(参考サイト)https://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/fs/3/7/0/1/7/2/_/______.pdf
政局という家康の家臣(外戚でもある)が囚われていた石窟(1枚目)が…城跡の一角にありました。この城にて天正二年(1574年)に激戦がおこなわれた際に武田側に降り、それから勝頼の怒りを買ってこの石窟に幽閉されたそうです
なんか…護良親王や日蓮上人が幽閉されていた土牢を連想させられますね…夏場は虫が湧き、冬場は寒風がヒューヒュー吹く…過酷な環境が容易に想像できるシチュエーション…ここに何年も閉じ込められた政局
こんな所…絶対入りたくない😅😱
天正九年(1581年)城陥落の際に家康に救出されて温泉療養♨️ それから3年後の小牧長久手の戦いで討死…と説明書にありました。せっかく助かった命なのに…それから数年後にそれを落とす事になるなんて…なんか切ないですね
最初の分岐点…本丸or高天神社の場所まで戻り、今度は神社方面に向かいました🚶♂️ (名称忘れたけど)小さな社に井戸があり…賽銭箱に10円玉を入れてお詣り
それから階段を上って…高天神社の本堂(2枚目)に辿り着きました。100円を賽銭箱に入れてお詣り…柱にチャック付きの透明ケースが掛けてあり、その中にメモ書きノートが入っていて、参拝者が自由にコメントできるシステムとなってました
そのノートに「◯◯市からきました。ここは思っていたより城の規模が大きく、階段を昇ると息があがってしまいました。高天神社にて参拝を済ませましたが御朱印は受けつけてないのでしょうか?よろしければ書いてもらいたかった。けれど悔いはありません」と書き残しました🖊️
それからもう一度…社務所の側まで足を踏み込んで確認すると…なんと御朱印受付の案内が…サンプルも窓にしっかり飾られてました。1枚300円…と言っても対応してくれる職員がいなければ授与できない…という事で残念ながらもらえずじまいで終わりました
高天神社との分岐点があり、もう一つの方向へ進むと二の丸がありました(3枚目)建物の具体的な規模こそ不明…けれど天目茶碗など国内外の陶磁器が多数出土されており、この城が単なる軍事施設ではなく、城内に詰める兵士たちの生活の場にもなっていた様子が伺えるそう
現在は木々が並んでいるだけの様子…けれどここでは柱跡が幾つも見つかっており、武田氏の勢力圏だった頃は何百人もの人間が暮らせるほどの規模の建物があったようです🏠
本間八郎三郎氏清と丸尾修理義氏清の墓🪦(4枚目)…二の丸からさらに右手に…奥に進むとそれがありました。その近くには天正年間の合戦で戦死した者への慰霊碑…空堀も(高低差がエグくて、堀に落ちた敵兵をフルボッコにできたらしい)
墓に葬られてる人物に関しては全く存じてませんが…おそらく城陥落の際に戦死した武田側の武将でしょう。降伏を潔しとせず最期まで戦い散っていった
一応…一回でほぼ全部周れたけど…やっぱり思っていたよりこの城は見どころが多かったですね。それだけ城の規模および機能が多様…そして二の丸で帰りのタクシーを電話手配した私は…入口まで戻って無事にタクシーと合流して乗車🚕 駅まで戻ったのでした
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