サイコー( ・᷄ㅂ・᷅ )6回目かぁ
見応えある✨世界遺産・国宝✨
中華が少ないと、ホント助かる
ライトアップも綺麗✨
心の底から残っていて良かった(・᷄ㅂ・᷅ )感謝
今後の人生で、あと何回見にくるのかな
未来永劫残して欲しい物🏯
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2026/09/19 23:17
2026/08/12 21:23
2026/06/16 10:25
6【秀吉の播磨平定をたどる①】姫路城(官兵衛の石垣が!) (2026/06/11 訪問)
みずほ600号に乗り姫路で下車しました。ここから秀吉の播磨平定をたどる旅を始めようと思います。姫新線に乗り換えようと思ったのですが、待ち時間が2時間もあったので、ならば官兵衛の石垣をもう一度見たいと、駅から姫路城までダッシュで往復してきました。
大天守に圧倒されながら山里曲輪に近づくと、ほれぼれとする野面積の石垣が見えてきます。このあたりには、官兵衛が小寺の家臣時代に土塁で囲んだ館の城があったのではないかと言われています。ドラマにもあったように、官兵衛は自分の城を秀吉に差し出します。そして播磨平定後の翌1581年、秀吉のために石垣で囲み、その上に三重四階の望楼型天守を建てたようです。秀吉は、播磨平定の最中は手狭なため書写山に入ります。そこで記憶を失ったあのドラマの話はフィクションでしょうが(笑)。そして姫路城から因幡平定へ出陣。その後は大坂城を築城し移ったため、秀長が城を預かります。1585年秀長が大和郡山に移ると、代わりにねねの兄「木下家定」が入り16年間続きます(実質は三男の延俊が城代を務める)。天守は関ケ原後に入った池田輝政により壊され、輝政はその位置に現在の白亜の大天守を建てたそうです。と・・・姫路城の方が話されていました(なるほど🤔)。
しかし見ている内にビックリ😱! 山里曲輪の西側は官兵衛の石垣が残っていますが、東側の石垣は何と布で覆われていました。補強工事がなされているようです。はらんだのか崩落したのか、この下は一体どうなっているのでしょうか? とりあえず工事が終わるまで、記念写真は西側から撮った方がよさそうです。
次はJR姫新線に乗り、西播磨の上月城へ向かいます。
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黒田重隆の居城を羽柴秀吉が改修し、関ヶ原合戦後に池田輝政がさらに大改修を行って連立式天守を完成。そして本多忠政が西の丸などを造築し、現在の姿になった。渡櫓で結ばれた4つの天守のうち、大天守は平成の大修理によって白漆喰が塗り替えられ、白鷺城と呼ばれた往時の美しさを甦らせた。
| 城地種類 | 梯郭式平山城 |
|---|---|
| 築城年代 | 正平元年〔南朝〕/貞和2年〔北朝〕(1346) |
| 築城者 | 赤松貞範 |
| 主要城主 | 池田氏、本多氏、酒井氏 |
| 文化財史跡区分 | 世界遺産(姫路城)、国宝(大小天守・渡櫓等8棟)、国重要文化財(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)、特別史跡(姫路城跡) |
| 近年の主な復元・整備 | 黒田孝高、池田輝政 |
| 天守の現況・形態 | 型式不明[3重/1580年築/解体]、連立式望楼型[5重6階地下1階/1609築/現存] |
| 主な関連施設 | 石碑、説明板 |
| 主な遺構 | 曲輪、天守、櫓、門、塀、石垣、横堀(水堀)、土塁、庭園 |
| 住所 | 兵庫県姫路市本町68 |
|---|---|
| 問い合わせ先 | 姫路城管理事務所 |
| 問い合わせ先電話番号 | 079-285-1146 |