宮本武蔵の続き(8)です。
勘当され生活に困ったたけぞう(武蔵)は、1598年16才の頃、木下家定(秀吉の妻ねねの兄)が当時城主を務めていた姫路城へ行き、身分を隠して足軽(門番)のアルバイトをします。
当時の姫路城には、黒田官兵衛が普請し豊臣秀吉が築城した三重四階の天守がありました(写真⑤)。その石垣の一部は今でも残っています(写真②③④)。1587年黒田官兵衛は豊前中津へ国替えとなり、秀吉は大坂城を築城して移ると、代わって木下家定に姫路城が与えられます(写真⑥)。しかしこの時、家定はまだ大坂城で秀吉に仕えていたため、家定の三男延俊(後の日出城主)が城代を務めていました。この時に延俊と面識ができたようで、この15年後に武蔵は日出城(ひじじょう)を訪れているようです。
そして門番を始めてから数カ月後、城に妖怪が出るという奇妙なうわさが広まります。よって門番たちは誰も夜番をやりたがりません。でもたけぞう(武蔵)だけは平気で夜番を勤めたそうです。それが延俊の耳に入り、「彼はいったい何者か?」と調べられ、名高い新免流の武芸者である事がばれてしまいます。たけぞう(武蔵)は木下家の客分として取り立てられ、そして妖怪退治をしてくれぬかと頼まれます。わずか16才なのに・・・
たけぞう(武蔵)がある夜、灯ひとつで天守閣に登り、三階の階段に差し掛かった時、すさまじい炎と地震のような音と振動が!・・・ついに妖怪が現れました! ここでたけぞう(武蔵)は太刀に手をかけ斬りかかると妖怪は退散し静けさが戻ったとか。しかし四階に登るとまた同ように妖怪が現れます。しかしまた斬りかかるとまたも退散したようです。そして四階でまた現れるかもしれないと番をしますが現れず、明け方になるとウトウトと寝てしまいました。ふと目をさますと、そこに美しい「刑部姫(おさかべひめ)」が現れ、「あなたのおかげで妖怪は恐れをなして退散しました。褒美としてこの宝剣を与えましょう」、と白木に入った名刀「郷義弘」が残されていたそうです。
この後、関ケ原後の1602年に入った池田輝政は、姫路城を豪壮な天守に建て替えますが、刑部姫は刑部神社となって、天守最上階に守護神として今でも祀られています(写真⑨⑩)。そのおかげか、姫路城は400年の間に火事や落雷もなく、太平洋戦争時の空襲でも天守に爆弾は落ちませんでした。当時の米兵搭乗員の、「水堀が反射しB29のレーダーには湖か池に映ったので、そこに爆弾は落とさなかった」という証言が残されています。これも刑部姫の御加護でしょうか?
妖怪退治が終わり17才になったたけぞう(武蔵)は、父の無二斎が宇喜多から離反し、利神城攻めの時に知り合った黒田官兵衛を頼って中津へ行く事にしたため、自分も同行する事にしたようです。そして黒田配下の東軍として九州の関ケ原へ出陣します。
次は、その(中津城)を訪れ、たけぞうが負傷したという九州の関ケ原へ続きます。
【注】妖怪退治は後世(江戸期)の創作かもしれませんが、いちおうあったという事にさせて頂き話を進めました(笑)、すいません。
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