おばたじょう

小幡城

愛知県名古屋市


旧国名 : 尾張

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高台になっている
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しんしんちゃん

松平・徳川とゆかりの深い城。 (2024/04/06 訪問)

小幡城は大永2年(1522)に織田敏信、信安に仕えた岡田重篤によって築かれたとされています。東西約200m、南北約70mの城域を持っており、本丸跡の駐車場に案内板が立っています。二の丸跡は馬出しを兼ねていたようで、本丸の南に位置し間には堀を配し、本丸とは土橋で繋がっていたようです。東の阿弥陀寺は三の丸跡と見られ城址山・阿弥陀寺と気の利いた山号が付いています。城址の周囲は切岸になっており本丸跡の北側と西側からは周囲を良く見渡すことが出来ます。
天文4年(1535)には家康の祖父・清康が尾張侵攻時に在城し、天正12年(1584)に家康によって修復され、小牧・長久手の戦いの際に拠点の一つとして活用されています。尾張にありながら松平・徳川とゆかりの深い城です。

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ゆとりーとラインを利用して (2021/12/23 訪問)

 JR大曽根駅(地下鉄でも可)から名古屋ガイドウェイバス「ゆとりーとライン」に乗り換え川宮駅下車。徒歩15分くらいで案内板に行くことができます。遺構はありませんが、高台に築かれた城であることはわかります。

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カズサン

案内板と周辺を眺める (2021/12/11 訪問)

 城びと登録未踏の城名古屋市東部地区城廻り、新居城、龍泉寺城を終えて南西に直線で約2.5km程の所に在る小幡城を目指す。
 ナビはグーグルマップで小幡城の史跡マークの有る辺りにセット(35°12'19.0"N 136°58'02.9"E) 「愛知県名古屋市守山区西城2丁目13-26ビブレにししろ」

 駐車場は有りません、車は史跡案内板の在る辺りに路駐し急ぎ探訪。

 介護施設?ビブレにししろの南前に一角が地肌の出た駐車場月極か?が有りその路肩に案内板が一本立てるだけ、寂しいものですが有るだけで有難い。案内板が有る辺りが本曲輪?ビブレにししろビルの北は崖に成って居り水路、道路住宅地、西は崖に成って居り下に西城小学校、南は住宅街、南の坂道を登って来る時に案内板が微かに確認出来た。
 東は阿彌陀寺との間に道が有り北の崖下まで通ってる、堀切跡かも?阿彌陀寺は次の曲輪跡地なのか?、今回は利用しませんでしたが阿弥陀寺の参拝者駐車場(35°12'17"N 136°58'05"E)に有り空いてればちょっとの探訪時間なら可能かも?
 
 歴史は小牧長久手合戦の時家康が修復して三河との連絡の城として活用したと案内板にはあります。

 案内板と西側、南側、北側、東側を眺めての短時間小幡城探訪でした。

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キンヤ

小牧長久手の戦い時に改修され、今は堀切跡が残る城 (2021/06/21 訪問)

織田氏に属する岡田重篤が築城し、その後、織田信秀の弟である信光の守山城と併せ持城になったと伝わります。
小牧長久手の戦いの時には徳川家康の陣城として改修されたといわれます。

住宅地になっていますが、城跡は高台にあり平野を見渡せ、城に適した立地である事が分かります。

本丸の東側下の道路は、古城絵図にある堀切跡と考えられ、当時より削られ幅広になった部分もあるかもしれませんが確認できて良かったです。

本丸は駐車場などになっていますが、説明板が設置され、ありがたいです。
本丸の南側の二ノ丸は古城絵図から馬出しであったとされ、今は道路と住宅ですが、本丸への傾斜は分かります。

東側の三ノ丸にある阿弥陀寺には城址山を示す石碑があります。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 岡田重篤
築城年 大永2年(1522)
主な城主 岡田氏、織田信光、本多広孝(徳川氏家臣)
遺構 土塁、横堀(空堀)
再建造物 説明板
住所 愛知県名古屋市守山区大字小幡字西城、字稲荷前