続日本100名城

たかてんじんじょう

高天神城

静岡県掛川市

別名 : 鶴舞城
旧国名 : 遠江

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高天神城
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トク

105【関ケ原の26人】(26)井伊直政 (直政の初陣(2/2)-高天神城攻め) (2024/02/16 訪問)

(26人目)「井伊直政」の続き⑦です。
直政の初陣で、水の手を断った事で有名な高天神城を訪れました。

さすがに人気の山城です、確かに遺構も多く見ごたえがありました。城の詳細については、カズサンなど地元の方々が過去に多数投稿されてますので、私からはあえて井伊直政にこだわった内容にしたいと思います。

高天神城を武田から奪還すべく、家康は1579年に勝頼からの援軍が来ないと知ると、横須賀城を本陣とし、回りに六つの砦を築いて兵糧攻めにて落とそうと考えます。直政はその一環として、水の手を断つ策を発案して高天神城を陥落させ、この功績で大幅に加増されたというのが、訪問前の私の予備知識でしたが・・・

彼岸桜が咲く追手門(写真①②:訪れたのは2月です)から登り本丸に到着すると、なぜか(🤔?)飲み水用の水道がありました(写真③)。蛇口をひねってみると水が出ました。現在は水の手は断たれていないようです(笑:あたりまえ)。

どこかに穴を深く掘った形跡はないか探しました。すると大河内政局が幽閉されていたという牢(ほら穴)がありました。この奥ではないか?と思い中に入りたかったのですが、厳重で中へ入れそうにありません(写真④)。しかしよく考えると、ここは井戸の上なので、ここはありえない? 水を抜くためには、井戸の下から掘らなければ意味がないので、今度は井戸の下を探すことにします。

高天神城には井戸が二つあります。まずは「三日月井戸」の回りをぐるりと見渡しました。ここは今でも水が残っているので、水は断たれていないようです(写真⑤)。なぜだか考えました🤔。当時は井戸の回りに今のような杉の木はなく、するとここは下の搦手門から丸見えなので、ここで水を汲むは敵に姿をさらすようなもの。また小さな溜め井戸なので当時はもしかして枯渇していたかもしれません。よって籠城中に汲む井戸ならこの上の井戸曲輪にある「かな井戸」かなと思い今度はそちらに向かいました(写真⑥)。

この「かな井戸」を、まず上から恐る恐る覗いて見ました。とても大きくて深い井戸です(写真⑦)。そして何と水がありません(ここだ~😲!)。私は井戸曲輪の回りをぐるりと一周し、さらに曲輪の下を歩き、どこかに水抜き穴らしき跡がないか探しました。曲輪の下の崖を忍者のようにへばりついて探していると、「大丈夫? 何やってんの? 危ないよ!」と声をかけられました。大丈夫です、私は決して怪しい者ではありません(いやどう見ても怪しいと思うが・・🤔)。30分くらいへばりついて探したのですが、だんだんと体力に限界を感じ、滑り落ちそうになってきたので、そこで断念しました。よって結局はそれらしき穴を見つける事はできませんでした(残念です)。

よく考えたら、わずかな時間でそう簡単に見つかるわけないですよね。高天神城まで来て他には目もくれず、井戸曲輪の下の崖にへばりついて、水抜き穴を探していた怪しげな城びとは私だけでしょうか? 発案したのは直政ですが、実際に実行したのは伊賀衆だとか? その証拠に直政は家康の傍にずっといたのか敵首を上げた記録がありません。穴は埋められ今は残っていないのでしょうか? 疑問が残ったまま、ちょっとモヤモヤした気持ちで終わってしまいました(くやしいな~😩)。

最後に、高天神社の階段から西の丸に登り(写真⑧)、馬場平から見た景色は最高でした(写真⑨)。

「高天神を制する者は、遠江(とおとうみ)を制す」

この場所から遠州灘を眺めると、まさにこの意味が解かる気がしました。そしてここで、駅で買ってきたメロンパンを食べました(ああ~おいしい😊)(写真⑩)。

高天神城を落とした万千代は、どんな思いで家康とともにこの景色を眺めたのでしょうか? 初陣を無事果たし、そして自分の功績を喜んでくれた家康を見て、「家康様のために一生働こう」と固く心に誓ったのではないでしょうか?

