石母田城は伊達氏の重臣・石母田城の居城で、奥州守護伊達稙宗が子の晴宗と争った天文の乱(1542~48)では稙宗方に属し激しい攻防戦が展開されました。
本郭の周囲に内堀が残り、土橋で二の郭・三の郭と繋がっています。周囲に残る水路は外堀の名残でしょうか。
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2025/01/31 19:10
2025/01/31 15:03
鳥羽城探訪 (2025/01/22 訪問)
九鬼水軍で有名な鳥羽城を訪問しました。織田信長のもとで第二次木津川口の戦いにて活躍した九鬼嘉隆が築城したお城です。
愛知県の田原城を探訪後、伊良湖港から伊勢湾フェリーで鳥羽港まで渡り、訪問しました。駐車場は鳥羽駅近くの鳥羽駅西駐車場を利用しました。(鳥羽観光に関するHPにて紹介されている駐車場)
まず、駐車城からお城に向かう途中に鳥羽市歴史文化ガイドセンターに立ち寄りました。ここではパンフレットもあり、また九鬼水軍関連の展示もありますよ。
鳥羽城の見どころは石垣ですね。本丸の石垣、家老屋敷の石垣は必見です。また、本丸跡からは鳥羽湾が一望でき、その風光明媚さが窺えます。
鳥羽城も廃城令により建物は取り壊されましたが、当時は天守を含め13の櫓があったとのこと。残念なことです。
ところで、最近のニュースでゴミの中から未発見の鳥羽城関連の絵図が発見されたとのこと。興味深いですね。
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2025/01/31 14:29
田原城探訪 (2025/01/22 訪問)
愛知県にある田原城を訪問しました。自動車によるアクセスで、駐車場は田原市博物館の駐車場を利用しました。
田原城は戦国時代に戸田氏が築城しましたが、遺構としてある石垣や水堀は江戸時代に整備されたとのことです。
残念ながら建物は明治時代の廃城時にて取り壊され、現在ある桜門、二の丸櫓は昭和以降に復興されたものとなります。
二の丸跡にある田原市博物館では田原城に関連した展示を見ることができます。また、田原藩江戸家老であった渡辺崋山に関する展示もされており、時間があれば是非寄ってみてください。
なお、田原市博物館で田原城のパンフレットは頂くことができますよ。
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2025/01/31 09:27
黒田六端城を行く:(2城目)若松城 (2025/01/24 訪問)
黒田六端城2城目は若松城です。黒田長政は洞海湾の入口にあった中島に、父の官兵衛から仕えた重臣で黒田藩船手頭(水軍頭)の「三宅家義」に3600石を与え築城させました。おそらく細川忠興が海から攻めて来た場合に備えたものと思われます。しかし若松城は、明治時代の洞海湾工事で、石炭を運搬する大型船の航路確保のため島ごと削られ消滅したようです。現在の若戸大橋の橋桁の先(湾の中央)付近、つまり(写真①)の航跡のあたりにあったようです。
JR戸畑駅から徒歩5分の所にある若戸渡船場(戸畑港)の前からまず眺めました。下から見上げた若戸大橋は迫力がありました(写真②③)。そして、船で若松城があった場所の真上を通り若松港へ渡りました。料金はたったの100円です(安い!)。何度でも乗りたくなりますね(笑)。
若松港に上陸し、洞海湾の潮風に吹かれながら、晴れなのにまたもや「もや」がかかる遠くの皿倉山や花尾山を眺めて歩く事10分(写真⑤)、JR若松駅に着きました。この駅は、昔は筑豊炭鉱から掘られた石炭をここまで蒸気機関車で運び、ここで船に乗せ換え全国へ運ぶ、石炭産業時代の重要な駅と港であったようです。駅の歴史を説明するパネルや石炭(黒いダイヤ)が置いてありました(写真⑥⑦)。そしてここから折尾行の電車に乗ろうとしたら何とビックリ! あれ?電車なのにパンタグラフが下りている。よく見ると上に架線がない!(写真⑧⑨)。どうやらこの電車はハイブリットのようです(つまり電化・非電化区間どちらも走れるDENCHA😲!)。
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2025/01/31 08:14
朽木陣屋と信長の隠れ岩 (2024/11/09 訪問)
高島七頭にかぞえられる朽木氏が室町中期に拠点を岩神館から移して築いた城館で、安曇川に北川が合流する段丘上に位置します。小浜と京を結ぶ若狭街道と西近江への朽木道が交わる水陸交通の要衝にあたり、金ヶ崎の退き口の際には朽木元網は朽木谷を越えて退却する織田信長に味方して朽木城に宿泊させ、京まで先導しています。その後、元網は豊臣秀吉、徳川家康に仕え、江戸期には交代寄合として朽木城の地に陣屋を構えて、明治まで朽木氏がこの地を領有しました。
