香川先生の書かれた高天神城の図にも堰が築かれた大池が描かれています(ググってみてください)。大事な水の手なのでここを城兵が守っていたのではないでしょうか。
広島藩主浅野家に伝わる浅野文庫所蔵「諸国古城之図」の中に「高天神城」もあって、大池は枯れ、はるか南東に溜め池が描かれています。伝承が確かであれば、井伊直政によって堰を切られた大池の水がここに溜り、農業などに転用する目的で新たに堰を築いたのかもしれません。良く見ると大池の下流に二重の堰の跡らしいものも見えます。残念ながら現在の周囲の地形は大幅に変わっており、それらの遺構を確認することは出来ません。
掛川市の文化財課の方に聞いてみると、二の丸跡の発掘調査で大量の瓶(かめ)が見つかったそうです。瓶の中には穀物などの有った形跡は無かったそうなので、雨水や大池の水を溜め置いたものでしょう。やはり城内では水を自給できなかったようです。
ちなみに「かな井戸」の猫の話や「諸国古城之図」などのヒントもこの方から頂きました。おそらく、この御人は全部見当がついていると思うんですよ。知っていて、はっきりとは教えてくれない・・「自分で考えて見なさい」ということだと思います(感謝)。
自分の考えが及ぶのはここまでです。「高天神城」の水の手の新しい情報があったら是非、教えていただきたいと思います。
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