日本100名城

はぎじょう

萩城

山口県萩市

別名 : 指月城
旧国名 : 長門

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萩城
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HARU

山口・萩旅行 (2015/03/29 訪問)

山口・萩方面を旅行した時に訪れました。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2023/05/18 訪問)

※浜田城と共に登城
※前日、浜田駅前のホテルに前泊

(駅徒歩22分)浜田城跡(続百名城スタンプ 浜田護国神社社務所8:00-16:00)

12:09浜田(JR特急)、12:42,13:12益田(JR)、14:23東萩
 ※晴・曇:スマイル貸自転車(2時間400円)萩城→城下町→明倫学舎→松下村塾:8km
 ※降雨時:14:42東萩(コミュバス)、14:52千春楽前 (当日は小雨が降ってきました)
 (徒歩4分)萩城跡(百名城スタンプ 券売所8:00-18:30:4-10月無休)
  ※雨のため指月城へは登城せず
  ※城下町散策はお勧めです

16:56東萩、18:10益田
 ※雨の場合:16:23萩城跡指月公園入口(コミュバス)、16:28,16:46玉江駅(JR)、18:10益田
 泊:益田駅前ホテル

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あみりん

台風が近づいてる萩城散策 (2023/08/15 訪問)

台風7号が近づく中、昨夜宿泊した下関から車移動しました。100名城スタンプと御城印をいただきました。
石垣の積み方がきちんとしていてカッコよかったです。
お堀には鯉がわんさか泳いでいました。

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トク

60【関ケ原の26人】(22)毛利輝元 (毛利輝元と萩城:天樹院) (2022/11/16 訪問)

(22人目)毛利輝元の続きです。
萩城三の丸にある天樹院を訪れてきました。
毛利輝元はここに眠っています。私は墓の前に立ちまた考えてみました(写真①②③)。

輝元は家康に対して何もできなかった自分を責めながら表向きは恭順の意を取り続け、裏では着々と対徳川への備えをしていました。しかし関ケ原から2年後、何と徳川と島津との間に和議が成立してしまいます。さらにその2年後、萩城が完成し広島から萩へ移ろうとしていた矢先、ここで頼みとしていた黒田官兵衛が亡くなってしまいます(享年59)。野望が消え、後は長政に任せ、福岡城でのんびりと隠居生活だったようです。そしてそれから数年後、加藤清正・池田輝政・島津義久らも次々と亡くなっていきました。よって後ろ盾を失った輝元は、毛利家存続のため、徳川秀忠の代になってもその恭順の意を示す態度を変えざるを得ませんでした。さらに追い打ちをかけるよう一国一城令で泣く泣く岩国城を破却。これらは輝元にとっては相当な屈辱だったと思います。家臣らもそれに不満を感じたのか分裂が絶えず、健康が悪化した輝元は、病を押して大坂の陣の時は徳川方として出陣、その一方で毛利家のとりまとめに尽力していきました。しかしついに1623年に限界を感じ、関ケ原に行った養子の(秀元)が譲った側室の実子(秀就)に完全に家督を譲り、この三の丸にて隠居します。そしてその無念を抱えたまま2年後(関ケ原から25年後)の1625年、ここでその生涯を閉じました(享年73)。そしてその隠居所には代わって天樹院が建てられ菩提が弔われました。

輝元の無念はこの天樹院にある菩提とともに長州藩士へ代々と受け継がれていきまます。また本領安堵の約束を反故にした家康(徳川)への恨みと屈辱は相当なものがあったと思います。

そしてその死から240年後、ついに輝元の無念と屈辱を晴らす好機がやって来ました! その意思を受け継いだ長州藩士たちが、「尊王攘夷」という名のもとに集い、徳川倒幕への烽火(のろし)を、何とこの萩の地から上げたのでした~!(😱~)


【余談1】萩市内観光
萩城下には他にも、幕末の思想家「吉田松陰」の私塾で多くの尊王攘夷の志士たち(桂小五郎(木戸孝允)、伊籐博文、山縣有朋、久坂玄瑞、高杉晋作など)を輩出した、世界遺産「松下村塾(しょうかそんじゅく)」など見所が多数あります(写真④⑤⑥⑦)。100円のループバス(写真⑩)が市内をぐるぐる走っているのでとても便利に観光できまた。

【余談2】オススメの宿
松下村塾の隣にあるホテル「萩本陣」に宿泊しました。ここはとてもオススメです。7種類の温泉露天風呂が実に気持ちよく食事もよかったです。この日の夕食は「ふぐつくし会席」でした(写真⑧⑨)。部屋からは萩市内も一望でき遠く萩城まで望めました。またこのホテルの前のバス停(松陰神社前)からは、津和野行の路線バスや東萩駅や萩バスターミナル行きの100円ループバスも停まりますので翌日の行動にも便利でした(送迎もあります)。

残るはあと4人です。
次は(23人目)に続きます。
 

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概要

関ヶ原合戦に敗れた毛利輝元が徳川家康の指定した地に築いた城。日本海に突出した指月山に詰丸、その麓に本丸・二の丸・三の丸、さらに五重五階の望楼型天守を建てた。二の丸東門から海外線に沿って城壁が連なり、一部の土塀が復元されている。扇の勾配を持つ高石垣の天守台が美しい。

城郭情報

城地種類 梯郭式平城、山城(指月山)
築城年代 慶長9年(1604)
築城者 毛利輝元
主要城主 毛利氏
文化財史跡区分 国重要文化財(旧厚狭毛利家萩屋敷長屋)、国史跡(萩城跡、萩城城下町)、国天然記念物(指月山)他
天守の現況・形態 複合式望楼型[5層5階/1608年築/破却(廃城令)]
主な関連施設 北の総門、土塀、土橋、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀、長屋、井戸
住所 山口県萩市堀内
問い合わせ先 萩市観光協会
問い合わせ先電話番号 0838-25-1826