朽木陣屋の建物は明治に全て撤去され、陣屋跡はグラウンドや史跡公園、住宅地になっています。遺構としては周囲にわずかに土塁や堀があり(水堀は見落としました…)、駐車場に石垣、公園内に井戸が遺っているくらいです。公園内の朽木資料館は昨年3月で閉館しており、展示は中江藤樹記念館に引き継がれる予定とのことでした。また公園内には茅葺の民家が移築されていますが、朽木陣屋とは特に関係ないもののようです。
陣屋跡をひとめぐりすると、朽木城の詰城にあたる西山城に登城して(別途投稿します)、信長の隠れ岩へ。信長の隠れ岩(高島市朽木荒川)は、金ヶ崎の退き口の際に織田信長が身を隠したと伝わる岩で、ここから朽木元網のもとに松永久秀と森可成を派遣して自らに味方するよう説得させたんだとか。国道沿いに説明板があり、そこから5分ほど登って行くと巨岩が林立する中に案内表示があります。この日は折よく草が刈られた直後でしたが、隠れ岩への遊歩道は夏場は藪に沈む上にヤマビル出没地なのでご注意を。
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2025/01/31 07:07
新居城・宮尾城・新居氏館 香川県高松市 (2025/01/19 訪問)
いずれも城びと未登録城です。
勝賀城の香西氏配下の新居氏関連の城を廻りました。
まずは新居城。
高松市の国分寺地区にある盆栽神社を目覚します。
神社の裏手に登城口があり、リボンを頼りに登っていきます。
明確な道はないのでリボンが頼りです。
途中、石が転がるエリアがありこの辺りから城域かと。
主郭には祠が鎮座し、その背後の岩場からの眺望は良いです。
勝賀城を望み、その南西側を新居氏が守っていたと想像できます。
派手な遺構は無く段になった曲輪が少しみられるくらいです。
新居氏の詰めの砦でした。
下山し宮尾城へ。
城跡には楠尾神社が鎮座し、遺構は残りません。
周辺より高い位置にあり、天然の要害だったことが想像できます。
最後は新居氏館、宮尾城から西に住宅地を歩いて行きます。
畑の中に土居の宮という場所があり、小さな祠が鎮座します。
北側には石垣もありますが後世のものかな?
説明板も立っていて背後には先ほど登った新居城を見あげます。
新居氏も長宗我部元親の讃岐侵攻で香西氏に従い戦いましたが討死してしまいました。
ここから西に進んだところに八十番札所の国分寺があります。
本堂や鐘楼などが国の重要文化財でこの日もお遍路さんで賑わっていました。
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2025/01/30 23:06
南北朝時代から (2025/01/26 訪問)
行ってきました♪最後の坂が急でしんどかったです😊
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2025/01/30 22:08
城郭検定松江城内にて開催 (2024/12/24 訪問)
城郭検定が松江城内の興雲閣内で開催。詳細は城郭検定公式HPで。
松江城は国宝指定10周年。イベントにも注目です。
松江城近辺では、高層マンションの建築中です。松江城天守からの眺望に影響がある模様です。
今後も高層マンションの建設が続くかは、未定です。
しかし今のうちに、松江城天守からの眺めを堪能しておくのがお勧めです。
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2025/01/30 21:54
石垣など散策 (2025/01/30 訪問)
石垣を観て廻るだけでかなりの時間が経ってしまいました。緑泥片岩、和泉砂岩、花崗斑岩などの石が使われています。積み方も野面積み、打ち込みハギ、切り込みハギと築城された時期によるものですが、各種そろっていて楽しませてくれます。「和歌山の近世城郭と台場」(戎光祥出版)には特徴の一つが野面積みの高石垣と書いてありました。見どころいっぱいの城址です。
久しぶりに登城したので、風景が新鮮に感じ多彩な石垣などにテンションも高くなってしまいました。次回来る機会があれば、のんびり半日以上かけて散策したいと思っています。
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2025/01/30 21:36
徳川頼宜 (2025/01/30 訪問)
