①「U字形 一山全体 小谷城」(ゆーじけい ひとやまぜんたい おだにじょう)
②「浅井氏が 三代栄し 小谷城」(あさいしが さんだいさかえし おだにじょう)
③「対織田戦 浅井の悲劇 小谷城」(たいおだせん あさいのひがき おだにじょう)
10年前の平成27年10月下旬、山城サミットin米原大会に合わせて城探訪、米原に宿が取れず大垣に宿をとる。岐阜の黒野城を訪ねてから小谷城へ初登城、当時は車で番所跡辺りまで車で登れて駐車エリアまで有りましたので登る。
番所跡、御茶屋跡、馬洗池跡、桜馬場跡、黒金門跡、大広間跡、本丸台に登り、大堀切、中丸、京極丸、小丸、山王丸手前の大石垣を観察し、山王丸へ、同好の方と山王丸で少々会話し、その方は先の城域、六坊、月所丸、大嶽城を探訪されると、分かれて私は元に戻り麓の資料館へ、宿の大垣に移動し夕刻の大垣城を探訪しました。
翌日は山城サミット米原大会に1日費やす。
小谷城は一山全体を城郭で囲んでおり、東側に出丸、金吾丸、番所、御茶屋、馬洗池馬屋、桜馬場、大広間、本丸、大堀切、中丸、京極丸、小丸、三の丸、北側に廻って、六坊、月所丸、大嶽城がピーク、西に廻って福寿丸、山崎丸で清水谷の屋敷群を守っていた大城郭でした。
浅井氏は京極氏の被官でしたが頭角を現し浅井亮政、浅井久政、浅井長政と三代北近江を抑えて戦国大名へ、長政は信長と同盟を結び信長妹のお市を娶り、同盟は堅固に見えましたが、織田信長の朝倉攻めで金ヶ崎で背後を襲う裏切り、信長の金ケ崎撤退、姉川合戦、信長による朝倉を滅亡させて、小谷城攻めが始まり、浅井久政自刃、長政自刃、長政長男は磔。お市と三姉妹は救出されましたが皆さまご存じの歴史の流れです。
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