この功績で万千代は3千石から井伊谷を含めた2万石へ加増されます。万千代この時20才。事実上の井伊家再興を果たした万千代の元へ、井伊谷に潜んでいた井伊家の旧臣達が、続々と集まってきたようです。

この後、武田滅亡を果たした家康をねぎらうため、信長は完成したばかりの安土城に家康を招待します。直政も家康とともに安土を訪れました。そこで直政は、いったい何を見たのでしょうか? 次は直政の気持ちになって(安土城)へ登城します。
 

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トク

104【関ケ原の26人】(26)井伊直政 (直政の初陣(1/2)-高天神城に登城する前に) (2024/02/16 訪問)

(26人目)「井伊直政」の続き⑥です。
直政初陣の地、高天神城を訪れました。今回はその登城前の様子から先にお伝えします。

まず、JR掛川駅の構内にある「掛川観光ビジターセンター」に寄り情報収集をしました。駅からのバスの時刻表(平日30分毎、土日祝1時間毎)や乗り場(写真⑥)、降りてからのルートや縄張り図(②③④⑤)などたくさんの情報をいただきました(ありがとうございます)。そして何と!ここには「続100名城スタンプ」がありました。途中のスタンプ場所になっている大東北公民館で降りなくても駅のここで押せば、最寄りの 「士方(ひじかた)」のバス停までバスで直接行く事ができます(写真⑧)。荷物も預かってくれるようですが、5時に閉館で、それまで戻れるかわからなかったので、念のためすぐ前にあった駅のコインロッカーに入れました。すると何やらいい匂い、おいしそうなメロンパンを売っている店が目の前にあり買って行きました。これが正解! バスを降りて高天神城まで、店は一軒もありません(写真①のように何もない所です)。食べ物必要なら駅で買って行くべし!

掛川駅北口(写真⑥)から静鉄バス浜岡営業所行に乗り、車窓から掛川城を横目でちょこっと眺めつつ(写真⑦)20分、士方のバス停(写真⑧)で降り、追手門→本丸→岩窟→井戸曲輪(三日月井戸→かな井戸)→西の丸(高天神社)→馬場平(休憩)→堂の尾曲輪(堀切)→搦手門→バス停、のルートで歩きました(参考地図②③)。4時間くらいかかるかなと思っていたのですが、意外と2時間くらいで回れました。

登城後にまたバスで掛川駅に戻って駅前にあるホテルに宿泊。夜は掛川名物「まぐろ丼・茶そば・静岡ビール」で疲れを癒しました。特にまぐろは新鮮でおいしかったです😊(写真⑨)。どうやら掛川は、「まぐろ」と「お茶」と「メロン」の街のようです。

では次は高天神城の登城内容に続きます。万千代(直政)は、いったいどうやって水の手を断ったのでしょうか? そこに着目して登ってみようと思います(解るかな?🤔)。
 

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しんちゃん

いごっそう (2024/05/25 訪問)

先ほどの投稿では大河内源三郎政局についての記述は有りませんでした。天正2年の第一次高天神城の戦いの際に城主小笠原長忠は武田勝頼に降伏します。この時、勝頼は寛大な対応を見せ、降伏後の挙動は各人自由としたので小笠原長忠は勝頼に臣従し、大須賀康高、渥美勝吉・坂部広勝・久世広宣らは高天神城を退去し浜松城の家康の下に帰還。大須賀康高は馬伏塚城から横須賀城の城主となり渥美・坂部ら帰還組は「横須賀衆」として康高の与力にとなりました。
高天神城の落城の際に、ただ一人、降伏をしなかった軍監・大河内政局は勝頼の怒りを買い、石牢に7年も幽閉され、救出された時には視力を失い、歩行も困難になっていたそうです。政局は出家し皆空と称しますが、小牧・長久手の戦いの際に徳川家康に召し出されて長久手にて戦死したそうです。出家までした人をわざわざ戦場に呼び戻すとは、家康さんも余裕がなかったのでしょうか? そのあたりの情報が不足しているので、ゆっくり調べてみたいですね。
勝頼さんにすれば、これだけ寛大な対応を見せているのになんで?ってっ感じですかね。

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しんちゃん

      M(エム)       (2024/05/25 訪問)

ちょっと足を山城に慣らしておきたかったので、リハビリを兼ねて高天神城に行ってきました。搦め手から攻めれば、比高もそんなに高くないし楽勝じゃね? と思って登ってみたけど、いやあ なかなかどうしてどうして、結構キツかったですわ。本丸と西の丸でいいかな~って思ってたけど、さすがに見所が多くて井楼曲輪まで訪問しちゃいました。
ずっと目の前にニンジンをぶら下げられている感じで、途中で足抜けさせてもらえない。さすがは続百名城ですな。井楼曲輪の前に二つ横たわる堀がえげつなくて、当然のように橋なんてかかってない。以前ならぴょんぴょん渡っていったところを、えっちらおっちら進んでいく。でも‥それがいい! 城攻めはしんどいのを楽しむのも、楽しみの一つだと気が付きました。何か扉が開いたような気がします。

いつも一緒に~いたかった~♪ 
それは別のエム!

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城郭情報

城地種類 連郭式山城
築城年代 16世紀前期
築城者 今川了俊
主要城主 福島氏?、小笠原氏、岡部氏
文化財史跡区分 国史跡(高天神城跡)
近年の主な復元・整備 武田勝頼
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、井戸
住所 静岡県掛川市上土方、下土方
問い合わせ先 掛川市役所観光交流課
問い合わせ先電話番号 0537-21-1121