久しぶりの登城です。和歌山市近傍の城跡に来ることはありましたが、和歌山城はなぜかスルーしていました。前は緑の季節に登城したので、いつか葉の落ちた季節に行こうと思い今日の登城となりました。この城の魅力は石垣だと思っています。多彩な石を使った多彩な積み方を楽しむことができます。時間の関係でさらりと回りましたが、それでも3時間近くかかりました。1日過ごしてもいいかなと思います。
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2025/01/30 20:14
2025/01/30 20:12
真田氏館 (2024/12/22 訪問)
【真田氏館】
<駐車場他>御屋敷公園第1駐車場
<交通手段>車
<見所>虎口跡・土塁
<感想>1泊2日上田の旅2日目3城目。現地説明板によると真田氏館は1583年に真田昌幸が上田城を築城する前の真田氏の居館で真田幸隆・真田信綱の代から用いられていたとされます。館跡は土塁囲みで東西に上下段の2段構造になっています。南面の土塁下部と大手門跡には石垣が残されています。内部の皇大神社は荒廃を憂いた真田昌幸が勧請したとされます。添付写真のように昨晩からの降雪で積雪が酷くて遺構があまり見られなく、この後の天白城・松尾古城の登城を断念し、隣接の真田氏歴史館を観覧しました。出発時の宿泊した鹿教湯温泉の方は積雪があまりなかったので昨日行けなかった丸子城に向かいました。
<満足度>◆◆◇
<宿・温泉>宿泊は鹿教湯(かけゆ)温泉に宿泊しました。菩薩様が鹿に化けて信仰厚い猟師に温泉の場所を教えてくれた伝説のある温泉地です。匂いや色の無いあっさりした温泉ですが温泉からあがった後に効いてくるいい感じの温泉でした。
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2025/01/30 20:04
稲村御所 永享の乱 (2024/09/15 訪問)
稲村御所とは第二代・鎌倉公方足利氏満の四男である足利満貞を指すとされています。福島県須賀川市稲字御所にある稲村御所は満貞の御所が有った所とされ、釈迦堂側に稲川が合流する地点の南西の丘陵に築かれ、現在は畑地や荒地になっているようです。
草が生い茂っていて解りづらいですが、周囲には土塁が残っていると見られ、北側には堀跡も残っているようです。
足利満貞は永享10年(1438)に発生した「永享の乱」で足利持氏に味方し、永享11年2月10日に鎌倉の永安寺で持氏と共に自害しています。
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2025/01/30 19:47
2025/01/30 17:01
人取橋古戦場跡 (2024/05/03 訪問)
瀬戸川館跡の近くが人取橋古戦場があります。詳細は割愛しますが伊達政宗が蘆名・佐竹連合軍と戦った場所です。鬼庭左月斎の供養碑がありましたので手を合わせました。
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2025/01/30 16:41
2025/01/30 16:29
伊達政宗居城の地 (2024/05/03 訪問)
二本松城とのセットで行きました。こちらは伊達政宗公が約一年程居城したそうです。本丸後には野面積みのような石垣がありました。東北地方も戦国時代は様々な戦で血を流してます。この周辺だけでもいくつか城がありました。
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2025/01/30 13:02
宇和島訪問 (2025/01/11 訪問)
はじめての訪問 鯛飯もおいしかったです
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2025/01/30 12:40
庄内の乱における古戦場 (2024/01/05 訪問)
南北朝時代から安土桃山時代まで幾多の戦乱に巻き込まれた場所のようです。島津家を揺るがすきっかけとなる庄内の乱の際もこの城下で戦があったようです。
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2025/01/30 12:32
島津家発祥の地 (2024/01/05 訪問)
特に遺構がすごく残っているではありませんが島津家がここから発展していったみたいです。
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