日本100名城

はぎじょう

萩城

山口県萩市

別名 : 指月城
旧国名 : 長門

投稿する
萩城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

赤い城

指月山と石垣 (2025/11/30 訪問)

ようやく登城することができました。
南門そばの無料駐車場に車を置き枡形の南門から入城。
すぐに本丸の門がありますがまずは東門に。
こちらも枡形で石垣が素敵です。
ここから北に向かい、途中から海岸に出ます。
日本海も穏やかで気持ちいいお散歩です。
潮入門から先は丸い石が転がっていて石垣と海に映えます。
釣り人もいらっしゃいますね🐟️

北櫓台の石垣から内側に戻り、東園跡の毛利氏時代の土塀の名残を見ながら本丸入口方面へ戻ります。
が、まだ入らず西側へ。
天守台と背後の指月山を見上げました。
もちろんこの後「登るぞ!」との意思確認も兼ねて。
西門から本丸に入り天守台の登ったあとスタンプを押しに本丸の門へ。
スタンプは74個目、毛利家萩屋敷長屋との共通入場券を購入しました(長屋は行きませんでした)。

で、詰丸である指月山へ登ります。
途中竪堀っぽい地形も見ながら約20分、詰丸要害門のある虎口に到着です。
脇の石垣は雰囲気あり、虎口は枡形になっています。
詰丸は二段の曲輪から成り、水槽や石を切り出した跡が残っています。
ここから石を採っていたのですね。
もちろん日本海の眺望もGood🤩
登った甲斐がありました。

城下町も歩いて見たかったのですが相方を待たせているので下山して終了。
また来ることにします。

【見どころ】
 ・北櫓台の石垣
 ・天守台とそれに続く石垣の雁木
 ・詰丸の虎口
 ・詰丸の切割石
 ・詰丸からの眺望

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

yoda 1253

立派な石垣が残っています (2025/10/18 訪問)

1608年から1874年まで270年間威容を誇っていた

+ 続きを読む

tsuchinari

海城萩城 (2025/10/06 訪問)

萩城本丸から北側の海岸線を歩くと、
強固な石垣に目を奪われる。
比較的新しい石垣に日本海の波が直接打ち寄せる様子を見ていると、萩城が海城であることに気づかされる。

城として存在していた時代から現在も変わらず、
このように城自体が海に剥き出しになっている城は
私の知る限り此処萩城だけではないかと思う。

とても壮観に立つ石垣と、勢いよく打ち寄せる日本海の荒波と、この日の真っ青な空のコラボレーションがとても美しく、心が癒された。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

天守台 (2013/10/04 訪問)

萩城は慶長9年(1604)に毛利輝元が指月山麓に築いたことから指月城とも呼ばれます。指月山は詰の城とされ、麓の城は平城で、本丸・二の丸・三の丸で構成されています。天守台にはかつては五層五階の壮麗な天守が建っていましたが明治7年に破却されています。
古写真を見ると一階が石垣より外に張り出した面白い構造をしています。五層にしては高さ21mと小ぶりですが、個人的に好感を持っています。JR東萩駅前は六分の一の模型が据えられているようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

概要

関ヶ原合戦に敗れた毛利輝元が徳川家康の指定した地に築いた城。日本海に突出した指月山に詰丸、その麓に本丸・二の丸・三の丸、さらに五重五階の望楼型天守を建てた。二の丸東門から海外線に沿って城壁が連なり、一部の土塀が復元されている。扇の勾配を持つ高石垣の天守台が美しい。

城郭情報

城地種類 梯郭式平城、山城(指月山)
築城年代 慶長9年(1604)
築城者 毛利輝元
主要城主 毛利氏
文化財史跡区分 国重要文化財(旧厚狭毛利家萩屋敷長屋)、国史跡(萩城跡、萩城城下町)、国天然記念物(指月山)他
天守の現況・形態 複合式望楼型[5層5階/1608年築/破却(廃城令)]
主な関連施設 北の総門、土塀、土橋、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀、長屋、井戸
住所 山口県萩市堀内
問い合わせ先 萩市観光協会
問い合わせ先電話番号 0838-25-1826