まつくらじょう

松倉城

富山県魚津市

別名 : 鹿熊城、松蔵城、金山城
旧国名 : 越中

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しんちゃん

椎名康胤 (2015/10/23 訪問)

松倉城は通称「城山」に築かれた連郭式山城で越中三大山城の一つとされています。建武2年(1335)頃の築城とされ、室町時代は椎名氏の居城となりました。戦国時代に椎名康胤は上杉謙信に従い、神保氏に対抗しますが永禄11年(1568)武田氏に内通し上杉謙信の越中挙兵を招きました。
永禄12年に謙信に松倉城を包囲されますが落城はせず、上杉氏と和睦するも元亀3年(1572)再び上杉氏に反抗する動きを見せたために再び松倉城を包囲されました。翌年降伏開城しますが、康胤は後に一揆方として上杉氏と戦い自害したとも言われています。

城址には車道が通じていて複数の駐車場があるようです。八幡堂平付近から大見城平を経て主郭まで訪問しました。二郭との間に堀切があり、その先にも複数の郭があり、かなりの規模があるようです。

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ぴーかる

松倉城 (2022/05/22 訪問)

【松倉城】
<駐車場他>登城口前10台程度駐車可能
<交通手段>車

<見所>曲輪・門跡
<感想>1泊2日富山城の旅10城目。松倉城は越中三大山城の1つで、南北朝時代の1335年、普門利清(井上俊清)によって築城されたとされる。南北朝時代後は椎名氏の居城となり、松倉金山を擁して政治・軍事の中心地として栄えた。戦国時代には城主の椎名康胤が、上杉氏から武田氏に寝返り、上杉謙信に攻められたが1度目はこれをを防ぎ、1572年信玄の西上作戦時には上杉氏に敗れ開城した。その後は上杉氏の家臣河田長親→須田満親が城将を務め、佐々成政→前田家の治領となり廃城となりました。
 城跡入口まで車で行けます。主郭は南北に広く、最奥に巨石群があります。巨石群から立入禁止となっていました。主郭の奥に堀切がありもう一つ曲輪があるようです。主郭から北に4郭まであり3郭4郭は土居があります。駐車場から下っていくと大見城平という広い曲輪群があります。現地の説明板が剥がれて読めないのですが武家屋敷跡のようです。大見城平に残る城門跡は石積みの残る城門跡で見応えあります。
 松倉城群の中心部としてはやや小さい印象ですが、このあと投稿する獄門原や武隈屋敷跡の遺構や城びと登録・未登録の支城群を合わせるととてつもないスケールでとても1日で巡りきれない見応えある場所です。

<満足度>◆◆◆

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上田淡路守

カモシカに会える城 (2016/05/16 訪問)

ところは魚津市鹿熊地区、地名のとおり城に行く山道で1頭、登城口で1頭 計2頭見かけました。
ただし、地名どおり熊もでるそうですから登城の際はお気を付けて。

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カズサン

越中城廻Ⅰ 壮大な山城 (2017/06/14 訪問)

 一昨年6月飛騨城廻り最後の帰雲城を終えて白川郷へ戻り道の駅で夕食をと思ったのですが大幅に時間が過ぎ食事は出来ず、白川郷ICを入り東海北陸道へ途中SAで食事をしてPAで車中泊、朝滑川ICを出てナビに従い松倉城の曲輪下駐車場へ途中の道は細く高度も上がり不安に成りますが立派な駐車場です。

 駐車場から登り階段で本丸、二の丸分かれ道、標柱有り20m登って本丸へ、反対側二の丸本丸下も大きな曲輪たくさんの曲輪があり壮大な山城です、案内板には松倉城城塁群と解説が有り武隈屋敷、平峰砦、升方城など松倉城を守ってるようです。

 数年前に山城サミット魚津大会では松倉城がメイン城郭に成り登城ツアーが有り参加はしなかったのですが頭に残っており今回の越中城廻リストの最初に入れ越中城廻9城、加賀と越前未踏の城4城探訪しました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 井上俊清
築城年 建武2年(1335)頃
主な城主 普問氏、桃井氏、椎名氏、河田氏(上杉氏家臣)
廃城年 慶長年間(1596〜1615)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財 県史跡(松倉城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 富山県魚津市鹿熊字城山
問い合わせ先 魚津市教育委員会生涯学習・スポーツ課文化係
問い合わせ先電話番号 0765-23-1045