大東市側から登り,四條畷市側に下りました。真夏に登城したのですが,どちら側からも(たぶん健康目的で)大勢登られてました。年代層も幅広く,地元に愛されている山なんだと実感しました。栄えある「第1回日本城郭協会大賞」,大変におめでとうございます!
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2022/04/21 23:13
2022/04/17 17:27
さすが天下の名城 (2022/04/17 訪問)
大阪市内から電車で約30分という近さでこれだけの山城、やっぱり大阪は山の多い地域なんだなと痛感します。
ここはハイキングコースがいくつか整備されており、ご年配の方やお子さん連れ、何かのサークル?とおぼしきグループなど、いろんな方がみえました。
とは言え、道中は所々険しいところもあり、しっかりと準備が必要と感じました。
事前のリサーチや、諸先輩方の記事にあるように、かなりの石垣がきれいな状態で残っています。
あの石垣群と郭群を見るだけでも、登る価値はあると思います。
ちなみに御城印は、大東市側のふもとにある歴史資料館にて販売していました。
飯盛城の石垣マップも入手出来ました。
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2022/01/15 18:14
1/9 飯盛城の全貌の講演会を聴いて見て
朝に続いて、昨年大阪府で5例目(大坂城などの近世城郭は除く)の国史跡指定を飯盛城跡は受けました。
即ち、飯盛城跡の他には千早城跡、上赤坂城跡、赤坂城跡、烏帽子形城跡が有ります。
石垣や礎石建物などの戦国時代後半の三好長慶によって築かれたお城として評価されたものです。
飯盛城は、ほぼ全域が石垣によって築かれているお城なのです。
それは、東側曲輪に多く用いられています。
意識的に攻城者を威圧する為でしょうか?
石垣の特徴は、石材は基本的に自然石や粗割石を用いています。
勾配は垂直で直線的である。
飯盛城の構造としては、飯盛山の南北尾根に中心部を配置している点で有ります。
巨大な堀切によって城域が南北に区画されてます。
千畳敷郭の発掘調査で、南北の尾根に対し造成を施して広大な曲輪を確保しています。
曲輪造成の盛土です。
礎石の検出で政治や文化の場としての礎石建物の存在が明らかになっています。
山城に住んていたことを表していますね。
三好長慶は、飯盛城に信頼する家臣らと一緒に滞在しており、家臣の家族や妻子と共に住んでいたのですね。
山城が戦いの場から政治や文化の場になっているのも面白いですね。
領民にも見せる城として存在意義していたようです。
飯盛城は、石垣、瓦、礎石建物という3つの要素を兼ね備えた城郭と言えそうです。
三好長慶と織田信長の築城した城郭構造が同一の要素で構成されているのも面白いですね。
飯盛城は、今後もっと整備されて誰にでも石垣が見られるようにしてもらいたいです。
にのまるさん、一乗谷城のテレビ放送見て頂いたでしょうか?
明日午前中に、クイズを出します。
宜しくお願い致します。
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飯盛城の国史跡指定と三好長慶生誕500周年を記念して、飯盛城調査報告会を開催。飯盛城跡研究の歴史をテーマに、これまで確認された調査資料から飯盛城を読み解きます。報告者:中井均先生(滋賀県立大学名誉教授)、李聖子氏(大東市)、實盛良彦氏(四條畷市教育委員会)、四條畷高等学校生徒 開催日:7月23日(土)13:00~16:30(受付12:00)料金:無料 定員:300人 申込:要事前申込 申込方法:7月8日必着で往復はがきにて申し込み 詳細はWebサイト参照
※ 内容は変更となる可能性があります、予めご了承くださいませ。
城地種類 | 山城 |
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築城年代 | 建武年間(1334〜1338) |
築城者 | 佐々目憲法?、木沢長政? |
主要城主 | 木沢氏、安見氏、三好氏 |
近年の主な復元・整備 | 木沢長政、三好長慶 |
主な関連施設 | 石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、竪堀、畝状竪堀群、堀切、井戸跡 |
住所 | 大阪府大東市北条/四條畷市南野 |
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問い合わせ先 | 大東市生涯学習部生涯学習課文化財グループ |
問い合わせ先電話番号 | 072-870-9105 |