続日本100名城

たかてんじんじょう

高天神城

静岡県掛川市

別名 : 鶴舞城
旧国名 : 遠江

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高天神城
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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「犬猿も 戻る痩せ尾根 高天神」

いぬさるも もどるやせおね たかてんじん

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カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2024/03/01 訪問)

 ①「西東 一城別郭 高天神」(にしひがし いちじょうべっかく たかてんじん)

 ②「小笠山 四尾根郭の 高天神」(おがさやま しおねくるわの たかてんじん)

 ③「断崖の 尾根を活用 高天神」(だんがいの おねをかつよう たかてんじん)

 高天神城は遠州中央、掛川南の小笠山丘陵南東に突出た断崖尾根を利用した一城別郭の城で「高天神を制するものは遠江を制する」と言われている重要な城郭です。
 東峰には本丸、三の丸を配して南の追手門から登城します。西峰には西の丸を中心に北尾根に二の丸、堂の尾曲輪、堂郭の西下に有名な長い横堀を配し、西尾根には馬場平と甚五郎の抜け道と言われる細い尾根道を配し、南尾根は見張台への断崖尾根道が続き、南で尾根を断ち切る大堀切が控えてる、覗くとぞっとします。西峰と東峰間はかな井戸の有る井戸曲輪で繋がっており、井戸曲輪から北へ搦手門へ断崖壁沿いに登城路階段が続く、断崖上の曲輪群を見ながら登ったり降りたり圧巻の登城路です。

 高天神城は今川氏の築城、今川氏が滅びると徳川氏の領有に成るが、武田勝頼に攻城されて武田氏側へ、武田氏対織田氏徳川氏の長篠・設楽原合戦で武田氏が大敗してから6年後に武田氏から徳川氏へ、落城時に武田氏軍監横田甚五郎が西尾根の細道を抜けて甲府の勝頼に報告に行ったと言う謂れから甚五郎の抜け道と言われている。
 この一年後には武田氏の滅亡、本能寺の変で信長が亡くなっています。戦国の激動期でした。
 
 駐車場は搦手門側が収容能力大、トイレ有、大手門側は10台程トイレ有。
 投稿写真の1、3,4,5,8,10は2023.5.25登城撮影。
 投稿写真の2,6,7,9は2024.3.1登城撮影。
   

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2024/06/29 訪問)

「かな井戸に 願いを懸ける 高天神(かないどに ねがいをかける たかてんじん)」

高天神城の築かれている城山は、水はけが良すぎて井戸を掘るのに向いていません。雨の降った翌日に訪問すると、良く解ると思います。道の脇からどんどん水が染みだして来ます。実際、かな井戸のある付近の二の丸からは貯水用の大量の瓶が出土しています。
第二次高天神城の戦いでは、水の手を絶たれ、城内に残されているのは「かな井戸」だけになりました。この井戸がいつ掘られたのかは不明ですが、いくら掘っても水が出てこないため「金井戸」と名付けられたとする説もあるようです。
城兵の願いは「かな」わず、敵陣に向かい突撃して城将の岡部元信をはじめ、688名が討死して果てました。

彼らの無念を心に留めつつも・・かな井戸が「願いのかなう」「叶井戸」としてパワースポットになるといいな、とか考えています。
どうですか掛川市観光協会さん・・ちょっと、おどろおどろしすぎますかね。
ちなみに、この井戸の深さは13mあり、落城時に姫が身投げをしたという、伝説もあるようだけど・・・

「かな井戸で 願いが叶う 高天神(かないどで ねがいがかなう たかてんじん)」

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2020/12/20 訪問)

「東西に 城郭中枢 高天神城(とうざいに じょうかくちゅうすう たかてんじんじょう)」

東西それぞれに城郭中枢を持ち,一城別郭と称される特徴を詠みました。実際のかるたにおいて,アルファベットの「H」のような形は,瞬殺で取り合いになると予想します。

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城郭情報

城地種類 連郭式山城
築城年代 16世紀前期
築城者 今川了俊
主要城主 福島氏?、小笠原氏、岡部氏
文化財史跡区分 国史跡(高天神城跡)
近年の主な復元・整備 武田勝頼
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、井戸
住所 静岡県掛川市上土方、下土方
問い合わせ先 掛川市役所観光交流課
問い合わせ先電話番号 0537-21-1121