日本100名城 現存12天守

ひめじじょう

姫路城

兵庫県姫路市

別名 : 白鷺城
旧国名 : 播磨

投稿する
姫路城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

トク

【宮本武蔵】(8)姫路城①(妖怪退治と刑部姫) (2025/06/05 訪問)

宮本武蔵の続き(8)です。

勘当され生活に困ったたけぞう(武蔵)は、1598年16才の頃、木下家定(秀吉の妻ねねの兄)が当時城主を務めていた姫路城へ行き、身分を隠して足軽(門番)のアルバイトをします。

当時の姫路城には、黒田官兵衛が普請し豊臣秀吉が築城した三重四階の天守がありました(写真⑤)。その石垣の一部は今でも残っています(写真②③④)。1587年黒田官兵衛は豊前中津へ国替えとなり、秀吉は大坂城を築城して移ると、代わって木下家定に姫路城が与えられます(写真⑥)。しかしこの時、家定はまだ大坂城で秀吉に仕えていたため、家定の三男延俊(後の日出城主)が城代を務めていました。この時に延俊と面識ができたようで、この15年後に武蔵は日出城(ひじじょう)を訪れているようです。

そして門番を始めてから数カ月後、城に妖怪が出るという奇妙なうわさが広まります。よって門番たちは誰も夜番をやりたがりません。でもたけぞう(武蔵)だけは平気で夜番を勤めたそうです。それが延俊の耳に入り、「彼はいったい何者か?」と調べられ、名高い新免流の武芸者である事がばれてしまいます。たけぞう(武蔵)は木下家の客分として取り立てられ、そして妖怪退治をしてくれぬかと頼まれます。わずか16才なのに・・・

たけぞう(武蔵)がある夜、灯ひとつで天守閣に登り、三階の階段に差し掛かった時、すさまじい炎と地震のような音と振動が!・・・ついに妖怪が現れました! ここでたけぞう(武蔵)は太刀に手をかけ斬りかかると妖怪は退散し静けさが戻ったとか。しかし四階に登るとまた同ように妖怪が現れます。しかしまた斬りかかるとまたも退散したようです。そして四階でまた現れるかもしれないと番をしますが現れず、明け方になるとウトウトと寝てしまいました。ふと目をさますと、そこに美しい「刑部姫(おさかべひめ)」が現れ、「あなたのおかげで妖怪は恐れをなして退散しました。褒美としてこの宝剣を与えましょう」、と白木に入った名刀「郷義弘」が残されていたそうです。

この後、関ケ原後の1602年に入った池田輝政は、姫路城を豪壮な天守に建て替えますが、刑部姫は刑部神社となって、天守最上階に守護神として今でも祀られています(写真⑨⑩)。そのおかげか、姫路城は400年の間に火事や落雷もなく、太平洋戦争時の空襲でも天守に爆弾は落ちませんでした。当時の米兵搭乗員の、「水堀が反射しB29のレーダーには湖か池に映ったので、そこに爆弾は落とさなかった」という証言が残されています。これも刑部姫の御加護でしょうか?

妖怪退治が終わり17才になったたけぞう(武蔵)は、父の無二斎が宇喜多から離反し、利神城攻めの時に知り合った黒田官兵衛を頼って中津へ行く事にしたため、自分も同行する事にしたようです。そして黒田配下の東軍として九州の関ケ原へ出陣します。

次は、その(中津城)を訪れ、たけぞうが負傷したという九州の関ケ原へ続きます。

【注】妖怪退治は後世(江戸期)の創作かもしれませんが、いちおうあったという事にさせて頂き話を進めました(笑)、すいません。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

(東海&関西)遠征11日目:姫路城 (2025/05/25 訪問)

姫路城は6年半ぶりの5回目の攻城となります。
①出張中の延長(記録なし) ②2018/6/16 ③2018/12/3 ④2018/12/4
今回はHimeji大手前通りイルミネーション(大阪・関西万博期間中 4/13~10/13)を見学する為にやってきました。

姫路城の彩雲ライトアップ&大手前通りイルミネーション、綺麗でした。
夕食は姫路駅の播州うまいもん処で姫路おでんを食しました。
攻城時間は60分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
本日の宿泊先に戻る為、姫路駅から電車で加古川駅に向かいました。
歩行歩数=46579歩、歩行距離=32.6Kmです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

私のお城巡りのきっかけとなった城 (2025/06/05 訪問)

