大きい駐車場があり、南側追手門側にも小さい駐車場があります。

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チェブ

黄金2袋で許してね! (2018/12/30 訪問)

武田VS徳川で行ったり来たりの「高天神城」。
家康さんの援軍要請に遅れてしまった為、信長さん兵糧代を送ったそうです。「高天神城」は武田軍に取られてしまうし家康さん、さんざんです。
ただ翌年、長篠の戦いで信長・家康連合軍は大勝。高天神城奪還するため兵糧攻めしました。武田 勝頼公は援軍を送れず落城です。

南口駐車場から本丸、三の丸方面に向かいました。登り始めると案内柱があり、見逃しそうな遺構も案内のおかげで見られました。
途中、進入禁止の場所もああります。ただし違う道があるのでパンフレットを見ながらの方が探索はしやすいと思います。(足元は山城なので休憩中にパンフ確認ですよ)
とても良い運動になり、お腹が空きましたが当時の兵糧攻めを思うと、ここでおにぎりは食べずらいです。

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城郭情報

城地種類 山城
築城年代 不明。永正10年(1513)以前に福島氏が在城していたことは確認できている
築城者 不明
主要城主 福島氏、小笠原氏、横田氏(城番、軍監)、岡部氏(城代)
文化財史跡区分 国指定史跡
主な関連施設 掛川市立大東図書館 郷土ゆかりの部屋
主な遺構 本丸、二の丸、西の丸、堀、土塁
住所 静岡県掛川市上土方、下土方
問い合わせ先 掛川市役所観光交流課
問い合わせ先電話番号 0537-21-1121