姫路城の訪問は5回目ですが、何度来てもその美しさには目を奪われてしまします。私が本格的にお城を好きになったのは、30年前にこの姫路城を初めて見てからでした。

私は高校(普通科理系)→大学(情報工学科)→社会人(通信エンジニア)とずっと理系畑を歩んできたので、お城どころか高校・大学と、日本史の授業を受けた事もなく勉強したこともない、よって30年前の初めての姫路城を訪問した時は、美しいなとただ天守だけを眺めていただけの全くの初心者でした🔰。でもここから見たその景色が衝撃的でまぶたに残りました(写真①②の場所)。それから20年後、子供も独り立ちして趣味に費やす時間的余裕も出てきたので、あの時を思い出してお城や歴史の本などを読むようになり、近くの城などにも足を運ぶようになりました。するともっと色々と知りたくなり、その目標として試験がある事を知り、試しに受けてみようかなと思うようになりました。

2度目の姫路訪問(10年前)は、姫路城の前(姫路市民会館)がその城郭検定試験の会場だったので、受験の帰りに立ち寄りました。渦郭式とか入母屋破風とか野面積とか懸魚まで・・お城用語を覚えて行くと、だんだんと細かい所まで目が行くようになり、今までに経験した事のない空気感に浸る事ができました。本当に渦格式なのかを確かめるため最上階に登って見てみましたが、やはりドローンで空から見ないと分からないですね(笑)(写真③)。

3度目の姫路訪問(3年前)は、池田輝政はなぜこのような江戸城や大坂城にも匹敵するほどの大城郭を築いたのか🤔? ふと疑問がわき、吉田城から姫路城までの輝政の人生を追ってみました。輝政の築いた姫路城はこの美しさとは裏腹に、実は鉄壁の防御が施された城でした。ならばここで誰と戦い誰を守ろうとしたのか? しかし輝政は大坂冬の陣の直前の1613年に、脳卒中で突然亡くなったため、それは分かりませんでした(写真④)。この時家康よりまだ22才も若い50才だったそうです。

4度目の姫路訪問(2年前)は、西ノ丸にいた千姫の事が気になり、桑名城から姫路城までの千姫の人生を追ってみました。燃え落ちる大坂城から助け出され、桑名の七里の渡しで出会った本多忠刻に一目ぼれ、家康に懇願しその忠刻と桑名城で結婚、そして国替えで姫路城へ、子宝にも恵まれ今度こそ幸せになれるかと思いきや、子や忠刻に若くして先立たれ、結局ここでも幸せにはなれなかったという、悲しい結末を知りました(写真⑤)。

5度目の今回の訪問は、ある武芸者を追ってやって来ました。その武芸者は少なくとも二度この姫路城を訪れていたようです。「るの門」にそのキーポイントらしきものがあり驚きました(写真⑥)。

姫路城の入場料は現在1,000円ですが、来年3月から2,500円に値上げされるそうです😱! 早めの訪問がお得のようです。

夜は姫路駅構内ピオレの奥にある店で「姫路おでん」を頂きました。一人でも入りやすい場所なのでついつい毎回ここに来てしまいます。お城の形のこんにゃくが、私はとても気に入ってます(写真⑦)。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

翡翠

姫路城 (2025/02/17 訪問)

姫路城、好きで良く行ってます。今回は、地元の方に教えていただいた夜景スポットに行って見ました。最高でした。前から見るのも良いですが、私はこっちが、カッコよくて好きかもです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

概要

黒田重隆の居城を羽柴秀吉が改修し、関ヶ原合戦後に池田輝政がさらに大改修を行って連立式天守を完成。そして本多忠政が西の丸などを造築し、現在の姿になった。渡櫓で結ばれた4つの天守のうち、大天守は平成の大修理によって白漆喰が塗り替えられ、白鷺城と呼ばれた往時の美しさを甦らせた。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 正平元年〔南朝〕/貞和2年〔北朝〕(1346)
築城者 赤松貞範
主要城主 池田氏、本多氏、酒井氏
文化財史跡区分 世界遺産(姫路城)、国宝(大小天守・渡櫓等8棟)、国重要文化財(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)、特別史跡(姫路城跡)
近年の主な復元・整備 黒田孝高、池田輝政
天守の現況・形態 型式不明[3重/1580年築/解体]、連立式望楼型[5重6階地下1階/1609築/現存]
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、天守、櫓、門、塀、石垣、横堀(水堀)、土塁、庭園
住所 兵庫県姫路市本町68
問い合わせ先 姫路城管理事務所
問い合わせ先電話番号 079-285-1146